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悠久の王・キュリオ編2

心の距離

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 ――わずかに開いた窓の隙間から流れてくる冷気を含んだ風がカーテンを優しく揺らしている。
 遠くに聞こえる虫の声と、瞬く星々の輝きの強さが一段と深まった今宵。王の寝室ではふたつの穏やかな呼吸が寄り添うように一定のリズムを刻んでいた。
  ベッドの上に広がった美しい銀髪の青年は横向きに眠っており、その慈悲深い懐の中では大事そうに抱き締められている赤子が時折瞬きしては青年の顔をじっとみつめている。

 「…………」

  部屋の灯りが落とされた暗い部屋では大人しくしていなくてはいけないことを彼女はなんとなく理解していたが、幾日かに一度、こうして睡魔がやってこない夜があったため暇を持て余すことがあった。さらに今宵は窓の外から聞こえてくる小さな声に赤子の瞳は輝いた。
  声のするほうへモゾモゾと体の向きを変えようと腕に力を込めると、頭や背中にまわされた腕にわずかな力がこもる。アオイの安全を確保しようとするキュリオの無意識の行動だった。

 「……ぅ」

  なかなか自由にさせてくれないこの腕は自分を護るための青年のやさしさだということは彼女もわかっている。
  だが、赤子の幼い好奇心はその腕をくぐり抜け、この五感を刺激する美しい虫たちの声のもとへと心は惹かれていく。一度は諦めたアオイは再び力をこめると――

  急に白んだ視界が開けて映ったのは、いつか見た大自然の中に立つ巨大な樹木の根が隆起するあの場所だった。

 「…………」

 (ここは……)

  アオイの記憶に深く結びついたこの風景には決まってあの青年がいる。

 (エクシス、さま……)

  木漏れ日から差し込んだ日の光に目を細め、あたりを見回すとすぐにその彼を見つけることができた。

 『…………』
 
  自身が見つけるよりも早く、金髪の青年はこちらに気づいていたようだ。翡翠色の瞳はこの空間にあるどの緑よりも美しく、すべてを見透かす神秘的な瞳だが、青年の心を読むにはかなり難しそうなほどに"無"であった。いつも愛を注ぎ、微笑みを湛えたキュリオのあたたかな瞳との違いをアオイは一瞬感じたが、この青年は自分を決してひとりにしないことを知っていたため、自分が彼の感情を読み取れていないだけなのだとすぐさま考えを改めた。
  アオイの前方、隆起した根の上に立ち、大樹に背を預けて腕を組んでいたエクシスと視線が絡む。今日のアオイは柔らかい草の上にいて何も不自由はなかったが、彼のもとへ行こうにも張り巡らされた根が障害となって辿り着けそうにもない。声が届くかどうかの距離で微動だにしない彼の髪が風に靡くと、サラサラと耳に心地よい葉擦れの音が響いて再び視界が白んで――
  だがそれもほんの一瞬の出来事だった。甘い香りが鼻腔をくすぐり、目を開いたアオイの周りには一面に咲き誇る花の絨毯が広がっていた。

 「……!」

  自分だけがどこかへ飛ばされてしまったのかと思ったが、アオイの傍には片膝を立てたエクシスが肘をつきながら遠くを見つめていた。相変わらず付かず離れずの距離を保っている彼だが、隆起した根がふたりの間になくなった分、少しだけ距離が縮まったように思えてアオイは嬉しかった。
  ここではアオイを抱き締めてくれる腕はなくとも不思議と不安はなく、心のままに動こうと決心した少女は座した姿勢から姿勢を崩し腕をつく。

 『僅かだが成長したようだな』

 「きゃあっ」

  両腕をつき、膝をついて傍までやってきた赤子の顔は綻んだ花のように愛らしく、エクシスに語り掛けてくる心の声はもっと愛らしかった。

 『エクシスさま、あえた』

  先程から互いの存在を認識しているこの場合、アオイの言葉は正しくないのかもしれない。しかし、エクシスが手の届く距離にいることが嬉しく、そのことを表現しているのだとしたらふたりにとってその誤差は微々たるものである。
  エクシスに触れたいばかりに懸命に近づいてきたアオイがその小さな手を伸ばすと……予想外の言葉にアオイは目を丸くする。  

 『――そなたは我に触れられない』

  翡翠色の瞳がこちらを向いてくれたことに喜んだのも束の間、今度は見つめられているアオイの真ん丸な瞳が悲しそうに揺れる。
  言葉の意味はわからなくとも、気持ちに応えてくれることはないのだと直感で感じ取ったアオイは行き場を失った手を花の上についた。

 「……」

  彼が何者で何を言っているか今のアオイにはわからない。
  しかし、拒まれたであろうことを初めて感じたアオイは得も言われぬ寂しさを知った。
    
 『もう戻れ』

 「……!」

  静かな声にハッと顔をあげるも、その声を合図に再び白み始めた視界。
  霞がかった意識の中でアオイは懸命に手を伸ばすが……

 「…………」

  見慣れた大きな窓。優しい月明かりが差し込む大きな部屋の柔らかなベッドの上にアオイは居た。
  宙に浮く自身の小さな手はなにも掴むことができず、ただベッドの上に落ちるばかりかと思われた。――が、突如現れた白い手がアオイのそれを支える。

 「……眠れないかい?」

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