青いチェリーは熟れることを知らない①

逢生ありす

文字の大きさ
上 下
46 / 92
チェリーの見る夢

それぞれの立場

しおりを挟む
「……っごめん吉川! 連絡できなくて悪い!」

「あ、桜田さんお疲れ様です! 全然大丈夫ですよ! ……どうかしました?」

 休憩も中盤に差し掛かろうというとき、息を切らせた瑞貴が吉川と佐藤の前に現れた。
 そして口では吉川と会話しているものの、瑞貴の瞳は別の誰かを探すように辺りを見回している。

「あぁ、ごめんっ……ちえりは?」

「若葉さんクリーニング出してくるって出かけちゃいましたよ~」

「え……?」

(しまった……朝バタバタしてて言うの忘れてたか)

 この一等地圏内にある社宅の住人は電話一本でランドリーサービスを受けられることをちえりは知らない。そして恐らく、鳥居隼人が"クリーニングに出しておいてやる"とちえりに言っていたのもこのことだ。

「桜田さん、飯取ってきますけど何がいいです?」

 気を利かせた吉川が平らげたトレイを手にしながら立ち上がる。

「いや、ありがとう。自分で行くよ。お前はゆっくり休んでろ」

 王子スマイルを残した瑞貴は颯爽と歩き出し、時間を気にしながら窓の外へ目を向ける。

「…………」

(……まるで誰かに邪魔されてるみたいに最近のチェリーと歯車が合わない……いや、違うな。人のせいにするのは卑怯だ。焦って空回りしてるのは俺なんだから――)

 彼の胸中を知ることなく、その背中を見つめたふたりの目がキラキラと輝いた。

「ほんとカッコイイですよね桜田さんっっ!!」

 佐藤はとんこつラーメンの汁飛沫を眼鏡に打ち付けながら瞳と唇をテラテラと光らせている。

「だなぁ……かっこよくて仕事もできて優しくて……あの人のハートを射止めるのはどっかイイとこのお嬢様かなぁ……」

 イケメン上司の恋人候補に有りがちな人物像をあてがう吉川に佐藤が抗議の声を上げる。

「わ、私はっ! 若葉さんが最有力なんじゃないかって思ってますっっ!!」

「え? なんで? じゃあ俺は社内でいうなら三浦さんだな~」

「え~~~! 妥当路線で行ってほしくないです!!」

 佐藤はちえりの数々の怪しい行動や発言から言っているのではなく、パーフェクト美女にも勝る、どこか欠点のある普通の女性の勝利を期待しているだけなのかもしれない。そしてそれに似た自身を重ね、いつの日か自分にも素敵な王子様が迎えに来てくれるという可能性に縋りたいに違いない。
 どんどんエスカレートしていくふたりの論争が一区切りしたところで戻ってきた瑞貴。悶々とした佐藤が直接理想の女性像を聞いてみようと試みたが、瑞貴はサンドイッチランチを急いで飲みこみ、珈琲を手にすぐ食堂を出て行ってしまった。時間にして約十分間の出来事である。

 それから彼が目指したのは自分のオフィスだった。
 早めに休憩から戻った社員らがそれぞれの席でくつろいでいる姿が見受けられ、その中には鳥居隼人の姿もあった。

「…………」

「…………」

 互いの姿を確認しながらも、言葉一つ交わさないふたり。さほど気にした様子もない鳥居はフランス語で書かれた分厚い本へ再び視線を落とす。

 瑞貴は自分のデスクに積み上げられた資料を手にすると、上がってきたデータと照らし合わせながら入念にチェックする。
 それらすべてはちえりを始めとした計八人分の午前中の働きである。

 そして休憩を終えたちえり、吉川、佐藤の三人がオフィスで顔を合わせた頃、瑞貴の姿はすでになかった――。

(休憩中にセンパイが私を探してたって……どんな用件だべ)

 ちえりが不在の食堂であった出来事を佐藤から聞き、スマホを手に取るも瑞貴からの連絡はない。大した用事ではなかったのかも? と、考え始めていると、どことなくオフィス内がざわつき、顔を上げたちえり。このとき時計の針は午後十六時を指している。

「あ! 桜田さん戻ってきましたよ!」

「本当?」

 輝く佐藤の視線を追うと、三浦や他リーダーらしき人物と険しい顔で話している瑞貴が立っている。

「……問題は解決していないようですねぇ……」

「そうだね……」

(瑞貴センパイ疲れた顔してる……元気出るご飯作ってあげよう)

 ちえりは仕事面で彼を支えることができないため、そういった事で支えることに徹しようと考えていた。

 ――そして終業時刻前。

「あとはこれコピーして、提出っと……」

 複雑ではない操作ならほぼ間違えることはなくなったちえり。
 原本をセットし、スタートボタンを押そうとすると……難しそうな資料でその視界を覆われてしまった。

「……な、なんだべっ!?」

 思わず飛び出してしまった方言。

(ヤバ……ッ!!)

