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チェリーの見る夢
歓迎されていない歓迎会?
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「…………」
昼食が終わって早めに戻ってきた青年が前回のプロジェクトの資料へ静かに目を通している。
ちえりなどが見たらチンプンカンプンなことが書いてあるに違いないが、新人の彼にはおおよそのことが理解出来ているようだった。視線は逸らさずに、手元の珈琲が入った紙コップへと手を伸ばすと不意に視界が陰って――。
「ねぇ……鳥居くん。今日なにかあるの?」
長いストレートの髪を耳にかけながら、柔らかな口調で顔を覗きこんできたのは、彼のグループリーダー三浦理穂だった。
「……いいえ? なにかってなんです?」
穏やかな口調ながらも、その奥に隠された本音が見え隠れする己の上司へ愛想を振りまく様子もない"鳥居"。ようやく顔をあげた彼は目を通していたそれを閉じると、組んでいた長い足をおろした。
「さっき桜田くんと話していたじゃない……?」
すると彼は"あぁ"と言いながら口を開く。
「引っ越し蕎麦の礼を言われただけですよ。俺たち社宅で部屋が隣同士なんで」
仕事以外のことで話しかけられるのが面倒といった様子で軽くあしらう。
「へぇ……そうなんだ」
鳥居の適当な話に満足したのかはわからないが、思わぬ収穫を得たとばかりに三浦の瞳の奥が妖しく光る。
――午後のちえりは言われるがままにコピーに飛び回った。イレギュラーなあげく、専門知識などなく入社したちえりには仕事を与えてもらえるだけ有難い。吉川に手伝ってもらいながら資料を揃え、程よい疲労感を感じているとあっという間に時計の針は午後十八時を指していた。
「皆さんそろそろ時間ですよぉ~!」
佐藤七海が興奮気味に近づいてきた。ちえりは借りていたデスク上の掃除を済ませ、元気に頷く。
「うん! 一階のロビーでしたよね」
「ですですっ! ロビーの珈琲はタダで頂けますし~! 吉川さんは置いて行っちゃいましょう!」
「えー! 俺ももう行けるよ!」
「あははっ」
瑞貴の姿が見えないのが気になるが、とりあえず待ち合わせ場所となっていた一階のロビー目指して行動を開始する。
他愛もない話をしながら熱々の珈琲を飲み終える頃、瑞貴とあいつが肩を並べてやってきた。
「ごめんお待たせ!」
「どーも」
ある程度地位のある瑞貴はやはり定刻通りは難しいのかもしれない。それでもまだ午後十八時二十分。いつもは何時頃に終わっているのだろうと気になってしまう。
「瑞貴センパイ、お疲れ様です」
「全然待ってないですよぉ~!」
「さぁ行きましょうか!!」
待機組が立ち上がり、五人揃って会社を後にする。
仏頂面の鳥頭となるべく並ばぬよう、瑞貴の隣を歩くちえり。幸い、あいつの相手は佐藤七海と吉川朋也が引き受けてくれたため、言葉を交わさずに済んだ。
しかし、そんな努力も虚しく――……
「せっかくだから皆で連絡先交換しましょうよぉ!!」
肉の焼ける熱に眼鏡を曇らせながら佐藤七海が身を乗り出した。
「そうだな。緊急連絡とか結構多いから交換しとくか」
「う、うん……っ!」
掘りごたつ式のテーブルの上座へちえりと鳥居が隣り合って座り、ちえり側の側面に瑞貴が座っている。
新人ふたりが上座へ座るのは仕方ない。だが、連絡先についてはグループの違う彼と交換する必要性が感じられず、丁重にお断りしたいところだ。しかし、ここで波風を立て、まわりに気を使わせるのはよくない……と、 なるべく平静を装いながら鳥頭とも連絡先を交換すると――……
「…………」
無言のままスマホを差し出してきたあいつ。
「な、なに……?」
恐る恐る彼の手元を覗き込むちえり。すると……
【まぐろのチェリー】080-XXXX-XXXX
「なっ……!!」
ちえりは負けじと己のスマホの登録先へ、こう書きこんだ。
【鳥頭】080-XXXX-XXXX
「ふふんっっ」
「てめぇ……」
仏頂面の彼が割り箸をへし折りそうな勢いでちえりのスマホを奪い取る。
