鬼の目にも泪

三文士

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鬼の棲家

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 薄情者の好事家こうずやが言った通り、半刻はんときほど歩いたところに小さな破れ寺があった。

 彼女の棲家は外からはひどく荒れ果てているように見えた。あちこちに雑草が生い茂り、木で造られたお堂はその黒檀のようにくすんだ色で、建てられてから長い年月が経過していることを私に感じさせた。

 こりゃあ、えらいところに招待されてしまったなと思ったが何しろ相手は鬼だ。下手なことを言っていきなり飛びかかってこられてはかなわない。私とて、腕の一本二本で済むかどうか。

「良い家ですな」

 私は精一杯繕った笑顔で鬼に言ってやった。しかし、鬼は予想外に怪訝けげんな顔をした。

「バカモノ。世辞などいう奴があるか。こんなボロ屋を見て『良い家』もなにもあるか」

「え?」

「まだ中にも入ってない癖に分かったようなことを言うな。さあ、中に入れ」

 鬼のくせに意外と常識的なこと言うものだから私はすっかり面食らってしまった。だが、内に入ってからは更に驚いてしまった。

 御堂は外見同様にかなり年季が入っていたが、よく手入れされており所々に修繕のあとが見られた。隅々まで掃除が行き届いていて、とても清潔感のある気持ちのいい場所だった。しかしなんといっても物が多い。人が十人くらいは入れそうな広さではあったが、そこかしこに色々な物が置いてあり見た目よりは狭く感じた。

「すまんな。散らかっているわけじゃねえんだが、どうにも狭くてな」

「何ですかこりゃあ?」

「何って、食糧だ。冬を凌ぐ為のな」

 鬼が言った通りそれらは全て、食べ物だった。干した魚や獣の肉がほとんどだったが、穀物や野菜、キノコや芋なども豊富に積みあげられていた。それにしてもいくらひと冬越すとは言え、この量は多過ぎないか?大人七、八人分くらいの量である。それとも、鬼は一匹ではないのか。だとすると、いよいよ私の命も危ない。

 私が不安に顔を曇らせていると鬼は気恥ずかしそうに頭を掻いて笑った。

「笑うなよ。鬼は大食いなんだ。これでも足りるか分からないんだ」

「そうなのか。ええっと…ここにはアンタ以外の鬼も住んでるのかい?」

「いや。オレだけだ」

「じゃ、これ全部アンタが食うのか?」

「だから言ってるだろ。鬼は大食いなんだ」

 鬼が大食いだとは聞いていたが、実際には私の想像を遥かに凌駕していた。確かにこの消費量では、山を人間に荒らされて怒るのも無理ない。死活問題だ。

 食糧の山を驚きの目で見つめていると、鬼が良いものを見せてやるからついて来い手招きをした。

 断る理由もないのですたすたと歩く鬼について行くと、本堂の裏手に出た。

「これは…」

「どうだ。良いだろう」

 本堂の裏手は少し広めの庭の様になっていた。すすき野紺菊のこんぎく、小さな白い花をつけた白朮おけらなどの草花が縦横無尽に秋を彩っていた。

 中でもひときわ目を惹いたのが金木犀キンモクセイの木だった。やや小ぶりではあったが、黄色いきれいな花をたくさん枝につけ、えも云われぬ芳香ほうこうで私の鼻をくすぐった。

「良い場所だ。美しい」

 思わず口からそう溢れてしまう。それを聞いた鬼は

「そうだろうそうだろう」

と、満足そうに頷いた。

「アンタがこういう物が好きな奴でよかったよ」

「こういうのって…草や花のことか?」

「それ以外に何がある?」

「いやまあ、しかしこれを見て感心しない奴などいるか?」

「いるさ。自分の生命以外に興味のない奴は多い」

「そうかな。しかし、それがそんなに喜ぶことか?」

 その問いに答える前に鬼は奥に戻ってしまい、そうして今度は手に大きな瓢箪ひょうたんを持って帰ってきた。

「生命に関心のない奴と、酒を呑んでもつまらんからな」

それが鬼の答えだった。

 そうして私たちは、鬼の自慢の庭を眺めながら酒を飲み始めた。



 鬼の酒は口当たりがとてもよく、まさに甘露かんろの舌ざわりであり、金木犀の香りのする不思議な酒であった。

「良い香りだな」

私がそう呟くと、鬼はまた実に嬉しそうに微笑むのだった。

桂花陳酒けいかちんしゅと言ってな。大陸からきた猿みたいな妖怪に教えてもらったのさ」

「桂花陳酒か…」

「そうだ。本来はぶどうとかいう木の実で作った酒に金木犀を漬け込むそうだが、生憎そんなのはウチの山になってねえ。だから代用して酒に杏子をいれてみたんだ」

「へえ…色々やるんだな」

「オレは時間だけはあるからな。最初は失敗もしたが、最近は結構上手くいってる。杏子が甘さを引き立てるからな。大陸のとは違うだろうが、これはこれで美味い」

「うん。美味いな」

「そうだろう」

「ああ」

「これも美味いな」

 私は鬼が作ってくれた料理に手を伸ばした。

 獣肉と汁椀が用意されていた。

 鹿の肉を素焼きにして、山葵わさびを添えただけの単純なものだったが、肉の味がとても濃厚なのと付け合わせの山葵のまた美味いこと。とにかく香りがとても良い。鼻を抜けていく辛さの中に、肉を引き立てる爽やかがある。

 もう一方は鳥の肉とと、たっぷりのキノコで煮込んだごくごくありふれた汁ものの料理だったが、どれもこれもが新鮮で、ひとつひとつの素材から旨味がふんだんにお椀へ溢れているような味だった。キノコが汁にとろみをつけて、少し冷えてきた庭先でも、じんわりと身体が温まった。

「獣の肉はあまり食わないんだが、こいつは美味いな」

「オレもあまり食わないがな。冬の為に一頭だけ仕留めた。最近さばいたばかりだから美味かろうて」

「この汁も美味い」

「醤油が自家製なんだ。隠し味に生姜を山ほどすって入れてるしな。ここに餅を入れると、たまらなく美味いぞ」

「なんだそりゃ。よだれが出てくる」

「馬鹿。卑しい腹の奴だな」

 気がつけば、すっかり夜になっていた。

 恐ろしいはずの鬼の棲家で、口にしたことのないご馳走と甘露な酒。そして美しい自然の庭を眺め、まるで長年の友のようにかの鬼と語らい笑い合っている。

 芒が揺れ、虫たちが遠慮深く鳴いている。満月が夜空に高くかかり、世界はただただひたすらに美しく見えた。

私は、この庭とその主人あるじがいっぺんに好きになってしまっていた。

続く
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