73 / 208
悠久の王・キュリオ編2
心の距離
しおりを挟む
――わずかに開いた窓の隙間から流れてくる冷気を含んだ風がカーテンを優しく揺らしている。
遠くに聞こえる虫の声と、瞬く星々の輝きの強さが一段と深まった今宵。王の寝室ではふたつの穏やかな呼吸が寄り添うように一定のリズムを刻んでいた。
ベッドの上に広がった美しい銀髪の青年は横向きに眠っており、その慈悲深い懐の中では大事そうに抱き締められている赤子が時折瞬きしては青年の顔をじっとみつめている。
「…………」
部屋の灯りが落とされた暗い部屋では大人しくしていなくてはいけないことを彼女はなんとなく理解していたが、幾日かに一度、こうして睡魔がやってこない夜があったため暇を持て余すことがあった。さらに今宵は窓の外から聞こえてくる小さな声に赤子の瞳は輝いた。
声のするほうへモゾモゾと体の向きを変えようと腕に力を込めると、頭や背中にまわされた腕にわずかな力がこもる。アオイの安全を確保しようとするキュリオの無意識の行動だった。
「……ぅ」
なかなか自由にさせてくれないこの腕は自分を護るための青年のやさしさだということは彼女もわかっている。
だが、赤子の幼い好奇心はその腕をくぐり抜け、この五感を刺激する美しい虫たちの声のもとへと心は惹かれていく。一度は諦めたアオイは再び力をこめると――
急に白んだ視界が開けて映ったのは、いつか見た大自然の中に立つ巨大な樹木の根が隆起するあの場所だった。
「…………」
(ここは……)
アオイの記憶に深く結びついたこの風景には決まってあの青年がいる。
(エクシス、さま……)
木漏れ日から差し込んだ日の光に目を細め、あたりを見回すとすぐにその彼を見つけることができた。
『…………』
自身が見つけるよりも早く、金髪の青年はこちらに気づいていたようだ。翡翠色の瞳はこの空間にあるどの緑よりも美しく、すべてを見透かす神秘的な瞳だが、青年の心を読むにはかなり難しそうなほどに"無"であった。いつも愛を注ぎ、微笑みを湛えたキュリオのあたたかな瞳との違いをアオイは一瞬感じたが、この青年は自分を決してひとりにしないことを知っていたため、自分が彼の感情を読み取れていないだけなのだとすぐさま考えを改めた。
アオイの前方、隆起した根の上に立ち、大樹に背を預けて腕を組んでいたエクシスと視線が絡む。今日のアオイは柔らかい草の上にいて何も不自由はなかったが、彼のもとへ行こうにも張り巡らされた根が障害となって辿り着けそうにもない。声が届くかどうかの距離で微動だにしない彼の髪が風に靡くと、サラサラと耳に心地よい葉擦れの音が響いて再び視界が白んで――
だがそれもほんの一瞬の出来事だった。甘い香りが鼻腔をくすぐり、目を開いたアオイの周りには一面に咲き誇る花の絨毯が広がっていた。
「……!」
自分だけがどこかへ飛ばされてしまったのかと思ったが、アオイの傍には片膝を立てたエクシスが肘をつきながら遠くを見つめていた。相変わらず付かず離れずの距離を保っている彼だが、隆起した根がふたりの間になくなった分、少しだけ距離が縮まったように思えてアオイは嬉しかった。
ここではアオイを抱き締めてくれる腕はなくとも不思議と不安はなく、心のままに動こうと決心した少女は座した姿勢から姿勢を崩し腕をつく。
『僅かだが成長したようだな』
「きゃあっ」
両腕をつき、膝をついて傍までやってきた赤子の顔は綻んだ花のように愛らしく、エクシスに語り掛けてくる心の声はもっと愛らしかった。
『エクシスさま、あえた』
先程から互いの存在を認識しているこの場合、アオイの言葉は正しくないのかもしれない。しかし、エクシスが手の届く距離にいることが嬉しく、そのことを表現しているのだとしたらふたりにとってその誤差は微々たるものである。
エクシスに触れたいばかりに懸命に近づいてきたアオイがその小さな手を伸ばすと……予想外の言葉にアオイは目を丸くする。
