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(177)SIDE:奏太
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浅見さんの護衛にもすっかり慣れ、僕はのびのびと大学生活を送っていた。
僕に近付こうとしている人の視線は相変わらず多いけれど、浅見さんが常に僕の隣にいる。
しかも、河原先輩や海野先輩が僕を見かけるたびに声をかけてくれるので、その人たちは簡単に僕との距離が詰められないでいるみたいだった。
今日の講義が終わり、僕は帰り支度をしている。
勉強道具をすべてバッグに入れたところで、浅見さんが「では、行きましょうか」と声をかけてきた。
教室を出て少し歩いてから、僕は浅見さんを見上げる。
「あの……、トイレに行ってもいいでしょうか?」
彼はニコッと笑い、「どうぞ」と言ってくれた。
僕が今いる講義棟はこの春に新設されたばかりで、どこもかしこも綺麗だ。
もちろんトイレも綺麗で、僕はこの棟のトイレをよく使っているのだ。
ただ、講義が終わったばかりということと、僕と同じように綺麗なトイレを使いたい生徒が多いせいで、この先にある一階のトイレには次々と人が入っていく。
だから、僕はいつも三階まで行っていた。
浅見さんと一緒に階段を上りながら、明日から始まる連休のことをあれこれと話している。
「今の奏太君もそうですけど、今朝、お会いした斗輝様も非常に楽しみにしていらっしゃいましたね」
「実は、駄菓子屋に行くほかに、色々計画しているんです。畑で斗輝と野菜を収穫したり、バーベキューをしたりとか。あっ、近所の小川で、釣りもするんですよ」
「それはそれは、楽しい連休になりそうですね」
そんな話をしているうち、トイレに到着した。
この時間帯に講義はなく、わざわざ三階までやってくる生徒はいないので、ここには僕と浅見さんしかいない。
「奏太君、俺がバッグを持っていますよ」
浅見さんの提案に、僕は遠慮なく頷く。
「お願いします」
ハンカチを取り出してからバッグを手渡すと、扉を押してトイレの中へと入っていった。
用を足した僕は、ピカピカの鏡が設置されている手洗い場へと向かう。
まるでおしゃれなカフェの中にあるトイレみたいで、毎回ちょっとウキウキしてしまうのだ。
しっかりと石けんを付けて洗い、泡を洗い流すと、ハンカチで手を拭う。
その時、鏡の中に僕以外の人が映った。
帽子を目深に被っている作業着姿の男の人だ。
その人のそばには、箒や替えのトイレットペーパーなどが入った掃除道具用の大きなワゴンがある。
大学構内には彼と同じかっこうをした掃除要員があちこちにいて、廊下や学食内でもよく見かける。
こんな風にトイレ内に現れるのも、別におかしなことではない。
ただ、僕の真後ろに立つのは、明らかに妙だ。
僕が無言でいると、鏡の中でその男の人と目が合う。
そして、その人がニヤリと笑った瞬間、後ろから回ってきた手の中にある布で僕の口元が覆われた。
その布にはなにかの薬品が染み込まされていたらしく、徐々に体から力が抜けてしまう。
「おいおい、チョロすぎるだろ」
掃除要員のかっこうをした何者かが楽し気に零す声を聞きながら、僕の意識はスウッと闇に呑み込まれていった。
割と浅い位置で漂っていた僕の意識がゆっくりと浮上していく。
あの布に使われた薬品は、それほど強いものではなかったようだ。
僕は静かに目を開けたのち、シパシパと瞬きを繰り返す。
部屋の中は薄暗くて、また、講義が行われる教室のような広さもない。
この大学に入ってまだ一ヶ月も経っていない僕には、ここがどこなのかさっぱり見当が付かなかった。
そもそも、ここは大学構内なのだろうか。
トイレで襲われたあと、外に連れ出されたのだろうか。
少しだけ頭がクラクラしているものの、意識がひどく混濁しているということはなさそうだ。
また、吐き気もなく、体調にも大きな問題はないだろう。
だけど、椅子に座らされている僕は後ろ手に紐みたいなもので縛られていて、左右の足首は椅子の足にそれぞれ括り付けられていた。
試しに腕や足を動かしてみるものの、多少椅子が揺れるだけで、紐らしきものが解ける様子はなかった。
――これじゃ、動けないや。
僕が大きくため息を零すと同時に、クスクスと楽しそうに笑う軽やかな声が耳に届く。
――誰?