「なにすんのよ!!」
ようやく取り上げた時にはすでに遅く。
【鳥居隼人】080-XXXX-XXXX
と名前が訂正されている。
「……なによ。そんなに鳥頭と変わらないじゃない」
「…………」
何か言いたげな鳥居を無視したちえりはパパッと画面を戻し、バッグのなかへスマホを投げ入れた。スマホに罪はないが、なんとなく腹が立っていたので雑な扱いになってしまう。
「さて、飲み物も揃ったし乾杯と行きますか!」
ビールが三杯にグレープフルーツジュースが二杯。
「あれ? 私そんなに頼んだっけ……?」
目の前に置かれたグレープフルーツジュースふたつを見比べながらハテ? と首を傾げると――……
「それ俺のだから」
長い手が伸びてきて、ひとつのジュースが連れ去られてしまった。
「……あ、そう」
ちえりは大した興味もなく返事をかえし、周りに伺いの声をかける瑞貴に頷き、冷えたグラスを手に取った。
「ふたりとも、これからよろしくな!」
「こちらこそですっ!」
「若葉さん、鳥居さんようこそ我が社へ~!」
「末永くよろしく!!」
「どーも」
相変わらず熱のない返事はもちろん鳥頭のものだった。
そして次々に運ばれてくるカルビや豚トロ、タン塩などを美味しく頂いていると、物腰の柔らかい女性の声が耳に届く。
「あら? 桜田くんたちも来てたの?」
「ホントだ! やっほー!」
「……?」
ビールを傾けながら振り返った瑞貴と、上質な肉を口いっぱいに含んだ他四名の視線が声の主らへと集中する。
「三浦……? と、長谷川……」
「…………」
(あ、……あの美人なひとと、お昼一緒にいた……同じグループの人だ……)
三浦がクールな知的美人と例えるならば、彼女の背後から現れた長谷川はギャル系美人というべきかもしれない。くるりと巻いたパーマがショートヘアに良く似合い、明るめのカラーも上品だった。
「あ~! 鳥居っちもいるじゃん!」
「……どーも」
ノリの良さそうな長谷川が鳥居の傍で屈み込み、大胆にもグイグイと体を寄せてくる。
迷惑そうにジュースを傾ける鳥居はちえりのほうを向きながら退屈そうにため息を吐いた。
「……って、あんたの上司でしょ? そんな態度でいいの?」
「世話になってねぇし」
(けっ!! なんだこのガキッッ!! それが新人のいことかぁああっっ!!)
と、口には出さず。
「席……ご一緒していいかしら?」
と、上品な三浦がこちらを見やる。
「え? は、はい……大丈夫ですよ」
「三浦さんここどうぞ! 桜田さんの隣に座って下さい。俺こっちに移るんで」
「あら、いいの?」
気を利かせたちえりが鳥居との間をあけて座らせようとしたが、自身の株を上げようとした(?) 吉川が席を立って佐藤七海のほうへ移る。そこへ"ありがとう"と微笑んで腰をおろした三浦理穂。
「…………」
その様子を見つめながら変わりゆく空気にちえりは黙ってしまった。
後から現れたふたりにより、場の雰囲気が全くの別物になってしまったからだ。
「ほら、桜田くんビールが空よ? 次なににする?」
「……ん、あぁ……」
「…………」
三浦がしゃべると瑞貴の反応が気になって、つい目で追ってしまう。
そのやり取りが何度か続いていると、バッグの中でスマホが音をたてた。
――ニャーンニャーンニャーン!
「え? 猫の鳴き声……?」
「猫連れてる人いませんよ~?」
「……っ! すみません、私のスマホです」
慌ててバッグを開け、もしかして真琴かな? と思いながら確認するが、全くの別人だった。
"差出人 鳥居隼人
件名 まぐろ
文章 チェリーと違って女子力高けぇよな"
「…………っ!!」
カッと目を見開きスマホを持つ手を震わせていると…
「ちえり?」
瑞貴が首を傾けながら声をかけてきた。
「うん!? な、なに? 瑞貴センパイ!!」
「いや、なんか怒りまくってるように見えたから……」
「あ、あぁ~ちょっと迷惑メールがねっ!!」
「ん、拒否の仕方わかんないならやってやろうか?」
と、手を伸ばされる。
「ううんっ!! 大丈夫、たぶんもう来ないと思いますのでっっ」
するとさらに…
―――
ニャーンニャーンニャーン!!
