うたかた

雀野

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それから俺は、母の存在や自身の過去を全て話した。しかし、兄さんはそれを知っても決して俺を外の人間や余所者などと蔑まなかった。それどころか、むしろ《倭家》の外の世界を知っている俺を羨ましいと言ったのだ。
兄さんは叔父が言ったように生まれつき病弱で駿河の力を受け継いではいたが力を使いこなせない程に弱っている。そのせいで力を暴走させ百合に怪我をさせたこともあるという。以降病状の悪化を理由に年功序列というルールを破り百合が正式な後継者となったことからその存在を隠され離れから出ることを禁じられた。叔父が俺に言った決して人目についてはいけないと言うのはそういう意味なのだ。
駿河家に不要な人間など一人もいるわけがないという愚かな見栄。だが、兄さんはとても賢く俺の知らない沢山の事を知っていた。勉学から世の中のことまで幅広く、俺に色々なことを教えてくれるそんな日々。中でも《言霊師》の力にとって重要な存在である言葉についてはとてもその知識に長けていた。これ以上妹を傷つけまいと独自に学んだ心をコントロールする詩や、短い言葉で力を産み出す様々な言葉を俺に教えてくれた。
『譲は創造力が豊かだからね。きっと簡単な言葉でも力が働く。まず、信じることが大事だよ。信じればきっと《倭家》の神様は力を貸してくれる』
当時まだ力を継ぐことなど夢にも思っていなかった俺だったが兄さんはそう言って一つずつ言葉を唱えていた。俺も続く。そうすれば、少しずつ強くなれる気がしたから。

『馬鹿みたい。言葉ばっかり覚えたって使えなかったら意味ないじゃない』
『そんなことない!百合は何もわかってへん』
そのお陰か次第に初め遠慮がちになり何も言えなかった百合とも度々衝突することになる。その度に叔父や叔母にひどく叱られたが、兄さんの存在が俺を少しずつ変えていったのだ。
だが、駿河家へ入り、兄さんの世話係となってからひとつ季節を越えた頃、兄さんは更に体調を崩すことが多くなった。
言葉を発することもできないほど乾いた咳が止まらず、物を口にすれば吐き出すという日々。医師を頻繁に通わすわけにはいかないと治療も最低限だ。俺は、できる限り兄さんに尽くそうと躍起になっていた。
だからだろう。《倭家》の最低限の人間しか知らなかった兄さんや俺の存在が次第に明らかとなっていったのだ。

初めは近所の子供たちの噂話だった。
『駿河の家にはお化けがいる』『夜な夜な唄をうたっている』と。

『謙。もうお前は離れへ行くな』
噂が俺の耳にも届き初めていた頃、叔父は出掛けた百合と叔母を見送った後で吐き捨てるように俺に言った。
『で、でも、兄さんは‥‥』
『《老》方に相談して《倭家》から出す。百合や私たちにとっても‥‥それが最善だ』
冷たい瞳。
それは、俺がこの家を訪れ、最初に兄さんの話を聞いたときと全く同じ目だった。
『‥‥んだよ』
『譲?』
『最善ってなんだよ!』

――――し、ま。
何だ?

『自分の子供の存在を無かったことにするのが最善なわけないやろ!』

―――志摩。 
五月蠅い。黙れ。

『兄さんだって好きであんな体に生まれたんじゃない!』

―――――志摩譲。
‥‥誰だ?
俺の名前を呼ぶのは誰だ?

『それなのに、親のあんたがそれを許してやらなくてどうするんだよ!』

―――――力がほしいか?兄を、「家族」を守る力が、ほしいか?

‥‥‥欲しい。いや、俺に力をよこせ!

