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第4章
45.呼び出し <ジークハルト視点>
しおりを挟むフローラの公演の最終日の翌日。
ジークハルトは昨日遅くまでフーバー邸の打ち上げに参加して若干寝不足気味で王城へと出勤していた。夕方まではいつも通り帝国に関する事件の取りまとめをしていた。
今日はフローラが帰ってくる。早く帰って彼女とともに時間を過ごす。ジークハルトはそれはもううきうきしていた。
なんせ彼女が出ていってから1か月以上もの間、彼女の顔を見る機会が限られていたのだ。これからはずっと一緒にいられると思うとすぐにでも屋敷へ帰りたいくらいだった。
夕方5時ごろ、ジークハルトが早く屋敷に戻るべく追い込み作業に入っていると部下より自分宛てと渡された手紙を受け取る。
それはクラッセン侯爵令嬢からの手紙で、帝国に関する情報があるので今夜時間を取れないかとのことだった。
あの侯爵家からは以前縁談の話をいただいたのだが断っていた。そして侯爵令嬢本人からも直接何度もアプローチを受けていたのだが、どうにも軽い気持ちで接することができる相手じゃないというジークハルトの直感で、彼女とのプライベートのつきあいも避けていた。容姿は美しいのだが、なんとなく彼女に対しては得体の知れない恐怖があった。
ガセネタじゃないのだろうか……。単にジークハルトを誘い出すためだけに嘘を吐いているという可能性もある。
だがあの侯爵家は1年ほど前まではかなり借金があり経済的に苦しかったはずなのだが、特に新しく事業を始めたという事実もないのに急に羽振りがよくなったとの噂がある。
侯爵家が疑わしいという懸念がある以上、やはり彼女からもたらされるかもしれない情報が何なのかを確認する必要がある。そのため早い時刻に屋敷に帰るのを諦めるという苦渋の選択をするしかなかった。
そして約束の時間である夜の7時前に待ち合わせの場所で令嬢を待つ。しばらく待っていると豪奢な馬車が目の前で停車し、中からクラッセン侯爵令嬢が降りてくる。
「ジーク様、ご機嫌よう。今日は私に会いに来てくださって嬉しいわ。」
彼女は自分から情報を持ってきてくれたのだ。特に機嫌を取る必要も秘密を聞き出す必要もない。下手に気を持たせないように、なおかつ機嫌を損ねないように当たらず触らずの距離で接しようと心に決める。
「……クラッセン侯爵令嬢、王城でお話をお伺いできるのが一番よかったのですが。」
「そんな色気のない所では話したくないわ。どこへ連れて行ってくれるのかしら。とても楽しみだわ。」
彼女はそう言って蠱惑的な笑みを浮かべるとジークハルトの腕を取ってしなだれかかる。
仕方がないのでカフェへ連れていくことにする。奥のテーブルについて向かい合って座り話を切り出す。
「早速ですが、貴女の持っている情報を聞きたい。」
「今日私を満足させてくださったら教えてさしあげますわ。」
ジークハルトはイラッとくる。彼女の目的は自分との時間を持つことなのだろう。もういっそここで帰ってしまいたい。
彼がそんなことを考えていると、令嬢が口を開く。
「貴方の婚約者のフローラ嬢にも関係があるかもしれませんわよ?」
「なんだって……?」
体中の血が一瞬沸騰したかのように感じる。これは脅迫か? いっそここで彼女を斬ってしまいたいくらいの衝動に駆られる。フローラを引き合いに出すとは一体彼女の目的はなんだ。
「うふふ。そんなに難しいことをお願いしているわけじゃないでしょ? 私、小さい時から貴方のことが好きだったの。」
「……小さい時?」
彼女は微笑みながら涼しげな声でジークハルトの怒りをいなす。ジークハルトは記憶を辿るが、彼女と過ごした記憶は全くない。彼女は何か勘違いをしているんじゃないのか?
