3 / 11
参
しおりを挟む「―――‥‥よ。呼吸も安定してるし、心拍数も落ち着いたわ。陽君に任せて正解だった。ありがとう。あ、無月。満月の薬ももうすぐ切れる頃よ。行ってあげなさい。目が覚めて貴方がいないんじゃ彼女も不安がるでしょう?」
まだぼやけたままの視界。墓場ではないことを鼻を突いた薬品の臭いと凛と響くような美しい女性の声が示していた。優しい声色。どこか懐かしいと感じるのは昔からよく世話になったからか、はたまた。
「ああ、わかった」
無月の足音だろうか、返事と共に遠退いていった。
「‥‥‥相変わらず優しいな、瑠璃姉ちゃん」
「志摩殿!」
まだふらつく身体を起こすと、日向が飛び込むように振り返った。頬には大きなガーゼが貼られている。隣では白衣を纏った美女、瑠璃姉ちゃんこと遠江瑠璃がそれに向かって困ったように笑っていた。彼女は《倭家》の主治医にして、陸奥家の当主。陸奥は彼女の旧姓である。今となっては遠江家に嫁に入った身であるが、《倭家》は姓や戸籍より力が優先される。陸奥家の力は【召喚術】。《倭家》によって封じられた式神を呼び出し使役する。使役力は使用者の精神力の強さと言われている。召喚術は特殊であるため、遺伝の確率が極めて低い。実際、彼女の兄である親父――陸奥隆信は力を受け継ぐことはなかった。
だからこそ陸奥の力を今唯一継いでいる瑠璃が姓は違えど当主を勤めている。有事があれば『陸奥家』として彼女は仕事を成すのだ。『遠江』を名乗るのは彼女の強い希望だったという。
それは陸奥家が一時の壱列目にある家だからこそ許されていることである。
「体調はどう?譲君」
「あぁ、大丈夫。ありがとう」
本来であるなら彼女は大きな病院でも十分活躍できるほどの名医であるのだが《倭家》のしきたり上それは許されない。
はるか昔より、閉鎖的な一族であり特に《言霊師》の血を外に出すことを嫌った《倭家》。それに倣い俺の父親が生まれるよりももっと前、かつての《うたかた》は、一歩《倭家》から出るにのも数々の審査や学力を必要とする制度を設けた。《倭家》には高校がない。つまり進学を希望する者はまずその審査をクリアする必要がある。中学を出る段階で並みの高卒以上の学力を得ることは出来るがその審査がとにかく厳しい。それほどまでに外に血を出すことを嫌い恐れている。しかし、それ故にいざ外へ出れば世の権力者にこの血が多く絡んでいくのだ。
彼女はそれをクリアし、高校、大学へ進学。医学部を首席で卒業。医師免許を手にし、《倭家》の主治医として戻り陸奥家当主の二足の草鞋を履いている。。
昔からよく世話になった。本当の姉のような人だ。
「そう、よかった。でも、お礼なら陽君にしなさい」
瑠璃が日向に目をやると、その気配に気づいたのか照れ臭そうに頭をかきながら日向は笑った。俺は思わず頬の絆創膏やガーゼに触れていた。
「そうやな。ありがとう、日向。あと、ごめん。その顔」
「志摩殿‥‥」
日向は何も言わず首を横に振っただけだった。
記憶のフラッシュバック。
大切なものをなくした過去の記憶。多量の血に沈んで侵されていくような感覚は昔に忘れたと思っていた、いや、忘れようとしていたものだった。松前の死体を見つけたとき俺は恐かった。ただ純粋に。幼すぎて何も出来なかった自分が甦り、いずれ周りの皆を失ってしまうのではないかという言い様のない不安だけがそこにあった。
「しょっちゅう喧嘩しとるような奴がまさか血が苦手とは思わんかったわ」
部屋の入り口を振り返ると、無月がからかい口調であったにも関わらず神妙な面持ちで腕を組んで立っていた。奴は俺の過去を詳しくは知らない。だから血が苦手、そういうことになっているらしい。
「満月は?」
「誰かさんとおんなじじゃ。まあ、あんなん見てまったら誰でもああなるんが普通じゃろうな。目は覚めとる、もうじき来るじゃろ」
「そうか‥‥」
―――お前は?
