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チェリーの見る夢

雨の匂いに混じるのは…1

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(こ、これって……っ!!)

 体は硬直しながらもバクバクと胸骨を打ちつける鼓動。まるでちえりの体内から飛び出しそうな勢いで加速し続ける。
 誰かがいつ、この空間に飛び込んできても不思議はなく、全神経がエントランスと瑞貴に向かって放たれた。

「ひ、ひ、人が来ちゃうかもですよっ! センパイッッ!」

「じっとしてれば俺の背中しか見えないよ」

「……っ!!」

 そう言いながら顔をすり寄せてきた瑞貴。
 雨の匂いのなかにあるコロンの香りが鼻先をかすめ、せり上がる罪悪感もすべて瑞貴に抱きしめられているようなそんな感覚だった。

 そして緊張のあまり身をかたくしたちえりは、チェリーのごとく頬へ熱を集め、あまりの歓喜に心の声を大にして叫んでいた。

(酔ってるっ!? 瑞貴センパイ酔ってるんだべっっ!!??
け、けど……っ幸せっっ!!!
冷えた体ば洗ってあげたいっ!! なんて……きゃはっ!!)

自身の燃え上がる熱に体を焦がしながら、鼓動とともに激走するのは乙女的テンションも同じだった。

「…………」

しかし……彼女から香る嗅ぎなれない匂いに疑問を抱いた人物がいる。

(……なんの匂いだ……?)

 ――チーン……

 レンジの音とはまた違った和み系の"チーン"が頭上から降り注ぐ。
 このエレベーターのご到着によって密着していた体が離れ、内心舌打ちをした人物がこちらにひとり。

(……チッ!!)

 カッと目を見開き、鼻孔を引き上げたちえり。
 顔を見られていないからこそできる表情だったが、離れた瑞貴がエレベーターに乗るよう促す。

「一緒に風呂入るか」

「……ぶっ」

 まさか妄想していた通りになるとは夢にも思わず、おかしな声しか出てこないのも女子力が低いと言われる原因のひとつなのかもしれない。
 ちえりは瑞貴と共にエレベーターへ乗り込みながら笑って言葉を返す。

「センパイはお酒が抜けていないので、長風呂しないほうがいいですよっ」

「……そうだな」

 エレベーターへ乗り込んだ瑞貴は、そう言いながら上着のポケットに手を突っ込んだまま力なく壁にもたれ掛かる。一緒に過ごした時間が長いだけあって瑞貴の異変が少しは理解しているつもりのちえりは、急に変わった彼の空気に冷静さを取り戻す。

(……センパイ悪酔いしてるんだべか……)

 ちえりが急いで目的地の二十八階を押すと、上方へ移動を開始した箱型の個室とともに、あいつと過ごした短い記憶も再び浮上していく。

(飲み会で会うくらいだし……参加しなければ、あまり顔合わせることないべな……)

 三浦や鳥頭に関わって、これ以上瑞貴を傷つけることも、自分の意志とは関係のない行動に出るのもごめんだった。

「……はぁ」

 知らず知らずのうちに零れ落ちた灰色のため息。
 オフィス内での行動距離は半径三メートルまでが安全だろうと勝手に推測するが、コピー機まではさらに距離があるため、今度はルートを模索する。

「窓側を行くと危険だべから、ぐるっとまわって向こうから……うーん……」

「それ……うちのリビングの話?」

「……え……? ……ち、ちがうんですっ……!」

 弁解する暇もなく、目的地で止まったエレベーターの扉が開いた。
 ちえりを素通りして一人で降りてしまった瑞貴の後を慌てて追うが、いつもより歩く速度がはやく小走りになってしまう。

(センパイ絶対誤解してる! ちゃんと言わなきゃ……っ……でも何て……? 三浦さんは瑞貴センパイの同期で、あいつはその部下で……)

 真実を話すにも、世の中には言ってはいけないことがある。
 田舎の狭い世界の中で生きてきたちえり。しかし場所や相手が変わっても、そういうシビアな問題には慎重に言葉を選ばなくてはならないことは十分承知しているつもりである。
すると――

"……言っとくけど狙ってここに入ったわけじゃねぇから。たまたま入居者が出てって空いてただけだ"

「あ……」

(あいつの部屋……)

 人間、ふと考えてしまったことが行動に出てしまうのは仕方がないらしい。おもわず声を上げ、鳥頭の部屋を目で追ってしまったちえり。

(さすがに社宅で迂回は無理だし……非常口階段で二十八階まで駆け上がる……?
う、うーん……。それか二十七階で降りて一階分だけ階段っていうのはありだべか……)

 たった一階分だとしても、運動不足なちえりは考えただけでも口から五臓六腑が飛び出てしまいそうなほどに激しい運動になるであろうことが予測できた。

(……でも帰りはほとんど瑞貴センパイと一緒だし、そんな心配しなくても……)

 ちえりは視界の端にうつる瑞貴の姿を捉え、速度を緩めると、なぜか自室の前で立ち止まっている彼がこちらを向いていることに驚いた。

「……センパイ? どうし……」

「なぁチェリー……」

「は、はいっ……」

 いつもは優しい瑞貴の口調と眼差しだが、ほんの少し鋭くなった気がして背筋を伸ばす。

「……その部屋の住人、誰か知ってるって顔してたよな? いま」

「……っ!?」

(や、やばっ…………!!)

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