184 / 200
(182)SIDE:奏太
しおりを挟む
建物の外を出て少し歩くと、見慣れた光景が視界に入る。
「大学の構内だったんですねぇ」
僕が意識を失っていた時間がどれほど長かったのか分からないけれど、てっきり大学の外に連れ出されたのだと思っていた。
僕のことをできるだけ斗輝や浅見さんから引き離したほうが、式部さんにとっては有利になったのではないだろうか。
僕の呟きに、斗輝がフッと吐息だけで笑う。
「まだ、人目のある時間帯だ。下手に奏太を大学の外に運び出すと、計画が失敗するだろうしな。それに、たいていの人間は、犯人が遠くに逃げるものだと判断する。おそらく、式部もそこを狙っていたのだろう」
「なるほど、昔から『灯台下暗し』って言いますしね」
僕を誘拐した式部さんは、ただ大胆なだけではなかったようだ。
とはいえ、斗輝のほうが彼の上を行っていたけれど。
「僕がいた部屋って、なんだったんですか?」
なんとなく、高校で見た美術の準備室のような印象だった。
窓は暗幕で覆われていて、外の景色はいっさい見えなかったのだ。
椅子や机はあったけれど、講義室にあるものとは違ったし、数も多くない。
また、休憩室にあるものと違って、オシャレでもなかった。
問いかける僕に、斗輝が静かな声で返してくる。
「あそこは、写真同好会の活動場所だ。あの棟は様々な文科系のサークルや同好会が使っているが、活動に参加していない奏太は知らなくて当然だな」
入学した当初は、たくさんの先輩たちが新入生たちを勧誘していた。
だけど、僕は勉強に打ち込みたかったので、どのサークルにも同好会にも所属していない。
「そうだったんですね。ところで、斗輝はなにかに所属していますか?」
その問いかけに、彼が苦笑を浮かべた。
「いや、俺には仕事があるからな。一応、学業優先だが、急に呼び出されることもある。そうなると、メンバーに迷惑をかけてしまうだろ。だから、どこにも所属していないんだ」
僕とたった二歳しか違わないのに、こういう話を聞くと、単なる学生の僕とはすごく差があるように感じる。
――アルファが特別な存在だって分かっているけど、斗輝は特に大人って感じだよね。あと、清水先輩も。
先輩だって、大学生以外にも、『斗輝の右腕』という顔を持っていた。
しかも、二人は大人たちに混ざっても、遜色ない働きをしている。
そういう存在が身近にあるから、僕なりに役に立ちたいと考えるようになり、今回、自分から囮になることを申し出たのだ。
「斗輝」
名前を呼ぶと、彼が穏やかな視線を僕に向けてくれる。
「どうした?」
「……僕、ちゃんと役に立てましたか?」
オズオズと問いかけたら、深い頷きが返ってきた。
「もちろんだ。奏太が式部から話を引き出してくれたおかげで、今は父と父の部下たちが適切な対応に当たっている。手遅れになっていたら、澤泉に甚大な被害が及んでいただろう。奏太、本当にありがとう」
彼の微笑みに、僕も頬を緩める。
「よかった」
ポツリと呟いた僕の額に、斗輝が軽くキスを落とした。
「少し、眠るといい。着いたら、起こすから」
その言葉とともに、甘い香りが漂ってくる。
それは発情を促すフェロモンではなく、僕をリラックスさせる優しさがあった。
斗輝はアルファの中でも特殊な性質を持っているらしく、自分から出る香りでオメガをコントロールできるとか。
そして、その香りは強弱が付けられるとのこと。
今は僕を眠りに誘う香りを放っているようだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。おやすみなさい……」
視界の端に見慣れた黒い高級車が映り込んだところで、僕は眠りの国へと足を踏み入れた。
「……た、奏太」
響きのいい声で、名前を呼ばれる。
その声に応えたいけれど、もっと聞いていたい気もする。
――まだ、ちょっと眠いしなぁ。
モゾリと小さく身じろいだところで、また「奏太」と呼ばれた。
ハフゥとあくびを零した僕は、声の主が誰なのかに気付く。
シパシパと瞬きを繰り返したのち、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
すると、すぐ近くに黒曜石に似た瞳があった。
「おはよ……、ござい、ます、斗輝……」
「おはよう」
僕にあいさつを返してくれた彼が、右手で僕の左頬をソッと覆う。
「顔色がだいぶよくなったな。嗅がされた薬の副作用はなかったとはいえ、それなりに体が疲れていたんだろう」
頬に伝わるぬくもりが心地よくて、僕は彼の手に自分から頬を摺り寄せた。
すると、斗輝が困ったように笑う。
「可愛い奏太をいつまでも眺めていたいが、説明をしておきたいこともあるしな」
僕はもう一度ハフゥとあくびを零し、目元を手の甲で擦る。
「僕なら、大丈夫です」
パッと目を見開いて、彼に微笑みかけた。
そして、ここがどこなのかを理解する。
僕たちがいるのは、僕たちが暮らす部屋のうちの一室である客間だ。
普通の家ならリビングにお客さんを通すのだろうが、あのスペースは僕と斗輝が日常的に過ごしている。
独占欲が強いアルファとしては、よほどのことがない限り、自分以外の誰かをそこに案内したくないらしい。
それは斗輝だけではなく、たいていのアルファがそういう気質とのこと。
なので、玄関を上がってすぐのところに、お客さんを通すための部屋が存在する。
その客間のソファに座っている斗輝の膝上に、僕は横向きで抱っこされていた。
次いで、向かいのロングソファには清水先輩、深沢さん、浅見さんが座っていることにも気付いた。
三人から向けられている穏やかな視線に、僕はギョッと目を見開く。
「あ、あ、あのっ、ごめんなさい!ちょっと、寝ぼけていて!」
慌てて斗輝の膝から下りようとするが、彼の長い腕がすぐさま阻止してきた。
「奏太はこのままで」
「で、でも……」
僕がチラッと向かい側の様子を窺うと、深沢さんが声をかけてくる。
「奏太様、我々のことはお気になさらずに。……と、言いますか、奏太様が斗輝様のおそばにいる必要があるかと」
――僕がそばにいる必要って?
真剣な顔で話しかけられ、僕は首を傾げた。
「大学の構内だったんですねぇ」
僕が意識を失っていた時間がどれほど長かったのか分からないけれど、てっきり大学の外に連れ出されたのだと思っていた。
僕のことをできるだけ斗輝や浅見さんから引き離したほうが、式部さんにとっては有利になったのではないだろうか。
僕の呟きに、斗輝がフッと吐息だけで笑う。
「まだ、人目のある時間帯だ。下手に奏太を大学の外に運び出すと、計画が失敗するだろうしな。それに、たいていの人間は、犯人が遠くに逃げるものだと判断する。おそらく、式部もそこを狙っていたのだろう」
「なるほど、昔から『灯台下暗し』って言いますしね」
僕を誘拐した式部さんは、ただ大胆なだけではなかったようだ。
とはいえ、斗輝のほうが彼の上を行っていたけれど。
「僕がいた部屋って、なんだったんですか?」
なんとなく、高校で見た美術の準備室のような印象だった。
窓は暗幕で覆われていて、外の景色はいっさい見えなかったのだ。
椅子や机はあったけれど、講義室にあるものとは違ったし、数も多くない。
また、休憩室にあるものと違って、オシャレでもなかった。
問いかける僕に、斗輝が静かな声で返してくる。
「あそこは、写真同好会の活動場所だ。あの棟は様々な文科系のサークルや同好会が使っているが、活動に参加していない奏太は知らなくて当然だな」
入学した当初は、たくさんの先輩たちが新入生たちを勧誘していた。
だけど、僕は勉強に打ち込みたかったので、どのサークルにも同好会にも所属していない。
「そうだったんですね。ところで、斗輝はなにかに所属していますか?」
その問いかけに、彼が苦笑を浮かべた。
「いや、俺には仕事があるからな。一応、学業優先だが、急に呼び出されることもある。そうなると、メンバーに迷惑をかけてしまうだろ。だから、どこにも所属していないんだ」
僕とたった二歳しか違わないのに、こういう話を聞くと、単なる学生の僕とはすごく差があるように感じる。
――アルファが特別な存在だって分かっているけど、斗輝は特に大人って感じだよね。あと、清水先輩も。
先輩だって、大学生以外にも、『斗輝の右腕』という顔を持っていた。
しかも、二人は大人たちに混ざっても、遜色ない働きをしている。
そういう存在が身近にあるから、僕なりに役に立ちたいと考えるようになり、今回、自分から囮になることを申し出たのだ。
「斗輝」
名前を呼ぶと、彼が穏やかな視線を僕に向けてくれる。
「どうした?」
「……僕、ちゃんと役に立てましたか?」
オズオズと問いかけたら、深い頷きが返ってきた。
「もちろんだ。奏太が式部から話を引き出してくれたおかげで、今は父と父の部下たちが適切な対応に当たっている。手遅れになっていたら、澤泉に甚大な被害が及んでいただろう。奏太、本当にありがとう」
彼の微笑みに、僕も頬を緩める。
「よかった」