『そんな、そんな気持ちしか持てないならいっそ――――』

―――――ふ‥‥いいだろう。さあ、守ってみせろ。志摩譲。

『いっそ、【消えればいい!】』

パリィィィン‥‥‥。

俺が叫んだのと同時に叔父の背後のガラス戸が弾けた。
『なっ‥‥!』
『譲!まさか。力が』
叔父の驚愕の表情に俺もその可能性を示唆した。無我夢中の中、一瞬見えた白昼夢。それが俺に力を与えた。
しかし、まさかありえない。兄の言葉を信じたいとは思うがそれは万が一でもありえないはずだった。
『力が使えるのか!』
叔父はすさまじい力で俺の両肩をつかみ揺さぶった。その顔は、信じがたいという顔というよりは半ば怒りにも似た顔だった。
『わ、わからない。お、俺‥‥‥』
『み、認めん。そんなこと、絶対に認めんぞ!―――【霊翁れいおう】』
怒りに震えた叔父の回りを冷たい空気が包み込む。そして叫ぶように言葉を唱えた。すると、甲冑を纏い、大刀を抱えた翁が姿を表した。かつて世に存在した人間の霊体を使役する駿河家の力だ。
俺はすぐさま身の危険を察知し、叔父の両手を振り払って走った。
『待て!』
『はっ、はっ、はっ、に、さん‥‥‥』
どうして?
どうして?
どうして?
どうして?と、ただ答えのない問いを唱えながら俺は屋敷を走った。
どうして叔父は俺を殺そうとするのか?
そもそも、どうして力が使えたのか?
――――信じればきっと《倭家》の神様は力を貸してくれる。
兄さんの言葉が脳裏をよぎった。
信じたから?信じたから神様とやらは俺に力を貸してくれたというのか。
それなら‥‥。
『っ‥‥』
庭に出た俺は、足を止めて振り返った。青白く不気味に光る翁は大刀を振るい俺に襲いかかる。
『観念したか。いいぞ霊翁、【そのまま殺せ!】』
叔父の狂った叫び声が響き渡った。
『誰が、観念したって?』
―――いいかい、譲。力は決して人を傷付ける為にあるんじゃない。だから、言葉を唱える時は相手を傷付ける為じゃなく、自分や大切な人を守る為に唱えるんだ。
俺は、兄さんの言葉を頭で何度も思い浮かべた。大丈夫。大丈夫。俺なら出来る。

兄さんを守る為に――――

『――――【吹き飛べ!】』
言葉を唱えた刹那、風の壁が俺と翁の間に現れた。その風は翁の刀をもろともせず、むしろ翁を煙のように吹き飛ばしてしまった。呻き声のような断末魔と共に翁は消えた。
『や、やった』
『くっ、蓮か。余計な知恵を‥‥‥仕方ない』
血が滲むほどに唇を噛み締めていた叔父は俺とは間反対のほうを向き右手を伸ばした。それは、庭の反対側。兄さんのいる離れの方角。
『ま、まさか!』
『くく、行け――――【霊将】』
『兄さんっ!』
叔父は兄さんを殺す気だ。
俺は裏口を走り抜け、叔父が呼び出した霊体馬に跨る武将を追いかけた。
凄まじい破壊音は俺が離れへたどり着いてほぼ同時に起きた。中に生きた人間がいることなどまるで気にしないと言うように霊体は倉の解体を続けた。
『や、やめろ‥‥。やめろぉぉぉ!』
俺は必死に叫びながら壊されていく離れへと飛び込んだ。
『兄さんっ!』
『ゆ、譲。何が起きてるんだ?』
幸い部屋が地下にあるためか、兄さんは無事だった。ただ、頭上の轟音は激しさを増し、天井の土が振動に合わせてパラパラと降り注いでいた。
『叔父さんが‥‥ここも時期に崩れる。とにかく逃げよう、兄さん。兄さんは‥‥こんなとこにおったらあかん』
自身の父親が息子を殺そうとしている。
そんなこと優しい兄さんにはとてもじゃないが言い出せなかった。
『お、俺、力が使えるようになったんだ。兄さんのお陰で。これで、俺も《倭家》で一人の人間として扱ってもらえる。これで、兄さんを守れるから。やから‥‥』
言葉に詰まった俺を兄さんは優しく抱き締めた。そうして、ようやく俺は自分自身が恐怖していることに気づく。叔父の力に。自身の力に。
『そうか。神様はやっぱり譲を見捨てていなかったんだね。よかった。‥‥そうだね、僕も譲と生きたいよ』
『兄さん‥‥‥』
『そうはさせるか』
立つことすらままならない兄さんの肩に腕を回したとき、その声は突然飛び込んできた。いつの間にか破壊音は止んでいた。土埃に汚れた顔や服、乱れた髪、血走った瞳。その姿は気高いプライドを持ち常に余裕を持った駿河の当主とは思えない姿だった。
『辰夫、さん?』
『蓮、譲。お前ら化け物はここで死んでもらう。志摩の。お前の父の財産を手にするのは、私だ。駿河家の未来を守る為にな―――【霊将】』
霊体の持つ刀の切っ先は真っ直ぐ兄さんに向かっていった。
『兄さんっっ!―――【とまれ】ぇぇぇっ!』
俺は兄さんを突飛ばし、風の壁を纏った。しかし、今度は霊体が吹き飛ばされることはなく、そのまま刀を押し込まれた。
『その力。志摩の小僧と生き写しだな。まったく忌々しい‥‥‥。お前さえ現れなければ小僧の莫大な財産は俺達のものになるというのに!お前さえ現れなければっっ!』
ザンッッッ――――
『っっ、あぁぁぁぁぁ!』
叔父の言葉に反応したように武将は力を増し、刀を降り下ろした。避けきれないままに風の壁と共に俺の脇腹を切り裂いた。
『譲っ!』
『はは、付け焼き刃でどうにかなるほど駿河家の力は弱くない。せめてもの慈悲だ。大好きな兄さんと一緒に送ってやる』
兄さんを振り返り、叔父が右手を振り上げると同時に武将もまたその鋭い刃を振り上げた。
『っ、あ‥‥‥めろ、やめ』
言葉がうまく紡げない。傷口が熱い、熱い。血が止まらない、寒い。
俺は兄さんを守らなきゃいけないのに。その為に今日まで様々な苦痛に耐えてきたのに。
どうして、こんなときに身体が動かないんだ。
『っ‥‥』
絶望と諦めを含み朦朧とする意識の中で、突然俺の視界に影が射した。
『‥‥何のつもりだ?蓮』
それは、ふらつきながらも俺の前に立ち塞がり、両手を広げた兄さんだった。
『に、さん』
『辰夫さん、いえ、父さん。‥‥‥あなたは愚かだ』
しかし、覚束無い足とは裏腹にその言葉には強い力が感じられた。頭に直接響くような言葉だった。
『何?』
『この子の、譲の父の財産の為。貴方はそう言いましたね?そんな物のために貴方は幼い子供を不幸にするつもりなんですか?確かに、《倭家》の掟に従えば力を持たない譲にはそれを受け取る権利はなかった。しかし、たった今その権利をこの子は得ました。そうなったら殺すなんて、それを愚かと言わず何と言うんですか!』
今まで聞いたこともないような声量で叫ぶ自身の息子の言葉に叔父は微量ながら怯む。だが、それは沸々と沸き上がる怒りへと変貌した。冷たい瞳はもはや父親のそれではない。
『黙れ!この出来損ないが。お前には私に意見する権利など、そもそも言葉を交わす権利すらない!そこをどけ!』
『嫌です!この子は、僕の希望です。弱かった僕の。だから、譲は絶対に殺させはしません。僕の命に変えても』
そうか、と、叔父は一瞬表情を緩めた。叔父には息子を手に掛ける事への躊躇いはない。
『‥‥っ、だめ、だ。に、さ。逃げて、お願い、やから。‥‥叔父さんっ、本、気だ。お願、い。兄さん』
ずるずると匍匐前進で兄さんに寄るが、その存在がまるで遠くにあるように届かない。俺はただ切れ切れの声を紡ぐことしかできなかった。
お願いだから。死なないでくれ。と。
『―――――いけ、霊将』
叔父の声が静かに響いた。

『ごめん、譲。‥‥‥お前は、生きるんだ』
『に、さん‥‥』
『――――さあ、いこうか【騎士】よ』

兄さんが振り返って笑った。
そして、言葉を唱えたのと、叔父が手を降り下ろしたのはほぼ同時だった。

『―――――兄さぁぁぁぁぁぁぁん!』

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