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ふたりで辿る足跡

すれ違いの始まり

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 クリーニング屋へ寄ることをきちんと覚えていた出勤時のちえりの手にはトートバッグがしっかり握られており、仕事中もこうして脇机の中で静かに鎮座している。

「桜田さん全然戻ってきませんねぇ……」

 そして朝こそ瑞貴と一緒に出勤したものの、例のシステムトラブルの件でリーダー格の者たちは再び会議に駆り出されてしまったのだ。

「え……っ!? 瑞貴センパイがなにっ!?」

 過剰反応をみせたちえりに佐藤七海のメガネが光る。

「またぁ! 絶対若葉さんなんか隠してますよね!? 桜田さんのことでっっ! この後じっくり聞かせてもらいますよ~~!?」

「……っう、ううんっっ!? これ見てもらいたいなぁって思ってただけだよ!?」

 ちえりは自身のデスク上を指差し、バグチェック済みの資料をこれでもかと強調する。

「もう昼休みに入るし、飯のあとに見てもらうしかないよね」

 と、吉川の声にちえりと佐藤も素直に頷く。

(これ以上突っ込まれないように気を付けないと……って、そうだっ!!)

「……あぁっ! クリーニング仕上がってるから私、休憩の間に行ってくるね!」

 丁度いい都合を思い出し、時計の針が十二時を指したと同時にトートバッグと財布を手にオフィスを飛び出した。
 背後からは”逃げられたっ!!”と佐藤が恨めしそうに声をあげている。

 まるでパパラッチから逃げるかの如く、猪突猛進の勢いで一度も足を止めることなく目的へとたどり着いたちえり。幸いにもこの日は運良く、店内に客の姿は見当たらない。
 前回とは別の店員から二着分のスーツを受け取り、肉(29)の旗が揺れるスーパーを避けてコンビニへと立ち寄った。

「……いま戻ったら突っ込まれるに違いない……」

 カロリーヤバめなミックス弁当と飲み物を購入し、噴水やベンチがたくさんある近くの公園へ向かった。

(さすがにサラリーマン多い……ベンチでお昼寝してる人がたくさん……)

 心の中で”毎日お疲れ様です。おやすみなさい”と呟きながら空いているベンチへと腰掛ける。

「ふぅ……」

(今日はちょっと暑いな。会社が快適すぎて気づかなかった……)

「…………」

 なるべく早く退散しようと弁当を頬張るが、話し相手がいないのは些かつまらない。

「アプリゲーム最近やってないな……」

 実家にいるころには食事中に触っているほど依存していたが、瑞貴と同居するようになってからスマホをいじらなくなった。
 他に熱中するものがあれば自然とそうなるのだと、断ち切るきっかけを見つけたが、今日は如何いかんせんひとりなのだ。

「なんか面白いの……あ、これ……」

 暇つぶしにと画面を立ち上げ、ぎこちなく左手で操作する。するとダウンロードサイトの中から一際可愛いイラストに目を惹かれ、ちまたで大流行の”ツンツン”ゲームをダウンロードすることにした。
 対して"遊び方の説明"を読むことなく適当に進めてみたが、思いのほか楽しく、時間ギリギリまで遊んでいたちえり。
 会社へ戻る時間が近づいてゲームを終了すると……スマホの電池残量は息も絶え絶えのスカスカの状態になっていた。

「……あれ?」

 帰還したちえりの言葉に吉川と佐藤がその視線をたどる。
 すぐそこにある瑞貴の席に誰かが座っているのだ。
 そして時計の針が十三時を示すと、男は立ち上がりこう言った。

「よし、お前たち。仕事にかかれ」

「は~い」

「ういっす」

「…………」

 ちえり以外のふたりはきちんと返事をかえすが、若葉ちえりには素直に頷けない理由があった。
 男が首から下げている青い紐。
 それはちえりらを指導する立場にある人物としては申し分ない。が……

