その香り。その瞳。

京 みやこ

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(125)SIDE:奏太

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 清水先輩は洗面所や浴室の片付け、二葉先生は玄関周りとその他の場所の片付けをお願いすることに。
 僕と斗輝は、まず洋服や机周りの日用品を片付けることにした。
 細々したものが多いけれど、Tシャツやトレーナー、下着や靴下などは小振りなタンスに入っているので、そのまま運び出してもらう。
 シャツや上着類はハンガーラックにかけたままでも大丈夫と言うので、それほど大変な作業にはならないはずだ。
 机周りの荷物も、教科書や参考書、文房具類ばかりなので、三十分もあれば作業が終わるだろう。
 残りの三十分で、キッチンを片付ける予定だ。
 一人暮らしなので、食器も調理道具も少ない。
 清水先輩には、冷蔵庫の中を片付けるついでになにか作ると話してあるので、さっき言われた作業時間には食事の時間は入っていなかった。
「さて、始めるか」
 そう言って、斗輝はなぜかタンスを開けた。
「あの……、タンスの中身は、そのままでいいそうですよ」
 後で引き出しが開かないように業者さんが固定してくれるらしいので、いちいち中身を段ボールに箱詰めしなくて済むのだ。
 その話は彼も聞いていたのに、どういうことだろうか。
 しげしげと眺めている彼に声を掛けたのだが、斗輝は続いて二段目の引き出しを開ける。
「斗輝?」

――本当に、なにをしているんだ?

 首を傾げる僕をよそに、彼はすべての引き出しを開けては中を確認し、最後に満足気な笑みを浮かべた。
「奏太がここで生活していたことを、少しでも感じ取ろうと思ってな」
「……はい?」
 斗輝はキョトンとする僕に微笑みかけると、続いて机を撫で始める。
 ひとしきり撫でてから、おもむろに椅子へと腰を下ろした。
「奏太はこの椅子に座って、勉強していたのか」
 しみじみ呟き、机の上に置いてある教科書をパラパラとめくった。

 こんな調子なので、なかなか作業が進まない。
 おまけに、斗輝はなにかにつけて僕にちょっかいを仕掛けてくるのだ。

「清水先輩も二葉先生も、黙々と片付けや荷造りをしてくれていますよ。僕たちが率先して動きませんと。一応、一時間で作業を終えることになっていますし」
 机に軽く腰を掛けた彼に手を繋がれている僕は、困ったように笑いながら彼に声を掛けた。
 すると、斗輝が清水先輩を呼んだ。
「業者が部屋に来る時間を遅らせてくれ」
「かしこまりました」
 先輩はその申し出を不思議に感じることもなく、スッと白い手袋を外してスマートフォンで連絡を入れ始めた。
 そしていくつかのやり取りの後、通話を終えた先輩は斗輝に視線を向ける。
「引っ越し業者には、作業の進み具合を見て改めて連絡すると伝えました」
「そうか」
 斗輝は自分のせいで予定をずらしてもらったというのに、あまり悪びれた様子がない。
「すみません、清水先輩」
 代わりに僕がペコリと頭を下げたら、静かな苦笑が返ってきた。
「どうぞ、お気になさらずに。想定内のことですから」
「え?」
 パチクリと瞬きを繰り返す僕の様子に、先輩が苦笑を深める。
「初めて奏太様の部屋に入られた斗輝様が、浮かれないはずなどありませんので。まして、この部屋は今日で引き払いますから、なおのことです」
「はぁ……」
 先輩の先読みにさすがと言うべきか、斗輝の行動に呆れるべきか。
 僕はなんとも表現しがたい顔で、気の抜けた返事をしたのだった。



 案の定、一時間経っても僕たちが担当した場所の片付けは、完全に終わることはなかった。
 それでも、清水先輩と二葉先生は呆れたり怒ったりしてこない。
 つまり、斗輝の行動は、アルファの二人が納得できるものということだろう。

――いいのかな、こんな調子で。

 僕は心の中で呟きながら、教科書を箱に詰めていく。
 斗輝も僕に構ってばかりいないで、今は細かい筆記用具類を小振りな箱に詰めていた。
 そこに、二葉先生がヒョコッと顔を出す。
「奏太君、こっちの片付けは終わったよ。今から、水道や電気の停止手続きの連絡入れるね。明日には完全に止まるから、安心して。ああ、管理会社への退去連絡は、僕がしておくよ」
 続いて、清水先輩も顔を出した。
「こちらの片付けも、ほぼ終わりました。あとは、キッチンですね。奏太様の調理時間を考えまして、二時間後くらいに引っ越し業者を来させましょう」
 二人ともなんて事のない調子で言っているけれど、僕は気になっていることがあった。
「今日、いきなりの引っ越しになりましたけど。それって、大丈夫なんですか? えっと、今さらですけど……」
 申し訳なさそうに告げたら、二人はクスッと小さく笑う。
「奏太君にちゃんと説明していなかったけど、このマンション、篠岡の持ち物だからね。退去の時は僕が立ち会うし、なんの心配もいらないよ」
「奏太様の引っ越しは、いきなりではありませんので。斗輝様が奏太様に出逢われた日から、手筈は整えておりました。それと、澤泉グループの引っ越し業者ですから、斗輝様の一声で、いくらでも融通は利きます」
 二人に笑顔を向けられ、僕はチラッと斗輝を見上げた。
 彼は目を細め、柔らかい笑みを浮かべる。
「そういうことだ。奏太が心配したり、遠慮することはないんだぞ」
「そんな訳にはいきませんよ、僕は斗輝のような偉い人じゃないですし」
「だが、俺の番だから、同等の立場だ」
「それでも、僕が偉そうにするのは、絶対に違うと思うんです」
 そんなやり取りをしていたら、二葉先生と清水先輩が感心したように囁く。
「分かっていたけど、こんな奏太君なら、骨抜きになるのも当然だねぇ」
「まったくです。利益に群がる蟻どもと、なにもかもが違います」
 温かい目で見守られていることに気恥ずかしくなって、僕は斗輝の胸をグイッと両手で押しやった。
「そうだ、キッチンを片付けないと! あと、料理もしなくちゃ!」
 照れ隠しに大きな声を出し、僕はそそくさとその場から離れる。

 とはいえ、移動しても、間取りの都合上、身を隠すことはできない。

 そのせいで、三人が自分の番がいかに可愛いのかと言い合っている様子が耳に入ってしまう。
 微笑ましい気分になったり恥ずかしくなったりしながら、僕は冷蔵庫や野菜室の中身をチェックしていた。
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