ポツリと呟いた僕の額に、斗輝が軽くキスを落とした。
「少し、眠るといい。着いたら、起こすから」
その言葉とともに、甘い香りが漂ってくる。
それは発情を促すフェロモンではなく、僕をリラックスさせる優しさがあった。
斗輝はアルファの中でも特殊な性質を持っているらしく、自分から出る香りでオメガをコントロールできるとか。
そして、その香りは強弱が付けられるとのこと。
今は僕を眠りに誘う香りを放っているようだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。おやすみなさい……」
視界の端に見慣れた黒い高級車が映り込んだところで、僕は眠りの国へと足を踏み入れた。
「……た、奏太」
響きのいい声で、名前を呼ばれる。
その声に応えたいけれど、もっと聞いていたい気もする。
――まだ、ちょっと眠いしなぁ。
モゾリと小さく身じろいだところで、また「奏太」と呼ばれた。
ハフゥとあくびを零した僕は、声の主が誰なのかに気付く。
シパシパと瞬きを繰り返したのち、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
すると、すぐ近くに黒曜石に似た瞳があった。
「おはよ……、ござい、ます、斗輝……」
「おはよう」
僕にあいさつを返してくれた彼が、右手で僕の左頬をソッと覆う。
「顔色がだいぶよくなったな。嗅がされた薬の副作用はなかったとはいえ、それなりに体が疲れていたんだろう」
頬に伝わるぬくもりが心地よくて、僕は彼の手に自分から頬を摺り寄せた。
すると、斗輝が困ったように笑う。
「可愛い奏太をいつまでも眺めていたいが、説明をしておきたいこともあるしな」
僕はもう一度ハフゥとあくびを零し、目元を手の甲で擦る。
「僕なら、大丈夫です」
パッと目を見開いて、彼に微笑みかけた。
そして、ここがどこなのかを理解する。
僕たちがいるのは、僕たちが暮らす部屋のうちの一室である客間だ。
普通の家ならリビングにお客さんを通すのだろうが、あのスペースは僕と斗輝が日常的に過ごしている。
独占欲が強いアルファとしては、よほどのことがない限り、自分以外の誰かをそこに案内したくないらしい。
それは斗輝だけではなく、たいていのアルファがそういう気質とのこと。
なので、玄関を上がってすぐのところに、お客さんを通すための部屋が存在する。
その客間のソファに座っている斗輝の膝上に、僕は横向きで抱っこされていた。
次いで、向かいのロングソファには清水先輩、深沢さん、浅見さんが座っていることにも気付いた。
三人から向けられている穏やかな視線に、僕はギョッと目を見開く。
「あ、あ、あのっ、ごめんなさい!ちょっと、寝ぼけていて!」
慌てて斗輝の膝から下りようとするが、彼の長い腕がすぐさま阻止してきた。
「奏太はこのままで」
「で、でも……」
僕がチラッと向かい側の様子を窺うと、深沢さんが声をかけてくる。
「奏太様、我々のことはお気になさらずに。……と、言いますか、奏太様が斗輝様のおそばにいる必要があるかと」
――僕がそばにいる必要って?
真剣な顔で話しかけられ、僕は首を傾げた。
0
お気に入りに追加
1,256
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
孤独を癒して
星屑
BL
運命の番として出会った2人。
「運命」という言葉がピッタリの出会い方をした、
デロデロに甘やかしたいアルファと、守られるだけじゃないオメガの話。
*不定期更新。
*感想などいただけると励みになります。
*完結は絶対させます!
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
Ωの不幸は蜜の味
grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。
Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。
そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。
何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。
6千文字程度のショートショート。
思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる