誕生日にほしいものは

京 みやこ

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(15)シリルに触れていいのは、僕だけだよ

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 深々とため息を零すビクトリオに、エディフェルドが「さっそく、朝ご飯にしよう」と声をかける。

 ビクトリオは寝台の空いている場所にカゴを置いて中からまずは木製の薄いお盆を取り出すと、葉物野菜とチーズを挟んだパン、根菜が柔らかく煮込まれたスープ、それと、数種類の果物をそこに並べた。

 そのどれもが、疲れ切っているシリルの体に優しそうなものである。

 この食事を指示したのはエディフェルドで、ビクトリオに用意させたのだ。

「ビクトリオ、タオルをお湯で濡らしてきて。僕はもう顔を洗ったけど、食事の前にシリルの顔を拭いてあげたいから」

 侯爵家の長男ともあろうエディフェルドが、嬉々として平民であるシリルの世話を焼こうとしている。

 それに対して文句を言うこともなく、ビクトリオは洗面所へと向かった。

 

 九年前、エディフェルドの遊び相手兼将来の護衛として、ビクトリオは父親につれられて侯爵家へとやってきた。

 天使もかくやと言わんばかりの美少年、素直で真面目な性格で、運動も勉強も得意なエディフェルドに、ビクトリオは『一生、この方に仕えよう』と、幼心に誓ったものだ。 

 そして、八年前、大手商家の次男に一目惚れしたと打ち明けられ、同時に、シリルのことをこっそり監視……、いや、護衛してほしいとエディフェルドに頼まれた。

 ビクトリオの家は元を辿ると傭兵の家系で、護衛としての腕はもちろん、諜報活動にも長けている。

 幼い頃から独自の教育を受けていたビクトリオは、エディフェルドの言葉に従った。



 主からの言葉であるという理由の他に、率直に面白そうだと思ったからだ。



 いつでも微笑みを絶やさないエディフェルドは人当たりもよく、多くの者たちから好かれていた。

 一年ほどそばにいただけで、ビクトリオはエディフェルドの人柄をそれなりに把握していた。

 目を惹く美貌、豊かな才能、穏やかな気質で人に好かれるエディフェルドは、他人にほとんど興味を示さなかったのだ。

 その彼が密かに見守ってくれと、――『下心を持ってシリルに近寄る者は、すべて蹴散らせ』という意味も含め――、真剣に頼んできたのである。

 ビクトリオは同性愛に偏見はなかった。

 また、エディフェルドが恋愛的な意味で初めて興味を持った相手がどういった人物なのか、ビクトリオも知りたくなった。

 なにより、エディフェルドの初恋を応援してあげたかったのだ。



――まぁ、こんなにも執着しまくりで、独占欲発揮しまくりだとは思わなかったが。



 己の主が見た目とは裏腹に粘着質な性格であったことに若干引いたものの、シリルの人柄を知っていくうちに、エディフェルドが惹かれるのも当然だと納得するようになる。

 そして、自分に向けられる気持ちに鈍感なシリルが危なっかしくて、これは監視が必要だとも理解した。

 シリルの見た目はずば抜けて整っているということではないのだが、ふいに見せるあどけない笑顔や泣くのを堪えている顔が、ある種の人物たちをやたらと刺激するのである。

 ビクトリオや彼の家の者たちが見張っていなければ、華奢で小柄なシリルは物陰に連れ込まれ、性的な意味で大変な目に遭っていたことだろう。

 

