煙十朗奇譚

三文士

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視線編

視線編 その7

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「きぬえ……?そんな」

 小林某は茫然とした表情のまま血の気を失っていた。たしかに、尋常な精神の持ち主であれば目の前の光景に正気を失って当たり前なのだある。たった今化け物と成り彼の肩を美味しそうに咀嚼するのもきぬえ夫人。名探偵、霧ヶ峰煙十朗きりがみねえんじゅうろうが連れてきたのもまた、まごう事なき婦人であった。ただでさえ狂気じみた状況を名探偵はさらに混乱へと誘う。しかし霧ヶ峰煙十朗とは、そういう男だ。

「貴方!私が、私が全て悪うございました。許してください!貴方!」

 きぬえ夫人と思しき女性はとにかく泣き叫びながら謝罪を繰り返す。相手が血まみれで自分そっくりな人外に肩を咀嚼されていることは目に入っていないのだろうか?僕の疑問はそこだけではなかった。

「先生、そのご婦人は本物のきぬえ夫人なんですか?」

 僕がそう訊くと先生は大笑いをはじめた。

「お天。お前も奇異なことを云う。どうしてこの女性を紛い物だと思う?まさかその卑しい化け物を彼の連れ合いだとでも思ってるのか。田舎天狗め。節穴も大概にしろ」

「しかし、小林さんはきぬえさんが亡くなっていると言っています。首を括って自害なされたと」

「そもそも、それが間違いだ」

「へ?」

 僕は先生の言葉に耳を疑った。しかし、そう言われてみれば僕にとってきぬえ夫人が亡くなったという話は彼の口から聞いた以外に確かな証拠が無かったことに気が付く。自分でも何故そこまで頑なだったのかは不思議だった。

「キミの地元に行って色々と聞き回ってきた。ご両親は健在だったよ。お父上はこの霧ヶ峰煙十朗を覚えておいでだった」

「お、親父が?」

「そうだ。『懐かしいな!』と例の舶来もののウヰスキーを出してくださった。それと、こうも言われたよ。『愚息は女房を放ったらかして出奔してしまった』とね」

「ええ!?」

 僕の素っ頓狂な声に先生が静かにしろと目で促す。

「では謎解きの時間だがその前にゴミを片付けておこう」

 そういうと先生は右手を前に突き出して広げて見せた。

「失せろ」

「ぎゃっ」

 そのひと言を言い終わらないウチに眩い光が一瞬だけ辺りを覆い、次の瞬間にはあの化け物の姿はなかった。地面にはちり屑と小林某が血まみれで倒れているだけだった。

「貴方!」

 きぬえ夫人は某に駆け寄り抱き起こした。自らの着物が血まみれになりながら彼女は夫を懸命に手当てしようとする。

「心配ない。見た目は派手だが、それほど深い傷ではない。止血をしておくといい。なに。彼が倒れたのはここ最近の不摂生のせいだ」

 そう云うと先生は一枚の手拭いを夫人に差し出した。

「きぬえ、…どうして?」

 某はやっと振り絞ったようなか細い声で夫人の名を呼び、瞳を見つめている。

「貴方、私が悪うございました。許してくださいまし」

「さっきからそればかりだ。どういうことです?」

 僕が先生の方に向き直ると、先生はちょうど敷島しきしまに火をつけたところだった。

「結論からいうと。奥方が奴をたばかったのさ」

「謀った?」

「そうだ。浮気ばかりで酒浸り。奥方には辛く当たるし、手も上げる。離縁しようにも承知しない。さりとて愛情がある様にも思えない。奥方の鬱憤は溜まるばかりだ。そこで復讐に一計を案じることにした」

 きぬえ夫人は先生の説明を涙を流しながら黙って聞いていた。

「毎夜正体もなく酔って帰ってくるのを幸いに、奥方は自分の似姿にすがたに作らせた人形を縄で玄関に吊るしたのさ。灯りもない泥酔した男にはそれで充分だったわけだ。しかしちと薬が効きすぎた」

「心底からきぬえさんが死んだと思い込み、そのまま逃げ出してしまった、ということですか?」

「その通り。思っていたより旦那の肝が矮小だったのだ。十日たとうが一月たとうが奴は家はおろか実家にすら帰ってこなかった。さて困ったのは奴の両親。つまり義父母だ。まさか自分が脅かしたからいなくなったとも言えない。警察に届けろと言われているのを何とか誤魔化し続け自ら旦那を探していたところに、この霧ヶ峰煙十朗がやって来たというわけだ」

 先生は大きく敷島を吸い込み、紫煙を吐き出して部屋中に漂わせた。

「なるほど。片方では自分のせいで死んだと思い込み逃げ出して雲隠れ。片方では自分のせいで何処かに行ってしまったので探そうにも周りに本当のことが言えない。とんだすれ違い夫婦ですね」

「お天、貴様わかったような事を云う。まあしかしそんなところだ」

「だけど分かりませんね。それじゃ一体、この化け物はなんなんです?きぬえ夫人の生霊ですか?」

 僕の問いかけに、先生は黙って部屋の中を歩き窓辺で立ち止まった。そして勢いよく窓を開け、大声で叫んだ。

「お天!風だ。鞍馬の風を吹かせろ」

「え?」

「早く!」

 なんだか分からない内に術を促され僕は髪飾りにしている天狗の団扇を手に取った。小さな髪飾り僕の手の中で大きくなっていく。きぬえ夫人の背丈くらいまで肥大したところで僕は先生に問うた。