 ハッと口元を抑え、作り笑顔を向けながら背後を振り返る。

「す、すみませんすぐ終わりますのでっ……」

「なんだいまの。ちゃんと日本語しゃべれ」

 ニヤリと笑った威圧的なウフル系イケメンがこちらを見下しながらシッシッと、"そこどけ"の素振りを見せる。

「……~~~っ!!」

 カッと頬に集まる熱を感じながら、方言を聞かれた恥ずかしさに反撃できない。

「……あ? 今度は言葉も忘れたのか?」

「……っ忘れてないっ!!」

 毛を逆立てながら鳥頭に噛みつきそうな勢いで睨むが、怒りはさらに込み上げ、一歩にじり寄るとそこへやってきたのは――

「ほら、そろそろ時間だぞ。何やってるお前たち」

 優しい声の中にも少し棘を含んだ言葉が仲裁に入った。

(……!? 瑞貴センパイッッ!!)

「な、なんでもありませんっっ!」

「なんでもないっす」

 炎上した頬のまま力強くボタンを押したちえりと、そっぽを向いた無表情の鳥頭。
 対照的なふたりを見比べながら瑞貴は怪訝な表情を浮かべる。

「……ちえり、あとでちょっと話あるから席で待ってて」

「は、はいっ!」

 苦手な男から逃げるように足早に去り、その小さな背を見送った瑞貴が鳥居に向き直る。

「……あんまりからかってくれるな。鳥居」

「からかったわけじゃないですよ。そこにたまたま面白いやつがいたんで構ってやっただけです」

(いい加減、成長が見られないからクビとか……!?
それとも社宅出て行ってくれとかっっ!! あ、あとあとっ……)

 咎められることに心当たりが多すぎて指折り数えてしまう。いずれも蒼くならざるを得ない重大な問題に"あわわっっ"と、慌てた彼女は自席の椅子で座ったり立ったりを繰り返している。

(それとも……辞表書けとか……っっ!?)

 もはや抜け出すことのできない負の思考を抱えきれずに走り出してしまいそうになっていると、瑞貴がようやく戻ってきた。

(キ、キターーーッ!!)

 しかし、彼の口から出た言葉はいずれにも該当しておらず……

「ごめんちえり、今日ちょっと遅くなるから先に帰ってて」

「えっ!?」

「なんて声上げてんだ、ほら」

 予想していなかった瑞貴のセリフに裏返った声が喉の奥から飛び出してしまった。
 慌てて口元を押さえると、デスクの陰からこっそりカードキーを渡される。

「支社でシステムトラブルが立て続けにあってさ」

「あ、朝の……」

「そ、修復作業は進んでるみたいだけど、応援に行かなきゃいけないような話も出てるんだ」

(なんだぁ、システムトラブルかぁ……)

 そんなことを口にしてしまったら間違いなくちえりはここから卒業しなくてはならないため、慎重に言葉を選ぶ。

「そ、そうなんですかっ……!? 応援、応援って……こんな時間にじゃないですよね……?」

「あぁ、もう今日はないと思う」

「よかった……、わかりました」

『美味しいご飯作って待ってますね!』

 声のトーンを抑えながらも表情で伝えようとするちえりがとても可愛い。
 幼い頃となんら変わりない純粋な笑顔の彼女。それを見つめる瑞貴の瞳の奥には複雑な感情が入り混じっている。

「ん、サンキューな……」

 ちえりの頭を撫でようとした瑞貴の手が持ち上がるが、ここがオフィスであることを思い出し慌てて引き下げた。

「……? どうかしました?」

(センパイの表情が暗いような……って、丸一日問題に当たってたら疲れてるよね……)

「なんでもないよ。気をつけて帰れよ?」

「はいっ! 瑞貴センパイも!」

「あぁ、なるべく早く帰るよ」

 笑みを交わした後、自席に戻った彼は小さくため息を吐く。
 ちえりの自分に対する警戒心のなさ、そして一定の関係からなかなか近づけないもどかしい距離感。先ほど、目の前での鳥居とのやりとりを見ていた瑞貴は苦しそうに胸の内を吐露する。

「……チェリーにとって俺はやっぱりただのセンパイか……」

 午後十八時をむかえ、至る所で"お疲れ様でした"の声が飛び交っている。賑わう社員の中には飲み会に行く者たちもいるだろう。なんてったって今日は金曜日なのだから。

「ん~! ようやく一週間終わりましたね~!!」

「うん、お疲れ様でした」

(センパイになに作ってあげようかな……)

 早くも夕食へと考えが及んでいたちえりに、大きく伸びをした佐藤が欠伸を噛みしめながら"若葉さんこそっ!"と笑顔で返してくれる。こういう彼女の顔を見ることができるのは、一週間を終えたときと美味い飯やイケメンに在りつけたときである。