そんな意を込めて無月を見れば自嘲するような苦笑いを浮かべるだけだった。無月は、強い男だ。力もそうだが、精神的にも。
「それより、瑠璃の姉貴。こんな大ごとになってしもてんのに警察呼ばへんってどういうことなんじゃ?」
無月は表情を一変させ、瑠璃を鋭い目付きで睨み付けた。
「まったく、耳が早いわね」
瑠璃は苛立ったように長い髪をくしゃりと掻いた。知られたくなかったと言う顔だ。
「それ、どういうこと?」
「《老》方の命よ。明らかに他殺体だし、警察に頼るのが懸命だって私だって何度も言ったんだけど。外部の人間には関係ないことの一点張りよ」
《倭家》には警察や弁護士など国の法に直接関わる組織がない。警察になるにあたっては素性を徹底的に調べ上げられる。それを恐れてというのが一つ。そして、たとえ罪人が現れても捕え、罰する権限が《うたかた》(不在時には《老》)にある為必要ない、という考えである、らしい。だが、このような人の死に俺は決断を下せる自信がなかった。そもそも犯人は見つかってもいないのだ。
「その通り。これは《倭家》の問題だからね。あと、この件を他者に公言することも、ましてや葬儀の類を執り行う事一切禁止と言う決定だよ」
気配なく現れた壱岐は、扉に寄りかかり無情な言葉を紡いだ。俺は思わずベッドから飛び降り、壱岐の胸ぐらをつかみあげていた。
「譲君っ!」
「おい、どういうことや壱岐。おやっさんはあんな無残に殺された上に弔うことも許されへんって言うんか?」
「僕が言っている訳じゃない。僕は《老》の言葉をそのまま伝えただけだ。あと、《老》から当主へ伝言だ‥‥『逆らえるものなら逆らってみろ。いつまでも未熟なお山の大将気取りのお前に何が出来るか見物じゃよ』だそうだ」
壱岐の言葉にさらに頭に血が昇るが、こいつの言う通り。壱岐は《老》付き。《老》共の代弁者だ。《老》の言葉をそのまま伝えるだけだ。こいつに非はない。
「はっ、《うたかた》相手にエライ口叩いてくれるな」
「‥‥守護神が呼び出せなければ、《老》方がお前を認めることはないだろうな。なにせ《うたかた》という証明がない」
だがこれは、紛れもなく壱岐の言葉だった。そうだ。結局のところ俺が《うたかた》だと言う証拠はどこにもない。《証》という名の印が体に刻まれてはいるが、ただ声を聞いただけ。俺の名を呼ぶ神の声。神無月の神の声を聞いたのはあの日一度だけだ。
「くそ。いや、でも、俺が直接葬儀屋に掛け合えば‥‥‥‥っ!」
言って思い出す。《倭家》の葬儀全般を請け負っていたのが、松前家。今回の被害者である松前本人あると言うことを。そして、いつも行動を共にしている武蔵が今日に限っていないと言うことを。
「亡くなった人の家族が葬儀を拒否すればする必要もないだろ?」
壱岐は胸倉を捕まれたまま唇の両端をニヤリと吊り上げた。滅多に見せない表情に微かな悪寒。
「てめー、根回ししやがったな。それほどおやっさんのことを皆に知られたくない秘密でもあるって訳か。こりゃ、老人ホームの爺共を失脚させるいい機会みたいやな」
「‥‥そう思うのはお前の勝手だ」
壱岐はいつもの無表情に戻っていた。
「なら勝手にさせてもらう。日向、無月。行くぞ」
悪態をつきながら壱岐を突き飛ばし、ハンガーにかかった上着を引ったくる。背後で足音が二つ。二人の無言の肯定を感じ、足を進めた。
「ちょっと、譲君!貴方達まさか老閣に言って直談判する訳じゃないわよね?壱岐君の言う通り、いくら《うたかた》と名乗っていても《守護神》を呼び出せていない貴方の権力は絶対じゃないのよ!」
瑠璃の叫びに似た言葉に足を止める。しかし、振り返っただけ。彼女に言葉は返さなかった。今何を言ったところで彼女に心配をかけることに代わりはない。その代わり、壱岐を見る。
