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(27)先輩と私の距離:10
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私は大きく口を開け、無言で兄を見つめる。
こういった反応になっても、それは仕方がないだろう。
どこの世界に実の兄がレインボーの全身タイツに身を包み、巨大なアフロヘア―で登場しても驚かない人がいるというのか。
めったなことでは動じない先輩でさえ、この兄の登場にはポカンとしている。
しかし、脳筋の兄は私たちの反応を深く受け止めることはなく、ウキウキとした足取りでリビングに入ってきた。
私たちの対面に立った兄は、脚を肩幅に開き、腕を後ろに組む。まるで、これから応援合戦を始める応援団員のようだ。……格好は売れないピエロのようだが。
相変らず呆けている私たちにかまうことなく、兄が口を開いた。
「真知子、そして、鮫尾君。勉強、お疲れさん。君たちへの労いとして、ダンスを披露しようと思う」
――労ってくれるなら、むしろ放っておいてほしいんだけど。
私は顔を引きつらせながら心の中で呟く。
この兄のパフォーマンスに付き合うほうが、かえって疲労が蓄積するのは間違いない。
帰宅した際、兄が出てきただけでもげっそりしたものだ。それがダンス付きとなったら、気力が底を尽きそうである。
「あ、あの、お兄ちゃん、先輩、もう帰るし……。そ、そうですよね、先輩、忙しいですもんね?」
隣に座る先輩に声をかけたら、緩やかに首を横に振られた。
「いや。この後の予定はないから、もっとチコと一緒にいたい」
――空気を読めーーーーー!
私は心の中で怒号を飛ばす。
ギロリと睨み付けるものの、先輩はその程度では怯まない。
それどころか、嬉しそうに目を細めた。
「そんなに見つめられたら、ちょっと照れるな」
――そうだ。先輩の思考回路って、勉強以外ではポンコツだったんだ。
救いの道が絶たれたことで私の気力が一気に減り、瀕死状態に陥る。
いや、道がないなら、自分で切り開くしかないのだ。
私はなけなしの気力を振り絞り、先輩に話しかける。
「このままだと、兄の意味不明なパフォーマンスを見せられることになるんですよ? それでもいいんですか?」
ヒソヒソと話しかけたら、先輩が視線を伏せて考え込む素振りを見せた。
ちなみに、兄はなにやら手足を動かし、「ここのキレがいまいちだな」と言っている。
そんな兄は視界から追い出し、私は再度先輩に話しかけた。
「まったくもって、無駄な時間でしかありません。見たところで、先輩の人生にはなんの得にもならないんですよ?」
そこで、なにやら考え込んでいた先輩が私を見る。
「いや、やはりお義兄さんは俺を試しているんだ。お義兄さんなりに、親戚付き合いをうまく乗り切る方法を教えてくれようとしているんだよ」
――なに、そのポジティブシンキング。
私はまたしても唖然となる。
しかし、残された時間は少なく、呆けている場合ではないのだ。
それに、兄と先輩が親戚になる可能性はゼロなのだ。なにしろ私は、先輩と結婚するどころか、お付き合いするつもりもないのだから。
「せ、先輩、なにを言ってるんですか? あの兄と親戚になったら、確実に先輩の人生の汚点になりますよ! 私は身内なので兄との関係は切れませんが、先輩は自分から兄と関わらないほうが身のためです! ですから、一刻も早くお帰りください!」
私は必死になって説得を試みる。
後輩と先輩という関係以上のものを築くつもりはないのはもちろんのこと、頭も見た目もよくて、この先は順風な人生が待っているであろう先輩を、脳筋な兄の暴走人生に巻き込ませたくない。
ところが、先輩は首を縦に振ってくれなかった。
「やっと、チコとの距離が縮まってきたのに。これでチコと離れるなんて、絶対に嫌だ」
先輩はズイッと身を乗り出し、真剣な声で私に告げる。
私は思わず背を反らし、先輩と距離を取った。
「い、いえ、ですから……、別に、私と距離と縮める必要は……」
しどろもどろになって答える私に、先輩はなおもズイッと身を乗り出す。
「必要は、ある。だって、チコと俺は結婚するんだから」
先輩は私の目を見つめ、キリッとした顔でそう言った。
しかし、どんなに真剣な顔で言われても、意味不明なことは受け入れがたい。
――兄も手強いけど、先輩も手強いよぉ! っていうか、なんでそんなに結婚にこだわるの!?
