Machine of the Eternityー黒い剣士と夜の月ー

雀野

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「っは‥‥‥はあっ、くそっ」
顔右半分を染める血と、ほぼ無意識に逃げ続ける足は、どうやら止まることを知らないようだ。くそっ、袴が足に絡まって邪魔だし、髪は頬に張り付く。流れ出す汗もとめどない。
しかしそんなことを考えている余地などないというように足は動く。
怖いんだ。ただただ怖いんだ。
足がもつれ、ようやく止まったところで恐る恐る振り返ると、後ろにはなにもいない。もう追ってはこないみたいだ。
そこでようやく地面に座り、曇った天を仰いだ。段々と息が苦しくなる。
「なんで。なんで、僕達なんだ」
ぽつりぽつりと降り出した雨がゆっくりと僕を濡らしていった。

『私は、どんな過酷な世界でも、あなたがいれば充分なんだから』
失った右目が熱を持ち、心臓の鼓動に合わせ紅の涙を流している。それを止めることもできず意識は朦朧もうろうとしてきている。寒い。今、意識を失えばきっと彼女の所へ逝ける。そんな気がして僕はゆっくりと目を閉じた。
『約束よ。私とずーっと一緒に生きていこうね』
「っ!」
しかし、すぐに左目を見開いて唇をおもいきり噛んだ。
『‥‥‥お願い、い、生きて。―――だけで、も‥‥‥生きて』
そうだ。僕は死ねない。死んではいけないんだ。彼女の復讐をはたすまでは。
僕は右目があったくぼみに爪を立てた。震える指は恐怖でなく怒り。そして僕は右の血溜まりに思い切り指を沈めた。

ごりっ。

「っあぁぁぁあぁ――」
 それは小さな悲鳴。
声を出す気力もなかった僕にしては大きすぎるほどの声だったかもしれない。その声を抑えることもできず、ただ荒い息と、心音だけが頭の中で響き続ける。再び引き戻された意識は痛みと戦っていた。
彼女の痛みはこんなんじゃなかったはずなんだ。

もっと、もっと深い痛みだったはずなんだ。

堪えなければ、堪えなければいけないんだ。

「っは‥‥‥はぁ。あ、あや‥‥‥め」

皮肉にもあやめの幻が僕の意識を奪っていった。

どうか。

どうか。

どうか、夢なら覚めてくれ。

        †                        

「お前何を‥‥」
俺が声を放つと、五羽ほどのカラスが泣き声を上げながら一斉に飛び立った。そこにはすでに声の主はいなかった。
鉄錆と、有毒ガスより強烈な死体の匂い。髪を頭皮から綺麗に剥がされ、目玉をえぐられた死体が七体。洋服が剥ぎ取られていなければ、性別が区別出来ないほどの酷さである。死体は仕事柄見慣れていたがここまで凄惨な光景は初めてだ。
「これは・・・・・」
俺は、シルドの仕事を思い出し、無心でシャッターを切った。これじゃぁ、倭民族わみんぞくかどうかもわからないが。
シルドから預かっていたカメラのフイルムをすべてきらし、仕事を終わらせた俺は、死体を担いで帰ることはせず死体から採取した生暖かい血液のはいった小さな瓶とカメラをポケットに捩込み、洞窟の出口へと走った。

「なんだこれ?」
行きは警戒のあまり気づかなかった。それは出口から見える茂みに向ってなにかを引きずったような痕と、赤黒い砂の固まり。
機械油オイルじゃないな。血液だ。足を引きずって走った跡か。まさか、生き残りが…。いや、そんな馬鹿な」
自問自答し俺は、エンジンとモーターのエネルギーを最大にし、走った。

その引きずったような跡は道無き道を通り、ジャンナイルとベルヘムの境界付近まで延びていた。
有毒の茂みを更に奥へと進んでいくと、再び血の道しるべがあった。その量は、先程とはくらべものにならないほど大量だった。
「生きてんのか?」
血の道しるべの先にいるであろう人にむけ、俺は疑問をぶつけた。
「ん?」
その疑問に返してくれたかのような絶妙なタイミングで俺は血溜まりの足を蹴った。
それは、右目から血を流し、漆黒の髪と青白い顔をその血で濡らした男だった。男は、その身に纏った不思議な服までも真っ赤に染めていた。右手も同色に彩られている。まさか、自分でくり抜いたとでもいうのか?しかし、肝心の眼球がない。瞼が閉じ切らず僅かに穴の開いた虚空の右目は吸い込まれるように奥が深い。そこを主流に、真っ赤な血液は海と化している。
これは、やばい。
「おい、しっかりしろ。おいっ」
返事はない。ほんの微かだが呼吸はしているがもはや虫の息である。ジャンナイルを抜けてこの状態であるだけで奇跡に近い。
「だめか」