「なあ、壱岐。お前はどう思うん?爺の言葉じゃなく、お前の言葉を俺は聞きたい」
「‥‥‥僕は、《老》に従うまで。ただ、彼等も僕にとって絶対的な存在ではないよ」
「そっか。ありがと。じゃあな」
瑠璃の制止を無視して部屋を後にした。
診療所の広い廊下へ出ると、そこには満月の心配そうな、泣き出しそうな顔と、出雲の呆れたような顔があった。
「扉くらい閉めて話せ。丸聞こえだったぞ」
「志摩、本当に老閣へ?私‥‥‥」
満月が《老》を好んでいないことは知っている。かつて俺や無月に耐えられた《老》の暴言も罵りも、存在の否定もこの一人の少女にとっても大きな傷になっている。俺は、満月の頭をくしゃりと撫でた。
「安心しろ。あんな爺共に直談判する気はない。俺は俺のやり方でやったる。俺らが今から行くんは、松前家や」
全員が思わぬ名前に驚愕の表情を浮かべる。さっきのやり取りなら真っ先に老閣へ乗り込むと誰もが思ったはずだ。
「ちょ、ちょっと待て。まさか遺族に直談判しようって言うのか?《老》には松前家のかつての当主もいる。そんなに簡単にこちらに従うとは思えない」
「それがな、思えるんだよ出雲。
あそこの長男が受け継いだのは長門。母方の姓や。次の世代におらん以上あの家にはもう言霊師としての松前家跡継ぎはおらん。つまり、当主権限を持つ松前の人間はおらんっつーわけや。《老》の圧力に屈する必要はない。それに、葬儀屋として跡を継ぐのは姓が変わる長男には不可能やからおそらく妹の美琴が継がざるを得なくなるはず。運がいいことにあの子は俺の数少ない理解者でな。おまけに賢い子やから」
父親の死の真相、葬儀を行うことを許されない理由を知りたがる、か。と、出雲が俺の言葉を次いだ。
「《倭家》独特の跡継ぎの制度が裏目に出ると?しかし、志摩殿。無理にでも葬儀を行う理由がどうも私には」
日向は眉をしかめた。何も出て来なかったあとの俺が心配だと表情が言っている。わかりやすい男だ。
「心配か?まあ、何も出てこんだら出てこんだでしゃあない。でもな、立場が上ってだけの人間に肉親の弔いを許されやんのはやっぱりおかしいと思わん?俺は、《うたかた》としてまだ役たたずかもしれやんけど、そんな理不尽だけはとっぱらったらなあかんって思っとるんや。せっかくそれが出来る力が一応、あるんやから」
一応、を強調する。言って皆の顔を見回せば、反対の意を示す表情はない。俺は、黙って頷き踵を返した。松前家は診療所からそう遠くはない。
「なあ、日向の兄貴。あいつなんだかんだ言って時々ちゃんと自分の役目を果たそうしてると思わんか?」
「そうだな。お前みたいに認めてくれる人間がいるからこそ、彼は頑張れるんだよ。喧嘩ばかりせずにそうやって認めてあげなさい」
「‥‥考えといちゃるわ」
俺達の一歩後ろで日向は照れ隠しなのか、顔をそらせた無月に向かってにっこりと笑い、栗色の髪をくしゃりと撫でた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
RIGHT MEMORIZE 〜僕らを轢いてくソラ
neonevi
ファンタジー
運命に連れられるのはいつも望まない場所で、僕たちに解るのは引力みたいな君との今だけ。
※この作品は小説家になろうにも掲載されています
アストルムクロニカ-箱庭幻想譚-(挿し絵有り)
くまのこ
ファンタジー
これは、此処ではない場所と今ではない時代の御伽話。
滅びゆく世界から逃れてきた放浪者たちと、楽園に住む者たち。
二つの異なる世界が混じり合い新しい世界が生まれた。
そこで起きる、数多の国や文明の興亡と、それを眺める者たちの物語。
「彼」が目覚めたのは見知らぬ村の老夫婦の家だった。
