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(14)ドキドキの種類:2
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廊下を歩きながら、私は先輩が黙っているのをいいことに、「馬鹿アニキが、迷惑をかけてすみませんねぇ。先輩と友達になれて、馬鹿アニキは嬉しいんですよぉ」と何度も繰り返す。
はじめは周りの人たちも怪訝な顔で見ていたけれど、いちいち突っかかってくる人はいなかった。ヤレヤレである。
自分の兄を馬鹿と呼ぶのは失礼かもしれないが、アイツは正真正銘の馬鹿である。
私がこんなにも憎々しく馬鹿呼ばわりするのは、昼休みが終わる直前に第二段の動画が送られてきたせいだ。もちろん、内容は馬鹿丸出しのもの。
タイトルは『ドキドキ・ハラハラ★ミニシュークリームでロシアンルーレット♪』だった。
第一弾の動画はインパクトが弱いと思ったのか、カスタードの代わりにからしをたっぷり詰め込んで、それを引き当てないようにして食べるという動画である。
馬鹿アニキはスマートフォンのカメラに向かって、身振り手振りを交えてゲーム内容を説明していた。感じからして、挑戦者はアニキだけらしい。
それではアニキ一人が泣きを見ることになるのだが、馬鹿アニキはそのことに気が付いていない。さすが、本物の馬鹿は違う。
説明に熱が入るあまりに、アニキの後ろで彼の友人たちが、『これ、全部にからしを詰めちゃおうぜ』、『了解!』、『口直しのコーラにも、からしを混ぜるか』と言っているのが聞えないようだ。
ここまで見れば展開は予想できるため、私はすぐに動画を停止した。
そして、「二度と馬鹿な動画を送ってくるな!」と返信したのだが、すぐに兄からの返事が。
『真知子、反抗期かな? でも、お兄ちゃんはそんな真知子も大好きだぞ』
大きなハートのスタンプ付きメッセージを見た私の精神力はゼロになり、静かにスマートフォンの電源を落とした。
放課後を迎えた直後に電源を入れ直したけれど、馬鹿アニキからのメールは届いていなかった。よかった、よかった。
先輩からのメールも届かなければいいのにと思ったものの、神様は私の願いを聞き入れてくれなかったようだ。
そんな訳で、壊れたレコーダーのようにひたすら「馬鹿アニキが」と繰り返しているうちに、いつもの裏庭に到着。
二時間ほど前に通り雨が降ったこともあり、太陽の光を反射した滴がキラキラと光を放っている。
いつ見ても綺麗だと思うけれど、あの日のようにはしゃぐことはできなかった。
可能なら、わざと木を揺らして滴を降らせてみたり、開けた場所でクルクル回ってみたい。
でも、今は先輩が近くにいるのだ。人がいると分かっていてそんなことをしたら、私のほうこそ馬鹿ではないか。
仕方なく、頭上の葉っぱを見上げるだけで我慢しておくことにした。
すると、そんな私を少し離れたところから見ていた先輩が、不思議そうに声をかけてくる。
「今日は、クルクルしないの?」
かつての奇行をがっつり目撃していた先輩は、本当に不思議そうな表情で首を傾げていた。
「え? あ、ああ、しません。しませんよ」
ブンブンと首を横に振る私の様子に、先輩が僅かに肩を落とす。
「可愛かったのに……」
「は?」
「すごく楽しそうに笑って、すごく可愛かったのに……」
「え?」
「また見られると思って、楽しみにしていたのに……」
そんなことを言われると思っていなかった私は、目をまん丸にして固まった。
呆然と立ち尽くす私を見つめたまま、先輩は大きなため息を零す。
「目を奪われるほど、可愛かったのに……」
たぶん先輩は、いい意味で「可愛い」と言ってくれているのかもしれない。
だけど、高校一年生にもなって大声を出してはしゃぎまわる自分の姿は痛いものにしか思えない私としては、子供っぽいと言われているようにしか感じなかった。
「あ、あの、私は、ちっとも可愛くないですし……。ああいうことは、小さな子供か、美少女がするから、可愛いんだと思いますよ……」
いたたまれない気持ちのままボソボソと言い返したところ、こっちに歩いてきた先輩がポンと私の頭に右手を載せる。
「ううん、可愛い。俺と違って、君はちゃんと笑えるから」
