その香り。その瞳。

京 みやこ

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(129)SIDE:奏太

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 役所内に入ると、清水先輩が受け付けの人になにかを話しかける。
 その様子を、僕と斗輝が少し離れたところから眺めていた。
 フロア案内図は入り口に大きく表示されているので、行き先が分からないということではないだろう。
 なにをしているのかと見守っていたら、受け付けの人が電話をかけ、その後すぐにビシッとしたスーツ姿の男性が現れた。
 その男性を伴って、先輩がこちらへやってくる。
「斗輝様。奏太様の手続きは、別室で行いますので」
「分かった」
 先輩に話しかけられ、斗輝が短く頷き返した。
「え?」
 パチクリと瞬きする僕の手を引き、斗輝は男性と清水先輩について歩き出す。
 やがて、『応接室』というプレートがドアに貼られている部屋に案内され、僕と斗輝はソファへ座るように促された。

――手続きって、窓口でするんじゃないの?

 出されたお茶に手をつけることなく、僕はキョロキョロと部屋の中を見回す。
 そのうちに、さっきの男性がパソコンを持って来て、部屋の隅にあるなにかの機械に接続した。
 清水先輩の話では、ここですべての手続きをすることが可能だとか。
 斗輝は有名人なので、こういった部屋で個別に行ったほうが、混乱が起きないとのことだった。
「それでは、住所変更から行いましょう」
「よ、宜しくお願いします」 
 初めてのことに戸惑うけれど、職員さんが丁寧に教えてくれたのと、清水先輩が事前に準備をしてくれたおかげで、申請はすんなり終わりそうだ。
 
――先輩はまだ大学生なのに、すっかり秘書って感じだなぁ。

 お茶をすすりながら、心の中でそんなことを呟く。
 斗輝もかなり大人びていてしっかりしているけれど、やっぱり清水先輩もかなり落ち着いていると思う。
「手続きは、以上です。お疲れ様でございました」
 職員さんは一礼して、部屋を出ていった。僕たちはもう少しゆっくりしていいとのことだ。
 職員さんを見送った清水先輩が、僕を見てフッと口角を上げる。
「奏太様、一通りの手続きが終わりましたよ」
「ありがとうございます、助かりました」
 ペコッと頭を下げると、先輩がクスッと笑った。
「次に役所へ来るとなったら、婚姻届けの提出でしょうか」
「……え?」
 思いがけないことを言われ、僕はきょとんとしてしまう。
 その数秒後、ボワッと顔が熱くなった。
「いえ、あの、それは……」
 しどろもどろになる僕を、先輩が優しいまなざしで見ている。
「自分の家族ができるというのは、とてもいいものですよ。早く、その日が来ることを願っております」
 そこに、斗輝が割り込んできた。
「だったら、今日のうちに提出してしまおうか」
 そう言って、隣に座っている彼が僕の頭を大きな手で撫でる。
 そんな彼に向って、清水先輩が苦笑を零した。
「斗輝様、さすがにそれは無理ですよ。奏太様のご家族には、まだ直接のご挨拶を済ませておりませんよね。やはり、その辺りのことは筋を通しませんと。奏太様は、未成年ですし」
 途端に、斗輝が憮然とした表情を浮かべる。
「清水は、知り合ってすぐに婚姻届けを提出したじゃないか。当時のお前の番は、十八歳だったよな」
 十八と言ったら、僕と同じ年齢である。
 それでも清水先輩は表情を変えず、静かに微笑んだままだ。
「彼女は高校を卒業してすぐに、清水の屋敷で働き始めましたから、確かにそうですね。とはいえ、彼女の後見人が私の父でしたので、すんなりと事が進んだだけのことです。まぁ、私のことはいいではありませんか」
 余裕の表情で微笑んでいる先輩に、斗輝は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「五月の連休できっちり話をつけ、できるだけ早く奏太と籍を入れてみせる」
「その時は、また役所まで同行いたしますよ。では、そろそろ帰りましょうか」
 清水先輩が出口へと促してきたのだが、僕はソファに座ったまま動かなかった。
「奏太、どうした? なにか、気になることでもあるのか?」
 不機嫌な表情はすっかり消え、斗輝はいつもの穏やかさで僕に声を掛けてくる。
「あ、あの……、ちょっと、お願いが……」
「なんだ、言ってみろ」
「どうぞ、遠慮なさらずに」
 僕は彼と先輩の顔を交互に見遣ってから、オズオズと申し出る。
「こ……、婚姻届けって、前もってもらうことは、できますか? も、もちろん、提出はしませんけど……、お守りにしたいというか……」
 連休に僕の地元へ斗輝と一緒に行くことになっているのだが、その際に僕が婚姻届けを持っていたら、家族は僕の本気を分かってくれるのではないかと考えてのことだ。
 東京に行ったばかりで、僕はまだ十八歳で、末っ子ということで頼りなく思われていて。
 だから、僕の家族は『結婚なんて、まだ早い』と言い出す可能性がある。
 それもあって、僕の本気を伝えるための手段として、婚姻届けを家族に見せるということを思い付いたのだ。
 単純かもしれないが、今の僕にできることは、このくらいしかなかった。
 勇気を出して二人に伝えたのだが、斗輝も先輩も、目を見開いて固まっていた。
 その様子を見て、僕の顔も強張った。

――やっぱり、馬鹿なことを言っちゃったんだ!

 僕は慌ててブンブンと手を振った。
「え、えっと、今のは、ナシです! ちょっと言ってみただけですから、本気にしないでください! じゃ、じゃあ、行きましょうか!」
 勢いよく立ち上がった僕の左手首を、斗輝がパシッと掴む。
「えっ!?」
 そちらに視線を向けると、満面の笑みを浮かべる彼の顔があった。
 てっきり呆れられたかと思ったのに、まるっきり真逆の反応である。

――喜んでいるってこと……、だよね?

 呆気に取られていたら、掴まれた手首をグッと引っ張られた。
「わぁっ」
 油断していた僕はバランスを崩し、彼の胸に飛び込んでいく。
 そんな僕を、斗輝がしっかりと抱き留めた。
「奏太、奏太……」
 斗輝は僕の名前を嬉しそうに繰り返し、ギュウギュウと僕を抱き締める。
 あまりに苦しいのと恥ずかしさで、僕はジタバタと暴れた。
「は、放して……」
「嫌だ。奏太が可愛すぎるから、放したくない」
 斗輝は僕の髪に顔を埋め、頬ずりをしてくる。そしてさらに僕を強く抱き込み、動きを封じてきた。
 なので、僕はさらに腕や足をバタバタと動かす。
 そんな攻防を続けている間に、清水先輩がどこかに行き、なにかを手に持って帰ってきた。
「奏太様、婚姻届けをいただいてきましたよ。それでは、今度こそ帰りましょうか」
 それを聞いて斗輝がようやく僕を解放し、僕はやれやれと言わんばかりに苦笑いを零した。 
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