『――そなたは我に触れられない』
翡翠色の瞳がこちらを向いてくれたことに喜んだのも束の間、今度は見つめられているアオイの真ん丸な瞳が悲しそうに揺れる。
言葉の意味はわからなくとも、気持ちに応えてくれることはないのだと直感で感じ取ったアオイは行き場を失った手を花の上についた。
「……」
彼が何者で何を言っているか今のアオイにはわからない。
しかし、拒まれたであろうことを初めて感じたアオイは得も言われぬ寂しさを知った。
『もう戻れ』
「……!」
静かな声にハッと顔をあげるも、その声を合図に再び白み始めた視界。
霞がかった意識の中でアオイは懸命に手を伸ばすが……
「…………」
見慣れた大きな窓。優しい月明かりが差し込む大きな部屋の柔らかなベッドの上にアオイは居た。
宙に浮く自身の小さな手はなにも掴むことができず、ただベッドの上に落ちるばかりかと思われた。――が、突如現れた白い手がアオイのそれを支える。
「……眠れないかい?」
遠くに聞こえる虫の声と、瞬く星々の輝きの強さが一段と深まった今宵。王の寝室ではふたつの穏やかな呼吸が寄り添うように一定のリズムを刻んでいた。
ベッドの上に広がった美しい銀髪の青年は横向きに眠っており、その慈悲深い懐の中では大事そうに抱き締められている赤子が時折瞬きしては青年の顔をじっとみつめている。
「…………」
部屋の灯りが落とされた暗い部屋では大人しくしていなくてはいけないことを彼女はなんとなく理解していたが、幾日かに一度、こうして睡魔がやってこない夜があったため暇を持て余すことがあった。さらに今宵は窓の外から聞こえてくる小さな声に赤子の瞳は輝いた。
声のするほうへモゾモゾと体の向きを変えようと腕に力を込めると、頭や背中にまわされた腕にわずかな力がこもる。アオイの安全を確保しようとするキュリオの無意識の行動だった。
「……ぅ」
なかなか自由にさせてくれないこの腕は自分を護るための青年のやさしさだということは彼女もわかっている。
だが、赤子の幼い好奇心はその腕をくぐり抜け、この五感を刺激する美しい虫たちの声のもとへと心は惹かれていく。一度は諦めたアオイは再び力をこめると――
急に白んだ視界が開けて映ったのは、いつか見た大自然の中に立つ巨大な樹木の根が隆起するあの場所だった。
「…………」
(ここは……)
アオイの記憶に深く結びついたこの風景には決まってあの青年がいる。
(エクシス、さま……)
木漏れ日から差し込んだ日の光に目を細め、あたりを見回すとすぐにその彼を見つけることができた。
『…………』
自身が見つけるよりも早く、金髪の青年はこちらに気づいていたようだ。翡翠色の瞳はこの空間にあるどの緑よりも美しく、すべてを見透かす神秘的な瞳だが、青年の心を読むにはかなり難しそうなほどに"無"であった。いつも愛を注ぎ、微笑みを湛えたキュリオのあたたかな瞳との違いをアオイは一瞬感じたが、この青年は自分を決してひとりにしないことを知っていたため、自分が彼の感情を読み取れていないだけなのだとすぐさま考えを改めた。
アオイの前方、隆起した根の上に立ち、大樹に背を預けて腕を組んでいたエクシスと視線が絡む。今日のアオイは柔らかい草の上にいて何も不自由はなかったが、彼のもとへ行こうにも張り巡らされた根が障害となって辿り着けそうにもない。声が届くかどうかの距離で微動だにしない彼の髪が風に靡くと、サラサラと耳に心地よい葉擦れの音が響いて再び視界が白んで――
だがそれもほんの一瞬の出来事だった。甘い香りが鼻腔をくすぐり、目を開いたアオイの周りには一面に咲き誇る花の絨毯が広がっていた。
「……!」
自分だけがどこかへ飛ばされてしまったのかと思ったが、アオイの傍には片膝を立てたエクシスが肘をつきながら遠くを見つめていた。相変わらず付かず離れずの距離を保っている彼だが、隆起した根がふたりの間になくなった分、少しだけ距離が縮まったように思えてアオイは嬉しかった。
