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第4章

52.最後の望み

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◆◆◆ <レオン視点>

「聞きたいことがあるんだけどね、ディアナ?」

 レオンは鉄格子の向こうにいる一見儚げな美しい女性に声をかける。
 彼の呼びかけに答え、ディアナは背筋を伸ばして真っ直ぐにこちらを見る。

「何でございましょう? 殿下。」

「君の影のことなんだがどうしても見つからない。本当にフローラの傍にいたのか?」

「ふっ。お疑いですの? 私はあの女が陰で何をしていたかも知っているのに?」

 ディアナが口の端を上げて愉快そうに微笑む。

 レオンは不思議だった。彼女が言っていた影というのが全く表に出てこない。もし侯爵家もしくは彼女に仕えていたのなら、もはや命令を遂行しても捕まる危険性が増すだけで、雇われる者にとっては何のメリットもないはずだ。
 フローラをこれ以上危険な目にあわせたくはない。だから絶対に大丈夫と言い切れる確証が欲しい。だがそれをディアナから聞き出すのはやはり無理か。

はこれからは自らの判断で動きますわ。彼は私が何を望んでいたかをよく知っています。私が捕まろうが死のうが、彼は虎視眈々と機会を狙って私の望みを叶えるでしょう。私のことを愛していますから。」

「……なんだって?」

 厄介だ。影はディアナの崇拝者か。一番始末に負えない感情で動く性質の敵だな。

「お前の影は何をするつもりだ。」

「何って……私の一番望んでいたことでしょう。彼女を穢し貶めそして殺すでしょうね。あははっ。」

 ディアナの高笑いを聞いて怒りが込み上げる。

「この期に及んで醜いもんだな。一生ジークハルトに憎まれるぞ。」

「どうせ長くはない身ですもの。愛でなくとも一生憎まれるなどむしろ願ってもないこと。彼の心にずっと棲み続けることができますもの。」

 ディアナは心から嬉しそうに笑う。その美しくも歪んだ顔を見て、悪魔というのはこういう姿をしているんじゃないかと想像した。

 フローラが危ない。今もホルストが常についていると言うが、絶対安全とは言えない。くそっ。

(今度こそ俺が助ける……!)

 俺は自室からあるものを持ち出し城を飛び出した。




◆◆◆ <フローラ視点>

「はぁ……。」

 フローラはユリアン邸で芝居の練習をしながら、昨夜聞かされたジークハルトの話を思い出していた。



『私は特別捜査団のマインツでの指揮に志願しようかと思っている。』

『理由をお伺いしても……?』

『私は今回の事件で多くの失敗を重ねた。事件の後始末が必要というなら自分が行くべきだと思ったんだ。後悔はしたくないんだ。』

 ジークハルトが人一倍責任感の強い人だと知っている。そして今回のことで強い自責の念に苛まれ続けていることも。

『本当は君と離れたくない。だがこのまま君に甘えてしまったら俺は君の前で胸を張れなくなる。君にふさわしい男でありたいんだ。半年、いや1年待ってほしい。組織が軌道に乗ったら新しい指揮官を指名してすぐに帰ってくる。』

 彼はまるで懇願するようにフローラを見る。申し訳ないとも思っているのか見えない耳と尻尾がしゅんと垂れ下がっている。
 そんな彼の顔を見て否やなど言えるわけがない。



 フローラだってジークハルトと離れたくはない。だけどこれ以上彼が後悔と自責の念に苛まれて苦しむのは見たくない。もし彼が特別捜査団に加わることでその心を軽くすることができるのなら……。

「はぁ……。」

「あれは駄目ね。今日のイザベラはポンコツね。」

 どこからかユリアンの声が聴こえた気がする。まあいっか。

 夕方5時ごろ練習が終わり、いつものように侯爵邸の馬車に乗り込む。ホルストがフローラの手を取って乗せてくれたあと自身も乗り込もうとしたとき、突然馬車が走り出した。

「ちょっと!! 何してるの!?」

 馬車の窓から顔を出し後ろを見るとホルストが慌てているのが見える。怪我はないようだ。よかった。
 いや、よくない! 御者席側の窓から抗議しようとしたところ、そこにいるのがいつもの御者ではないことに気づいた。一体誰!?
 馬車は侯爵邸とは反対の方向である町はずれへと全速力で走っている。流石にこの馬車から飛び降りるのは躊躇われる。全身骨折しそうだ。

 この馬車が王都から出ようとしているのは明白だ。フローラは馬車の中で考える。この男は何者なのだろうか。この前アグネスが言っていた余所の町の娼館とやらへ向かっているのだろうか。
 いっそ全身打撲覚悟で飛び降りたほうがましなのでは。いや、そんなことをすればすぐに降りてきた御者に捕まるに決まっている。
 ホルストはユリアン邸の馬を借りて追いかけてきてくれるだろうか。だがあの場に馬はいなかった。数分の差があるだろうから撒かれてしまっている可能性が高い。途中分岐がいくつもあったし。

 どうしようとぐるぐる考えていると王都を出たところの林の傍で停車する。
 逃げるなら今しかないと馬車の扉を開いて飛び出した。途端、後ろから襟首を掴まれ首が締まる。

「ぐっ。」

「お前が、お前のせいで……。」

 後ろから男の怒気を孕んだ声が聴こえる。この男は御者の格好をしていたが、当然侯爵邸の御者ではない。本物の御者はどうしたのだろう。もしや害されたのでは……。
 男は片手でフローラの襟首を掴んだままもう片方の手で腕を引っ張る。