「ええ、覚えてらっしゃらないかしら。貴方がお母様に連れられて、王妃様の主催するお茶会にお城へいらっしゃったことがあるの。私はその時5才、貴方は7才だったかしら。城の庭園で迷子になって泣いてた私を、貴方はハンカチを渡して慰めてくれて、お母様たちの所へ連れて行ってくれたわ。」
「申し訳ないが全く覚えていない。」
「うふふ。いいのよ。あの時から貴方はずっと私だけのナイトなの。だから私以外の女性が傍にいるなんて到底許せないの。貴方が今まで刹那的なおつきあいをしてきた女性たちならまだ許すことができたけど、妻になるのは私でないと駄目でしょう?」
彼女はうっとりとしながら遠くを見るような表情でそう告げる。ジークハルトは彼女の言葉を聞き、少し背筋が寒くなる。女性に想いを告げられることはよくあるが、自分だけのナイトだと言われたことはない。
彼女はジークハルトを見ているようで見ていない。彼女のまるで光を映さないかのような仄暗い瞳とその思い込みの強さに戦慄する。そして自分が無意識に彼女を避けていた原因はこれかと改めて認識する。
「申し訳ないが貴女にそういう特別な」
「ジーク様? 私言いましたわよね? 楽しませていただけたらお話しすると。ですからあまり私を怒らせないでくださいな。」
ジークハルトの言葉を遮るように釘を刺してくる。彼女は分かっているのだ。本当はジークハルトの気持ちがどこにあるのか。それが分かった上でこんなことを言うのなら、彼女には何か魂胆があるとしか思えない。
「分かりました。今日はぜひ貴女とご一緒させてください。」
「嬉しいですわ。ジーク様。」
彼女はジークハルトににっこりと微笑む。ジークハルトは内心舌打ちしたいくらいの気持ちだったが、表情には出さずに貼りつけたような笑みを彼女に返す。
そのままレストランやバーで数時間をともに過ごし、真夜中を過ぎたころにようやく彼女は口を開く。
「ダウム商会をお調べになって。帝国との繋がりが何か分かるかもしれませんわ。」
それきり彼女は口を閉じる。今聞いたことも確かに重要な情報だ。だがジークハルトにとって最も重要な情報がまだ聞かされていない。
「フローラにも関係があるとおっしゃってませんでしたか?」
「ジーク様が明日も私と会ってくださるならお教えしますわ。彼女のこと、大事なんでしょう?」
もはやジークハルトは令嬢の申し出を受け入れるより他なかった。
フローラが関係するとなると彼女の仕事のことか、あるいはかつて彼女が帝国に関わってしまったことか。どちらにしてもはっきりとこの女から聞きださねばならない。
ジークハルトは精神的に非常に疲れきった状態で侯爵邸へ帰りつく。帰り着いたのはもう日も変わり夜半過ぎであった。エントランスへ入ったジークハルトにオスカーが伝える。
「旦那様、フローラ様がずっと旦那様のお帰りをお待ちだったのですが先程お休みになられました。」
「そうか。可哀想なことをしたな……。明日の朝少しだけでも話せるだろう。」
「左様でございますね。……旦那様、何かございましたか? お顔の色がすぐれませんが。」
オスカーが心配そうにジークハルトの顔を見ながら尋ねてくる。答えてもいいがまだ何も事情がはっきりしていない。彼には全てはっきりしてから説明すればいいだろう。
「いや、大丈夫だ。今日はもう休む。お前ももう休んでくれ。遅くなってすまなかった。」
「かしこまりました。」
ジークハルトは入浴を済ませ早々にベッドへ入る。もう精神的にくたくただった。
そして翌朝、朝食の時間にようやくフローラの顔を見ることができた。あの令嬢につきあって渇いてしまった心が徐々に潤っていく。
令嬢のことを話すべきだろうか。いや、いたずらに不安がらせては可哀想だ。
「フローラ、昨夜はすまなかった。ずっと待っていてくれたそうだね。仕事が忙しくて昨日は夜半過ぎまで帰れなかった。」
「いえ、お仕事ですもの。仕方ありませんわ。あまり無理をなさらないでくださいね。」
ああ、フローラ。なんて優しいんだ。ずっと君と屋敷に籠っていられたらいいのに……。
「ああ、ありがとう。せっかく君が帰ってきてくれたのに、ともに過ごせなくてとてもつらいよ。フローラ、申し訳ないがしばらく邸には帰れないかもしれない。今とても厄介な案件を抱えていてね……。」
「ジーク様……。どうかちゃんと休んでくださいね。」
フローラが心配そうな表情でジークハルトを労ってくれる。
何も言えなくてすまない。早く君と一緒に過ごしたい。フローラ、君だけを愛している。
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