ここではアオイを抱き締めてくれる腕はなくとも不思議と不安はなく、心のままに動こうと決心した少女は座した姿勢から姿勢を崩し腕をつく。
『僅かだが成長したようだな』
「きゃあっ」
両腕をつき、膝をついて傍までやってきた赤子の顔は綻んだ花のように愛らしく、エクシスに語り掛けてくる心の声はもっと愛らしかった。
『エクシスさま、あえた』
先程から互いの存在を認識しているこの場合、アオイの言葉は正しくないのかもしれない。しかし、エクシスが手の届く距離にいることが嬉しく、そのことを表現しているのだとしたらふたりにとってその誤差は微々たるものである。
エクシスに触れたいばかりに懸命に近づいてきたアオイがその小さな手を伸ばすと……予想外の言葉にアオイは目を丸くする。
『――そなたは我に触れられない』
翡翠色の瞳がこちらを向いてくれたことに喜んだのも束の間、今度は見つめられているアオイの真ん丸な瞳が悲しそうに揺れる。
言葉の意味はわからなくとも、気持ちに応えてくれることはないのだと直感で感じ取ったアオイは行き場を失った手を花の上についた。
「……」
彼が何者で何を言っているか今のアオイにはわからない。
しかし、拒まれたであろうことを初めて感じたアオイは得も言われぬ寂しさを知った。
『もう戻れ』
「……!」
静かな声にハッと顔をあげるも、その声を合図に再び白み始めた視界。
霞がかった意識の中でアオイは懸命に手を伸ばすが……
「…………」
見慣れた大きな窓。優しい月明かりが差し込む大きな部屋の柔らかなベッドの上にアオイは居た。
宙に浮く自身の小さな手はなにも掴むことができず、ただベッドの上に落ちるばかりかと思われた。――が、突如現れた白い手がアオイのそれを支える。
「……眠れないかい?」
0
お気に入りに追加
75
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
【書籍化決定】断罪後の悪役令嬢に転生したので家事に精を出します。え、野獣に嫁がされたのに魔法が解けるんですか?
氷雨そら
恋愛
皆さまの応援のおかげで、書籍化決定しました!
気がつくと怪しげな洋館の前にいた。後ろから私を乱暴に押してくるのは、攻略対象キャラクターの兄だった。そこで私は理解する。ここは乙女ゲームの世界で、私は断罪後の悪役令嬢なのだと、
「お前との婚約は破棄する!」というお約束台詞が聞けなかったのは残念だったけれど、このゲームを私がプレイしていた理由は多彩な悪役令嬢エンディングに惚れ込んだから。
しかも、この洋館はたぶんまだ見ぬプレミアム裏ルートのものだ。
なぜか、新たな婚約相手は現れないが、汚れた洋館をカリスマ家政婦として働いていた経験を生かしてぴかぴかにしていく。
そして、数日後私の目の前に現れたのはモフモフの野獣。そこは「野獣公爵断罪エンド!」だった。理想のモフモフとともに、断罪後の悪役令嬢は幸せになります!
✳︎ 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
転生幼女の怠惰なため息
(◉ɷ◉ )〈ぬこ〉
ファンタジー
ひとり残業中のアラフォー、清水 紗代(しみず さよ)。異世界の神のゴタゴタに巻き込まれ、アッという間に死亡…( ºωº )チーン…
紗世を幼い頃から見守ってきた座敷わらしズがガチギレ⁉💢
座敷わらしズが異世界の神を脅し…ε=o(´ロ`||)ゴホゴホッ説得して異世界での幼女生活スタートっ!!
もう何番煎じかわからない異世界幼女転生のご都合主義なお話です。
全くの初心者となりますので、よろしくお願いします。
作者は極度のとうふメンタルとなっております…
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる