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第3章 婚約破棄
39.そして誰も居なくなっタ
しおりを挟む夜会会場にはまだダンスの音楽が流れている。目の前にはユリアが居る。そしてその周囲でダニエル王太子をはじめ、彼女の取り巻きでもあるマティアス、ゲルハルト、アルトゥールが事の成り行きを見守っている。
ユリアはなんとかダニエルをハルから引き離そうと必死だ。そんな彼女に、初めて彼らを見てからずっと不思議だったことを聞いてみたくなった。
「ところでユリア様はここにいる皆と結婚するんですカ?」
「えっ!?」
よほど意外な質問だったのかユリアが目を丸くして驚いている。取り巻きの男性もダニエルも驚いているようだ。そんなに変な質問だったかな?
「この国では女性が複数の人と結婚できるのですカ?」
「そんな訳ないじゃない!」
「じゃあ、この中の誰かと結婚するのですカ?」
「そ、そんなこと貴女に応える必要はないわ!」
ユリアは少し焦っているのか目を泳がせている。てっきりそのつもりなのかと思ったんだけど。
「じゃあ、誰かと結婚したあとは皆と別れるんですカ?」
「はぁ!? 誰かと結婚しても皆と仲良くすればいいじゃない」
ユリアがそう言ったことで取り巻き全員がさらに引いている気がする。ハルは不思議だった。結婚しても仲良くするということは……。
「結婚しても全員に子供を作ってあげるのですカ?」
「そ、そんなことできる訳ないじゃない!」
「じゃあ、旦那様以外の人は皆ずっと自分の家族が持てないのですネ」
ハルがそう言うと取り巻きたちは皆はっとしたように青くなっている。マティアスも魂が抜けたような顔をしている。変なの。そのつもりで皆仲良く求愛してたんじゃないの?
するとユリアがふんっと笑ってハルに答えた。
「今が幸せならいいじゃない」
「今が、ということは、将来は幸せじゃなくてもいイ? ずっとユリア様と一緒に家族も持たずに年を取っていくということですカ? それって寂しいですネ」
ユリアはハルの言葉を聞いても相変わらず不敵な笑みを浮かべる。だが取り巻きたちが皆一様に表情を失っていることには気づいていないようだ。
「私なら私との未来をきちんと考えてくれる人がいいでス。ずっと自分だけに寄り添ってくれて、頑張れって背中を押してくれる人がいいでス。そしてその人と自分だけの家族を作りたいでス」
取り巻きたちはハルの言葉を聞いてとうとう考え込んでしまった。もう彼らの目はユリアを見ていない。
「貴女、何なの、さっきから!? 私が幸せそうなのが羨ましいのね! そうなんでしょ!?」
ユリアはさも全て自分が正しいと言わんばかりに腕を組んで問いかける。全然羨ましくないよ。なんだかお先真っ暗だし。
そういえばまだユリアに聞きたいことがあるんだった。
「……そういえば意地悪って何ですカ?」
「はぁ?」
「筋……マティアス様が先程『カタリーナ様が貴女に意地悪をした』とおっしゃってましタ。彼女は貴女に何をしたのですカ?」
マティアスがカタリーナに一方的に言っていた話の真相を聞いてみた。どういう意地悪なのか聞いてみたい。
するとユリアが他の3人の様子をちらちら窺いながら悲しそうな顔で答える。
「カタリーナ様は、私がマティアス様と仲がいいのに焼きもちを焼いたんだと思うの。それで私の陰口を言っていたの」
「陰口って誰かに聞いたんですカ?」
「ぐ、偶然学園の教室で話しているのを聞いたのよ」
学園? 学校みたいなもの? そんなものがあるんだ?
それにしてもユリアからは嘘の匂いがぷんぷんする。
「カタリーナ様はどなたと話していたんですカ?」
「そんなのよく見えなかったから知らないわ」
「他にそれを聞いていた方ハ?」
「誰も居ないわ。私一人よ。でも嘘なんか言ってないんだから!」
誰も証人が居ないんだったらいくらでも嘘の証言ができるよね。
「つまり証明する人は誰も居ないということですネ。ちなみにカタリーナ様はなんておっしゃっていたんですカ?」
「わ、私のマティアス様に近づいた泥棒猫に目に物見せてやるとかなんとか、そんな感じよ」
カタリーナがそんなことを言うとはとても思えない。よくそんな口から出まかせを。そもそも礼節に厳しいデーメル家の令嬢はそんな言葉を使わないと思う。ペトラのスパルタは怖いんだから。
それにしても本当にマティアスの目は節穴だ。なぜユリアの嘘が分からなかったんだろう。
そんな彼女の言葉を聞いて呆れつつ、ちらりとマティアスを見て話を続ける。
「その言葉をマティアス様は信じたのですネ。カタリーナ様と幼い頃からお知り合いで、そんなことを言う女性かどうか冷静になれば簡単に分かると思いますの二」
マティアスは少しだけ目を見開き一点を見つめたまま固まっている。何かを思い出しているのだろうか。
「マティアス様に信じてもらえないことをカタリーナ様はとても悲しんでいましタ。お望み通り彼は貴女を選んだようでス。彼女も婚約破棄を受け入れたようですし、貴女の思い通りになってよかったですネ」
ユリアに向かって言ってはいるが本当はマティアスに聞かせたいだけだ。あんなに素敵な人を失って精々後悔するといい。
ちらりと彼を見ると既に顔色を失っている。
「何が言いたいのよっ! 皆婚約者じゃなくて私のことが好きなの。私の逆ハーを邪魔しないでよ! 家族が欲しいって言うなら皆と交わればいいじゃない! ハッ!」
逆上したユリアが本心を吐露してしまい、我に返ってハッとする。だが時既に遅しだ。彼女を見る周囲の男性たちはその表情に侮蔑の色を滲ませている。
ユリアはそれを見て慌てて言い繕おうとする。
「いえ、違うの。そのくらい皆のことが好きだって言いたかったの!」
ユリア、それ取り繕えてないよ……。
ハルも思わず彼女をジト目で見てしまう。ところでギャクハーって何だろう?
「あー、ごめん。そういえば僕、婚約者に挨拶してこないといけないんだった」
アルトゥールが突然そう発言して、そそくさとその場を立ち去る。
「貴女はそのうち相手を誰かに決めると思っていた。だけどまさかずっとこのまま皆とつきあうつもりだったとは……」
ゲルハルトが首を左右に振って溜息を吐き、同じく立ち去った。
「カタリーナ、信じなくてすまない……。こんな不実で尻軽な女だとは……」
マティアスが何かぶつぶつと呟いている。もはや彼は顔面蒼白だ。
「お前みたいな女が子供ができたと言ってきても誰の子か分からないな」
ダニエルが最後に鼻で笑いながらとどめの一言を投げつけた。そしてとうとうその場には誰も居なくなった。
あらら、ユリアも大概だけどダニエルたちも既に棚の上からものを言っているね。今さら彼らがすんなり婚約者に許してもらえるとは思えないけど。
「そんな、私はそんなつもりじゃ……」
ユリアは彼らの背中を見送りながら力なく呟いた。そしてハルをキッと睨み叫ぶ。
「あんたが、あんたが全部悪いのよっ!」
そう言ってユリアが右手を振り上げる。避けるのも止めるのもたやすいけど、振り下ろす前に彼女の手が空中で止まった。
なぜかクリスが彼女の後ろからその手首を掴んで、手を振り降ろすのを阻止していた。その空色の瞳はいつになく凍えるほど冷たい光を湛えている。
ハルは心の中で、クリスに向かってハンスに教えてもらったサムズアップをした。
「私のパートナーに何をしようとしているのかな? ベーレンドルフ男爵令嬢」
「ひっ……」
ユリアはそう冷たく言い放った声に振り返り、クリスの顔を見て驚く。
彼は普段穏やかだけど怒ると怖いんだよね。イェレミアスへ尋問したときのことを思い出す。
「連れて行け」
クリスがそう言うとすぐ傍まで来ていた警備兵がユリアの腕を取ろうとする。
「なによっ! 失礼ね! 自分で歩けるわよ!」
ユリアはそうってつんっとそっぽを向き、警備兵とともに会場から出ていった。後からエマに聞いたら暴行未遂の名目で退場させられたそうだ。
そしてユリアの背中を見送るハルにクリスが耳打ちをする。
「君、ものすごく目立ってるんだけど?」
「ごめんなさイ……」
目立っちゃいけないのすっかり忘れてたよ。オリバーにも怒られるだろうな……。
あとでエマに確認したらカタリーナはハルと別れたあと早々に夜会会場を出たらしい。あんな気分じゃ楽しめないよね。ということはマティアスとも会えなかっただろうか。まあそのほうがいいね。
アルトゥールとゲルハルトが婚約者とどうなったかは分からない。後日オリバーにでも聞いてみよう。
ダニエルはとくに婚約者の機嫌を取りにいく様子もなく、あの後も飄々と他の貴族と会話をしていた。婚約者ってやっぱりあの氷の令嬢だよね。
そんなこんなでハルは最後まで夜会を楽しんだ。マメリルのことは途中から婚約破棄やらなんやらでその存在を忘れていた。それを後で言ったら彼はぷりぷり怒っていた。
そしてハルは退屈せずに済んだと、夜会を振り返りながらクリスとともに会場を後にした。
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