その香り。その瞳。

京 みやこ

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(103)SIDE:奏太

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 斗輝の手の平から伝わる温もりのおかげで、僕の体から強張りが徐々に抜けていく。
 それでも、『彼に嫌われたらどうしよう』という思いまでは抜けなくて、考えていたことをすんなり言葉にはできなかった。
 僕が口を開けたり閉じたりを繰り返していると、斗輝の顔がゆっくりと近付いている。
「奏太」
 穏やかな光を浮かべた瞳でこちらを見つめながら、彼が僕の名前を呼んだ。 
 その声はすごく優しいけれど、まだ僕はなにも言えないでいる。

――このまま黙っていたら、それこそ嫌われちゃう? でも、言ったら嫌われるよね?

 どっちにしても嫌われるなら、どうしたらいいのだろうか。
 下唇を噛みしめて黙り込んでいたら、また名前を呼ばれた。
「奏太」
 困っている感じの声音にチラリと視線を上げたら、彼は眉尻を僅かに下げて苦笑いを浮かべている。
「そんな顔をしないでくれ」
「……あ、変な顔をしてごめんなさい」
 泣きたいのを我慢する時、だいたい人は珍妙な表情となるものだ。
 小さな声で謝ったら、彼はユルリと首を横に振ってみせる。
「こんなにも可愛い顔をして、なにを言ってるんだ」
 クスッと笑った彼は、右親指の腹で僕の下唇を優しく撫でた。
「唇を噛んだら、傷になる。それにキスをして慰めてやりたいのに、外では駄目だと言われたからな」
 彼は律儀にも僕のわがままを受け入れている。

――僕がなにを言っても、思うままに振舞うのが本来のアルファなのに。

 つい、唇を噛む力が強くなってしまう。
 その時、僕の頬を覆っていた斗輝の手がスッと離れていった。

――とうとう、嫌われた?

 そう思った瞬間に、斗輝は纏っていたロングカーディガンを素早く脱ぎ、僕たちの頭にバサリと被せる。
 突然視界が薄暗くなって驚いていると、彼の整った顔が近付いてきた。
 そしてなんだか分からないうちに、いきなり唇が塞がれる。
 やや強引に彼の唇が押し付けられ、舌が僕の唇の合わせ目から無理やりに進入しようとしてきた。
 そんなことをされたら、唇を噛んでいられない。へたに力を入れると、彼の舌を傷付けてしまう。
 僕が慌てて顎の力を抜いた途端、彼の舌が口内に入ってきた。
 斗輝は僕の舌に自分の舌を一度巻きつけただけで、静かにキスを解く。
 戸惑いがちに彼を見上げると、形のいい目がいたずらっ子のように弧を描いた。
「これなら、キスをしても周りから見えないな」
 確かに彼の言う通りだけど、公園の中で頭からカーディガンを被っている僕たちの姿は、ある意味目立つのではないだろうか。
 それは斗輝も分かっているようで、スルリとカーディガンを取り去り、ふたたび袖を通した。
 ザッと服装を整えた斗輝は、僕の髪を手で撫でる。
「奏太、もう唇を噛むなよ。まぁ、そのたびにカーディガンを被って、キスをすればいいか」
 クスクスと楽しそうに笑っている彼は、改めて僕の目を覗き込んできた。
「奏太が心配することは、なにもないんだ。だから、正直に胸の内を話してほしい。唇を噛んでまで、奏太が我慢する必要はない」
 優しい彼を前にして、自分がどれほど駄目な人間かと思い知らされる。

――斗輝と一緒に歩いていくって決めたのに。

 その決意には嘘はなかったけれど、ふとした拍子に心がぐらついてしまう自分が情けなくてたまらない。
 無意識のうちに唇を噛みそうになると、斗輝が少しだけ視線を下げた。
 どうやら、僕の口元を見つめているらしい。
 その目は僕がいつ下唇を噛むのか心配しているのではなく、キスをするタイミングを虎視眈々と窺っているような印象があった。
「……キス、したいんですか?」
 ポツリと尋ねたら、グッと彼の顔が近付いてくる。
「いいのか?」
「い、いえ、駄目です。困ります」
 とっさにお断りしてしまうと、なんとなく斗輝がしょんぼりした感じになった。
 なんでもできてなんでも持っている人が、たかが僕とキスができなかったくらいで、落ち込むとは。
 キスを阻止できたことにホッとすると以上に、またしても申し訳なさがこみ上げる。
 ごめんなさいと謝ろうとして口を開きかけたら、彼の目がまたしてもいたずらっ子のように弧を描いた。
「なぁ、奏太」
「は、はい……」
 恐る恐る返事をしたら、彼の目はさらに細くなる。
「正直に言わないと、キス、するぞ」
「……え?」
「さぁ、どうする。奏太が好きなほうを選んでくれ」
 そんなことを言われても、選べるわけがない。
「え、えっと、あの……」
 オロオロと視線を彷徨わせていたら、斗輝がカーディガンに手をかける。
 優雅な仕草でスルリとカーディガンを脱ぎ、さっきのように二人の頭上にかざそうとしてきた。

――え? 本気?

 僕の心の中で零した言葉を聞いたかのタイミングで、斗輝がフッと口角を上げる。
「もちろん、本気だ」
 そう言いながら、ゆっくりとカーディガンを二人の頭に被せようとしてきた。
 言葉の通り、彼の態度は本気なのだろう。蕩けるように甘く、おまけに艶っぽい視線で僕の唇を狙っている。
 いくら周りからの視線を遮ったところで、僕たちの状況を察する通行人はいるだろう。護衛の人たちは、言わずもがなだ。
 僕は慌てて彼から半歩下がり、「分かりました、言います!」と声を上げた。
 すると、斗輝はカーディガンを持っていた手を静かに下げる。
「なら、話してくれ」
 僕を促すものの、彼の表情は曇っている。
「……そんなに、僕と、キスがしたかったんですか?」
 オズオズと尋ねたら、「当然だろう」と即答された。
「どんな口実でも、奏太とキスができれば幸せだ」
 真剣な目でジッと唇を見つめられ、妙な気恥ずかしさがこみ上げる。
 とはいえ、このまま話を逸らしたり、黙り込んでしまったら、今度こそ容赦なくキスをされるだろう。
「と……、とりあえず、座りませんか?」
 近くにあるベンチを指で示すと、その手を斗輝が包み込んだ。
 そして、ほんの数歩の距離だというのに、彼は僕を丁寧にエスコートしてベンチへと座らせる。
「ありがとう、ございます……」
 ペコリと頭を下げると、斗輝はポンと僕の頭を軽く叩く。
「さてと、話を聞かせてくれ」
「……はい」
 彼が僕の右側に腰を下ろしたところで、覚悟を決めた僕はゆっくりと口を開いた。
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