"差出人 鳥居隼人
件名 ……
文章 失礼なやつ"
「……っ!?」
大声をあげたくなる衝動を抑えながら"どっちがよっ!!" と鳥頭を睨むちえり。
「ほら~お肉焼けてるよ!」
鳥頭の向こう側では長谷川が炭火焼き奉行を買って出ており、それぞれの皿へ肉を取り分けてくれる。
「ほい! ちゃんと食べてねー!」
「あ、ありがとうございます」
ちえりは礼を言いながら長谷川の顔を見ると、彼女の大きな瞳がこちらをじっと見つめており、その目の奥に疑問の色を感じ取ったちえりは首を傾げる。
「……?」
「若葉っちだっけ?」
「は、はいっ」
些か馴れ馴れしい気もするが、新人のちえりにとってとても有難い。
彼女のように、特殊な呼び方をしている場合、下手に"さん"付けで呼ばれてしまうと疎外感があるからだ。
「桜田っちとどんな関係なの?」
そう言った彼女の瞳に曇りはなく、ただの興味からくるもののようで探りや駆け引きのような裏があるとは思えなかった。
なのでちえりは普通に答えた。
「瑞貴センパイは……ずっと近所に住んでいた幼馴染のお兄さんなんです」
(……それでいて大好きなひと……)
「へぇー! もしかして追いかけた来たとか!?」
恋話が好きそうな長谷川は鳥頭の大きな背中から身を乗り出すようにして食いついてきた。
「……そんなわけないだろ。偶然だよ、偶然」
間髪入れずに否定した瑞貴に小さく頷きながらも、胸中に複雑な気持ちを抱いたちえりは苦笑いになってしまう。
「あはは……」
「じゃあ運命とか!!」
「えっ……」
さらにロマンチックな言葉を口にした長谷川にちえりは思わず嬉しくなったが、相変わらず瑞貴の反応は冷ややかだった。
「だから偶然だって」
彼はビールのグラスへ口をつけながら何でもないことを告げるように言葉を吐き出す。
わかってはいるけれど、彼の言葉に思わず息苦しくなる。
「……っ」
「…………」
俯いてしまったちえりはここでも三浦の視線に気づかず、ただ長谷川が盛り上げようとする会話を遠くに聞いている。
それからのちえりは会話に身を投じれるような精神状態ではなく、曖昧に頷いたりを繰り返しながらスマホを握りしめた。別にそれに用事があるわけではなかったが、瑞貴の心が遠く感じられた今のちえりには、命綱のような微かな繋がりに縋りたい気持ちからだと自分でも自覚している。
――すると、再び場にそぐわない声が響いて。
ニャーンニャーンニャーン!!!
そんな彼女を助けるべく沈黙していたスマホが叫んだ。
「…………」
(また鳥頭じゃないべね……)
横目で睨むが彼は"チガウチガウ"とグレープフルーツジュースをフリフリして拒絶している。
(あ、あれ……?)
勘が外れメールを開くと、そこには命綱の先に佇んでいる王子の名が刻まれていた。
「……あっ」
と思わず声をあげてしまったちえりに、すかさず長谷川がこちらを注視する。
「どうしたの若葉っち。また迷惑メール?」
「いいえ! 今度は"ちゃんとした"メールです!」
わざとらしくそう言うと瑞貴がクスクス笑い、鳥頭は"ベぇー"と舌を出している。
(――み、瑞貴センパイだっっ!!)
"差出人 桜田瑞貴
件名 ごめんなチェリー
文章 そろそろ茶碗買いに店出ないか?
「……っ!」
顔を上げて頷きたい衝動を焼けた肉とともに腹におさめ、ちえりは気づかれないように高速でメールを打つ。
"は、はいっ! 是非!!"