「どの程度の勢いですか?」

 先生は実に美しく、そして悪戯っぽく笑った。

「家具が飛ばない程度、と思ったがロクなものがない。景気付けだ。全部吹き飛ばせ」

 この数日で少なからず鬱憤の溜まっていた僕は久しぶりに思い切り団扇をあおいでみせた。

 その刹那、部屋に旋風つむじかぜが巻き起こり窓は割れ枠ごと外へ。転がっていた酒瓶や汚いせんべい布団などもまとめて吹き飛んでいった。

 同時に、何か人型をした塵の様なモノが声にならない叫びをあげながら壁にしがみついている。

「うわ!?なんだこれ!?」

「お天!もう一発目いけええ!」

 もうヤケだと思いながら僕はもう一度思い切り団扇をあおいだ。

 塵の塊は足から徐々に崩れ、そのまま何処かへ飛んでいった。

 後に汚れた四畳半に残ったのは、僕らと小林夫妻のみとなった。




「どうにも解せません。あの化け物は何だったんですか?先生、アレの正体をご存知なんでしょ?」

 きぬえ夫人が手配してくれた帰りの車中で、僕は先生に詰め寄っていた。何しろ先生は全てお見通しなわけだが、貞操と命を危険に晒してまで頑張った僕にはまったくの珍紛漢紛ちんぷんかんぷんであった。
 
「アレはな、埃だよ」

「ホコリ?」

「ああ。お前、奴と一緒に下町の胡散臭いバーに行ったろ。女給が妖しい雰囲気の」

「行きました。酷い目にあいました」

 あの蛇女たちの顔を思い出して俄に寒気が走った。

 先生は敷島を咥えたまま僕に膝枕を要求する。

「お前の膝は久しぶりだな。相変わらず寝心地がいい」

「それで先生。埃って?」

「急かすなお天。お前はせっかちでいかん。あのバーには妖怪や人の理から外れた奴らばかりが集まっている。そこに溜まった様々な残りカスや残留思念がアレの正体だ。そこら中の魑魅魍魎ちみもうりょうどもが日本各地から身体にくっつけて来た埃。それがあの場に留まって少しずつ力を吸収しつづけた」

「それが?たかが埃があんな化け物になるんですか?」

 先生は敷島を燻らせながら僕の尻を撫でる。見た目は美しくてもやってることはまるで狒々爺いだ。

「いや、偶然の産物だ。おそらく最初はただ少し力の溜まった埃だった。妖怪のようなゴミのような中途半端な存在だ。そこにまず、小林の強迫観念が結びついた」

「強迫観念?」

「『誰かに見られてる』っていう思い込みだ。そこへきぬえ夫人を自殺に追い遣ってしまったという罪悪感で存在がより強くなった」

「なるほど」

「埃は栄養を与えてくれる宿主を見つけた。そしてとり憑いた。徐々に成長し、そして極め付けがお前の放ったあのお粗末な術だ」

「あー」

 自分の行った浅はかな行動で頭に鈍痛が走った。そういうことか。

「僕の放った術の力で、埃が妖怪に実体化したってことですか」

「そうだ。お前の中途半端で未熟な術がアレにとっては最高の栄養だったわけだ。それで奴は見事に受肉し、奴の肩ロースに食らいついた」

「なんてことを……」

「だから言ったろ。余計なことはするなと。お前は力を操れない癖に、力が強すぎる。全く厄介だなお前という存在は」

「すみません」

「昔の俺にそっくりだ」

 先生はそう言って起き上がり僕の頬を撫でながら接吻をした。

「自惚れと自虐は一見違うようで実は同じだ。両者とも心中に抱くだけ無意味だ。それよりもっと自分の声をよく聞け。自分を知り尽くせ。そうすれば力を完璧に操ることができる」

「自分の声を、ですか」

「そうだ。あの男だってもっと自分の心中を理解していれば、そもそも此度のような事は起きなかった」

 小林某がもっと自分の心を知り、本当はきぬえさんを心から愛しているという気持ちに気が付いていれば。夫婦仲も拗れずそもそもきぬえ夫人も嫉妬しなかった。あの様なはかりごとも企てなかったであろう。そうすれば魑魅魍魎の埃なんぞに取り憑かれることもなかった。

「見合い結婚だったからという理由だけで愛情の無い体を装っていたのだ。男が妻なんぞに惚れていたのでは体裁が悪いと。なんとまあ旧時代的な考えだ。しかし本当はご両親も初めから知っていたそうだ」

「何をです?」

「連中は初めて会った時からお互いに一目惚れしていたらしい」

 本当はお互いに惹かれあっていたのに少しのズレやくだらない体裁で溝が生まれる。そしてそれが徐々に大きくなっていき、やがて取り返しのつかない軋轢になってしまう。

「人と人との繋がりなど脆い、危うい。だからこそ、常に自分に問いかけるのだ。今どう思っているのかを。誰といたいとか何をしたいとか。自然に生きるのだ。それこそ、森羅万象を円滑にする唯一無二の方法だ」

 車の窓ガラスから細長い三日月を眺め、先生はそんな事を呟いていた。その顔はいつになく神妙な面持ちであった。僕は先生に「じゃあ僕といるのは先生の心からのご意志ですか?」と聞きたかったがそれが彼の嫌う野暮な問いかけであることを悟り、静かに飲み込んだ。

 僕は先生の横顔をしばらく眺めていた。

「お天」

「はい?」

 先生は突然、またいつもの無邪気で邪悪な笑顔で微笑んだ。

「帰ったらまず風呂に入れ。なんだか埃っぽい」

「へ?」

「あとな、他の男の匂いがする。気に食わん。ゴシゴシ洗え。いいな」

 霧ヶ峰煙十朗という人は、本当に喰えない男である。


 続く
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