私をからかうのなら、ちょっとだけ恋人の振りをしたらいいだけだ。
それとも、『結婚』の二文字をちらつかせたら、よりいっそう私が引っ掛かるとでも思っているのだろうか。
そして浮かれた私が調子に乗り、その結果、先輩を狙っている美人さん&美少女さんたちから総攻撃を食らえばいいと考えているのだろうか。
その線は、ありえるかもしれない。
なにしろ、学校を出て家に着くまで、攻撃的な言葉と視線を実際に浴びせられたのだから。
だとしたら、一刻も早く先輩を家から追い出し、今後一切、先輩と関わらないようにするしかない。
もう少しすると、部活を終えた学生が帰宅時間を迎える。
私の家の近所にも高校生は多いので、その人たちに私の家から出てくる先輩を目撃されたら、私の人生が終わる。
「先輩、お願いですから、今日のところは……」
と、私が言ったところで、ふいに音楽が流れてきた。
それは一時期大流行りした男性ダンスグループの曲だった。
その曲に合わせ、兄が「呪いでもかけているのか?」と言わんばかりに、手足をクネクネと動かし始める。
残念ながら、動きのキレは一切ない。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、やめてよ!」
耐え切れなくなった私は勢いよく立ち上がり、兄に駆け寄った。
なんとかしてやめさせようとするとけれど、兄がひょいひょいと私を避けるのでうまくいかない。
「真知子も一緒に踊ろう!」
ニカッと笑う兄に対して怒りが爆発しそうになったその時、視界の端になにかが動いているのが映る。
なんと、先輩が兄の動きに合わせて踊っていたのだ。
運動神経もいい先輩は、兄よりもキレッキレのダンスを披露している。無表情なので、その様子はものすごく怖いけれど。
「せ、せ、せ、先輩!?」
呆然と立ち尽くす私をよそに、兄と先輩はそのまま踊り続けた。
やがて曲が終わり、二人は動きを止める。
「鮫島君、なかなかやるな」
兄は歯を見せて笑うと、先輩に手を差し出した。
その手を先輩が握り返す。
「楽しい時間をありがとうございました」
先輩は終始無表情だったけれど、あれで楽しかったのだろうか。
とりあえず、これで兄の馬鹿パフォーマンスが終わったことだし、イケメン好きな母がパートから返ってくる前に先輩にお帰り願おう。母に捕まったら、兄とは違った意味で面倒になるはずだ。
長々と握手をしている二人の手を、私は強引に引き剥がした。
「おや、真知子。嫉妬か?」
ニヤリと片頬を上げて笑う兄の左スネを、渾身の力を込めて蹴飛ばしてやる。
いくら熱心に筋トレをしても、こういうところは鍛えられないものなのだ。
「ぐおっ!」
呻き声を上げて蹲る兄を放っておき、私は先輩のバッグを右手に、先輩の右手を左手でむんずと掴んで玄関へと向かう。
上がり框にバッグを置くと、私はペコリと頭を下げた。
「今日は勉強を教えてくれて、ありがとうございます。すごく助かりました。どうぞ、気を付けて帰ってください」
追い出す勢いで告げた私の目に、自分の右手をジッと見つめている先輩の姿が映った。
――馬鹿力のお兄ちゃんと握手したから、手が痛いのかな?