とすぐに送信する。
パッと顔をあげ、目の前の彼を見つめると今度は瑞貴のスマホが点滅し、内容を確認した瑞貴が安心したように小さく微笑んだ。
「皆ごめん。俺ちょっと用事あるから、ついでにちえりも帰すわ」
さりげない連れ出し方がとてもスマートで、少しだけ近所のお兄さん風な口調の瑞貴にドキドキが止まらない。
「えっ!? まだ二十時前ですよぉ!?」
「桜田っちはわかったけど、若葉っちは置いていきなよ~」
早すぎるふたりの帰宅に佐藤七海や長谷川の落胆の声が上がるが、さらにもう一名。
「じゃあ俺も失礼します」
と、立ち上がった鳥居隼人。
財布を出し、諭吉様を置いた彼に瑞貴が制止をかける。
「今日は俺のおごりって言っただろ? 来てくれてありがとうな」
「……御馳走様です」
一瞬の間の後、瑞貴へ頭を下げた鳥頭は振り返りもせずスタスタと店を出て行ってしまった。
「……鳥居っちってシャイなんだかクールなんだかよくわかんないね」
早すぎる退出者にぼやいた長谷川へ佐藤も吉川も頷き、"歓迎会なのに新人がいなくなる!"と、恨めしそうに抗議する長谷川は瑞貴へ口を尖らせている。
「吉川、これで頼む」
「えぇ! ちょっと多くないですか!?」
戸惑う吉川は、手渡された四人の諭吉様のうち半分を瑞貴へ返そうと迫るが、それを断った彼はちえりの背をそっと押しながら"行こう"と小声で囁いた。
『う、うんっ』
「すみません、ではお先に失礼します」
「桜田っちご馳走様ー! 若葉っち、また明日ね~!!」
「ご馳走様です! ふたりともお気を付けて!」
「桜田さんゴチです~! 今度またゆっくりご飯食べましょう~!」
「……お疲れ様」
瑞貴はただ一度だけ片手を上げ、ちえりは振り返って皆へ一礼すると、笑顔で送り出してくれるメンバー。
ただひとり三浦を除いては――。
昼食が終わって早めに戻ってきた青年が前回のプロジェクトの資料へ静かに目を通している。
ちえりなどが見たらチンプンカンプンなことが書いてあるに違いないが、新人の彼にはおおよそのことが理解出来ているようだった。視線は逸らさずに、手元の珈琲が入った紙コップへと手を伸ばすと不意に視界が陰って――。
「ねぇ……鳥居くん。今日なにかあるの?」
長いストレートの髪を耳にかけながら、柔らかな口調で顔を覗きこんできたのは、彼のグループリーダー三浦理穂だった。
「……いいえ? なにかってなんです?」
穏やかな口調ながらも、その奥に隠された本音が見え隠れする己の上司へ愛想を振りまく様子もない"鳥居"。ようやく顔をあげた彼は目を通していたそれを閉じると、組んでいた長い足をおろした。
「さっき桜田くんと話していたじゃない……?」
すると彼は"あぁ"と言いながら口を開く。
「引っ越し蕎麦の礼を言われただけですよ。俺たち社宅で部屋が隣同士なんで」
仕事以外のことで話しかけられるのが面倒といった様子で軽くあしらう。
「へぇ……そうなんだ」
鳥居の適当な話に満足したのかはわからないが、思わぬ収穫を得たとばかりに三浦の瞳の奥が妖しく光る。
――午後のちえりは言われるがままにコピーに飛び回った。イレギュラーなあげく、専門知識などなく入社したちえりには仕事を与えてもらえるだけ有難い。吉川に手伝ってもらいながら資料を揃え、程よい疲労感を感じているとあっという間に時計の針は午後十八時を指していた。
「皆さんそろそろ時間ですよぉ~!」
佐藤七海が興奮気味に近づいてきた。ちえりは借りていたデスク上の掃除を済ませ、元気に頷く。
「うん! 一階のロビーでしたよね」
「ですですっ! ロビーの珈琲はタダで頂けますし~! 吉川さんは置いて行っちゃいましょう!」
「えー! 俺ももう行けるよ!」
「あははっ」
瑞貴の姿が見えないのが気になるが、とりあえず待ち合わせ場所となっていた一階のロビー目指して行動を開始する。
他愛もない話をしながら熱々の珈琲を飲み終える頃、瑞貴とあいつが肩を並べてやってきた。
「ごめんお待たせ!」
「どーも」