「ねね、若葉ちゃんこのあと映画行かない?」

 吉川はいつか話していた、ちえりの好きなホラーものの映画チケットを内ポケットから取り出しながら身をかがめて顔を覗きこんでくる。

「あ、吉川さんすみません……ちょっと用事があって」

「そうなの!? 残念だなぁ……」

 彼は手にしたチケットと頭を"くの字"に曲げながらションボリと肩を落としている。今さらだが吉川とちえりは先輩後輩の立場を超えた関係になく、時間があるときに映画へ誘われたとしても首を横に振っていたに違いないため、"また今度誘ってください"とは口が裂けても言えない。

「はははっ、本当にすみません……」

「あーっ! 吉川さん! それ今絶賛のランニング・デッドじゃないですかぁ~!!」

 同じくサスペンス&ホラー系の好きな佐藤が瞳を輝かせながら両手で祈る様に近づいてきた。すると吉川は嫌そうな顔をしながらも観念したように"無駄にするよりましかぁ……"と、しぶしぶチケットの一枚を佐藤へ渡す。
 ちえりはそんな吉川のテンションを盛り上げるためにも明るく背中を押して声を上げる。

「私の分まで楽しんできてくださいっ!」

(映画館は無理かもしれないけど、レンタルだったら瑞貴センパイと一緒に観られるかな……?)

「はいっ! ありがとうございますっっ!」

「若葉ちゃん~~……」

 泣きそうな吉川と手放しで喜ぶ佐藤とともに瑞貴へ挨拶をすませ、オフィスを出た三人。
 ちえりらを見送った瑞貴は再びデスクの上に積まれた資料へと目を通す。
 冷えた珈琲へ口を付けながらマウスを動かしていると、そこへひとりの男が近づいてきた。

「手伝いますよ」

「ん?」

 顔を上げた先にいたのは無表情の鳥居隼人だった。

「今日のトラブルで進んでいないんじゃないですか?」

「いや、いい。これは俺の仕事だ」

 ただ短くそう答えた瑞貴。
 まだ鳥居がそこに立っているにも関わらずそれ以上の関わりを拒むように口を閉ざし、視線もパソコンのディスプレイから離れることはなかった。

「そうですか」

 これ以上の長居は無用と判断した鳥居も言葉少なく立ち去ろうとすると、気配を消して間近に迫った長谷川と直面してしまった。

「あれぇ! 鳥居っち、若葉っちは?」

「もう帰りましたよ」

「えーっ! せっかくの花の金曜日だから誘いに来たのにぃっ!!」

 彼女はジョッキを持つ仕草を見せて"飲み"を表現している。

「……じゃあ俺も帰りますんで」

「まてぇいっ!! 鳥居っちは捕獲されなさいぃいいーーーっ!!」

「丁重にお断りします。お疲れ様でした」

「ぎゃあぁああっっ!!」

 鳥居隼人にフラれた長谷川はこの世の終わりとばかりに床へ膝をつき、頭を抱えて絶叫している。

(あーうるせー……)

これ以上関わりたくない鳥居はスタスタと歩く速度をはやめオフィスを後にした――。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

隣人はクールな同期でした。

氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。 30歳を前にして 未婚で恋人もいないけれど。 マンションの隣に住む同期の男と 酒を酌み交わす日々。 心許すアイツとは ”同期以上、恋人未満―――” 1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され 恋敵の幼馴染には刃を向けられる。 広報部所属 ●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳) 編集部所属 副編集長 ●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳) 本当に好きな人は…誰? 己の気持ちに向き合う最後の恋。 “ただの恋愛物語”ってだけじゃない 命と、人との 向き合うという事。 現実に、なさそうな だけどちょっとあり得るかもしれない 複雑に絡み合う人間模様を描いた 等身大のラブストーリー。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

Sランクの年下旦那様は如何でしょうか?

キミノ
恋愛
 職場と自宅を往復するだけの枯れた生活を送っていた白石亜子(27)は、 帰宅途中に見知らぬイケメンの大谷匠に求婚される。  二日酔いで目覚めた亜子は、記憶の無いまま彼の妻になっていた。  彼は日本でもトップの大企業の御曹司で・・・。  無邪気に笑ったと思えば、大人の色気で翻弄してくる匠。戸惑いながらもお互いを知り、仲を深める日々を過ごしていた。 このまま、私は彼と生きていくんだ。 そう思っていた。 彼の心に住み付いて離れない存在を知るまでは。 「どうしようもなく好きだった人がいたんだ」  報われない想いを隠し切れない背中を見て、私はどうしたらいいの?  代わりでもいい。  それでも一緒にいられるなら。  そう思っていたけれど、そう思っていたかったけれど。  Sランクの年下旦那様に本気で愛されたいの。 ――――――――――――――― ページを捲ってみてください。 貴女の心にズンとくる重い愛を届けます。 【Sランクの男は如何でしょうか?】シリーズの匠編です。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

処理中です...