顔を上げると、三メートルくらい離れたところに、人が立っていた。
その人は僕と同じくらいの年齢だろう。
口元に手を当てて笑っているその人は男性のはずなのに、綺麗という言葉がこれ以上なく似合うほどに顔立ちが整っていた。
笑うたびに揺れる明るい茶色の髪はサラサラで、薄暗い中でも艶があるのが分かる。
細めの眉はシュッとしていて、嫌味なく整えられている。
ぱっちりとした二重に囲まれた目は大きく、遠くからでもまつ毛が長いことは見て取れた。
形のいい鼻も、プルンとした唇も、絶妙な位置に収まっている。
ほっそりとしている体はそんなに身長が高くないものの、顔が小さくて手足がスラリとしているため、バランスがいい。
そして、高級品に詳しくない僕でも、彼が着ている服はいいものだと思えた。
美形でおしゃれでお金持ちらしきその人は、きっとオメガだ。
斗輝を熱っぽく見つめていたオメガたちも顔立ちが整っていた人は多かったけれど、僕の視線の先にいる彼は群を抜いた存在感がある。
斗輝と並んで立っても遜色ないような、そんなオメガだった。
僕に近付こうとしている人の視線は相変わらず多いけれど、浅見さんが常に僕の隣にいる。
しかも、河原先輩や海野先輩が僕を見かけるたびに声をかけてくれるので、その人たちは簡単に僕との距離が詰められないでいるみたいだった。
今日の講義が終わり、僕は帰り支度をしている。
勉強道具をすべてバッグに入れたところで、浅見さんが「では、行きましょうか」と声をかけてきた。
教室を出て少し歩いてから、僕は浅見さんを見上げる。
「あの……、トイレに行ってもいいでしょうか?」
彼はニコッと笑い、「どうぞ」と言ってくれた。
僕が今いる講義棟はこの春に新設されたばかりで、どこもかしこも綺麗だ。
もちろんトイレも綺麗で、僕はこの棟のトイレをよく使っているのだ。
ただ、講義が終わったばかりということと、僕と同じように綺麗なトイレを使いたい生徒が多いせいで、この先にある一階のトイレには次々と人が入っていく。
だから、僕はいつも三階まで行っていた。
浅見さんと一緒に階段を上りながら、明日から始まる連休のことをあれこれと話している。
「今の奏太君もそうですけど、今朝、お会いした斗輝様も非常に楽しみにしていらっしゃいましたね」
「実は、駄菓子屋に行くほかに、色々計画しているんです。畑で斗輝と野菜を収穫したり、バーベキューをしたりとか。あっ、近所の小川で、釣りもするんですよ」
「それはそれは、楽しい連休になりそうですね」
そんな話をしているうち、トイレに到着した。
この時間帯に講義はなく、わざわざ三階までやってくる生徒はいないので、ここには僕と浅見さんしかいない。
「奏太君、俺がバッグを持っていますよ」
浅見さんの提案に、僕は遠慮なく頷く。
「お願いします」
ハンカチを取り出してからバッグを手渡すと、扉を押してトイレの中へと入っていった。
用を足した僕は、ピカピカの鏡が設置されている手洗い場へと向かう。
まるでおしゃれなカフェの中にあるトイレみたいで、毎回ちょっとウキウキしてしまうのだ。
しっかりと石けんを付けて洗い、泡を洗い流すと、ハンカチで手を拭う。
その時、鏡の中に僕以外の人が映った。
帽子を目深に被っている作業着姿の男の人だ。
その人のそばには、箒や替えのトイレットペーパーなどが入った掃除道具用の大きなワゴンがある。
大学構内には彼と同じかっこうをした掃除要員があちこちにいて、廊下や学食内でもよく見かける。
こんな風にトイレ内に現れるのも、別におかしなことではない。
ただ、僕の真後ろに立つのは、明らかに妙だ。
僕が無言でいると、鏡の中でその男の人と目が合う。
そして、その人がニヤリと笑った瞬間、後ろから回ってきた手の中にある布で僕の口元が覆われた。
その布にはなにかの薬品が染み込まされていたらしく、徐々に体から力が抜けてしまう。
「おいおい、チョロすぎるだろ」
掃除要員のかっこうをした何者かが楽し気に零す声を聞きながら、僕の意識はスウッと闇に呑み込まれていった。
割と浅い位置で漂っていた僕の意識がゆっくりと浮上していく。
あの布に使われた薬品は、それほど強いものではなかったようだ。
僕は静かに目を開けたのち、シパシパと瞬きを繰り返す。
部屋の中は薄暗くて、また、講義が行われる教室のような広さもない。
この大学に入ってまだ一ヶ月も経っていない僕には、ここがどこなのかさっぱり見当が付かなかった。
そもそも、ここは大学構内なのだろうか。
トイレで襲われたあと、外に連れ出されたのだろうか。
少しだけ頭がクラクラしているものの、意識がひどく混濁しているということはなさそうだ。
また、吐き気もなく、体調にも大きな問題はないだろう。
だけど、椅子に座らされている僕は後ろ手に紐みたいなもので縛られていて、左右の足首は椅子の足にそれぞれ括り付けられていた。
試しに腕や足を動かしてみるものの、多少椅子が揺れるだけで、紐らしきものが解ける様子はなかった。
――これじゃ、動けないや。
僕が大きくため息を零すと同時に、クスクスと楽しそうに笑う軽やかな声が耳に届く。
――誰?
顔を上げると、三メートルくらい離れたところに、人が立っていた。
その人は僕と同じくらいの年齢だろう。
口元に手を当てて笑っているその人は男性のはずなのに、綺麗という言葉がこれ以上なく似合うほどに顔立ちが整っていた。
笑うたびに揺れる明るい茶色の髪はサラサラで、薄暗い中でも艶があるのが分かる。
細めの眉はシュッとしていて、嫌味なく整えられている。
ぱっちりとした二重に囲まれた目は大きく、遠くからでもまつ毛が長いことは見て取れた。
形のいい鼻も、プルンとした唇も、絶妙な位置に収まっている。
ほっそりとしている体はそんなに身長が高くないものの、顔が小さくて手足がスラリとしているため、バランスがいい。
そして、高級品に詳しくない僕でも、彼が着ている服はいいものだと思えた。
美形でおしゃれでお金持ちらしきその人は、きっとオメガだ。
斗輝を熱っぽく見つめていたオメガたちも顔立ちが整っていた人は多かったけれど、僕の視線の先にいる彼は群を抜いた存在感がある。
斗輝と並んで立っても遜色ないような、そんなオメガだった。
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