その香り。その瞳。

京 みやこ

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(185)SIDE:奏太

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 社長室内にもともといた人たちだけの状況になると、僕は思わずため息を零してしまった。

 僕には詳しいことは分からないけれど、あの緊迫した雰囲気からはだいぶ深刻な問題なのだと伝わってきた。

 ここには斗輝に連れられきたものの、本当に僕が同席してもよかったのだろうか。

 清水先輩は飲み物の用意のために、深沢さんと浅見さんは今後の護衛について話し合うのために、ソファから離れる。

 僕は斗輝にこっそりと話しかけた。

「僕、ここにいてもよかったんですか?」

 いまさらだとは思うが、訊かずにいられない。

 斗輝の様子を窺ったら、彼は静かに微笑みを浮かべる。

「もちろんだ。奏太の身の安全を図るためにも俺のそばにいてもらう必要があったんだが、少しは俺の仕事に触れてもらおうかと思ったんだ。本来は、なんのトラブルも起きていない平常時に連れてくる予定だったんだがな」

「連れてくる予定だったって……」

 首を傾げたら、彼が片手で僕の髪をクシャリと掻き混ぜた。

「いずれ、奏太は澤泉家の一員になる。実際に仕事をするのは別としても、ある程度のことは知っておいてほしくてな。機密事項を取り扱う場合はさすがに同席させることはできないが、俺が連れてきた場合はなにも気にしなくていい」

「分かりました」

 コクンと頷き返したら、またクシャリと髪を混ぜられる。

 その感触と彼の言葉が嬉しくて、僕はヘヘッと小さく笑った。



 田舎者で、取り立てて能力もない平凡オメガの僕だけど、斗輝が僕のことをきちんと一人の人間として、将来の結婚相手として認めてくれていることが本当に嬉しい。

 こういった彼の言動のおかげで、僕は自分を『出来損ないのオメガ』と思うことが格段に減ってきたのである。



 そんな話をしているうちに、清水先輩が飲み物をトレイに乗せて戻ってきた。社長室の奥には、簡易キッチンが備わっているとのこと。

 僕の前には、甘い香りが漂うホットココアが置かれた。

 斗輝や他の人の分はコーヒーだ。

 僕だけ子供っぽい飲み物であることに気恥ずかしさを覚えるものの、下手に大人ぶったところでロクなことにならないのである。

「いただきます」

 マグカップを両手で持ち、フゥフゥと息を吹きかけてからココアを飲んだ。

 ちょうどいい甘さが、ジワリと体に染みていく。

 美味しさに頬を緩めていると、離れたところで話をしていた深沢さんと浅見さんが戻ってきた。

 二人の表情が厳しいものになっていて、なにかあったのだと伝わってくる。

「どうした?」

 斗輝が声をかけると、深沢さんが口を開いた。

「本日、奥様を狙う怪しい者を見かけたとの報告がございまして。幸い、何事もなかったとのことです」

 それを聞いた斗輝は視線を伏せ、少しの間考え込む。

「ハッキングと不審者か……。俺には、偶然だと思えないんだが」

「希少種アルファの斗輝様の勘がそのように判断するのであるなら、おっしゃる通りなのでしょう。これまで斗輝様の勘が外れたことは、滅多にありませんしね」

 清水先輩が、彼の言葉に同意する。

「奥様の護衛はすでに厳重なものになっていると、隊長より連絡を受けております。しばらく奥様の外出予定はございませんので、危険が及ぶことはないでしょう」

「分かった。だが、これで相手が動きを抑えてしまうと、かえって長引くな。だからといって、母を危ない目に遭わせるわけにはいかないし。せめて、相手に繋がる手掛かりがなにか掴めるといいんだが……」

 斗輝は深々とため息を吐き、コーヒーを一口含む。

 僕はカップをローテーブルに置き、オズオズと話しかける。

「あの……、僕、囮になりますよ」

 その言葉に、四人の目がギョッと見開かれた。

 もちろん、一番驚いているのは斗輝だ。

「奏太、なにを言い出すんだ!? 相手がどこの誰かも分からないのに、そんな危険なことをさせられない!」

 斗輝はコーヒーカップを置くと、両腕で僕をきつく抱き締めた。

 僕はココアが零れないようにマグカップをギュッと手で包み込み、話を続ける。

「大学に復帰した僕に近付こうとする人や、僕を見ている人の中に、なんとなく異様な視線が混ざっている気がするんです。もしかしたら、その人が、ハッキングや不審者に関係があるのかなって」

「どうして、それをすぐに知らせてくれなかったんだ?」

 さらに僕をきつく抱き締めて、彼が咎めるような口調で言ってくる。

 僕は僅かに苦笑を浮かべた。

「だって、今の話を聞いて、はじめて『そうなのかも』って思ったんですよ。だから、その時はなんか変だなってぐらいにしか感じていなくて」

 僕はゆっくりと息を吸い込む。

「大学にいる時の僕には、浅見さんが護衛を担当してくれています。きっと、見えないところでも僕を守ってくれていると思いますけど、相手は浅見さん一人だけって考えているかもしれません。だから、斗輝のお母さんよりも僕に手を出しやすいはずです」

「確かに、奏太の言う通りだが……」

 斗輝はできる限り早く厄介ごとを片付けたいと思っているものの、僕のことを心配する気持ちのほうが今は大きいのだろう。

 なんとも言えない表情を浮かべている彼に、僕はニコッと笑いかける。

「斗輝は、絶対に僕と結婚するんですよね?絶対に僕を番にするんですよね?なら、僕はもう澤泉家の一員も同然です。家を守るために、協力させてください」

 はっきり言い切ると、斗輝が困り顔で笑う。

「奏太がここまで肝が据わっているとは……」

 清水先輩も苦笑を浮かべる。

「そういえば、万が一にも斗輝様が生活に困るようなことになりましたら、農家になって斗輝様を支えるというお話を奏太様がされたとか。今のお話といい、心強い限りですね」

「このように頼もしい奏太様がいらっしゃるなら、澤泉家の将来は安泰です」

「奏太君、かっこいい」

 清水先輩も深沢さんも浅見さんも、斗輝と同じくらい僕を心配してくれているはず。

 だけど、僕の気持ちを汲んでくれたのだ。

 澤泉を守りたいという、僕の本気の願いを。 



 とはいえ、気持ちだけでどうなるものでもないし、簡単なことでもない。

 三人はすぐさま集まって、僕の身の安全を図るための計画を猛烈な勢いで組み立てている。

 僕と三人の様子に、斗輝はいっそう困ったように笑った。

「澤泉当主の息子として、奏太の申し出はありがたい。だが、恋人としては、ほんの僅かでも危険な目に遭わせたくない。どうしたものか……」

 彼の中では、まだ僕への心配に天秤が傾いているらしい。

 だけど、僕が「大好きな斗輝と、その家族と、澤泉で働く人たちを守らせてください」と再度強くお願いしたら、最後には彼が折れてくれた。

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