煙十朗奇譚

三文士

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烏の濡れ羽編 その1

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 僕が先生と出会ったきっかけですか?本当にそれ、知りたいと思っていらっしゃる?貴方、ずいぶんと奇特な方ですね。ま、いいでしょう。時間はたっぷりあるんだ。

 どうせ先生はもうしばらく帰って来ませんよ。夜遅くか、明け方か。おおかた、品川に白粉の匂いでも嗅ぎに行ってるんでしょう。まったく、自由な方なんですから先生は。

 おや?雨が降ってきましたね。このもこうなってしまうといよいよ暇なんです。いっそ閉めてしまいましょうか。

 ではお話ししますが、少し長くなりますからね。珈琲コーヒーでも飲みながら、ごゆるりと聞いてください。

 火をおこしましょう。なにしろ、少し怪談めいてますから、背筋が寒くなって、お風邪などひかないようにしなくては。

 ねえ。


 ◆◆◆



「それで先生。いかがでしょう。やっていただけますか」

 中年男は額の汗をふきふき訊ねた。夏にはまだ早く、冬には遅い。つまり季節はすっかり春だった。

「いいだろう。万事引き受けよう。もとよりそのつもりだ」

 先生と呼ばれた男は咥えた敷島しきしまに火をつけ、紫煙と共に言い放った。

 とある大きな屋敷の一室。時刻は夜に差し掛かっていた。そこで対峙する二人の男。この二人の関係は、一見すると不可思議であった。
 
 太った中年男は相手にやたら気を遣って頭を何度もさげている。しかし彼の身なりは立派で、金に不自由している様子はない。身丈で仕立てたよい生地のスーツを着ているし、手中では高そうな懐中時計が時を刻んでいる。服装の趣味や立ち振る舞いと部屋の装飾が似ていることから、彼がこの屋敷の主だと容易に見てとれる。

 かたやもう一人の男は、黒羽二重くろはぶたえを着流し、足もとには黒い下駄を履いている。鼻緒だけが血のように紅く、なんともいろっぽいのだが、なぜかうす気味が悪い。白い肌に切れ長の目。まるで、斧定九郎おのさだくろうを演じる歌舞伎役者のようで、かなりの男前である。しかし明らかに年上の相手に対して、先ほどから礼を欠いた態度をとっているので常識的な人間にはとうてい見えない。

「なんとありがたや!霧ヶ峰きりがみね先生が引き受けてくださるならひと安心です。本当にありがたい!」

 中年男は、この怪しげな青年は名を「霧ヶ峰」というらしい。

 霧ケ峰はヘラヘラと気味の悪い笑顔を浮かべていた。

「なに。それほどのことじゃない。言ったろ?もとより引き受けるつもりだったんだ。この霧ヶ峰煙十朗きりがみねえんじゅうろうに任せておきたまえ。それで謝礼はキミ、いつものように頼むよ」

「もちろんです。すぐにでも」

「すまないね」

「そうと決まればまずは、御近づきに一杯いきましょう。おーい!天音あまね!」

「はぁい」

 天音と呼ばれ部屋に入って来たのはぎこちない書生姿をした一人の少年であった。歳の頃は十五、六。髪も瞳も、からす濡羽ぬればねの如く美しい漆黒をしていた。肌は白く艶やか。美少年、いやさ、美少女と呼んでもおかしくない顔の造形美をしている。小柄で華奢な身体つきが、また彼をいっそう愛らしく見せていた。そこいらの「●●小町」や「●●美人」が裸足で逃げ出すほどに、天音と呼ばれた少年は美しかった。

「いらっしゃいませ」

 少年の透き通る声はとても心地がよく、それはそれは耳ざわりのいいものだった。また彼の戸惑ったような、はにかんだような表情が何とも言えず艶やかで色気を感じさせた。

「なんだそんなものを持ってきて。先生は舶来のものがお好きなんだ。取り替えて来なさい」

「申し訳ありません」

「構わないよ。酒はがいちばんウマい。特に、綺麗な指先から注がれた酒は、凡な酒でも甘露となる」

 霧ケ峰は少年から徳利と猪口を受け取った。その時霧ケ峰の手がそっと少年の指に触れたおり、微かにその頬が赤く染まったのを霧ケ峰は見逃さなかった。

「いいから。オマエはウヰスキーを持って来なさい」

 主人は天音の尻を軽く叩いて部屋を出て行かせた。
 
 天音が出ていくと霧ケ峰は猪口を傾けながら意味深な表情で質問を始めた。

「また随分と可愛いのを飼っていなさるじゃないか。どちらの子で?」

「いえ、なに。取り立ててどうという子じゃないんです。本来は女給を雇う予定だったんですが、何かの間違いで男が来ましてね。しかしまあ、あの見てくれでしょう?屋敷の女連中はアレにのぼせるどころか嫉妬する始末でして。特に使えるわけではないのですが、見栄えがいいので、ああして書生代わりに使ってるのですよ」

「確かに。アレは女にしておくのは勿体ないくらいだ」

「ええ?」

「いやなに、こっちの話で。それよりご主人、仕事の話を」

 霧ケ峰がそう言うと、主人はいきなり顔色を変えて真剣な面持ちになった。

「ええ。そうでした。困っているんですよ先生。何しろもう、ここのところずっとこんな調子で」

「すまないがもう一度最初から説明してくれるかな?」

「ええ」

 そう言って主人は事のあらましを話しはじめた。


つづく
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