しかし、肩を揺さ振ったその時、男の意識が俺を捕らえた。はっきりしたものではなかったが、かすかに目を開く。
「ぁ‥‥‥はっ」
「おい、大丈夫か?」
微かに聞こえた呼吸音と声がする鉄の匂いを放つ白顔に耳を傾けた。意識を取り戻してはいても相変わらず呼吸は今にも消えそうなほどゆっくりで浅い。
「め、ぁ、あや‥‥‥め」
それだけ言うと、男は再び意識を失った。
「あやめ?」

       †                        

死ぬ間際、あやめの笑顔と男の顔を同時に見た気がした。
あやめを殺し、僕の目玉をくり抜いた憎き男ではなかった。
太陽の光で鮮やかに煌めいた茶色い髪が揺れていたのが見えた気がする。
そして、僕に何か必死に呼び掛けていた。
あぁ。僕は見知らぬ男に見取られて逝ってしまうのだろうか。
いや、もしかしたらそいつは悪魔で、僕を陽気に歌でも歌いながら地獄へ連れて行こうとしているのかもしれない‥‥‥。

『―――。お願い、私の為に生きて』

僕をかばって逝ったあやめが、最後に残した言葉。
本当は庇ってなんて欲しくなかった。一緒に死にたかった。
あやめと生きる。それだけで充たされると思う僕を皆、愚かと思うかもしれない。でも、僕にとって彼女だけが、心を充たす唯一の女性ヒトだ。
でも、彼女は死んでしまった。もう、美しい笑顔も、美しい黒色の艶やかな髪も、夜を閉じ込めたような奥深い瞳でさえ見ることが出来ず、透き通るような舞唄も、笑う声も、僕の名を呼ぶ声も聞くことが出来ないのだ。

あの男のせいで‥‥‥。

『所詮、倭民族は狩られるだけの愚かな家畜なんだよ』

胸糞悪い男の声に僕は腹腸が煮え繰り返る思いだった。
やはり、僕は死ねない。君に会えなくても構わない。あいつに復讐するまでは、僕は死ねない。
だからどうか悪魔よ、僕の命を持っていくのはもう少し先にしてくれ。
黒い髪を輝かせたあやめは悲しげに笑っていた。

ごめん。あやめ。

「っ‥‥‥」
左目を開けると、そこには見慣れない光景が広がっていた。
「大丈夫か?」
「ここは、地獄、なのか?」
目の前に現れた男は、目を丸くし、顔を歪めるように笑った。

       +++                        

あやめ。
絶命寸前の男はそう言った。聞きなれない単語だから恐らく、倭民族特有の名前か何かなのだろう。
俺は血まみれの男を担いだ。ただたんに華奢なだけなのか、それとも、大量の血液を失っているせいなのか、男の身体は異様に軽かった。
そして、男を担いだまま、ミズノの診療所へ走った。

「何よ。今日はどこを壊したの?イオ君」
クールな声音だが、表情は俺を改造したいと言っている。その証拠に、何やら怪しげな機械の部品と五本の指の間にプラスマイナス、大小様々なドライバーが挟まれている。
彼女には俺が担いでいる患者が見えていないのだろうか?
「馬鹿野郎。こいつを診てほしいんだよ。呼吸も浅いし、心音もやばい。他の所じゃ門前払い食らっちまうだろうな。わかるよな?助けられるのは‥‥あんただけだ」
俺の言葉に幽かに反応を示したミズノの顔が一瞬にして医師の顔へと戻る。
「まったく、それを言われちゃったら助けないわけにはいかないわね」
言い忘れていたが、彼女の通り名は〈死知らず不死のミズノ〉。彼女に治せない患者はいないとまで言われている伝説の医者である。ただただ機械を弄って怪しげな研究やら実験をしているだけの女ではないのだ。
「この髪・・・・・ま、まさか、倭民族?彼をどこで?」
「ジャンナイルの外れで拾った」
ミズノが、キッと俺を睨んだ。どうやら俺の冗談に構っているほどの余裕がないほどにこの男の容態は悪いらしい。
「ふざけないの!」
「そう怒るなって。ジャンナイルの外れにいたのは本当だ。なんでかわかんねえけどマスクもなしにはいずって出てったみたいなんだよ。その時、目玉はもうなかったから、民族狩りから上手く逃れたって感じだろ」
そういえば、こいつはどうやってジャンナイルから自力で脱出することが出来たのだろうか?連れてこられた時点でアウトだろう。
男を見ると、赤黒く染まっていた顔右半分は、ミズノの手により真っ白なガーゼで覆われていた。素早い手つきに圧倒された。
「ショック死しなかっただけでもたいした生命力なのに、彼、意識を保とうとしたのか失った右目の穴に自分で爪を立てているわ。・・・何か、よっぽど死ねない理由でもあるみたい」
「あやめ、か」
それが、その男の死ねない理由なのかもしれない。
その名は、愛する者か、忌む者か。

これからあの男をどうしようか考えながら処置室を出て待合室の長椅子に腰掛けた。あそこまで重傷を負わされ他の人間信じるかどうかだ。希少民族である倭民族が始めから他者を信じるとは到底思えないのだが、とにかくその存在故に命を狙われる以上どこかで匿ってやらないといけない。
煙草に火を付け、吸い込む。
「どうすりゃいいっていうんだよ。妙な仕事引き受けちまったもんだな。シルドの奴」 
独り言と共に、煙草の煙を思い切り吐き出した。
「ここは禁煙よ。しかもそれ、すっっっごい臭い。‥‥‥まぁ、イオ君にはわかんないだろうけどね」
「終わったか。で、容態は?」
ミズノの注意を無視して問いながら、処置室に入る。
ミズノの表情は相変わらず医師の表情である。いつもの実験台を見るなんとも変態くさい表情ではない。まったく、いつもこれだったらいい女なのに。
「生きているのが不思議なくらいよ。意識が戻るまでは何とも言えないけど、今夜が山でしょうね。で、これから彼をどうするの?重傷な上に、ましてや希少民族よ。大きな街の病院に移すわけにも行かないし」
ミズノのボヤキを聞きながら、しばらくベットで眠る意識のない男をぼんやりと眺めていた。
「確かに。そんなことしたら一気に大事件だな。マスコミに警察、犯人が狩りそこないを奪いに来るかも・・・。とりあえずここに置いといてくれないか?あとは、俺がなんとかするから。ちょっと、仕事を済ましてくる。何かあったら」
「通信コードNo.100にアクセスすればいいんでしょ。言われなくたってわかってるわよ。まったくいつになったらケータイの番号教えてくれるのよ?」 
「お前、事務所の番号教えたときのこと忘れたのか?ひたすら実験材料になれって脅迫電話かけてくる奴にケータイの番号なんて教えられるか。ま、とにかくそいつ頼んだぞ」
俺はゴムで小さく束ねた紙幣をミズノに投げた。

向かうは、シルドの店。酒屋〈龍弾ドラガン〉。
店の扉を壊れんとばかりに蹴り、カウンターで居眠りフリーズモードにしていたシルドにむかって現像をしてきた写真をたたき付けた。
カウンターの振動に驚き、起きたシルドは椅子から転げ落ちる。そして、写真に一通り目を通し言った。
「七体、か。まさかこれほどのものとはな。やっぱり、断って〈軍事機械警察マシン〉に行かせるべきだったな。まさか全滅とか言わないよな?」
肘をついたままの俺は、首を横に振り、否定する。
「生き残りが見つかった。・・・だが、お前にも、もちろん軍にも引き渡すつもりはない」
「なに?」
シルドは生き残りがいたことも、俺がその生き残りを引き渡すつもりがないことにも驚いているようだ。
「どういう事だ?」
「それは、どうして生き残りがいるのか?なのか、どうして生き残りを引き渡さないんだ?なのか、どっちを聞いている?」
シルドは俺の質問に呆れたような顔をしていた。
「後者の方だ。どいうつもりなんだ?」
「シルド。あんた言ったよな?『死体の写真か、死体そのものを持ってこい』ってさ。生き残りを連れてこいなんて一言も言っていない。ましてや、生き残りはいないとまで言ったんだ。俺の仕事は言われたことはするが、それ以上はやらない。あんたなら知ってる筈だろ?」
シルドは言葉に詰まった。図星をつかれたかのようにも見える。そんなシルドを見て、俺は笑った。何が不満なんだか。機械の癖に。
「なぁに、虫の息だったからな。死んじまったらもってってやるよ」
「‥‥‥報酬は?」
生き残りは諦めた。シルドはそんな顔をしていた。
「今度でいい。そのかわり、警察マンには」
「言うなってんだろ。わかってるよ。・・・でもお前、なんで自分から面倒事に巻き込まれるような事してるんだ?倭民族を匿ってる事がもし政府にばれでもしたらどうなるか」
正面の酒の棚の硝子戸に写った俺は自分でわからないほど自然に、なんとも愉しそうに笑っていた。
「何もない今の世界に魅力がないからさ。それに―――」
ポケットの端末が震えた。ケータイとは違う。連絡コード、ミズノだ。
「悪いシルド。この話はまた今度な」
引き留めるシルドの手を振り払い、店を後にした。

『お前、なんで自分から面倒事に巻き込まれるような事してんだ?』

走っている途中に、シルドの言葉が頭を過ぎった。
「さぁ、なんでかな?」
運動機能のリミッターをはずし、跳躍力を上げ、地面を蹴った。コンクリ屋根の倉庫に着地した俺は、再び屋根伝いに走った。
「でも、生ける都市伝説を拾ったんだ。今、こんな世界が魅力的に見えないわけがないだろ?」
結局俺自身、自分が1番可愛いのだ。

「起きたか?」
建て付けの悪い扉を足で蹴り、部屋へと入る。
「まだ。でも、呼吸が調ってきたから、もうすぐ起きると思うわ。ほんと、とんでもない生命力。私の診断じゃ三日は眠ってる筈よ」
「そりゃ、名医もびっくりだな」
俺は、男の顔を覗き込んだ。よく見れば、整った顔をしている。血の気が戻っても肌はとても白い。女ほどではないが、綺麗な顔だ。いわゆる美形というやつなんだろう。
「ん‥‥‥」
声と共に瞼がぴくりと動き、やがてゆっくりと開いていった。
「大丈夫か?」
「ここは、地獄、か?」
キョロキョロと視線を泳がせた美顔の第一声に俺は拍子抜けし、思わず笑う。
「いや、違う。ベルヘムのヤブ医者の診療所だ」
ミズノが尻を叩く。
「じゃあ、僕は生きているのか。・・・・あんたは?」
「ああ、おめでたいことにな。俺はイオ。なんでも屋だ。恩着せがましく言うならあんたの命の恩人ってやつだ、倭民族さん。・・・おっと、そんなに警戒すんなって。俺は別にあんたの髪や目玉が欲しいわけじゃない」
しかし、それでも弱っていたはずの男は毛を逆立てた猫のように俺を敵視している。まあ無理もない。その髪と瞳目当てで今までもたくさんの仲間を失い、こそこそと隠れて生活していたのだろうから。
「まぁいい。お前が俺を信じるのか信じないのかはお前の勝手だ。だがな、俺を信じないっていうなら、もう片方の目玉が無くなるのは時間の問題だ。そんな身体だ。放り出されたら一発で餌食だろうよ」
男は残った左目で真っすぐ俺を見据えた。俺の方が反らしたくなるような強いまなざし。闘争心むき出しのいい目をしている。強い意志。他者への怯えはあまりないようだ。男はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「イオ。あんたずいぶん卑怯な奴だな。だが、身体が全く動かない今はあんたを信じるしかないみたいだ」
そういう男の目には疑いの光はなかった。
「いい判断だよ。で、お前、名前は?いつまでも倭民族なんて呼ばれたくないだろ?」
男は、俺の質問に驚いているように見えた。
まるで思わぬ問いをされたみたいに左目を見開いていた。名前を聞くなんて当たり前のことなのに。
「な、まえ?‥‥‥っっ」
「どうした?」
名前。
そう言った途端に、男は右目を押さえて、苦しむようにしてうずくまった。


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