その香り。その瞳。

京 みやこ

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(6)SIDE:斗輝

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*しばらく斗輝視点が続きます。


◆◆◆◆◆



 清水から俺の番が医務室に向かったと聞き、がむしゃらに走った。
 そんな俺にオメガたちが声を掛け、嬉しそうに走り寄り、色を含んだ視線を向けてくるが、すべて無視だ。
 これまでだって、オメガたちには大した興味を向けなかったのだ。やっと巡り逢えた番が手に届くところに現れたというのに、一瞬だって興味を向けてやるつもりはない。
 息が切れ、心臓が壊れそうなほどの苦しさを覚えた頃、ようやく、目的の場所に辿り着いた。
 壊す勢いで扉を開けると、視線の先には大粒の涙を流している愛しい人の姿がある。彼の傍に自分以外の人間がいることに苛立ちが込み上げるが、ひとまず抑えよう。
 ここに向かいながら聞いた清水の話によると、校医である篠岡二葉は、俺の番の保護者でもあるそうだ。
 なんの後ろ盾もない上に、社会的には立場の弱いオメガである彼を表でも裏でも守るには、大学の校医であることも、澤泉に次ぐ財閥である篠岡家の次男であることも、かなり有効だ。
 また、篠岡がこの大学にいたからこそ、俺の番が東京に出てきたのだと思えば、同じ空間にいたことくらいは許してやってもいいだろう。
 それに、篠岡は既に番を得ているアルファだ。俺と篠岡は生徒と校医という繋がりだけではなく、家族ぐるみの交流があるので、彼の番に会ったこともある。
 となれば、篠岡が発情した番以外のオメガに手を出すこともないし、また、己の番に手を出された時のアルファの怒りを理解しているはず。
 清水は篠岡の話とともに、俺の番のことも手短に説明してくれた。
 名前は安藤奏太。この春に大学一年生となり、現在十八歳。六月二十日が誕生日だそうだ。

――奏太、奏太……

 俺は彼の名前を心の中で呟きながら、深く吸い込んだ息をゆっくり吐き出すことで、色々な意味で昂っていた気持ちを落ち着かせる。
 頃合いを見てベッドに近付けば、篠岡が静かに一歩下がった。
 そんな篠岡に向かって、奏太が震える手を伸ばす。
「せんせ……、くすり、ちょうだい……。いつもより、つよいくすり、あるんでしょう……?」
 舌っ足らずな物言いは非常に可愛いが、俺以外の者に頼ろうとする態度に悔しさを感じた。
 俺の思いに気付いていない奏太は、なおも薬を欲しがる。
「お……、おねが、い。せんせぇ……」
「強い薬は、さらに負担が大きくなる。それに、ここまで発情してしまうと、規定量以上に抑制剤を服用しても、効果が見込めない可能性もあるんだ。奏太君の体のことを考えたら、お勧めできないな」
 穏やかに微笑みつつも、篠岡は奏太の頼みを頑として受け入れなかった。校医である彼は、抑制剤の副作用をよく理解しているのだ。
「で、でも……、こんなの、たえられないよぉ……」
 大きな目から涙を零し、奏太が泣きじゃくる。
 アルファである俺には、オメガの発情期のつらさは理解できない。
 だが、発情期を迎えたオメガの母親がグズグズに蕩け、自分の意志で立っていることもできない状況は、過去に偶然目にしたことがある。その姿は、本当に苦しそうだった。
 とはいえ、アルファである父親がそんな状態の母親をさっさと抱き上げ、足早に寝室に連れ込んだので、じっくりと見ることはできなかったが。
 あの時の父親の目は、自分の息子に向けるものではなかった。不機嫌さを全開にして、鋭く睨み付けてきたのだ。
 たとえ血を分けた子供であっても、発情した番の姿を見られたくなかったのだろう。その気持ちが、今はよく分かる。
 いや、それについてはどうでもいい。とにかく、奏太を楽にしてやることが最優先だ。

――さて、どうやって話を切り出すか。
 
 ひどく混乱しているという理由以外にも、奏太はオメガの発情期を理解していないように思えた。
 そんな奏太に、篠岡が優しく諭し続けている。
「薬に頼る必要はないでしょ。ここに、うってつけのアルファがいるんだから。オメガの発情症状を和らげるには、抑制剤以外の方法があることは知っているよね?」
 焦点の合わない目でボンヤリと見上げている奏太に、篠岡はさらに話を続ける。
「だから、彼に抱いてもらうといいよ」
 最も手っ取り早く、そして、最も有効な解決策だというのに、奏太は愕然とした表情を浮かべた。