「痛っ! 何するの!? 貴方は誰?」

 振り返って男の姿を見ると年の頃は25くらいだろうか。長身で薄茶の髪の端正な顔立ちだった。

 男は強引にフローラの腕を引き林の中へ連れ込む。
 これはかなり危ない状況じゃないだろうか。周囲に人影は全くない。ホルストもまだ追ってきていない。
 どうしたらいいか分からなくて思わずドレスの胸元を片手でぎゅっと握る。そこに触れた時に感じた小さな違和感。いつも身に着けていてと言われて習慣のように身に着けてそのまま忘れていた小さな袋。何かあったら思い出してとレオが言っていた。男に連れられながらこっそり袋の中の小瓶の蓋を片手で開ける。

「お前さえいなければディアナ様が捕まることなどなかったんだ。」

 男が突然フローラの肩を掴み地面に押し倒す。彼の瞳の中に見えたのは開いた瞳孔と狂気の光。狂っている。彼の目を見てそう思った。

「くっ!」

 腕を掴まれ身動きが取れなくなる。体重をかけて組み敷かれ、足の間に男が座り込む。

「あの方はただ殺すだけじゃ駄目だと言っていた。穢し貶めてお前のことなどあの男の目に入らぬようにしなければいけないと。お前のような下賤な女など触りたくもないが、あの方がそれを望むのなら仕方がない。俺はあの方を愛しているから。」

 男はフローラのドレスの胸元をびりびりと破く。男の力から逃げ出そうと必死に体を捩り抗った。組み敷かれた足を、腕を動かそうと必死でもがいた。ただひたすら怖かった。

「いやぁっ! やめてっ!」

「煩い……。」

 そんなフローラに蔑んだ眼差しを向けながら、男が彼女の胸の下着に手をかけた時だった。

―――シャラシャラ……

 かすかな音とともにフローラの胸元から光が溢れる。さらさらと瓶から零れる光の粒。その一粒一粒が幻想的な眩い光を放っている。
 男はその光を驚いて見ていたがやがてフローラを拘束する力が弱まり首がぐらぐらとし、目が虚ろになってきた。それを見ていたフローラも光が増すとともに段々眠くなってくる。




――― 林だったはずなのにここはどこ……? 辺り一面真っ白だ。少し先に劇団の皆がいる。お芝居をしているのね。私も参加しなくちゃ。
 お客様はジーク様とレオ、それにルーカス。オスカーにエマにホルストもいるわね。
 楽しい。皆が拍手をしてくれる。ずっとこうしていたい。皆と一緒に。ずっと。 ―――




「……ローラ。」

「ぅ……。」

「フローラ!」

「レオ……?」

「よかった、俺が分かるんだね。」

 レオがほっとした顔でフローラに話しかける。彼の傍らには先ほどの男がいる。意識はまだ朦朧としているようだが既に縄で縛り上げられている。
 男を見た途端に恐怖が蘇り、咄嗟に飛び起きてしまう。

「あ、ああ……。いやっ、いやっ!!」

「フローラ、大丈夫だから! もう心配ないから!」

 レオが上着をかけてくれ、そのまま優しく抱き寄せる。ぽんぽんと背中を叩かれて段々落ち着いてくる。

「ごめ……ごめ、なさい。わ、わた、し……。」

 まだ震えが止まらず上手く話せない。レオがそんなフローラに優しく話しかける。

「フローラ、無理して話さなくていいから。君に渡したお守りの中身は夜光蟲という蟲の化石でね、空気に触れると発光する。その光には幻覚を見せる作用があるんだよ。最低でも30分程は眠ったように幻覚を見続ける。光を見ないように目を瞑れば大丈夫だったんだけど、君にはそれを教えていなかったからね。それと君の居場所はこの子が教えてくれたんだよ。」

 よく見るとレオの肩には体長15センチほどの綺麗な虹色の尾長鳥が乗っていた。

「これはね、夜光鳥といって夜光蟲を好んで食べる性質があるんだ。珍しい鳥でね、どんなに遠くにいても餌を見つける。鳥も蟲もこの国にはいない生き物だから君がお守りを開けたらすぐに飛んでいくと思った。開けなくても飛んでいくかもね。」

 レオが夜光鳥に先程零れた光の粒を与えると、鳥はそれを美味しそうに啄んでいる。なんだかその光景を見て少しだけ落ち着く。

「この男は恐らくディアナの影だ。鳥を見失わないよう追いかけてきたら、この側の道端に侯爵邸の馬車を見つけた。そして林の中には君の上に重なるようにこの男が倒れていた。どう考えても襲われていたとしか思えないからとりあえず縛っておいた。君の様子を見た限りでは予想通りだったようだな。」

 レオはその瞳に怒りを滲ませ男を見やる。

「これであの女の最後の望みも潰えたわけだ。ざまぁみろだ。」

「レオ、言葉が悪い……。でも、ありがとう……。」

 レオはフローラの言葉を聞いて背中に回した腕にぎゅっと力を込める。そしてフローラの肩に顔を埋め呟いた。

「本当に……無事でよかった……。」

 今度はフローラが「ありがとう」と呟きながらレオの背中をぽんぽんと叩いた。



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