鬼の目にも泪

三文士

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夜の山道

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「本当に送って行かなくていいのか?」

「ああ。大丈夫だ」

 気がつけば真夜中になってしまった山道を前に、私はすっかり友になった鬼と互いに別れを惜しんでいた。

「しかしなあ。いくらアンタが人間離れしてるとは言え、夜の山は危険だぞ」

「失礼だな。私は人間だ。いや、まあ確かにそうなんだが。まあ大丈夫だろう。それに」

「それに?」

鬼に送ってもらったところを誰ぞ村人にでも見られたら、何を言われるか分かってものではない。

「うん…まあ…あれだ。そこまでアンタに迷惑をかけるわけにもいくまい。とにかく大丈夫だから。ここで」

「そうか。しかしな。ひとつだけいいか?」

「ん?」

「その『アンタ』って互いに呼び合うのはやめようじゃないか。不便だし、何しろ品がない」

「そうか?そうだな」

 私たちはお互いに名前も言わず、気がつけば知らず知らずのうちに心を通わせはじめていた。こんなことははじめてだった。

金花きんかだ。黄金くがねの花で金花。自分でつけた」

「私は…」

一瞬、私は自分の名前を忘れかけていた。名前を呼ばれなくなって随分たつ。

「先生と。そう呼ばれている」

「先生?」

「そうだ」

「変な名前だな」

「仕方ないだろ。私が名乗ったわけじゃない」

「まあいいか。よろしくな。先生」

「ああ。よろしく。金花」

 その日はそこで家路についた。


 夜の山道は金花の言う通り剣呑な空気が漂っていた。陽の光を嫌う獣や妖怪たちが夜の常闇の中にのそのそとうごめいている。そして、明らかな異物である私をけん制し、隙あらばその肉を食ろうてやろうと鋭利な視線で狙っている気配を、背中に痛いほど感じていた。

 しかし彼らとて馬鹿ではない。夜の生き物たちは剣呑な気配のものばかりだが、みな一様に臆病である。自分と明確に力の差がある場合、彼らは決してこちらに手を出しては来ない。

 私はそれを十分に分かった上で、夜道をひとり、歩いていた。

 道を照らすのは月明かりだけ。だがそれで十分だった。山の夜は剣呑でありながら、同時に背筋が寒いくらいに美しい。私は特に急ぐ風でもなく歩き続けた。

 金花と別れてから少し経ったところで、私は歩みを止めた。

 どこからか、異様に生臭い血のような臭いが辺りを覆いはじめた。その臭いに覚えがあった。まず間違いなく、金花と出会う直前に私に対し殺気を放っていた連中だと察した。

 大した理由もないのに執念深い連中だなと思った。やはり相手の気配は三つ。確かに数は上だが、それでも力の差が埋まっているとは考え辛い。よほど飢えているのか、それともよほどの阿呆なのか。

 私は静かに身構え、彼らが手を出してくるのを待った。

 さらさらと、夜風のぐ音だけが辺りを支配する。

 次の瞬間、風の音も止み束の間の静寂が訪れた。そして連中が襲いかかってきた。

「ゲエエエエエエエ!」

 大きめの山犬くらいの影が草むらから飛び出して私に向かってきた。私は紙一重でそれをかわしつつ、それに一撃を加える。

 ぶにゅり、と鈍い感覚があった。まるで肉片を蹴飛ばした様ななんとも言えないいやな感じであった。

「じゅっ」

と鳴いて先ず一匹目が草むらに消えた。その後すぐに追撃があった。

「ケエエケエエ」

 今度は最初の奴よりも素早い様な気がしたが、それでも攻撃を受け流しより重たい一撃を与えるのは造作もないことだった。

 私はこの生臭い連中の相手をしながら、先ほど金花に飲ませてもらったあの酒のよい香りを忘れないように必死だった。

 連中は私にとって、まったく相手にはならなかった。私はつい、目の前で襲ってくる二匹の妖怪から意識をそらし、金花のことを考えてしまっていた。私は、金花を友達だと勝手に思っているが相手はどうなんだろう。とかそんなところだったと思う。慣れない情というやつに浮かれていたのだと思う。

 そんなことだから、背後から音もなく襲ってきた三匹目の妖怪に対処するのが遅くなり、致命傷は辛うじて逃れたが背中を爪かなにかで引っ掻かれ、自分の血が流れる生暖かさ感じた。

「しまった」

 咄嗟に背中を庇った拍子に、今度は別の奴に足をとられ転ばされてしまった。冷たい土の感触が頰につく。

「ケッツエエッ」

「キイィ」

「ガアアアア」

 妖怪たちは獣の様な鳥のような、薄気味悪いに勝どきを上げている。

 情けない。妖怪は三匹いると、分かっていたはずなのに。こんなところで、こんな連中に殺されて腹の足しにされるなんて。情けない。情けない最期になってしまった。

 私はすっかり諦めてしまっていた。唯一思い残すことと言えば、せっかく仲良くなった金花のことばかりで、最後にもう一度会っておきたかったなと肩で息をしながら後悔した。

 金花のことばかり考え過ぎて、ついにはするはずもない金木犀きんもくせいの香りが微かにする気がしていた。

 しかし、それは幻ではなかった。

「ゲエッ!」

突然、妖怪の叫び声と共に猛烈な金木犀と怒りの香りが辺りを支配した。

「ケエエエ!ケエエエエ!」

 常闇とこやみの中で妖怪の一匹が何者かに吹っ飛ばされた。驚いた仲間連中は何者かを大声で威嚇する。

 雲の切れ間から月明かりがのぞき、辺りの闇を晴らす。

「金花!」

「だから言ったろう。先生。夜道は危ねえって」

 そこには身の丈よりもずっと大きな鉄の棒を持った金花が薄ら笑いを浮かべて立っていた。

「お前ら。この山で鬼の友達に手ぇ出すとは良い度胸だな」

「キィィィィエエエエ」

 月明かりに照らされた妖怪たちは、その体臭と同じくらい何ともおぞましく見るに耐えない姿をしていた。

 黄土色の全身はイボガエルのようなブツブツに覆われていて、そのイボから無数に粘りのある液が流れている。どうやらそれが臭いの元のようだった。大きさは山犬くらいだったが、それぞれ少しずつ違う身の丈をしていた。緑色に光る目は、蛇のように鋭い。

「ケエッ」

 身体の大きな奴がひと声鳴くと、中くらいの奴が恐怖に取り憑かれながらも勢いに任せ金花に飛びかかる。

「ぐおらぁっ!」

金花は躊躇ちゅうちょなく鉄の棒で相手をぎ払う。

「キィィィィアアアアアア」

 及び腰のせいもあって、妖怪は直撃を免れたが、右の腕はミチミチと嫌な音を立てた。妖怪はすぐさま後方に飛び退き、その場から逃げ出した。いつの間にか身体の大きな奴の姿も消えていた。

「さて」

 金花は軽々と鉄の棒を持ち上げ歩き出した。

「金花…どうして…」

「言ったろ。客人に何かあっちゃ鬼の名折れだ。こっそり後をつけてきたんだよ」

「そんな」

「結果。良かったじゃねえか」

そう言いながら金花は先ほど吹っ飛ばした小さな妖怪のところに歩いていく。

「金花、何を?」

 ガタガタ震えながら動くこともできない哀れな妖怪の頭上で、金花は顔色ひとつ変えず鉄の棒を振り上げた。

「見せしめを、しなくちゃなあ」

「ギィ…」

 ぶちゅん、と嫌な音を立て、妖怪の頭は潰されてしまった。

 やはり、どんなに美しくても、どんなに楽しくても、彼女はまごうことなき鬼であると、そう実感した瞬間であった。

 その日は怪我をしたこともあり、金花の棲家に戻って一夜を過ごした。村に帰ったのは次の日の朝早くであった。

続く
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