その香り。その瞳。

京 みやこ

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(123)SIDE:奏太

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 斗輝と清水先輩は、いかに自分の番が可愛いのかと、静かな口調で意見をぶつけている。
 二人とも穏やかな表情だけど、一歩も譲らないという雰囲気だ。

――こういう時って、どうしたらいいんだろう。このままでいいのかな?

 どのタイミングで割って入ったらいいのか分からなくて、僕は戸惑いながら二人の顔を眺めていた。
 そこに、「おはよう、奏太君」と、声がかかる。
 そちらに顔を向けたら、呆れたように笑っている二葉先生が立っていた。
 今日の二葉先生は白衣を着ていないし、普段なら軽く上げて流している前髪を下ろしている。
 そのせいか、ちょっと若く見えた。
 でも、穏やかで頼りになりそうな感じは変わっていない。
 斗輝と清水先輩をどうやって止めたらいいのか分からなかった僕は、一気に安心して頬が綻ぶ。
「おはようございます、先生」
 僕がニッコリ笑いかけると、先生はフワリと目を細めて微笑み返してくれた。
「ところで、二人はなにをしているのかな?」
 問いかけられて、僕は斗輝たちをチラリと見てから口を開く。
「えっと……、どっちの番が可愛いのかって話しています。二人とも譲らないので、いっこうに終わらなくて」
 それを聞いて、二葉先生がフッと短く息を吐いた。
「なるほど、そうだったのか」
 先生が登場したことで、斗輝と清水先輩は言い合いをやめる。
 でも、すぐにでも再開しそうな空気があった。
 二葉先生はこちらに歩み寄ってくると、二人の顔を交互に見遣った。
 そして、ニヤリと片頬を上げる。
「どちらの番が可愛いのかだって? そんなの、僕の番に決まっているでしょう」
 
――ええっ!? それを、このタイミングで言っちゃうの!?

 これでは、事態が収まるどころか、三つ巴の言い合いになってしまうではないか。
 ところが、オロオロする僕をよそに、二葉先生は余裕たっぷりに笑った。
「ともかく、今は奏太君の引っ越しを終わらせないと。斗輝君、二人での生活が遅れてもいいんですか?」
 それを聞いた斗輝は、ハッと息を呑む。
「いや、よくない。絶対に駄目だ」
「ですよね」
 そう返した二葉先生は、続いて清水先輩に声を掛ける。
「斗輝君をサポートするのは、君の役目だったはずだけど」
 先輩は申し訳なさそうに、視線をソッと伏せた。
「すみませんでした。私の番のことになると、つい……」
「まぁ、気持ちは分かるよ。でも、さっきも言ったように、一番可愛いのは僕の番。はい、これが結論」
 パンパンと手を叩いた先生が、僕に視線を向ける。
「さて、奏太君。部屋に案内してくれるかな」
「はい、分かりました」
 コクンと頷き返した僕は、斗輝と手を繋いだまま歩き出した。
 斗輝も清水先輩も、二葉先生には敵わないらしい。お互い視線を合わせると、苦笑を浮かべながら、大人しく歩いている。
 家柄や資産の点で澤泉家は篠岡家よりも上だし、清水先輩のずば抜けた優秀さは大学内では誰もが知るところだ。
 だけど、やっぱりここは歳の甲ということで、二葉先生に軍配が上がる。
 誰も傷つくことなく、場の空気をすんなり丸く収めてしまったのはさすがだ。

――ホント、頼りになるなぁ。

 東京に出て来て家族と離れて暮らすことになっても、僕が不自由さも寂しさも感じなかったのは、優しくて面倒見がよくて頼りになる二葉先生の存在が大きい。まるで、もう一人のお兄ちゃんといった感じなのである。
「奏太」
 廊下を歩いていると、ふいに名前を呼ばれた。
 隣にいる斗輝を見上げたら、彼は困ったように笑っている。
「二葉に諫められるとは、かっこ悪いところを見せたな」
 僕はクスッと笑って、首を横に振った。
「斗輝はいつでもかっこいいですよ。それに、僕が一番可愛いと言ってくれて、嬉しかったです」
 ムキになって一歩も引かなかったのは、ちょっと大人げなかったけれど、まったく照れることなく堂々と僕のことを可愛いと言い続けてくれたのは、こっちとしても嬉しかった。
 僕が繋いでいる手にギュッと力を込めたら、彼も優しく握り返してくれる。
「やはり、奏太は俺を喜ばせる天才だ。奏太にそう言ってもらえて、俺は本当に幸せ者だよ」
「そんな、僕のほうこそ、幸せ者ですって」

 そこに、割って入る声が。

「なにをおっしゃいますか。幸せなのは、私のほうです」
「いや、僕だね。断言してもいい」
 すかさず清水先輩と二葉先生が口を挟んできたので、僕はクスクスと笑ってしまった。
「みんなが幸せと言うことでいいじゃないですか。……でも、誰よりも幸せなのは、僕ですよ」
 ワイワイと言い合う雰囲気が楽しくて、僕もつい言い返してしまった。
 すると、いきなり足を止めた斗輝が、繋いでいないほうの手を僕に回して強く抱き締めてくる。
 そんな僕たちを見て、清水先輩と二葉先生がボソリと呟く。
「早めに奏太様の引っ越しを済ませて、家に帰りましょう」
「ああ、同感だ。こんな姿を見せられたら、早く番に会いたくてたまらない」
 二人の呟きは、恥ずかしさでアワアワしていた僕の耳には届かなかった。

 なんだかんだありながらも、僕は部屋の前にやって来た。
 扉の鍵を開け、玄関内に入る。
 一週間留守にしていたので空気がこもっているものの、常に換気扇を回していることもあり、変な臭いなどはしなかった。
「あの、どうぞ」
 僕は皆に上がるように告げる。
 お客さん用のスリッパがないけれど、締め切りにしていたので、目に見えるようなホコリは溜まっていない。靴下で歩いても、大丈夫だろう。
 皆は超一流の家柄にもかからわず、戸惑うことなく玄関から上がった。
「ここが、奏太の部屋か」
 斗輝がしみじみと呟き、周囲を見回す。
 学生の一人暮らしなので、コンパクトな造りの部屋だ。澤泉の御曹司である斗輝は、ワンルームでの生活なんてしたことがないだろう。
 物珍しいのか、彼はじっくりと部屋を眺めていた。
「どうかしました?」
 僕が声を掛けると、斗輝がユルリと目を細める。
「奏太が暮らす部屋に遊びに来るというのは、いかにも恋人らしくていいものだっただろうなと思ってな」
 まともな交際期間もなく番という関係になったので、お互いの家に行き来するということがなかった。
 僕がこの部屋で彼を出迎えるというのは、けっこう楽しいものだったかったかもしれない。
 そういった楽しみはこの先味わうことはできないのだ。なんとなく寂しい気もする。
「たしかに、そうかもしれませんね」
 ポツリと呟いたら、すかさず斗輝が言葉を返してくる。
「だが、一刻も早く、奏太との二人暮らしを始めたい」
「それは、僕も同じ気持ちです」
 僕は彼を見上げ、ニコッと笑う。
「もう、この部屋で斗輝と過ごすことはありませんが、料理を食べてもらうくらいは、今ならできますよ。冷蔵庫や冷凍庫に、いくつか食材が残っていますし」
 野菜類はダメになったものがあるかもしれないが、あり合わせの材料で、ちょっとしたおかずや味噌汁くらいは作れるはず。
「それは楽しみだ」
 僕の提案に、斗輝の顔が綻んだ。
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