「え、えっと、先輩、どうしました?」
心配になって声をかけたら、先輩がフワッと微笑んだ。
「チコが、自分から俺と手を繋いでくれた。嬉しい」
しみじみと囁かれた言葉に、私の顔がブワッと熱を持つ。
「そ、そ、そんな、私と手を繋いでも、な、なんにも、いいことなんて、ないですし!」
アワアワしながら言い返すと、先輩は笑みを深める。
「いいこと、あるよ。俺が幸せな気持ちになるから」
そう言って先輩は靴を履き、改めて私へと向き直った。
「チコとの距離が縮まって、本当によかった。またね」
「……は、はい、また」
思わず返してしまった私の言葉に先輩は形のいい目を細め、静かに玄関の扉を開けて出ていった。
パタンと扉が閉まった音を耳にした瞬間、私はその場にへたり込む。
「……疲れた。心身ともに、疲れた」
ポツリと呟いた私の顔は、いまだに熱を持っていたのだった。
こういった反応になっても、それは仕方がないだろう。
どこの世界に実の兄がレインボーの全身タイツに身を包み、巨大なアフロヘア―で登場しても驚かない人がいるというのか。
めったなことでは動じない先輩でさえ、この兄の登場にはポカンとしている。
しかし、脳筋の兄は私たちの反応を深く受け止めることはなく、ウキウキとした足取りでリビングに入ってきた。
私たちの対面に立った兄は、脚を肩幅に開き、腕を後ろに組む。まるで、これから応援合戦を始める応援団員のようだ。……格好は売れないピエロのようだが。
相変らず呆けている私たちにかまうことなく、兄が口を開いた。
「真知子、そして、鮫尾君。勉強、お疲れさん。君たちへの労いとして、ダンスを披露しようと思う」
――労ってくれるなら、むしろ放っておいてほしいんだけど。
私は顔を引きつらせながら心の中で呟く。
この兄のパフォーマンスに付き合うほうが、かえって疲労が蓄積するのは間違いない。
帰宅した際、兄が出てきただけでもげっそりしたものだ。それがダンス付きとなったら、気力が底を尽きそうである。
「あ、あの、お兄ちゃん、先輩、もう帰るし……。そ、そうですよね、先輩、忙しいですもんね?」
隣に座る先輩に声をかけたら、緩やかに首を横に振られた。
「いや。この後の予定はないから、もっとチコと一緒にいたい」
――空気を読めーーーーー!
私は心の中で怒号を飛ばす。
ギロリと睨み付けるものの、先輩はその程度では怯まない。
それどころか、嬉しそうに目を細めた。
「そんなに見つめられたら、ちょっと照れるな」
――そうだ。先輩の思考回路って、勉強以外ではポンコツだったんだ。
救いの道が絶たれたことで私の気力が一気に減り、瀕死状態に陥る。
いや、道がないなら、自分で切り開くしかないのだ。
私はなけなしの気力を振り絞り、先輩に話しかける。
「このままだと、兄の意味不明なパフォーマンスを見せられることになるんですよ? それでもいいんですか?」
ヒソヒソと話しかけたら、先輩が視線を伏せて考え込む素振りを見せた。
ちなみに、兄はなにやら手足を動かし、「ここのキレがいまいちだな」と言っている。
そんな兄は視界から追い出し、私は再度先輩に話しかけた。
「まったくもって、無駄な時間でしかありません。見たところで、先輩の人生にはなんの得にもならないんですよ?」
そこで、なにやら考え込んでいた先輩が私を見る。
「いや、やはりお義兄さんは俺を試しているんだ。お義兄さんなりに、親戚付き合いをうまく乗り切る方法を教えてくれようとしているんだよ」
――なに、そのポジティブシンキング。
私はまたしても唖然となる。
しかし、残された時間は少なく、呆けている場合ではないのだ。
それに、兄と先輩が親戚になる可能性はゼロなのだ。なにしろ私は、先輩と結婚するどころか、お付き合いするつもりもないのだから。
「せ、先輩、なにを言ってるんですか? あの兄と親戚になったら、確実に先輩の人生の汚点になりますよ! 私は身内なので兄との関係は切れませんが、先輩は自分から兄と関わらないほうが身のためです! ですから、一刻も早くお帰りください!」
私は必死になって説得を試みる。
後輩と先輩という関係以上のものを築くつもりはないのはもちろんのこと、頭も見た目もよくて、この先は順風な人生が待っているであろう先輩を、脳筋な兄の暴走人生に巻き込ませたくない。
ところが、先輩は首を縦に振ってくれなかった。
「やっと、チコとの距離が縮まってきたのに。これでチコと離れるなんて、絶対に嫌だ」
先輩はズイッと身を乗り出し、真剣な声で私に告げる。
私は思わず背を反らし、先輩と距離を取った。
「い、いえ、ですから……、別に、私と距離と縮める必要は……」
しどろもどろになって答える私に、先輩はなおもズイッと身を乗り出す。
「必要は、ある。だって、チコと俺は結婚するんだから」
先輩は私の目を見つめ、キリッとした顔でそう言った。
しかし、どんなに真剣な顔で言われても、意味不明なことは受け入れがたい。
――兄も手強いけど、先輩も手強いよぉ! っていうか、なんでそんなに結婚にこだわるの!?