しみじみと呟かれた言葉に、私はとっさに返すことができなかった。
いつもみたいに無表情なよう見えて、どこか諦めている感じがしたから。そんな先輩の表情に、胸がドキッと跳ねて苦しくなった。
もしかして、先輩は表情が乏しいことで、周りから悪く言われたことがあったのだろうか。
背が高くて、顔もよくて、学年トップの成績を誇る先輩に対して、やっかむ人がいたのかも。
思春期というのはなかなか厄介で、素直に相手を認められないこともある。同性に対しては、特に強い反発心を抱く人もいる。
だから、ほとんど表情が変わらない先輩に対して、そういう人たちが『お高く留まっている』とか、『こっちを馬鹿にしている』などと言ったことが予想できる。
私が先輩と話すようになったのは最近のことだけど、先輩の言動は意味不明なことが多いけど。
それでも、先輩はちっともお高く留まっていないし、誰かを馬鹿にするような人じゃないことは知っている。
――いいところがたくさんある先輩でも、ツラいことがあるんだな。
私はそんな先輩がなんだかかわいそうになって、思わず彼の手を握ってしまった。
「先輩だって、笑っていましたよ。ほら、私がキノコって呼ばれていることを話した日です。声は出していなかったけど、先輩は笑っていました」
それは微笑みという程度のものだったものの、私には笑顔に見えていた。あの時の先輩は、はっきり、しっかり笑っていた。
「だから、大丈夫です!」
改めてギュッと握ったら、先輩の瞳がほんの僅かに揺れた。
「……ありがとう」
聞き取れないくらいに小さな声で、ふいに先輩がお礼を言ってくる。
「いえ、別に、お礼を言われるようなことはなにも」
エヘヘと笑い返すと、先輩は私から視線を外し、ゆっくりと周囲の景色を眺め始めた。
「君がいると、俺の世界に色が付く。光を受けた滴みたいに、キラキラと」
そしてふたたび私に視線を戻した先輩は、照れくさそうに目を細める。
先輩の表情はあまり変わっていない気がするけれど、私には嬉しそうに笑っているように見えた。
――よかった、先輩が悲しそうじゃなくて。
この時の私は、どうしてとっさに先輩の手を握ってしまったのか、また、どうして悲しそうな先輩を見たくなかったのか、さっぱり理解していなかった。
しばらくして、どうして先輩は私の目の前に立っているのだろうかという疑問を抱く。
ニコニコではなく、フワリと静かな笑みを浮かべている先輩の顔から徐々に視線を下げた私は、そこで自分がやらかしたことに気付いた。
――うわぁぁぁっ! な、な、なんで、私、先輩の手を握ってるの!?
私はパッと手を放して一歩離れると、ペコペコと頭を下げる。
「ご、ご、ごめんなさい! なんか、無意識のうちに握っちゃったみたいで! ホント、ごめんなさい!」
自分でも、どうしてそんなことをしてしまったのか分からない。
羞恥と困惑でアワアワしている私の頭に、またしても先輩の右手がポンと載った。
「座ろ」
平然としている先輩を見て、一人で慌てていることが馬鹿らしくなる。
先輩は私が手を握ったことなんて、まったく気にしていないのだろう。
それもそうだ。先輩はかっこいいから、これまでにお付き合いした人がいるはず。美人さんか、または可愛い子チャンの彼女と、手を繋いだ経験くらい、山ほどあるに違いない。
だから、ちんちくりんキノコの私に手を握られるくらい、なんてことはないのだ。
そのことを考えると、胃の奥辺りがキュウッと締め付けられる感覚に襲われた。
――お腹が空いてきたのかな?
馬鹿アニキから送られてきた動画第一弾のせいで食欲が減退した私は、お弁当を食べきることができなかった。
そのせいで、今になって空腹を訴えてきた可能性がある。
片手でお腹を撫でていたら、私の手の上から先輩の大きな手が同じように撫でてきた。
「なんですか!?」
ビックリした私は先輩の手を振り払おうとしたけれど、その動きよりも早く、先輩の手がグッと押さえ付けてくる。
図らずも空に近い胃袋を強く押され、腹の虫がクキュウと情けない鳴き声を上げた。
私は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、小さな体を限界まで縮こまらせて俯く。
――くそぅ、馬鹿アニキのせいだ!
