上 下
75 / 92
ふたりで辿る足跡

沈没寸前の船

しおりを挟む
(俺の部屋にって……あーーっ! トートバッグごと置いてきちゃった!!)

 体毛という体毛が抜け落ちるような感覚が全身を駆け抜け、口元は酸素が不足した魚のようにパクパクと意味のない動きを繰り返す。

「うそっ……」

 さらに目の前では追いつめたつもりが自分の首を絞めてしまった三浦は悔しそうに唇を噛んでいる。

「……だ、だって! あのスーツは瑞貴のお気に入りでっ……BARの夜に来ていたのと同じだったもの!」

「それは三浦サンの勘違いですよ」

「え……っ!? ふごッ……!」

(し、しまった!!)

 真顔で告げる鳥居の嘘があまりにも真実味を帯びていて、ちえりは自分の記憶違いなのかと一瞬戸惑いの声を上げてしまった。すると彼の視線がそれを制止し、”余計な口を開くな”とばかりに釘を刺されてしまった。

「そ、そんなはず……」

 鳥居の予期せぬ反撃にたじろぐ三浦は、冷や汗を噴き出しながら口元を押さえているちえりには気づいていない様子だった。

「…………」

(……どうしようっ……あいつの部屋に忘れてくるなんて……三浦さんは誤魔化せても、センパイは……)

 さらにその隣りでは口を噤んだ瑞貴の顔が並び、ちえりはこの後にくる免れぬであろう言い訳を考えていると、さらなる口を開いたのは鳥居隼人だった。

「あの夜、チェリーサンと一緒に帰ったとき雨に濡れて。スーツ出すって言うからついでに俺のも頼んだんです」

 またもそれが真実であるかのように堂々と言ってのける鳥居にハラハラしながらも、カッと目を開いた三浦と何か言いたげな瑞貴を交互に見やる。

「……っはは、本当にそうなんです。人使いが荒いったらありゃしな……」

「…………」

 鳥居の嘘に便乗するように畳み掛けたちえりだが、ジロリと責めるような視線を鳥居に送られ語尾が尻込みする。
 ちえりが黙ると、実年齢の倍以上もの落ち着きを纏った彼がさらに言葉を続けた。

「まぁ、あまり人の恋路を”詮索”すると馬に蹴られてどうにかなっちゃいますよ? 三浦サン」

「……っ!」

 なぜか悔しそうな三浦と反撃を許さない鳥居の口撃に脇汗が止まらない。

(これって……た、助けてくれてるんだよね!?
っていうか、馬に蹴られるのは人の恋路を”邪魔”するやつじゃないっけ……っ!?)

 こうして、ぐぅの根も出ない彼女の”三浦の乱”は一時休戦かと思われたが――

「……ちえり。ふたりだけで話がしたい。すこしいいかな?」

 そう言いながら腰を上げた瑞貴が人気の少ない廊下を一瞥し、行く先を促す。

「う、うん!? ……はいっ!」

 鳥居がついた即席の嘘は主に三浦をやり過ごすためのものだと考えられるが、これをどう瑞貴へ説明すればよいかわからない。

 そして全てが嘘ならどれほど楽だったことか……。
 経緯はどうであれ、鳥居の部屋にいた事実が少なくとも”クリーニング済みのスーツを置き忘れた日”一日が確定してしまったことになる。

「なに緊張してんだよ?」

「ゔっ……」

「はー……いい風だな」

 まるで家臣らの小言から解放されたように爽やかな笑みを浮かべた王子系イケメンの瑞貴。
 彼は食堂から出て突き当りにあるエントランスに着くと、換気用に開かれた小窓の傍に立った。

「……ごめんなさいセンパイ。私のせいで空気が悪く……」

 どう考えても圧倒的な被害者は瑞貴で、三浦とちえりの私情が複雑に絡んでいるせいで事態は悪い方へとどんどん流されていく。

「……”こんなことになったのは全部俺のせいだ”って言っただろ?」

 振りかえった瑞貴はどこか寂しげに眉をひそめながらため息をついた。

「? ……瑞貴センパイは何も……」

「初めからお前にカードキーを預けてたらこんなことにならなかった……はずだった。
ちえりとアイツとの距離を縮めたのは他でもない俺自身なんだって思ったら、なんか無性に苛々してさ……」

 どうやら瑞貴が言っているのは今日や昨日のことではないらしいと気づき、どこまで遡るのかと彼の言葉を邪魔しないよう言葉少なく問いかけてみる。

「……初めから? アイツって……?」

「昨日、あのコーヒーショップ近くのシティホテルに泊まったって言ってたよな」

「はい、あの新しい……」


 ――そう。日曜日に出かけた記念すべきDVDのレンタルショップデートの日――

 信号待ちで重なったふたりの唇。周りの音が聞こえなくなるほど頭の中は真っ白で、唇が離れ、微笑まれるまで自身の心臓は止まっていたのではないかと思うほどに不思議な感覚だった。
 時が動き出すと同時に込み上げる幸福感と、頬を染めた瑞貴の優しい眼差しと手がちえりをふわりと包んだ。

『あっ……もうすぐここオープンするんですねっ! カフェテラスもあるなんて素敵なホテル!』

 上京してきた際、何度か目にしていた建設中の巨大ホテル。
 整えられた景観はとても神秘的で、ビルの間に在りながらも緑化に余念のない、どこかほっとするぬくもりを感じるような創りになっていた。

『ん、仕事が落ち着く頃にはやってそうだな。今度ディナー兼ねて泊まってみるか?』

『……っそ、そそそそんなに甘やかさないでくださいよセンパイ!』

『チェリーがこの手に落ちてきてくれたらもっともっと甘やかしたいって俺は思ってるよ』

『……っあ、甘いサクランボですねっ!? もうすぐ収獲の時期だし、送ってくれるよう頼まなくちゃですねっ!!?』

『ぶはっ!』

 断りの言葉はなく、動揺しながらも楽しそうなちえりの言葉に瑞貴はとても嬉しそうに笑う。
 そしてその夜、確認したオープン日をしっかりと目に焼き付けながら、こっそり二名分の予約を入れた瑞貴だった――。

「ちえりが泊まったっていうあのホテル、オープン来月だよな」

「えっ……」

 まるで血液が逆流するような感覚に、目の前が真っ暗になる。
 土地勘のない自分が他のホテルを知るわけもなく、なるべく嘘がバレないようにと咄嗟に見かけたホテルを口にしてしまったのが裏目に出てしまった。

「ご、ごめんなさっ――」

「……鳥居なんだろ? いつも傍に居たの」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

二人の恋愛ストラテジー

香夜みなと
恋愛
ライバルで仲間で戦友――。 IT企業アルカトラズに同日入社した今野亜美と宮川滉。 二人は仕事で言い合いをしながらも同期として良い関係を築いていた。 30歳を目前にして周りは結婚ラッシュになり、亜美も焦り始める。 それを聞いた滉から「それなら試してみる?」と誘われて……。 *イベントで発行した本の再録となります *全9話になります(*がついてる話数は性描写含みます) *毎日18時更新となります *ムーンライトノベルズにも投稿しております

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

冷たい外科医の心を溶かしたのは

みずほ
恋愛
冷たい外科医と天然万年脳内お花畑ちゃんの、年齢差ラブコメです。 《あらすじ》 都心の二次救急病院で外科医師として働く永崎彰人。夜間当直中、急アルとして診た患者が突然自分の妹だと名乗り、まさかの波乱しかない同居生活がスタート。悠々自適な30代独身ライフに割り込んできた、自称妹に振り回される日々。 アホ女相手に恋愛なんて絶対したくない冷たい外科医vsネジが2、3本吹っ飛んだ自己肯定感の塊、タフなポジティブガール。 ラブよりもコメディ寄りかもしれません。ずっとドタバタしてます。 元々ベリカに掲載していました。 昔書いた作品でツッコミどころ満載のお話ですが、サクッと読めるので何かの片手間にお読み頂ければ幸いです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

強引な初彼と10年ぶりの再会

矢簑芽衣
恋愛
葛城ほのかは、高校生の時に初めて付き合った彼氏・高坂玲からキスをされて逃げ出した過去がある。高坂とはそれっきりになってしまい、以来誰とも付き合うことなくほのかは26歳になっていた。そんなある日、ほのかの職場に高坂がやって来る。10年ぶりに再会する2人。高坂はほのかを翻弄していく……。

処理中です...