私をからかうのなら、ちょっとだけ恋人の振りをしたらいいだけだ。
それとも、『結婚』の二文字をちらつかせたら、よりいっそう私が引っ掛かるとでも思っているのだろうか。
そして浮かれた私が調子に乗り、その結果、先輩を狙っている美人さん&美少女さんたちから総攻撃を食らえばいいと考えているのだろうか。
その線は、ありえるかもしれない。
なにしろ、学校を出て家に着くまで、攻撃的な言葉と視線を実際に浴びせられたのだから。
だとしたら、一刻も早く先輩を家から追い出し、今後一切、先輩と関わらないようにするしかない。
もう少しすると、部活を終えた学生が帰宅時間を迎える。
私の家の近所にも高校生は多いので、その人たちに私の家から出てくる先輩を目撃されたら、私の人生が終わる。
「先輩、お願いですから、今日のところは……」
と、私が言ったところで、ふいに音楽が流れてきた。
それは一時期大流行りした男性ダンスグループの曲だった。
その曲に合わせ、兄が「呪いでもかけているのか?」と言わんばかりに、手足をクネクネと動かし始める。
残念ながら、動きのキレは一切ない。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、やめてよ!」
耐え切れなくなった私は勢いよく立ち上がり、兄に駆け寄った。
なんとかしてやめさせようとするとけれど、兄がひょいひょいと私を避けるのでうまくいかない。
「真知子も一緒に踊ろう!」
ニカッと笑う兄に対して怒りが爆発しそうになったその時、視界の端になにかが動いているのが映る。
なんと、先輩が兄の動きに合わせて踊っていたのだ。
運動神経もいい先輩は、兄よりもキレッキレのダンスを披露している。無表情なので、その様子はものすごく怖いけれど。
「せ、せ、せ、先輩!?」
呆然と立ち尽くす私をよそに、兄と先輩はそのまま踊り続けた。
やがて曲が終わり、二人は動きを止める。
「鮫島君、なかなかやるな」
兄は歯を見せて笑うと、先輩に手を差し出した。
その手を先輩が握り返す。
「楽しい時間をありがとうございました」
先輩は終始無表情だったけれど、あれで楽しかったのだろうか。
とりあえず、これで兄の馬鹿パフォーマンスが終わったことだし、イケメン好きな母がパートから返ってくる前に先輩にお帰り願おう。母に捕まったら、兄とは違った意味で面倒になるはずだ。
長々と握手をしている二人の手を、私は強引に引き剥がした。
「おや、真知子。嫉妬か?」
ニヤリと片頬を上げて笑う兄の左スネを、渾身の力を込めて蹴飛ばしてやる。
いくら熱心に筋トレをしても、こういうところは鍛えられないものなのだ。
「ぐおっ!」
呻き声を上げて蹲る兄を放っておき、私は先輩のバッグを右手に、先輩の右手を左手でむんずと掴んで玄関へと向かう。
上がり框にバッグを置くと、私はペコリと頭を下げた。
「今日は勉強を教えてくれて、ありがとうございます。すごく助かりました。どうぞ、気を付けて帰ってください」
追い出す勢いで告げた私の目に、自分の右手をジッと見つめている先輩の姿が映った。
――馬鹿力のお兄ちゃんと握手したから、手が痛いのかな?
「え、えっと、先輩、どうしました?」
心配になって声をかけたら、先輩がフワッと微笑んだ。
「チコが、自分から俺と手を繋いでくれた。嬉しい」
しみじみと囁かれた言葉に、私の顔がブワッと熱を持つ。
「そ、そ、そんな、私と手を繋いでも、な、なんにも、いいことなんて、ないですし!」
アワアワしながら言い返すと、先輩は笑みを深める。
「いいこと、あるよ。俺が幸せな気持ちになるから」
そう言って先輩は靴を履き、改めて私へと向き直った。
「チコとの距離が縮まって、本当によかった。またね」
「……は、はい、また」
思わず返してしまった私の言葉に先輩は形のいい目を細め、静かに玄関の扉を開けて出ていった。
パタンと扉が閉まった音を耳にした瞬間、私はその場にへたり込む。
「……疲れた。心身ともに、疲れた」
ポツリと呟いた私の顔は、いまだに熱を持っていたのだった。
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