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第3章 婚約破棄
37.婚約破棄おめでとウ
しおりを挟む夜会の会場でハルと話していたカタリーナの前に赤い短髪を揺らしながらマティアスがやってきた。そしてその端正な顔立ちを憤怒に歪めながら彼女に向かって声高らかに宣言した。
「カタリーナ、今日をもってお前との婚約を破棄させてもらう! 俺にはもうユリア嬢しか見えない。それにいくら婚約者だからといってユリア嬢に対する数々の嫌がらせは目に余る」
「えっ!?」
カタリーナが驚きに目を瞠る。嫌がらせとはどういうことだろう?
「お前のような嫉妬深い女はもううんざりだ。俺の前から消えてくれ!」
憤慨するマティアスを前に、カタリーナは一度は驚きに見開いた瞼をゆっくりと閉じた。どうやら彼の言葉を噛み締めているようだ。そして再び目を開けて彼に伝える。
「マティアス様。このような所でおっしゃるようなことではないと存じます」
「お前のっ! そういう所が息が詰まるんだっ!」
マティアスがさらに声をあげる。それに対してカタリーナは一瞬悲しそうな顔をする。
彼女が涙を必死でこらえているのが、ハルには分かる。さすがペトラの娘だ。懸命にその表情を取り繕っている。
それにしてもこの男はなんて浅はかなんだろう。今まで彼女のどこを見ていたのだろう。
カタリーナは震える唇を開いてどうにか答える。
「マティアス様のお気持ちは分かりました。しかしながら私はユリア様に嫌がらせなどした覚えはございません」
「何を白々しいことを! ユリア嬢がそう言っているのだ。純真無垢な彼女が嘘を吐くわけがないだろう。お前と違ってな!」
マティアスが一方的にカタリーナを非難する。
それを聞いているととても苛々した。片方の話だけを真に受けて、付き合いの長いカタリーナの言葉を信じないなんて。いっそマティアスに拳骨してやりたい! でもこれはハルが口を挟んじゃいけないことだよね。凄く悔しいけど。
マティアスの言葉を聞いて懸命に涙を堪えながらカタリーナが答える。
「私のお話は聞いていただけないのですね……。承知しました。私個人としてはそのお申し出を承知いたしました。ですが正式には我がデーメル家の方にお申し出ください。私から両親に話してお受けするように伝えておきます」
「そうか。今後ユリアに嫌がらせをするんじゃないぞ。お前は赤の他人だからな」
マティアスはいい気味だと言わんばかりにふんっと鼻で笑ってそう言い放つ。
そして彼は最後までカタリーナを信じずに一方的に婚約破棄を宣言して去っていった。カタリーナには別れたほうがいいと言ったもののなんだか悔しい。
それにカタリーナの言葉が本当ならユリアが彼に嘘を吐いていることになる。そんな女とマティアスは本当に結婚するつもりだろうか。彼がどうなろうと知ったことではないけど。
マティアスが立ち去ったあとカタリーナはハンカチで口元を抑えてふらついた。ハルは慌ててそれを支える。彼女の目眩が心に衝撃を受けたせいなのか気分が悪いからなのか分からない。もしかしたら両方なのかもしれない。
少しでも気分がよくなればと思って、エマと一緒に彼女をバルコニーへと連れて行った。
夜のバルコニーは会場の喧騒から少し遠のいて、蟲の声が聴こえるほどには静かだった。頬に当たる夜風がひんやりとして気持ちいい。エマも眉根を寄せて心配そうにカタリーナの様子を見ている。
ここならカタリーナの気分もよくなるだろうか。未だ気分の悪そうなカタリーナに体調を尋るべくその顔を覗き込む。
「大丈夫ですカ?」
「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」
カタリーナが懸命に気丈に振る舞おうとしている。その様子がとても健気で痛々しい。
「いいえ、マティアス様のことで気分が悪くなったのでハ?」
「ごめんなさい、やっぱり直接言われると堪えるものですね。覚悟はしていたのですけれど」
それはそうだろう。ハルだってクリスに面と向かって顔を見せるなと言われたら悲しい。
「彼とは5才のころに初めて会ったときからのおつきあいでした。そんな彼に信じてもらえないのってこんなにつらいことだったのですね」
「カタリーナ様……」
カタリーナは悲しそうに笑って答えた。カタリーナの顔色が悪い。彼女の目眩は精神的なものが原因かもしれない。緊張の汗がこめかみに浮いている。可哀想に……。
そしてようやく安心したのか、ずっと泣くのを堪えていた彼女の眦から涙が一滴零れた。
「私は両親からあまり感情を表情に出すのは貴族としてはしたないと教えられて育ちました。私はマティアス様を初めて会ったときからお慕いしていました。少し子供っぽいところはありますが、そんなところもお可愛らしくて好きで……。でも結局最後まで私の気持ちをお伝えすることは叶いませんでした」
カタリーナが涙を流しながら自嘲するような笑みを浮かべる。それが痛々しくて見ていて胸が苦しくなった。どうにかしてその涙を止めてあげたい。
「あんな男別れて正解でス。貴女が悲しむ必要などないのでス。むしろお祝いするべきでス」
「は、はぁ……。お祝いですか……」
カタリーナが目を大きく見開いてきょとんとした顔をする。ハルはそんな彼女に大きく頷いて話す。
「そうですヨ。きっとカタリーナ様の番はマティアス様じゃなかったのでス。貴女は本当の番に会うために彼と別れたのですヨ」
「番、ですか……。フフッ。マルレーネ様は面白い方ですね」
よかった。カタリーナが笑ってくれた。あんな筋肉のためになんか、流す涙が勿体無いからね。番に会うためのステップだと思えば悲しくなくなるよ、きっと。
するとふと不安げにその琥珀色の瞳を揺らしながらカタリーナが呟く。
「他の方も婚約破棄されたりしないかしら……」
「他の方?」
「あ、ごめんなさい。今ユリア様に好意を寄せていると言われている王太子殿下、宰相補佐のゲルハルト様、魔道士のアルトゥール様です。彼らにも婚約されている令嬢がいらっしゃるから……」
「ええーっ!?」
カタリーナの言葉に思わず驚いてしまう。まさか他の取り巻きに婚約者が居たとは。
貴族の男性って気が多いんだなぁ。ハルは番一筋なのに。それにクリスも彼らとは違うね。だって初恋の少女一筋だから。
他の婚約者の令嬢もカタリーナみたいに悲しんで涙を流すのだろうか。
そんなことを考えながら、ハルはようやく涙の止まったカタリーナを連れて会場へと戻った。
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