今後は馬鹿アニキから送られてきた動画には一切目を通さないことを、私は固く誓ったのだった。
はじめは周りの人たちも怪訝な顔で見ていたけれど、いちいち突っかかってくる人はいなかった。ヤレヤレである。
自分の兄を馬鹿と呼ぶのは失礼かもしれないが、アイツは正真正銘の馬鹿である。
私がこんなにも憎々しく馬鹿呼ばわりするのは、昼休みが終わる直前に第二段の動画が送られてきたせいだ。もちろん、内容は馬鹿丸出しのもの。
タイトルは『ドキドキ・ハラハラ★ミニシュークリームでロシアンルーレット♪』だった。
第一弾の動画はインパクトが弱いと思ったのか、カスタードの代わりにからしをたっぷり詰め込んで、それを引き当てないようにして食べるという動画である。
馬鹿アニキはスマートフォンのカメラに向かって、身振り手振りを交えてゲーム内容を説明していた。感じからして、挑戦者はアニキだけらしい。
それではアニキ一人が泣きを見ることになるのだが、馬鹿アニキはそのことに気が付いていない。さすが、本物の馬鹿は違う。
説明に熱が入るあまりに、アニキの後ろで彼の友人たちが、『これ、全部にからしを詰めちゃおうぜ』、『了解!』、『口直しのコーラにも、からしを混ぜるか』と言っているのが聞えないようだ。
ここまで見れば展開は予想できるため、私はすぐに動画を停止した。
そして、「二度と馬鹿な動画を送ってくるな!」と返信したのだが、すぐに兄からの返事が。
『真知子、反抗期かな? でも、お兄ちゃんはそんな真知子も大好きだぞ』
大きなハートのスタンプ付きメッセージを見た私の精神力はゼロになり、静かにスマートフォンの電源を落とした。
放課後を迎えた直後に電源を入れ直したけれど、馬鹿アニキからのメールは届いていなかった。よかった、よかった。
先輩からのメールも届かなければいいのにと思ったものの、神様は私の願いを聞き入れてくれなかったようだ。
そんな訳で、壊れたレコーダーのようにひたすら「馬鹿アニキが」と繰り返しているうちに、いつもの裏庭に到着。
二時間ほど前に通り雨が降ったこともあり、太陽の光を反射した滴がキラキラと光を放っている。
いつ見ても綺麗だと思うけれど、あの日のようにはしゃぐことはできなかった。
可能なら、わざと木を揺らして滴を降らせてみたり、開けた場所でクルクル回ってみたい。
でも、今は先輩が近くにいるのだ。人がいると分かっていてそんなことをしたら、私のほうこそ馬鹿ではないか。
仕方なく、頭上の葉っぱを見上げるだけで我慢しておくことにした。
すると、そんな私を少し離れたところから見ていた先輩が、不思議そうに声をかけてくる。
「今日は、クルクルしないの?」
かつての奇行をがっつり目撃していた先輩は、本当に不思議そうな表情で首を傾げていた。
「え? あ、ああ、しません。しませんよ」
ブンブンと首を横に振る私の様子に、先輩が僅かに肩を落とす。
「可愛かったのに……」
「は?」
「すごく楽しそうに笑って、すごく可愛かったのに……」
「え?」
「また見られると思って、楽しみにしていたのに……」
そんなことを言われると思っていなかった私は、目をまん丸にして固まった。
呆然と立ち尽くす私を見つめたまま、先輩は大きなため息を零す。
「目を奪われるほど、可愛かったのに……」
たぶん先輩は、いい意味で「可愛い」と言ってくれているのかもしれない。
だけど、高校一年生にもなって大声を出してはしゃぎまわる自分の姿は痛いものにしか思えない私としては、子供っぽいと言われているようにしか感じなかった。
「あ、あの、私は、ちっとも可愛くないですし……。ああいうことは、小さな子供か、美少女がするから、可愛いんだと思いますよ……」
いたたまれない気持ちのままボソボソと言い返したところ、こっちに歩いてきた先輩がポンと私の頭に右手を載せる。
「ううん、可愛い。俺と違って、君はちゃんと笑えるから」
しみじみと呟かれた言葉に、私はとっさに返すことができなかった。
いつもみたいに無表情なよう見えて、どこか諦めている感じがしたから。そんな先輩の表情に、胸がドキッと跳ねて苦しくなった。
もしかして、先輩は表情が乏しいことで、周りから悪く言われたことがあったのだろうか。
