その香り。その瞳。

京 みやこ

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(184)SIDE:奏太

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 役員専用の通路やエレベータを使い、僕たちは最上階へとやってきた。

 立派な扉の前にやってきた僕は、ゴクリと息を呑む。



――社長室って書いてある。



 ということは、ここに斗輝のお父さんがいるのだろうか。

 斗輝の話からすると、彼の家族は僕のことを歓迎してくれているらしい。

 反対するどころか、『結婚はいつだ? いや、式はともかく、先に入籍したらいい』と、僕たち以上に彼のお父さんが盛り上がっているとか。

 それというのも、斗輝のお母さんは僕と同じく一般家庭出身であり、澤泉家というものがあまりにも立派なことに怖くなって、逃げ出してしまった過去があるそうだ。

 そういったことがあったため、せめて籍だけでも入れてはどうかと、僕の発情期が明けたタイミングで、斗輝のお父さんが彼にアドバイスをしていたのである。

 その頃の僕は、東京に出てきたばかりでこちらの生活に慣れていないし、斗輝に出逢ってまだ一週間くらいしか経っていなかった。



 入籍どころか、斗輝と一緒に暮らすことさえも、頭になかったのだ。



 斗輝は僕の気持ちを尊重してくれて、『せめて、入籍は奏太のご家族に挨拶をしてから』と、お父さんに話をしたそうだ。

 なにはともあれ、僕はいまだに彼のお父さんと顔を合わせていなかった。

 一応、電話であいさつはしたけれど。



――それでも、めちゃくちゃ緊張したんだよね。



 ビデオ通話ではなく、単なる電話だったものの、僕の全身が心臓になったかのように、ドックンドックンと耳の奥で響く自分の鼓動を聞きながら、なんとかあいさつを済ませたのである。

 電話でもあれほど緊張したのに、顔を合わせたら、僕はどうなってしまうのだろうか。

 緊張のあまり、倒れてしまうのではないだろうか。



 もし、そうなってしまったら、『こんなにも情けないオメガだとは思わなかった』と、呆れられてしまうかもしれない。



――大丈夫、大丈夫、大丈夫。



 僕は何度も心の中で自分に言い聞かせる。

 できることなら手の平に『人』と書いて呑み込みたいけれど、片手は斗輝と繋いでいるので、それはできなかった。

 やたら緊張しているのが分かったのか、斗輝が「奏太」と僕の名前を優しい声で呼ぶ。

「は、はいっ」

 ビクンと肩を震わせた僕は、直立不動の姿勢を取った。

 そんな僕の様子に、彼が苦笑を浮かべる。

「中に、父がいると思っているのか?」

 問いかけられた僕は、コクンと頷き返した。

 すると、彼は苦笑を深める。

「残念ながらというべきか、ラッキーと言うべきか、父はここにいない」

「……え?」

 僕はポカンと呆けてしまう。

 ここは社長室で、会社の一番偉い人がいる部屋だ。

 斗輝が駆けつけるほどの緊急事態なのだから、社長である彼のお父さんがここにいるのは当然ではないだろうか。

 首を傾げていると、斗輝は空いているほうの手で僕の髪をクシャリと撫でてきた。

「普段ならここに父がいるんだが、今は状況把握のために、別の場所で関係者と打ち合わせをしている」

「そう、でしたか……」

 僕がホッと息を吐くと、清水先輩が扉を開ける。

「どうぞ」

 促されて、斗輝と一緒に室内へと足を踏み入れた。







 部屋の奥にある応接セットに僕たちが腰を下ろすと、扉がノックされる音が聞こえてきた。

 清水先輩と深沢さんが応対し、三人がこちらにやってくる。

 ビシッとしたスーツを着ている人たちは、揃って表情が険しい。

 なにが起きるんだろうと心配になっていたら、斗輝が繋いでいる手にキュッと力を込めた。

「奏太には理解できない話が色々と出るだろうが、俺の隣が一番安全な場所だ。退屈だと思うが、少しの間、我慢してほしい」

 申し訳なさそうに告げる彼に、僕は首を横に振ってみせた。

「お仕事の話を僕が理解できないのは当たり前ですし、今は、大変なことが起きているんですよね。だから、僕のことは気にしないで、どうぞ話を進めてください」

「そう言ってもらえるとありがたい」

 斗輝はフワリと目を細めると、改めて僕の手をキュッと握った。



 次の瞬間、彼の表情がガラリと変わる。



 これまでに何度か真剣な表情を見たことがあったけれど、それとはどこか違う。



――仕事中の斗輝は、こんな顔をしているんだ。



 普段から大人びている印象がある彼だけど、今はさらに大人びているように見える。

 そんな彼にこっそり見惚れながら、僕は静かにしていた。







 どうしてわざわざ本社の社長室で話し合いが行われるかというと、一番防音性が高い部屋だからとのこと。

 また本社の社長室であることから、全支社の情報――日本だけではなく、海外にある支社も含め――が、ここに設置されている特製のパソコンで見られるそうだ。

 そのことだけでも、かなり深刻な状況であることが、鈍い僕でもなんとなく察することができた。

「ここ数日、メインコンピューターへのハッキングの頻度がかなり多いですが、本日は一気に増えました。もちろん対策は万全ですので、問題は起きていません」

 一番若い社員さんの報告を聞いて、斗輝が静かに口を開く。

「ハッキングを行っている者の見当は付いているのか?」 

 斗輝の問いかけに、ノートパソコンであれこれと報告していた人が険しい表情を浮かべる。

「いえ、それが……」

 そこで、別の人が違うパソコン画面を見せてきた。

「以前より我が社のメインコンピューターに侵入しようとしている者はおりましたが、今回はどうも傾向が違うように思います。相手が使用している回線までは限定できませんが、それでも、同じ回線からは三度以上の侵入はないようです。また、海外から侵入を試みていることもあります。単独犯では、不可能でしょう」

「数人規模のグループでも、難しいだろうな。そうなると、設備と資金が揃っている会社ぐるみという線が濃厚になってくるか」

 そこで、一番年上に見える社員さんが口を開いた。

「斗輝様がおっしゃるように、我が社の情報を狙う者は多数おります。そう簡単にハッキングできるものではないと、相手側も分かっているはずです。ただ、ここ数日の動きを見ると、それを承知でハッキングしているように思えます。それだけ、相手側が焦っているのではないでしょうか?」

 すると、斗輝の片眉がピクリと震える。

「急激に経営が傾いた会社が、ウチの情報を狙っていると?」

 年長の社員さんが、ゆっくりと頷いた。

「おそらく。その情報をもとに我が社へ脅迫を仕掛けてくるのか、あるいは、その情報を別の会社に売るのか、といったことが考えられます」

「ならば、それなりに規模が大きい会社の経営状況を調べる必要があるな」

「かしこまりました。では、これより作業に当たります」

 年長の社員さんが頭を下げてから立ち上がると、他の社員さんもソファから立ち上がる。 

 そして、彼らは足早に社長室をあとにした。 
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