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 ミエル・リョートは美しい女性だ。高く銀の髪をくくりあげて、彼女が凛と歩く度に、長い彼女の尻尾髪が静かに揺れる。騎士団内部に続く回廊を、彼女はすたすたと歩いた。彼女はこの国を守る騎士であるが、まだまだひよっこである自覚はある。

 今年二十歳になる彼女が騎士学校を次席で卒業し、第一部隊へと配属されたのはいまだ記憶に新しい。日々鍛錬である、とすっかり硬くなってしまった手のひらを母は触る度に嘆いてはいるが、この幾度も豆が潰れた手のひらはミエルにとってみれば、間違いなく、彼女の自慢の手のひらだ。

 本日の任務の前にと剣の手入れを行うことが日課である。訓練場へとすたすた歩いていると、眼前から見覚えのある姿が見えた。燃えるような赤髪に、ミエルよりも悔しいことに少しばかり高い背だ。ミエルからすれば釣り眼がちの、目つきの悪い男だが、城のメイド達の間では、優しいと評判で、思い出す度にミエルの顔は歪んでおかしくなってしまう。

「うっげ。お前、ミエルか……。最悪だな」
「それはこちらの台詞ね。イース、私はここの道を通りたいの。はやくその姿を消してくれるかしら」
「なんだ。来た道を反対方向にってか。残念ながらお前と並んで歩く趣味はない。目でもつむって壁でも見とけよ」
「誰が歩くことを許可したの。窓から飛び降りて消えて欲しいと願っているの」
「ふざけてるのか。いや、ふざけてるな!? お前なんて床にへばりついとけ、絨毯のかわりにしてやるよ!」

 ミエルとイースは互いに額を合わさんばかりにバチバチと火花をとばした。
 青年の名は、イース・ヴズルイフ。ミエルと同い年の彼こそ、騎士学校での同期であり、かつミエルを押しのけ、主席で卒業した張本人だ。あの瞬間は、思い出せば思い出すほどに腹立たしいが、ミエルの努力が不足していたのだから仕方がない。

 ぎりぎりと、二人はにらみ合い、歯ぎしりをした。これは仕方のないことだ。ヴズルイフ家とリョート家は犬猿の仲である。互いに騎士を幾人も家系から排出しながらリョート家は武芸に秀で、ヴズルイフ家は魔法に秀でた。水と油になってしまうことはいっそ仕方のないことだ。

 イースの後ろからは、黒いローブを羽織った子供程度の小さな影が、困ったように跳ねている。彼の名前はグリュン。カエルの獣人だ。かしこく、薬剤の知識に秀でている。ミエルとイースと同じく騎士団に所属はしているが、直接剣を扱うわけではない。

「イース、ミエル、やめてぇ、やめてえ」

 グリュンは赤い舌をぴろっと伸ばしながら、ぴょんぴょん跳ねた。無理やり彼らの間に割り込んで、じたばた暴れる。ぐぐっと歯ぎしりをして、イースとミエルは互いにふんっとそっぽを向いた。この流れまでが、騎士団時代からのお約束だ。そして互いにすれ違うように去っていく。

 ミエルはふと、振り返った。大股でどすどす歩く背中が見える。それをグリュンが短い足でとてとてと追っていた。彼女はまるで苦いものを噛んでしまったかのような顔をした。今日はなんて運が悪い、とそのときはため息をつく程度だったのだが。



 ***


 ミエルとイース、二人の頭の上には、びしょびしょに液体がかかっている。なんだこれは、と瞬く間で、ぽかんと大きな口を開けたグリュンが、幾度もぱくぱく口を動かして、必死に赤い舌を出している。

「げ、げろっ、げろろろ、げろろろろろぉ~~~!!!?」
「グリュン、混乱すると言葉が出てこなくなる癖はいい加減にどうにかした方がいいわ……」

 薄っすらとピンク色をしていて、粘り気がある液体だ。顔を見合わせれば喧嘩をしだすイースとミエルだ。小さなグリュンの存在に気づかず、彼が持っていた液体ごとぶつかり、ぶちまけてしまったことは反省だった。

「ごめんなさい、グリュン、周囲をよく見ていなかったわ」

 汚れてしまったことは仕方がない。それよりも、彼が作っていた薬品を台無しにしてしまったことが申し訳なかった。ごめんなさい、とミエルは銀の髪を片手で触った。べとべとする。イースも同じくグリュンに謝った。その間もグリュンは混乱してげろげろと叫んでいた。

「一体どうしたの、そんなに大切なものだったの。台無しにしてしまったんだもの。私も手伝うわ。材料を教えて?」
「ああ、そうだな。俺も……」

 ぴたっとミエルとイースは、互いに瞳を合わせた。青いミエルの瞳と、黒いイースの瞳がぱちりとかち合う。そのときだ。おかしな感覚があった。あんなに見るたびに腹を立てていたイースなのに、妙に心臓が痛くて痛くてたまらない。そのとき、イースもまったくミエルと同じことを考えていた。綺麗なくせに生意気で、面倒なやつで、イースにとってミエルはリョート家とは関係がなく、ただのライバルだったはずなのに。

「…………」
「…………」

 このおかしな感覚を、互いに胸をつかんでこらえた。「げろ、げろろろろ、げろ、げろろろ~~~!!?」 混乱するグリュンを、二人は掴んだ。「グリュン、これは一体なに……!?」「説明、してもらうか……!!?」

 きらいで、きらいで仕方がなかった相手なのに、とにかく可愛く、かっこよく見えて仕方がない。
 こんなことはおかしい。悲鳴をあげるカエルの獣人の頭を、彼ら二人は思いっきり掴んだ。グリュンの真っ赤な舌ばかりが伸びて、ぐるぐるしていた。

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