背が高くて、顔もよくて、学年トップの成績を誇る先輩に対して、やっかむ人がいたのかも。
思春期というのはなかなか厄介で、素直に相手を認められないこともある。同性に対しては、特に強い反発心を抱く人もいる。
だから、ほとんど表情が変わらない先輩に対して、そういう人たちが『お高く留まっている』とか、『こっちを馬鹿にしている』などと言ったことが予想できる。
私が先輩と話すようになったのは最近のことだけど、先輩の言動は意味不明なことが多いけど。
それでも、先輩はちっともお高く留まっていないし、誰かを馬鹿にするような人じゃないことは知っている。
――いいところがたくさんある先輩でも、ツラいことがあるんだな。
私はそんな先輩がなんだかかわいそうになって、思わず彼の手を握ってしまった。
「先輩だって、笑っていましたよ。ほら、私がキノコって呼ばれていることを話した日です。声は出していなかったけど、先輩は笑っていました」
それは微笑みという程度のものだったものの、私には笑顔に見えていた。あの時の先輩は、はっきり、しっかり笑っていた。
「だから、大丈夫です!」
改めてギュッと握ったら、先輩の瞳がほんの僅かに揺れた。
「……ありがとう」
聞き取れないくらいに小さな声で、ふいに先輩がお礼を言ってくる。
「いえ、別に、お礼を言われるようなことはなにも」
エヘヘと笑い返すと、先輩は私から視線を外し、ゆっくりと周囲の景色を眺め始めた。
「君がいると、俺の世界に色が付く。光を受けた滴みたいに、キラキラと」
そしてふたたび私に視線を戻した先輩は、照れくさそうに目を細める。
先輩の表情はあまり変わっていない気がするけれど、私には嬉しそうに笑っているように見えた。
――よかった、先輩が悲しそうじゃなくて。
この時の私は、どうしてとっさに先輩の手を握ってしまったのか、また、どうして悲しそうな先輩を見たくなかったのか、さっぱり理解していなかった。
しばらくして、どうして先輩は私の目の前に立っているのだろうかという疑問を抱く。
ニコニコではなく、フワリと静かな笑みを浮かべている先輩の顔から徐々に視線を下げた私は、そこで自分がやらかしたことに気付いた。
――うわぁぁぁっ! な、な、なんで、私、先輩の手を握ってるの!?
私はパッと手を放して一歩離れると、ペコペコと頭を下げる。
「ご、ご、ごめんなさい! なんか、無意識のうちに握っちゃったみたいで! ホント、ごめんなさい!」
自分でも、どうしてそんなことをしてしまったのか分からない。
羞恥と困惑でアワアワしている私の頭に、またしても先輩の右手がポンと載った。
「座ろ」
平然としている先輩を見て、一人で慌てていることが馬鹿らしくなる。
先輩は私が手を握ったことなんて、まったく気にしていないのだろう。
それもそうだ。先輩はかっこいいから、これまでにお付き合いした人がいるはず。美人さんか、または可愛い子チャンの彼女と、手を繋いだ経験くらい、山ほどあるに違いない。
だから、ちんちくりんキノコの私に手を握られるくらい、なんてことはないのだ。
そのことを考えると、胃の奥辺りがキュウッと締め付けられる感覚に襲われた。
――お腹が空いてきたのかな?
馬鹿アニキから送られてきた動画第一弾のせいで食欲が減退した私は、お弁当を食べきることができなかった。
そのせいで、今になって空腹を訴えてきた可能性がある。
片手でお腹を撫でていたら、私の手の上から先輩の大きな手が同じように撫でてきた。
「なんですか!?」
ビックリした私は先輩の手を振り払おうとしたけれど、その動きよりも早く、先輩の手がグッと押さえ付けてくる。
図らずも空に近い胃袋を強く押され、腹の虫がクキュウと情けない鳴き声を上げた。
私は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、小さな体を限界まで縮こまらせて俯く。
――くそぅ、馬鹿アニキのせいだ!
今後は馬鹿アニキから送られてきた動画には一切目を通さないことを、私は固く誓ったのだった。
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