過去の記憶を持たぬ「彼」は「フェリクス」と名付けられた。
優しい老夫婦から息子同然に可愛がられ、彼は村で平穏な生活を送っていた。
しかし、身に覚えのない罪を着せられたことを切っ掛けに村を出たフェリクスを待っていたのは、想像もしていなかった悲しみと、苦難の道だった。
自らが何者かを探るフェリクスが、信頼できる仲間と愛する人を得て、真実に辿り着くまで。
完結済み。ハッピーエンドです。
※7話以降でサブタイトルに「◆」が付いているものは、主人公以外のキャラクター視点のエピソードです※
※詳細なバトル描写などが出てくる可能性がある為、保険としてR-15設定しました※
※昔から脳内で温めていた世界観を形にしてみることにしました※
※あくまで御伽話です※
※固有名詞や人名などは、現代日本でも分かりやすいように翻訳したものもありますので御了承ください※
※この作品は「ノベルアッププラス」様、「カクヨム」様、「小説家になろう」様でも掲載しています※
あの夕方を、もう一度
秋澤えで
ファンタジー
海洋に浮かび隔絶された島国、メタンプシコーズ王国。かつて豊かで恵まれた国であった。しかし天災に見舞われ太平は乱れ始める。この国では二度、革命戦争が起こった。
二度目の革命戦争、革命軍総長メンテ・エスペランサの公開処刑が行われることに。革命軍は王都へなだれ込み、総長の奪還に向かう。しかし奮闘するも敵わず、革命軍副長アルマ・ベルネットの前でメンテは首を落とされてしまう。そしてアルマもまた、王国軍大将によって斬首される。
だがアルマが気が付くと何故か自身の故郷にいた。わけもわからず茫然とするが、海面に映る自分の姿を見て自身が革命戦争の18年前にいることに気が付く。
友人であり、恩人であったメンテを助け出すために、アルマは王国軍軍人として二度目の人生を歩み始める。
全てはあの日の、あの一瞬のために
元革命軍アルマ・ベルネットのやり直しファンタジー戦記
小説家になろうにて「あの夕方を、もう一度」として投稿した物を一人称に書き換えたものです。
9月末まで毎日投稿になります。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

スキル:浮遊都市 がチートすぎて使えない。
赤木 咲夜
ファンタジー
世界に30個のダンジョンができ、世界中の人が一人一つスキルを手に入れた。
そのスキルで使える能力は一つとは限らないし、そもそもそのスキルが固有であるとも限らない。
変身スキル(ドラゴン)、召喚スキル、鍛冶スキルのような異世界のようなスキルもあれば、翻訳スキル、記憶スキルのように努力すれば同じことができそうなスキルまで無数にある。
魔法スキルのように魔力とレベルに影響されるスキルもあれば、絶対切断スキルのようにレベルも魔力も関係ないスキルもある。
すべては気まぐれに決めた神の気分
新たな世界競争に翻弄される国、次々と変わる制度や法律、スキルおかげで転職でき、スキルのせいで地位を追われる。
そんななか16歳の青年は世界に一つだけしかない、超チートスキルを手に入れる。
不定期です。章が終わるまで、設定変更で細かい変更をすることがあります。

拝啓、あなた方が荒らした大地を修復しているのは……僕たちです!
FOX4
ファンタジー
王都は整備局に就職したピートマック・ウィザースプーン(19歳)は、勇者御一行、魔王軍の方々が起こす戦闘で荒れ果てた大地を、上司になじられながらも修復に勤しむ。平地の行き届いた生活を得るために、本日も勤労。
スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる