わたし女優になります! ~フローラ=バウマンには夢がある~

春野こもも

文字の大きさ
上 下
43 / 60
第4章

43.フローラの涙

しおりを挟む

「……フローラ、私は仕事であの場にいた。あの令嬢は……プライベートだ。君に言う必要はない。契約だからだ。」

 ああ、ジークハルトの口から一番聞きたくない答えが返ってきてしまった。足元が崩れていくような感覚に襲われる。

「そう……ですね。差し出口申し訳ありませんでした。ちなみに結婚後はそのご令嬢を愛人か愛妾になさるのでしょうか? それは形式的な妻でもお聞きする権利がありますよね?」

「フローラ……結婚は……すまない、今は何も言えない。何も言えないのに勝手だがこれだけは聞いてくれ。ダウム貿易には二度と近づくな。そしてクラッセン家にもだ。頼む、約束してくれ。」

 懸命に上を向いて涙を堪える。ジークハルトに涙を見せたくはない。

ジークハルト・・・・・・様、わたくしたちはお互いの行動に干渉しないという契約でしたよね。それならばご迷惑をおかけしない限り、わたくしが何をしようとジークハルト様には関係ないはずです。わたくしのことはご心配なさらないでください……。」

 そう言って踵を返しジークハルトの私室を足早に出る。後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がするがよく分からない。
 頭ではもっと彼と話すべきだと判断するのだが、フローラの心があの場にいたくないと拒否をしてしまう。
 私室へ戻るなり戻りソファーに座り込んだ。彼は追ってこなかった……。



 翌朝朝食をとるためにダイニングへ向かうとそこにジークハルトの姿はなかった。

「ジークハルト様はいらっしゃらないのですか?」

「はい、旦那様は本日は早朝に出勤なさいました。」

 ジークハルトのことを尋ねるとオスカーがそう答えてくれた。
 彼と顔を合わせるのはつらかったし、今朝は会えなくてよかったのかもしれない。今でも彼が自分を愛していると言ってくれた言葉を信じている。だから大丈夫だと自分に言い聞かせる。



 食事を済ませ私室に戻ったあと劇団へ練習に行くことにする。何かに打ち込んでいた方が気が楽だ。芝居に集中しよう。
 外出の準備を済ませてからオスカーに伝える。

「今からお芝居の練習に向かいます。馬車をお願いします。」

「お待ちください、フローラ様。旦那様の命により本日より侍従をつけさせていただきます。」

「えっ、どうして急に……。要りません。今までだって一人で大丈夫でしたし一日フーバー邸に籠っているから平気です。」

 フローラは驚いてしまう。なぜ急にジークハルトが侍従をつけろなどと言い出すのか。

「なりません。フローラ様が聞き入れてくださらないと私が叱られます。どうかお願いします。」

 お願いされてはフローラは断れない。

「わ、分かりました。」

「では、この者が今日からフローラ様に付き添わせていただきます。」

 奥から出てきたのは侍従というよりも騎士といった感じの屈強な男性であった。帯剣もしている。年の頃は30代くらいだろうか。この人は侍従というよりも護衛……?

