お夜食からの呼び声

三文士

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歳を経て二郎

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 月並みだが、私も自分をいつまでも若いと勘違いしていた。衣服やマインドは置いといて、少なくとも食欲は人並み以上であると思っていた。

 人が肉体以外で自分の若さを感じれるのは三大欲求、すなわち睡眠や性欲と並び食欲も重大な位置を占めている。

 よく寝れるのは若い証拠、よくムラムラするのも若い証拠。そして底抜けに食べれるのも若い証拠なのだ。

 私は眠りが浅く性欲も三十代から年々減退していくのを感じていた。そんな中食欲だけは旺盛でいつまでもわんぱく坊主のような食欲を内に秘めていた。私は口では「もうおじさんだから」と卑下しながらも心の内では「オレはまだまだ若いんだ。みろこの貪食さを!」と思っていた。

 しかし、様々なことが私を大食いから遠ざけた結果それが幻想だと知り絶望に打ちひしがれることになった。


 食べられる量は脳みそが決める。

 大食いの人を指差して「胃袋が違う」というがそれは違う。脳みそが食べれる量を判断している。胃袋の大きさというのは実はほとんど個人差が無いらしい。つまり信じられないくらい大食いの人というのは、脳の満腹のキャパシティが違うそうだ。

 つまりこれは、特別に大食いな人間でなくとも訓練次第で人並み以上に食べれる様になるという事である。要するに脳みそを騙せばいい。もっと食える、もっとイケる、と。

 信じられない方へいくつか例をご紹介する。

 極度の空腹時を除いて、例えば割りかしお腹が空いていたのに目の前で突然恋人に別れ話を切り出されたらどうなる?フォークとナイフはストップする。食事も喉を通らない。

 また極度の満腹時を除いて、例えば深夜にグルメドラマやアニメを見てしまった時。もう二時間前に夕食を済ませたはずなのに何故か口が欲しがっている。なにか、なにか小腹を満たせる物はないだろうか。この際大腹でもいい。

 これらを考えるに、やはり胃袋がどういう状況であっても食欲を左右するのは脳みそである。その脳みそが一旦食べれないと判断すればその食欲はそうそう簡単に戻らない。



 私はかつて大食いだった。しかしそれは先天的なものではない。それこそ私はごく少食な少年だった。痩せて低身長だった私は高校生から始めたアルバイトの影響で大食い青年へと成長していった。単にバイト先の賄いが美味すぎたのだ。
 
 そして私は二十代半ばでついにラーメン二郎と出会う。衝撃的な出会いだった。私は週に二度近所の二郎へと通った。そしてそれ以外に週に二店舗、汁なし系の店とチェーン店的なインスパイア系の店にそれぞれ通った。つまり週四回は二郎系のラーメンを食べていたわけだ。約三年間ほど。若さ故か仕事の激務ゆえかこの荒んだ食生活にも関わらず私は標準体重を維持したままだった。

 ラーメン二郎とは恐ろしい食べ物だ。しかし同時に、美しい食べ物でもある。

 ギトギトした脂にまみれていながら飲むと思ったよりさっぱりしているスープ。塩辛いと感じないギリギリの塩分濃度で調整されていて、鬼のように太く不揃いな自家製麺によく絡む。私はラヲタではないのでどこ製だとかは知らないが、オーションと呼ばれる特殊な小麦粉で作られた浅黒い麺は噛みごたえがあって満腹中枢を全力でブン殴ってくる。チャーシューではなく豚と呼ばれる肉塊は、ほろほろと口に入れた瞬間に崩れていくものもあれば、ぐにぐにと噛みちぎらないとのみこめないものまで個体差がある。スープより塩辛い時もあればほとんど素材の味しかしない時もある。この様々に生じる味のブレが、二郎の楽しさでもあるのだ。私はこの塩辛く分厚い豚を茹でたもやしとキャベツの混ざったヤサイたちとわしわし食べるのが好きだった。

 二郎の食べ方は人それぞれだが、ここで私の我流の食べ方をご紹介しよう。


 まず入店。券売機で小を購入。気分や店によって汁なしやつけ麺を頼む。大盛りは少なめのインスパイア店かつ何度も行った店以外では決して頼まない。これは常識と言ってもいい。二郎系の店で大盛りを頼んで残すことは有罪ギルティでもなんでもない。むしろ飲食店では当たり前のことで、ただ恥ずかしいのだ。自分の力量も測れない者に二郎系を食べる資格はない。

 席に案内されたら場所を確認してから座る前に水を汲みに行く。二郎系はほぼセルフなので先に水をゲットしておく。黒烏龍茶はカフェインが嫌いなので飲まない。二郎系の店はこれまた大概がごく狭い店なので席に座る前に水を手に入れないと、座ってからでは取りに行きづらい。座ってから思い出して取りに行こうとすればタイミング悪くラーメンがきてしまいかねない。二郎は待っているとなかなか来ないが、焦って席を立とうとすると予想外に早くくる。同じ理由でトイレも先に済ませておくことをオススメする。

 コール。これは呪文とか言われているがトッピングのオーダーだ。素人は分かりやすくニンニクヤサイくらいで十分だ。気をつけなければならないのが同じ店に通いすぎるとコールでヤサイと言ったはずなのにマシレベルにされる事がある。これは光栄でもあり、余計なお世話でもある。どれくらい食べるか私の脳みそが決めるのだ。勝手に多くしないで欲しいというのが本音だ。

 着丼と同時に豚と多めにした野菜にかぶりつく。ここで山盛りになった野菜を特盛くらいに減らす。豚を全て平らげたら下から麺を引きずり出すのだが、ここまでの速度が肝心である。二郎系で麺が伸びることは死を意味する。だから豚と野菜をどれだけ早く口に放り込めるかがキーポイントになる。豚を全部先に?と疑問の方もいるだろうが麺を平らげて最後の最後に残った豚を食べようとする人は理解できない。腹十五分目状態で食べる豚なんて、苦痛でしかない。どうせなら空腹に近い状態で食べたい。

 話を麺に戻す。下から引きずり出した麺を野菜も交えつつ豪快にすする。この時注意したいのが丼内での麺と野菜のバランスだ。満腹中枢というのは同じ味同じ食感が続くと満たされ易い。したがってムチムチな麺、シャキシャキのヤサイ、そしてムチシャキな麺とヤサイといったサイクルで食感を常にローテーションし続ける。このトライアングルが上手くいくと、永遠に空腹なんではないのかと思えるほどよく食べられる。

 しかしこれすらも、二郎系の前では子供騙しの手法。いずれ満腹がやってくる。

 そこで登場するのが卓上に置かれた調味料だ。大概は胡椒と一味唐辛子である。お酢やら何やら置いている店もあるが、私は基本一味唐辛子しか使わない。稀にインスパイアでカエシを置いている所もある。それはそれでありがたい。

 私は残っている麺と野菜の表面を覆う様に一味を全体に振りかける。麺が真っ赤になる。これを混ぜずにすするのだ。ポイントは決して全体を混ぜないこと。そうして表面の一味を中心に麺を頬張ると、刺激的な辛さが今まで散々食べていたはずのラーメンに新しい一面を見出させてくれる。脳みそが「なんてこった!こんな君がいたなんて、惚れ直したぜ!」と言っている気がする。こうして一味の功績で残っていた麺が残りひと口ふた口までになる。

 最後に水で口をリフレッシュして、もう一度オーソドックスな状態で麺をすする。ああやっぱり美味いな、と思って終了。完食である。スープは全部飲むと死ぬ。

 丼とコップをカウンターの上に置き、設置されている台布巾で軽く拭く。そして呟くように「ごっさんす」と言って席を立つ。大声で言う必要もないが言わないというのも何か違う。

 この時、もしも異例の速さで食べ終え両隣の若者から驚愕の眼差しを向けられても、決してドヤ顔などしてはいけない。早食いは偉くもなんともない。ロットがどうとか店主がどうとかはマナーには全く関係ない。私はただ、麺が伸びたラーメンが死ぬほど嫌いなだけ。それ故に、一秒でも早く少しでも最高の状態で完食したいと願ってなるべく早く食べるようにしているだけだ。あと店が混んでるから。

 とにかく私は二郎にハマっていた。友人たちと行く時もあれば一人で行く時もあった。

 ある時こんなことがあった。夏の暑い日一人でホームの二郎に行くと、大学生と思しき三人組が並んでいた。彼らとほぼ同じタイミングで入店し、かなり近い席に座ることになった。むしろ並びだった。

 食券を買った時に気が付いていたが全員が夏季限定のつけ麺を注文した。私もつけ麺が好きだった。

 店主は顔ぶれをチラ見した後、私を顔を何度か確認した。ああ、コイツね。みたいな表情をしていたと思う。

 店主の「ニンニクは?」という合図から私たち四人のコールが始まる。

「ニンニクヤサイマシアブラカラメ!」

 大学生は馬鹿のひとつ覚えの如く同じ呪文を繰り返す。

 私はいつも通りニンニクヤサイだけ。つけ麺でカラメなんて、正気じゃないと思いながら着丼を待つ。

 いつもの時間。しかし今日は違った。

 きた瞬間に、明らかにおかしいと感じた。別丼に盛られた麺が尋常でなかった。アレ?間違えて大盛り頼んじゃった?いやそんなことはない。絶対に間違えない。隣の学生連中の食券を見比べても同じ物がカウンターにある。

 しかし彼らとは量が全然違っていた。え、なにそれ。私は思わず言ってしまいそうになった。

 通常のラーメンとつけ麺は麺の茹でてからの工程が違う。つまり、学生らが慣れない人たちだと判断した店主は意図的に彼らの麺量を減らした。そして通常の一人前プラス減らして残った麺全てを私の丼にぶち込んだ。

 隣の学生の一人が「お、多いっすね」と言ってしまうくらいだった。多いっすね、じゃねえんだよ。お前らのだよ。私は思った。

 そこからはいつもの倍以上時間をかけて完食した。途中で泣きそうになりながらも必死で食らいついた。幸いだったのはつけ麺だったこと。麺が伸びないこと。

 いつもより満腹で店を出た時、何処からか心地よい風が吹いてきた。言い知れぬ満足感が身体中でトライアスロンをしているようだった。

 いつだったか、二郎好きの人がこんなことを言っていた。

「二郎はね。山登りに似てるんですよ。仲間で登るやつもいれば一人の奴もいる。共通してるのは登ってる時はみんな孤独で、景色なんかどうでも良くて、ただ登ることに必死なんですよ。最中はなんでこんなことしてんだって。もう二度と来るかって。思うんです。それでもね、登って山頂に辿り着いた時の達成感が半端ないんです。それでまた、気がついたら山に登ってるんです」

私「山登りしたことあるんですか?」

「ないです」



 しかし達成感があるのは事実でつけ麺事変以来私はより深く二郎沼にハマり続けた。


 やがて私は独身から脱却し、二郎系より妻の手料理を食べる日が多くなった。

 不思議と、二郎を減らして行くのと同時に私の体重は増えていった。


 そしてついこの間である。

 私は約一年ぶりに二郎系の店を訪れた。近場の何度も行ったことのある店でインスパイア系だが人気の店舗だ。私は汁なしラーメンを注文し、コールはニンニク少しとヤサイにした。もちろん並盛りである。

 着丼、いつもの手順で食べる。

 しかしどうしたことか、量が全く減らない。食べても食べても量が減らない。腹はもうぱんぱんである。苦しい。辛い。

 いつもの味変作戦もしたがまだまだ減らない。一味をかけ過ぎて味が迷子になりつつあった。

 ようやく終盤戦。だが最後のふた口になかなか手が出ず、ふうふう息を切らせていると隣の席の若者が後からオーダーしたはずなのに「ごっさん」と席を立った。たしか彼は大盛りだった。

 去り際に彼は苦しそうな私を見て憐れがましく少しだけ微笑んだ気がした。

「オジサン。無理しないでね」

 何故かそう言われた気がした。


 
 ややグロッキーになりながら私はインスパイア系の店を後にしていた。あの時の心地よい風も吹かなければ、トライアスロンも開催されない。せいぜいお爺ちゃんのウォーキングが関の山である。

 もうここには来るべきではないと悟った。老兵は去るべきなのだ。オジサンは大人しく鴨だしラーメンでも食べることにする。正直そっちの方が美味しい気がするし。

 あんなに好きだった二郎をまさか卒業する日がくるなんて。なんだか胸にポッカリ穴が開いてしまった気がする。

 人は食べれなくなった時に老いを感じるという。私は二郎が、遠のいていくのを感じ、人生で生まれて初めて老いを身近に感じた。

 それでもまたいつか、インスパイア系ではなくちゃんと直系の味を食べてフィナーレにしたい。今よりもっと老いてしまう前に。


つづく


 





 

 


















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