「なんであんたがそこにいるの?」

 気が付けばそんな言葉が口から飛び出していた。

「なんだ不服か?」

 狼のような鋭い眼差しの彼は瑞貴の椅子に座ったまま腕組みをしている。

「……不服といいますか、不安といいますか……、やっぱり不服かな……?」

 と、年下の狼に噛み付くちえり。

「……あのなぁ……俺は”瑞貴先輩に頼まれて”ここに居るんだ」

「なんで……?」

「システムトラブル起きてる支店が他にも見つかって、しかもデータが破損してるんだとさ。だからそこで受けられない仕事がこっちに流れて……」

「瑞貴先輩ご飯食べたかな……」

「……おい。人のはなし聞けよ」

「あ、ごめ」

 絶対申し訳ないと思っていないちえりの軽い言葉に鳥居の眉がピクリと動く。彼は盛大なため息をつきながら椅子にもたれ、続きを説明する。

「……で、支店で受けられねぇ仕事は分担して他で受け持つことになったんだ。リーダーは不在で副リーダーはてんてこ舞いってのが現状だ」

「ウィルスでも感染したんですかね?」

 佐藤が小声で話しかけてきた。

「サイバーテロとかだったりして!」

 と、反対側から吉川が興奮気味にまくしたてる。

「無駄口叩いてないで手を動かせ。午前中の分どこやった」

 しょうがなくちえりを含めた三人は彼に提出することにした。
 見た目や口調から、さぞ厳しいチェックが入るだろうと予測していたが……

「全員やり直しだ。なんだこのざまは」

「…………」

「…………」

「…………」

「おい若葉ちえり。お前は名前の通り一生青いチェリーで終わんのか?」

「……面白くないんだけど……」

 いつのまにか目の前にいる鳥居にちえりは眉をひそめる。

「悔しかったら一人前に赤く熟してみろ」

「……別に悔しくなんかっ……!」

「口答えするな。早く取りかかれ」

「…………」

 ――午後十五時を迎えるころ、鳥居隼人が席を離れたのを見計らった吉川が我慢の限界というように愚痴をこぼす。

「どこが間違ってるとか教えてくれもしないのに……あーあ、桜田さんとは大違いだなー。本当にわかっててやってるんだかも謎だしなぁ~」

「……エラーコードとか見てもわからないものなんですか?」

 あまりにも無知なちえりはなるべく控えめに自信なく声を下げて言う。

「若葉ちゃんさー、エラーコード出ないんだから当たってるんだってば!」

「…………」

 なぜか吉川の物言いにムッとしてしまう。どことなく馬鹿にされているようなイメージを強く受けたからだ。

「でも瑞貴センパイがあの人に頼んだのなら出来る人なんじゃ……」

 あの責任感の強い瑞貴が自分の代わりにと置いて行った人物が何もわからない新人なはずがない。

「はいはいそうですねー。たった二、三ヶ月そこらの新入社員になにがわかるんだかねー……」

 投げやりな態度が丸見えな吉川は、鳥居が席に戻るとわざとらしく余所のサブリーダーのもとへ走った。

「……吉川さんかなりムカついてますね」

 佐藤は鳥居に聞こえないよう小声で囁いた。

「うん……仕様書ちゃんと見たのかな……」

 瑞貴に全信頼を寄せるちえりは彼が選んだ人物なら……と、いまは鳥居隼人を信じている。
 ちえりらは鳥居隼人と一緒に仕事をしたことがないため実力の程はわからないが、彼の首から下がる青い紐は会社の評価なのだから贔屓目なく信頼に値するものだと思う。

 それらを考えれば考えるほど、吉川が間違っている気がしてならない。口ばかりで実力が伴わないと思われても仕方なく、だから赤い紐のままなのだろうと二、三ヶ月そこらの素人でも察しがついた。

(吉川さんがここに居続けられるのって……瑞貴センパイのお陰過ぎるんじゃ……)

 黙々と作業に取り掛かったちえりは凡ミスをなんとか見つけ、厳しい鳥居のチェックを無事通過することができた。にわかに慌ただしくなってきたオフィスに気づき顔を上げると、時計はすでに十七時にもなろうところだった。

(午後の分これからか……随分時間かかっちゃったな)

「とりあえずお手洗い……」

 延長戦を覚悟し、ちえりがオフィスを出ると瑞貴のデスクの電話が鳴った。そしてその電話をとったのは鳥居隼人だ。

「はい鳥居です」

『あ、桜田だけど……鳥居ごめんな、お前にしか頼めるやついなくて……』

 プライベートでは色々あったにせよ、桜田瑞貴という人物を買っている鳥居。若葉ちえりのこととなると些か感情的になるのは欠点だが、上からも下からも絶大な信頼を受ける彼は会社にとってなくてはならない存在だった。

「全然いいですよ」

『あの三人のチェックは残してくれていいからな。急ぎのものは渡してないはずだから』

「こちらのことはご心配なく。出張お疲れ様です」

『…………』

 淡々としゃべる鳥居に無言の瑞貴。時間を見ても徐々に手透きになるであろうタイミングを見計らって電話を掛けてきたに違いない。
 なにかを気に留めているのは明らかだったが、ここまでの会話ではなにを心配しているのかはわからなかった。

『……あとさ、ちえりいる?』

 冷静に分析していた鳥居はようやくここで瑞貴の目的を見出した。

「……一番言いたかったのってそれですよね」

『……ごめん。あまりにも急いでてカードキー渡さずに出てきちゃったんだ』

「残念ですがその方は現在放浪中です。いまならスマホに連絡してみるのも有りかもしれませんよ」

『そっか、わかった。……さっき電話したけど繋がらなかったから……後でかけ直してみるよ。じゃあ……』

「はい失礼します」

 落胆した様子の瑞貴を突き放すように受話器を置くと、彼が探していた人物が目の前に立っている。

「今の電話……瑞貴先輩から?」

 ちえりは空になった珈琲の紙コップの存在を思いだし、すぐ室内へ舞い戻ってきていた。

「営業課からの電話。打ち合わせる予定でもあったんだろ」

 ずっと彼女の姿がそこにあると気づいていたにも関わらず、"放浪中"と答えたのは自分でも驚きだった。

「……そっか……」

 ふたりして似たような言葉に似たようなリアクション。幼い日を共に過ごした時間が長ければ長いほど、このように似てくるものなのだろうか?
 しょぼくれるちえりを見ていると、眉間の間から何かが溢れだしそうな感覚に鳥居は不快感を露わにする。

「午後の分残ってるんだろ? 終わるまでお前は帰るなよ?」

「……ぅっ……は、はいっ……」

 結局その後、吉川は満足に誰ともしゃべることなく十八時を迎え退社していき、佐藤も”続きは明日やります~”と帰ってしまった。



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