ある程度地位のある瑞貴はやはり定刻通りは難しいのかもしれない。それでもまだ午後十八時二十分。いつもは何時頃に終わっているのだろうと気になってしまう。
「瑞貴センパイ、お疲れ様です」
「全然待ってないですよぉ~!」
「さぁ行きましょうか!!」
待機組が立ち上がり、五人揃って会社を後にする。
仏頂面の鳥頭となるべく並ばぬよう、瑞貴の隣を歩くちえり。幸い、あいつの相手は佐藤七海と吉川朋也が引き受けてくれたため、言葉を交わさずに済んだ。
しかし、そんな努力も虚しく――……
「せっかくだから皆で連絡先交換しましょうよぉ!!」
肉の焼ける熱に眼鏡を曇らせながら佐藤七海が身を乗り出した。
「そうだな。緊急連絡とか結構多いから交換しとくか」
「う、うん……っ!」
掘りごたつ式のテーブルの上座へちえりと鳥居が隣り合って座り、ちえり側の側面に瑞貴が座っている。
新人ふたりが上座へ座るのは仕方ない。だが、連絡先についてはグループの違う彼と交換する必要性が感じられず、丁重にお断りしたいところだ。しかし、ここで波風を立て、まわりに気を使わせるのはよくない……と、 なるべく平静を装いながら鳥頭とも連絡先を交換すると――……
「…………」
無言のままスマホを差し出してきたあいつ。
「な、なに……?」
恐る恐る彼の手元を覗き込むちえり。すると……
【まぐろのチェリー】080-XXXX-XXXX
「なっ……!!」
ちえりは負けじと己のスマホの登録先へ、こう書きこんだ。
【鳥頭】080-XXXX-XXXX
「ふふんっっ」
「てめぇ……」
仏頂面の彼が割り箸をへし折りそうな勢いでちえりのスマホを奪い取る。
「なにすんのよ!!」
ようやく取り上げた時にはすでに遅く。
【鳥居隼人】080-XXXX-XXXX
と名前が訂正されている。
「……なによ。そんなに鳥頭と変わらないじゃない」
「…………」
何か言いたげな鳥居を無視したちえりはパパッと画面を戻し、バッグのなかへスマホを投げ入れた。スマホに罪はないが、なんとなく腹が立っていたので雑な扱いになってしまう。
「さて、飲み物も揃ったし乾杯と行きますか!」
ビールが三杯にグレープフルーツジュースが二杯。
「あれ? 私そんなに頼んだっけ……?」
目の前に置かれたグレープフルーツジュースふたつを見比べながらハテ? と首を傾げると――……
「それ俺のだから」
長い手が伸びてきて、ひとつのジュースが連れ去られてしまった。
「……あ、そう」
ちえりは大した興味もなく返事をかえし、周りに伺いの声をかける瑞貴に頷き、冷えたグラスを手に取った。
「ふたりとも、これからよろしくな!」
「こちらこそですっ!」
「若葉さん、鳥居さんようこそ我が社へ~!」
「末永くよろしく!!」
「どーも」
相変わらず熱のない返事はもちろん鳥頭のものだった。
そして次々に運ばれてくるカルビや豚トロ、タン塩などを美味しく頂いていると、物腰の柔らかい女性の声が耳に届く。
「あら? 桜田くんたちも来てたの?」
「ホントだ! やっほー!」
「……?」
ビールを傾けながら振り返った瑞貴と、上質な肉を口いっぱいに含んだ他四名の視線が声の主らへと集中する。
「三浦……? と、長谷川……」
「…………」
(あ、……あの美人なひとと、お昼一緒にいた……同じグループの人だ……)
三浦がクールな知的美人と例えるならば、彼女の背後から現れた長谷川はギャル系美人というべきかもしれない。くるりと巻いたパーマがショートヘアに良く似合い、明るめのカラーも上品だった。
「あ~! 鳥居っちもいるじゃん!」
「……どーも」
ノリの良さそうな長谷川が鳥居の傍で屈み込み、大胆にもグイグイと体を寄せてくる。
迷惑そうにジュースを傾ける鳥居はちえりのほうを向きながら退屈そうにため息を吐いた。
「……って、あんたの上司でしょ? そんな態度でいいの?」
「世話になってねぇし」
(けっ!! なんだこのガキッッ!! それが新人のいことかぁああっっ!!)
と、口には出さず。
「席……ご一緒していいかしら?」
と、上品な三浦がこちらを見やる。
「え? は、はい……大丈夫ですよ」
「三浦さんここどうぞ! 桜田さんの隣に座って下さい。俺こっちに移るんで」
「あら、いいの?」
気を利かせたちえりが鳥居との間をあけて座らせようとしたが、自身の株を上げようとした(?) 吉川が席を立って佐藤七海のほうへ移る。そこへ"ありがとう"と微笑んで腰をおろした三浦理穂。
「…………」
その様子を見つめながら変わりゆく空気にちえりは黙ってしまった。
後から現れたふたりにより、場の雰囲気が全くの別物になってしまったからだ。
「ほら、桜田くんビールが空よ? 次なににする?」
「……ん、あぁ……」
「…………」
三浦がしゃべると瑞貴の反応が気になって、つい目で追ってしまう。
そのやり取りが何度か続いていると、バッグの中でスマホが音をたてた。
――ニャーンニャーンニャーン!
「え? 猫の鳴き声……?」
「猫連れてる人いませんよ~?」
「……っ! すみません、私のスマホです」
慌ててバッグを開け、もしかして真琴かな? と思いながら確認するが、全くの別人だった。
"差出人 鳥居隼人
件名 まぐろ
文章 チェリーと違って女子力高けぇよな"
「…………っ!!」
カッと目を見開きスマホを持つ手を震わせていると…
「ちえり?」
瑞貴が首を傾けながら声をかけてきた。
「うん!? な、なに? 瑞貴センパイ!!」
「いや、なんか怒りまくってるように見えたから……」
「あ、あぁ~ちょっと迷惑メールがねっ!!」
「ん、拒否の仕方わかんないならやってやろうか?」
と、手を伸ばされる。
「ううんっ!! 大丈夫、たぶんもう来ないと思いますのでっっ」
するとさらに…
―――
ニャーンニャーンニャーン!!
"差出人 鳥居隼人
件名 ……
文章 失礼なやつ"
「……っ!?」
大声をあげたくなる衝動を抑えながら"どっちがよっ!!" と鳥頭を睨むちえり。
「ほら~お肉焼けてるよ!」
鳥頭の向こう側では長谷川が炭火焼き奉行を買って出ており、それぞれの皿へ肉を取り分けてくれる。
「ほい! ちゃんと食べてねー!」
「あ、ありがとうございます」
ちえりは礼を言いながら長谷川の顔を見ると、彼女の大きな瞳がこちらをじっと見つめており、その目の奥に疑問の色を感じ取ったちえりは首を傾げる。
「……?」
「若葉っちだっけ?」
「は、はいっ」
些か馴れ馴れしい気もするが、新人のちえりにとってとても有難い。
彼女のように、特殊な呼び方をしている場合、下手に"さん"付けで呼ばれてしまうと疎外感があるからだ。
「桜田っちとどんな関係なの?」
そう言った彼女の瞳に曇りはなく、ただの興味からくるもののようで探りや駆け引きのような裏があるとは思えなかった。
なのでちえりは普通に答えた。
「瑞貴センパイは……ずっと近所に住んでいた幼馴染のお兄さんなんです」
(……それでいて大好きなひと……)
「へぇー! もしかして追いかけた来たとか!?」
恋話が好きそうな長谷川は鳥頭の大きな背中から身を乗り出すようにして食いついてきた。
「……そんなわけないだろ。偶然だよ、偶然」
間髪入れずに否定した瑞貴に小さく頷きながらも、胸中に複雑な気持ちを抱いたちえりは苦笑いになってしまう。
「あはは……」
「じゃあ運命とか!!」
「えっ……」
さらにロマンチックな言葉を口にした長谷川にちえりは思わず嬉しくなったが、相変わらず瑞貴の反応は冷ややかだった。
「だから偶然だって」
彼はビールのグラスへ口をつけながら何でもないことを告げるように言葉を吐き出す。
わかってはいるけれど、彼の言葉に思わず息苦しくなる。
「……っ」
「…………」
俯いてしまったちえりはここでも三浦の視線に気づかず、ただ長谷川が盛り上げようとする会話を遠くに聞いている。
それからのちえりは会話に身を投じれるような精神状態ではなく、曖昧に頷いたりを繰り返しながらスマホを握りしめた。別にそれに用事があるわけではなかったが、瑞貴の心が遠く感じられた今のちえりには、命綱のような微かな繋がりに縋りたい気持ちからだと自分でも自覚している。
――すると、再び場にそぐわない声が響いて。
ニャーンニャーンニャーン!!!
そんな彼女を助けるべく沈黙していたスマホが叫んだ。
「…………」
(また鳥頭じゃないべね……)
横目で睨むが彼は"チガウチガウ"とグレープフルーツジュースをフリフリして拒絶している。
(あ、あれ……?)
勘が外れメールを開くと、そこには命綱の先に佇んでいる王子の名が刻まれていた。
「……あっ」
と思わず声をあげてしまったちえりに、すかさず長谷川がこちらを注視する。
「どうしたの若葉っち。また迷惑メール?」
「いいえ! 今度は"ちゃんとした"メールです!」
わざとらしくそう言うと瑞貴がクスクス笑い、鳥頭は"ベぇー"と舌を出している。
(――み、瑞貴センパイだっっ!!)
"差出人 桜田瑞貴
件名 ごめんなチェリー
文章 そろそろ茶碗買いに店出ないか?
「……っ!」
顔を上げて頷きたい衝動を焼けた肉とともに腹におさめ、ちえりは気づかれないように高速でメールを打つ。
"は、はいっ! 是非!!"
とすぐに送信する。
パッと顔をあげ、目の前の彼を見つめると今度は瑞貴のスマホが点滅し、内容を確認した瑞貴が安心したように小さく微笑んだ。
「皆ごめん。俺ちょっと用事あるから、ついでにちえりも帰すわ」
さりげない連れ出し方がとてもスマートで、少しだけ近所のお兄さん風な口調の瑞貴にドキドキが止まらない。
「えっ!? まだ二十時前ですよぉ!?」
「桜田っちはわかったけど、若葉っちは置いていきなよ~」
早すぎるふたりの帰宅に佐藤七海や長谷川の落胆の声が上がるが、さらにもう一名。
「じゃあ俺も失礼します」
と、立ち上がった鳥居隼人。
財布を出し、諭吉様を置いた彼に瑞貴が制止をかける。
「今日は俺のおごりって言っただろ? 来てくれてありがとうな」
「……御馳走様です」
一瞬の間の後、瑞貴へ頭を下げた鳥頭は振り返りもせずスタスタと店を出て行ってしまった。
「……鳥居っちってシャイなんだかクールなんだかよくわかんないね」
早すぎる退出者にぼやいた長谷川へ佐藤も吉川も頷き、"歓迎会なのに新人がいなくなる!"と、恨めしそうに抗議する長谷川は瑞貴へ口を尖らせている。
「吉川、これで頼む」
「えぇ! ちょっと多くないですか!?」
戸惑う吉川は、手渡された四人の諭吉様のうち半分を瑞貴へ返そうと迫るが、それを断った彼はちえりの背をそっと押しながら"行こう"と小声で囁いた。
『う、うんっ』
「すみません、ではお先に失礼します」
「桜田っちご馳走様ー! 若葉っち、また明日ね~!!」
「ご馳走様です! ふたりともお気を付けて!」
「桜田さんゴチです~! 今度またゆっくりご飯食べましょう~!」
「……お疲れ様」
瑞貴はただ一度だけ片手を上げ、ちえりは振り返って皆へ一礼すると、笑顔で送り出してくれるメンバー。
ただひとり三浦を除いては――。
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