――なぜ、そんな顔をする? 俺と奏太は番だというのに……

 己の番が自分を受け入れてくれない理由が思いつかず、俺はその場から動けないでいる。
 力の入らない体を起こした奏太が、ベッドヘッドへとずり下がり、ヘッドボードに凭れながら言った。
「せん、せ……、おね、が……、くすり……、せんぱい、に、め……わく、かけた、く、ない……。せんせ……、く、すり……」

――なにが迷惑なんだ? 

 奏太が口にした言葉の意味が分からない。
 だが、これ以上時間を置けば、奏太を苦しめるだけ。
 俺は精いっぱい優しい笑顔を浮かべ、一歩前に出た。
 それでも奏太はジリジリと、ベッドの上を後ずさる。
 大きな目を真っ赤にして泣いている奏太は可愛いが、できるなら笑ってほしいし、泣くよりも可愛い声で啼いてほしい。
 ベッドのすぐそばまで進んだ俺は、笑みを深めて両腕を広げた。
「奏太、おいで」
 名前を呼ぶと、ハッと顔を上げる。驚いた表情も、たまらなく可愛い。思わず、身を乗り出してしまった。
「遠慮しなくていい。さぁ、おいで」
 蕩けそうなほどに甘い声が出て、自分で驚く。この俺に、こんな声が出せたなんて。
 驚くと同時に、唯一の番を前にしたら当然かと、すんなり受け入れられた。
 胸を満たす温かい感情は、なんと心地いいのだろう。意識しなくても、笑顔になってしまう。
 ところが、奏太は怯えたように首を横に振るばかり。
「だ、だめ……。せん、ぱ……、こな、い、で……」
 頑なに拒む奏太の様子に悲しくなり、すんなり聞き入れるほどの余裕はない。
 それでも焦りからくる凶暴性を必死に隠し、優しく声を掛けた。
「どうして? 俺のこと、嫌いか?」
 すると、奏太は震える手の平で鼻と口元を覆った。
「ち、がう……。せんぱいの、においが……」
 言葉を区切った奏太の目から、新たに涙が零れる。
 嫌いと言われなかったことに安堵した俺は、右ひざをベッドに着いた。
 ギシリと低く響く音に、奏太はピクッと肩を跳ね上げる。慌てて下がろうとしたようだが、背中がベッドヘッドに当たり、それより後ろに下がることができない。
 俺は右手、左手と順にベッドに手を着き、少しずつ距離を縮めた。
「匂いが、どうした?」
 十センチほどの距離で涙に濡れる瞳を覗き込めば、奏太が手の平の下で熱い呼気を漏らす。
「せんぱいの、においを、かぐ、と……、あたまが、ぼぉっと、し、て……。からだ、が、あ、つく、なって……。ど……、したら、い、い、のか……、わ、わかん、ない……」 
 そのセリフを聞いて、とうとう我慢ができなくなった。俺の匂いに反応する番は、なんと愛おしいのだろうか。
 さらに身を乗り出し、奏太を胸に抱き込む。
「それはオメガとして、当然の反応だからな。怖がることはないんだ」
「あっ……、だ、だめ……、せん、ぱ、い、はなし、て……。おかしく、な、る……」
 イヤイヤと、子供のように頭を振る奏太が可愛くてたまらない。
「発情期なんだから、おかしくなってかまわない」
 さらにきつく抱き締めた俺は、右手を奏太の後頭部に添えて引き寄せる。そして、自分の肩口に彼の顔が埋まるような格好を取らせた。
「や、あ……、この、に、おい……。あた、ま、おか、し……く、なるよぉ……」
「ほら、深呼吸して。もっと、吸い込んで」
 耳元で囁いてやると、奏太の華奢な体がブルブルと大きく震える。
「い、や……」
 拒絶を続ける奏太の後頭部を優しく押さえつけ、密着し続けた。
 俺の腕の中で震え続ける奏太のことが少しだけかわいそうになるが、俺のことしか考えられなくなればいいという思いに抗えない。
 それに、アルファのフェロモンによってオメガである彼の体が順応すれば、セックスの時の負担も軽減できるはずだ。
「せ、んぱ……、だ、め……」
 その言葉を最後に、奏太は意識を手放した。
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