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第4章
47.守るために <ジークハルト視点>
しおりを挟むパーティから3日、ジークハルトは侯爵邸へ戻ることはなかった。城の宿舎で仮眠を取りながら夜も昼もなくクラッセン侯爵家の犯罪の証拠集めに勤しむ。
フローラに会いたい。会ったらどんなに癒されるだろう。
そう思いつつも、自分と彼女が近づくことで彼女に危害が加えられるのではないかという恐れもあった。
全く屋敷に帰れないわけではなかったのに帰らなかったのは、彼女と接するのを避けたいためでもある。屋敷でもどこで見られているか分からない。
とにかく今はクラッセン家を追い詰めるための証拠固めをしなくては。そして自分が調査することをあの令嬢に悟られてはならない。
ジークハルトはそう思い、過去10年に及ぶクラッセン家の所得申告の書類、そして同時にダウム貿易商会の過去の帳簿、クラッセン家の元使用人の足取りなど調べることは山のようにあった。
その日ジークハルトは実に3日ぶりに屋敷へ帰る。もう時刻は夜半過ぎだ。心も体も疲れ切っていた。
オスカーから、フローラが話をしたいとの伝令をもらう。3日も帰らなかったのだ。きっと彼女に良く思われてはいないだろうとは考えていた。
「ジーク様、フローラです。今よろしいでしょうか?」
「……フローラか。どうぞ。」
疲れのあまりどうしても気持ちが上がらない。やっとフローラと会えるというのに。
フローラが扉を開けて入ってくる。やはり表情が暗い。そして何やらとても真剣なまなざしでジークハルトに尋ねてくる。
「お疲れのところを申し訳ありません。お尋ねしたいことがあってまいりました。」
「なんの用だ?」
抱きしめたい気持ちと、今は遠ざけなければという気持ちがジークハルトの中でせめぎ合う。そんな葛藤をしつつ思わず冷たい言葉で答えてしまう。
ジークハルトの声を聞いてフローラはさらに表情を硬くする。怖がらせてしまったか。
「ジーク様はお仕事でお忙しいから屋敷に帰れないとおっしゃっていましたよね?」
「……ああ。」
「先日ダウム貿易商会のパーティに参加させていただきました。そしてそのときにジーク様とプラチナブロンドの女性をお見かけしました。」
「……なんだって!? なんで君はあんな危ないところにまた!」
(あの時あの会場にいたのか! あんなにもう危ないことに首を突っ込むなと言ったのに。)
ジークハルトが必死でフローラを守ろうとしているのに、自分の気持ちに反するような彼女の行動を聞かされ彼女に対する苛立ちが募る。
「あのご令嬢とはお仕事でいらっしゃったのですか? それとも契約だからわたしにそんなことを聞かれるのは不本意ですか?」
仕事だが、違う。契約などもうフローラへの告白の前からとうに考えていない。彼女の命が脅かされてさえいなければ、今何を思っているかいくらでも正直に話そう。
だが今は言えない。今自分がやろうとしていることを彼女に話せばまた危険に晒すことになる。
そうならないための侯爵家を追い詰める証拠固めはまだ済んでいない。今は無責任に彼女に事情を話すべきではない。すべては彼女の安全が確保できてからだ。
「……フローラ、私は仕事であの場にいた。あの令嬢は……プライベートだ。君に言う必要はない。契約だからだ。」
今は突き放さなければ。ジークハルトは何とか苦しみを堪えながら言葉を絞り出して答える。彼女を遠ざける言葉を。心にもない言葉を。
「そう……ですね。差し出口申し訳ありませんでした。ちなみに結婚後はそのご令嬢を愛人か愛妾になさるのでしょうか? それは形式的な妻でもお聞きする権利がありますよね?」
ああ、やはりフローラにはそう見えていたのか……。あの女がそう見えるよう振る舞っているのだから当然だろう。
あの女を愛人や愛妾になど考えるわけがない。ジークハルトにはフローラさえいればいい。どんなにその言葉を口にしたかったか。愛しているのは君だけだとどんなに言いたかったか。
今は愛の言葉を囁くことはできないが、彼女にはもう危険なことに近づかないよう釘を刺さなければならない。彼女が傷つくところはもう見たくない。
言いたい言葉のすべてをぐっと飲み込みジークハルトは話を続ける。
「フローラ……結婚は……すまない、今は何も言えない。何も言えないのに勝手だがこれだけは聞いてくれ。ダウム貿易には二度と近づくな。そしてクラッセン家にもだ。頼む、約束してくれ。」
フローラは涙を堪えているようだった。彼女のこれほど悲しそうな表情は今まで見たことがなかった。それでも彼女は気丈に振る舞おうとする。背筋を伸ばし彼女は口を開く。
「ジークハルト様、わたくしたちはお互いの行動に干渉しないという契約でしたよね。それならばご迷惑をおかけしない限り、わたくしが何をしようとジークハルト様には関係ないはずです。わたくしのことはご心配なさらないでください……。」
(ジークハルト様、か。キツイな……。)
今にも泣きそうな顔でフローラは踵を返しジークハルトの私室を足早に出ていってしまう。
「フローラ!」
ジークハルトは思わず片手を伸ばしフローラに追い縋ろうとしてしまう。それを引っ込めてかろうじて踏みとどまる。彼女は彼の声に気づかずにそのまま去ってしまった。
駄目だ。今は駄目だ。彼女のためには今は嫌われても近づくべきではない。そして中途半端に優しくするべきでもない。
だが婚約の解消だけは絶対にしたくない。もう少し待っててほしいんだ、フローラ。そうすればすべてがうまくいくから……。
ジークハルトは翌朝早くにオスカーにフローラに護衛をつけるよう申しつける。これ以上危険な目には合わせられない。ホルストは腕の立つ護衛だ。侍従とでも言っておけば彼女が不安に思うこともないだろう。
そしていつもよりも随分早い時刻に屋敷を出て城へ向かう。フローラと顔を合わせないようにするためだ。婚約を解消したいなどと言う彼女の言葉を聞きたくはなかった。聞いてしまえば彼女を引き留めるために、ジークハルトは再び自分の思いの丈を吐露してしまうだろう。
城へ到着してからもクラッセン侯爵家を追い詰めるべく一心不乱に証拠集めに勤しむ。証言、帳簿、反逆に加担した人間の洗い出しなどとにかく忙しい。
にもかかわらずクラッセン侯爵令嬢から誘いがある。いい加減にしてほしい。だが今は彼女を怒らせるわけにはいかない。逆上して何をするか分からない。
その日の夜も令嬢に呼び出される。二人で街を歩きたいということだ。ジークハルトは彼女のなすがままといった感じで、屈辱的な気持ちとフローラに申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。
「ジーク様、私のことをちゃんと恋人のように扱ってくださらない? 貴方はいつも上の空で私とても傷ついてしまいますわ。」
街の広場のベンチで彼女がしなだれかかる。そしてジークハルトの後ろを一度凝視したあと突然ジークハルトの胸に顔を寄せる。
一体急に何なんだ。そう思ってジークハルトが後ろを振り向こうとすると、そこにはなぜかフローラがいた。その傍にはレオンとホルストの姿も見える。
「っ……!」
フローラと目が合う。彼女がこちらを見てひどく驚いているのが分かる。ああ、頼む。今の自分を見ないでほしいとジークハルトは心の中で懇願する。
「分かってますわよね? ジーク様。」
令嬢はジークハルトにだけ聴こえる小さな声で囁く。この女、知っててわざと……!
そう囁いた直後にはっきりとフローラにも聞こえる声で妖艶に話しかける。
「ジーク様、他の女なんて見ないで?」
一瞬のことだった。令嬢はジークハルトの頬を両手で挟み不意にその唇を彼の唇に重ねる。
「ジーク様、わたくしのこと愛してる?」
「……。」
愛してなどいるわけがない。むしろ殺したいくらいだ。愛しているのはフローラだけだ。
今の口づけを彼女に見られてしまったのだろうな……。きっとまた傷つけてしまった。だが……。
「ねえ、ちゃんと言葉に出して。」
令嬢の瞳に残忍な光が宿る。その目には有無を言わせない気迫がある。言わなければフローラを殺すと言わんばかりだ。
「……愛している。」
「嬉しい。わたくしも愛してるわ……。」
フローラは多分目を逸らしていたのだろう。ジークハルトが彼女を見ると、彼女はこちらを振り向き綺麗な笑みを浮かべて軽く一礼する。だがその眦から一筋の涙が伝う。
ジークハルトはそんな彼女から目が離せなかった。傷つけてしまった罪悪感が胸の中にさらに湧き上がる。すまない、フローラ……。
そのまま踵を返しフローラはレオンとホルストとともにその場を立ち去っていく。もう彼女に合わせる顔がない。ジークハルトは激しい苦悩に顔を歪ませる。
そんな彼を見て令嬢はほくそ笑む。さも満足だと言わんばかりに。
それからジークハルトは気分が悪いからと令嬢の前を辞し、そのまま城へ戻り宿舎へ入る。
一人で椅子に座り俯いて膝の上に肘を置き顔を両手で覆い、大きく溜息を吐く。本気で泣きたかった。涙が出そうになるのは幼いころ以来だった
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