――だからって、差しさわりのない友人以外は遠ざけろっていう命令もなぁ。



 ビクトリオはひょいと肩をすくめた。

 危険人物を遠ざけるのは納得できるが、シリルに純粋な好意を抱いている者たちまで近付けるなというのは、あまりにも身勝手すぎたのではないだろうかと。

 いくら、シリルがエディフェルドを好きにならないと交際を申し込めないという約束があったとしても、それはシリルの知らないことだ。

 エディフェルドがシリルの父親と結んだ約束にシリルを勝手に巻き込むことになり、寂しい時間を過ごしたシリルに同情する。



――仮にシリルが誰かと付き合ったとして、その相手をエディフェルドが放っておくはずないんだよなぁ。



 侯爵家という身分に太刀打ちできる者は、数少ない。

 エディフェルドは権力と財力を使い、秘密裏にその者をシリルから遠ざけたことだろう。

 その者の命を奪うまではいかないはずだが、二度とシリルに近付けさせないようにすることは、エディフェルドには容易いことだったのだ。



――二人が丸く収まるっていうのが、誰にとっても平和ってことだな。



 ふたたび肩をすくめたビクトリオは苦笑を零し、お湯で濡らしたタオルをギュッと絞ったのだった。







 戻ったビクトリオは、静かに寝台へと歩み寄る。

 そして濡らしたタオルをシリルの顔へと近付けていく。



 ……が、そのタオルをエディフェルドが素早く奪った。



「なに、してるの?」

 微笑みを浮かべつつも、エディフェルドの視線は鋭い。

 そんなエディフェルドの様子に、ビクトリオはフッと口角を上げた。

「シリルの顔を拭くと言ったのはエディフェルドだろ? だから、拭いてあげようとしただけだ。シリルは腕も出せない状態だからな」

 シリルはすっぽりと掛け布団に包まれている上に、エディフェルドが腕でガッチリと抱き締めているのである。

 そのことを指摘してやると、エディフェルドがスッと目を細める。

「シリルに触れていいのは、僕だけだよ。ビクトリオでも許さない」

 一見すると綺麗な笑顔だが、瞳の奥に浮かぶ光が物騒だ。

 もちろん、ビクトリオは本気でシリルの顔を拭こうとしたわけではない。エディフェルドのこういう顔を見たかっただけだ。



――シリルが関わると、面白いくらいに人が変わるよなぁ。



 おかげでエディフェルドにはさんざん振り回されてきたビクトリオだが、それはそれで面白いので、まったく気にしていなかった。

 ニヤリと笑うビクトリオにかまわず、エディフェルドは濡れタオルでシリルの顔を優しく拭う。

「ほら、さっぱりして気持ちがいいでしょ?」

 シリルがコクンと頷き、小さな声で「気持ち、いい……」と答えた。

 その声が掠れている理由をビクトリオは察しているが、あえてなにも言わないことにした。

 エディフェルドがどうこうというよりも、恥ずかしがり屋のシリルを困らせたくなかったのである。

 ビクトリオはシリルとこれといって親しくないが――必要以上に親しくするなと、厳命されているため――、シリルの人柄を非常に好ましく思っているので、近いうちに友人くらいにはなりたいと思っている。

 ニヤニヤ笑っているビクトリオを尻目に、エディフェルドは丁寧にシリルの顔を拭ってやった。

 何度も「気持ちいいでしょ?」と問いかけて、シリルに「気持ちいい」と言わせていることに引っかかりを覚えるが、やはりビクトリオは無言を貫いている。

 エディフェルドは無駄に時間をかけてシリルの顔を丁寧に拭き、ようやく朝食が始まる。

 パンを一切れ手に取ったエディフェルドは、勉強机の椅子に座っているビクトリオに視線を向けた。

「君も、ここで朝食を摂るの?」

 勉強机の上には、エディフェルド頼まれたメニューとは違うガッツリ肉系料理が置かれている。

「俺がいたほうが、なにかと役に立つだろうし」

「シリルの世話は、僕一人で十分だよ。恋人たちの甘い時間を邪魔しないでくれないかな」

 と、エディフェルドが言ったところで、シリルが口を開く。

「ルド……、あったかい紅茶が飲みたい……。蜂蜜、いっぱい入れて……」

 半分夢の世界の住人であるシリルが、可愛らしくおねだりする。

 しかし、ここに用意された飲み物は、冷たいレモン水だけだ。

 さっぱりと口当たりがいいもののほうがいいだろうと思ってエディフェルドが指示したのだが、残念なことにシリルはまったく違うものを欲しがる。

 用意をするためには、シリルと離れて食堂に出向くしかなかった。

「温かい紅茶、か……」

 エディフェルドが困った表情を浮かべると、ビクトリオがスッと立ち上がる。

「ほら、やっぱり俺がいたほうがいいだろ」

 そう言って、ビクトリオは紅茶を用意するために部屋から出ていった。

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