鬼の目にも泪

三文士

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冬の九郎山

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「先生ぇ!生きてたんですかぇ!?」

 我が家の戸が開いていたので閉め忘れかと思い駆け込むと、居間で見馴れた顔の恥知らずが船を漕いでいた。頭にきたので頭を叩いてやったのだが、ヒトの家に勝手にあがり込んだ上に第一声がこれである。

好事家こうずや。オマエさん、随分とゴアイサツじゃないかえ」

「いやしかしね先生。こっちは夜までここで待ってたってのに、まるで帰ってきやしないじゃないですか。流石に今回ばっかりはダメかな思いましたよ」

「別に『夕刻まで帰るよおっかさん』なんざ言った覚えはないよ」

「そらねえや。あたしだって心配したんだ」

「なんだい、死んだら死んだでそういうの書くとか憎まれ口たたいてたじゃないか」

「いや、よく考えたんだが、それだとそこで終わりだが、先生が生きてりゃ話のネタが尽きることはねえ」

「なんだ。やっぱりそんなことか」

「こっちも商売ですから」

 こんな底意地の悪い男の書いたものが、巷では大いに売れているというから驚きである。どんなものか読んでみたいのだが、生憎と私は字が読めなかった。

「しかし、先生。鬼の棲家でいったい何があったんです?もしかして幽霊ですか?」

「こんな陽の高い時分に出る幽霊があるもんか」

 本当は疲れて早く休みたかった。何しろ襲われた後に金花の家に戻ったは良いが、夜通し飲み続け気がつくと一睡もしていなかったのだ。

 しかし、一応村の代表として行った身であるし、何より目の前できらきらと両の眼を輝かす男を無視できなかった。

 私は、あの山であったかくかくしかじかを説明した。好事家は「はあ」とか「へえ」とか相槌を打ちながら目にも留まらぬ速さで筆を走らせていた。

「それじゃなんですかい。例の家畜が襲われてたのはやっぱりその鬼の仕業で?」

「いや恐らく違う。それらは、私を襲った妖怪だと思うんだが。確か鬼は『魑魅魍魎ちみもうりょうの類いではないか』と言っていた」

「そうですか。では、その鬼は危険ではないと?」

「…」

 その質問には言葉が詰まってしまった。金花はたしかに気さくでいい奴だ。優しいし、料理も美味い。自然を愛し、山を慈しんでいる。だが反面、私はどうしても、金花が魑魅魍魎の頭をひねり潰したあの時の顔が頭から離れなかった。

「先生?」

「…え?あ、うむ。そうだな。危険は…ない。だが」

「だが?」

「とは言え相手は鬼だ。我々人間とは違うことわりの中で生きている。それをゆめゆめ忘れてはならない」

「我々…ねえ」

 好事家は意味深な目で私を見ていたが、その後の言葉は飲み込んでしまったようだった。

 私はともかく、山の鬼は家畜の襲撃の犯人ではないという報告を村人らにしてくれと好事家に頼んだ。

 好事家は「ようがす」と、ひとこと言って私の家を出て行った。

 一瞬自分で行けばよかったとも思ったが、好事家はああ見えて実直な面もある。やはり私は、なんのかんの言いながらも彼を信用していたにだろう。

 よほど疲れていたのだろう。その日はそのまま寝てしまい、次の日の早朝まで目を覚まさなかった。



 金花とはそれからも、日を開けずに会っては金木犀きんもくせいの香りの酒を飲み交わす仲だった。

 秋は紅葉を深め彼女の庭はますます美しさを増していった。

 食卓は相変わらず豪華で、木の子や獣肉や川魚なんかも食べたことのない味付けをしていた。ある時なんぞ、石を投げて仕留めたという山鳥を金花が作ったという味噌のようなものに絡めて焼いてくれた。そのえも云われぬ美味さに、私はつい三羽も食べてしまい怒られたほどだ。

「まったく。鬼よりも大食らいな奴があるか。少しは慎め」

「そうは言うがな金花。こんな美味いものを食わせておいて、止めろというのは酷だ。罪だ。いや美味い」

「本当にもう。先生が聞いてあきれる。まるで童じゃないか」

 そんな他愛ない話を繰り返しながら笑い合い、私たちは絆を深めていった。

 金花といると楽しかった。今まで、ついぞ誰かとこういう気持ちになることはなかったので、戸惑いも少しあったが、私はこれを受け入れることにし、金花との生活を謳歌した。

 やがて季節は移ろい、秋も終わりにさしかかっていた。

 ある時、金花が庭の金木犀とは別の小さな木を指差して言った。

「先生。あれは椿だ。もうすぐ冬になると、たいそう綺麗な花をつかせる」

「へえ。金木犀だけじゃないのか。風流だな」

「だろう。美しいぞ。冬はまた、秋とは違う愛おしさがある」

「私は冬は秋ほど好きではないんだがな」

「そう言うな。冬には冬の良さがある」

「しかしなあ。冬は命を奪う」

 私が住んでいる村(正確には村はずれだが)では毎年冬に人が死ぬ。雪崩や極寒など様々な理由があるが、最たる理由は飢えだ。冬に命が奪われる。

 しかし私の意見を意に介さず、金花は微笑みながらこう言った。

「そうだな。しかしそれは自然としては当たり前のことだ」

「当たり前か?」

「そうだよ。春にだって夏にだって生き物は死ぬ。秋もな。ただ冬に死ぬものが多いだけだ」

「ではやっぱり冬は好きになれん」

「そう言うな。冬の死は必要なんだ」

「なぜ?」

 金花は大きく白い息を吐いて笑った。

「冬に死があるから、他の季節が実るんだよ」

反論はできなかった。

 私はしばらく、まだ花のついていない椿を眺めていた。金木犀の酒も、もう終わりである。

「なあ先生。冬が来る前に、ここに来て一緒に住まないか?」

「ええ!?」

私は思わず飲んでいた酒を吹き出してむせてしまった。

「何やってんだよ先生」

「だって…げほっげほっ…オマエ…」

「驚くほどのことじゃない。冬の間だけだ」

「ええ、ああ?」

「冬はここへ来るのが難しいだろ?いくら冬が好きだとは言え、オレも一人で過ごすのはもう飽きた。だから冬が終わって春になるまでここで過ごさないか。オレは先生の話を聞くのが好きだ」

「ううむ」

 突拍子もない提案だった。まさか鬼から寝食を共にしようなどと言われるとは。まったく想像していなかった展開だけに、私は上手い言葉が思いつかなかった。

「食料なら安心しろ。いくらオレが大食いでも、先生を飢えさせるようなことはしない。いま、余分に食糧を集めているんだ。もちろん先生を食ったりもしない」

そう言って笑っていたが、こちらとしては妙に笑えないところでもあった。

「どうだい?先生?」

「あ、ああ」

 金花とここで過ごす冬、か。想像してみればそれはとても楽しそうに思えた。もともと金花も私も普段は一人で暮らしている。夏だろうが冬だろうが一人だ。私のところには時々好事家が訪ねてくるが、長居はしない。

 誰かと季節を過ごす生活。そんな幸せが、私にもあっていいのだろうか。

 きっと村の人々といるより、私はこの山の鬼といる方が性に合っているのかもしれない。そんな風に思った。

「まあすぐにとは言わないさ。次来る時にでも返事をくれ。だがあまり悠長にはしてるな。うかうかしてると冬はすぐにやってくるぞ」

「分かったよ」

 そういうことで、ひとまずその話は終わりになった。

 私は家に帰ってもそのことばかり考えていた。

 金花との冬は魅力的だし、何より今の私にとってそれが一番望むものなのかもしれない。だが鬼と生活するということは、いよいよ私も人間離れしてくるということだ。こんなことをしていて、私は果たしてこの先も人間でいられるのだろうか。

 悩んでいるうちに金花との約束の日が近づいてきた。


 村の人間たちが鬼の討伐隊を組んで山に入るつもりだと聞いたのは、その前日のことだった。

続く
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