「ホルストと申します。よろしくお願いします。」

 ホルストは無表情のままフローラに礼をする。

「彼は不愛想ですが信頼に足る男です。何かあったら彼を頼ってください。」

「よ、よろしくお願いします。」

 オスカーに強引に侍従をつけられてしまった。とはいえ、ほとんど侯爵邸とユリアン邸の往復だ。彼には悪いがほとんど何もすることはないだろう。



 侯爵邸の馬車でユリアン邸まで送ってもらう。

「それじゃ、ホルストさん。わたしは練習しますね。」

「はい、私のことはお気になさらず好きに動いていただいて結構です。断りを入れる必要もございません。それと、私のことはホルストとお呼びください。」

「は、はい。」

 なんとなくその屈強な見た目で敬語を使ってしまう自分がいる。だって怖いんだもの……。

「あ、あの、なぜ今日から侍従につけられたか、理由を何かお聞きしてますか?」

 ホルストに恐る恐るそう尋ねると彼は淡々と答える。

「いえ、誠心誠意お仕えするようにとしか聞いておりません。」

「は、はあ、そうですか……。」

 着替えだけはさすがに一人で済ませたが、スタジオで練習する間も休憩するときも、ホルストは影のようにフローラに付き従っている。さぞかし退屈だろうと思う。

 午後3時ごろレオがユリアン邸へフローラの顔を見に訪ねてきた。

「やあ、フローラ。元気……じゃなさそうだね。」

「え、元気よ。どうして?」

 余計なことを考えないよう練習に打ち込んでいたため特に表情で悟られるようなことはないと思っていた。

「いや、なんとなく。空元気に見えたもんだから。」

「そんなことないわよ。ただお芝居に集中してただけ。」

 レオはときどき勘が鋭い。表情の機微に敏感なのかもしれない。もしかしてパーティのときのことを気にして様子を見にきてくれたのだろうか。

「フローラ、終わったらなんか奢るよ。」

「いや、でも……。」

 レオの誘いは嬉しいが自分はジークハルトの婚約者だ。さすがに彼と二人で食事するのはまずいだろう。

「あ、大丈夫だよ。侍従の彼も一緒に来ればいい。3人ならいいだろう? この間仕事を手伝ってくれたお礼だと思って。気晴らしにもなるし、行こう。」

 確かにこのまま鬱屈してたら周囲に気を使わせてしまう。ここらでぱあっと気晴らしするのもいいかもしれない。それにホルストがいれば外聞も悪くならないだろう。

「それじゃ、行こうかな……。」

「よし、決まりだね!」



 夕方6時ごろ練習が終わってからレオとホルストとともに夕食を食べに町へ出る。
 ホルストが困り果てた声で訴える。

「私はレストランの外で待っておりますので。」

「そんなこと言わないで。一緒に行きましょう?」

「そうそう。君がいないとフローラが一緒に食事してくれないからね。」

 そう言って遠慮するホルストをレオと一緒になって強引に連れていく。
 そうだ。自動人形オートマタに拉致されたときに食べ損ねた牛タンシチューを今日こそ食べたいな。『シャーフ・ドゥーズン羊の居眠り』へ行ってもいいかレオに聞いてみよう。
 そう考えながら街の広場を歩いていると、10メートルほど先のベンチの傍に見慣れた人物が立っているのに気づく。どんなに人で溢れかえっていても彼のことだけは見つけ出してしまう。

(ジークハルト様……。)

 よく見るとこちらに背中を向けたジークハルトの向こう側にプラチナブロンドの髪の女性が寄り添っているのが見える。どこから見ても仲の良い恋人同士だ。彼女は彼の胸にしなだれかかり、うっとりと彼を見上げている。
 彼が彼女に対して一体どんな表情をしているのか気になってしまって無意識にその表情を見ようと近づくと突然彼がこちらを振り返った。瞬間目と目が合う。

「っ……!」

「ジーク様、他のひとなんて見ないで?」

 一瞬のことだった。女性はそう言ったあとジークハルトの頬を両手で挟み、彼の唇に自分のそれを寄せた。
 目の前の光景を受け入れられず思わず目を逸らしてしまう。嫌だ! 嫌だ! 見たくない!
 女性の顔をはっきりとは見なかったが恐らくアグネスだろう。そして二人の声だけが聴こえてくる。

「ジーク様、わたくしのこと愛してる?」

「……。」

「ねえ、ちゃんと言葉に出して。」

「……愛している。」

「嬉しい。わたくしも愛してるわ……。」

 その会話のあとジークハルトの方へもう一度振り向く。彼に気を使わせないよう笑顔を浮かべて軽く一礼する。ちゃんと笑えているだろうか。彼が誰と一緒にいようとお互いのプライベートには干渉しないという約束だ。
 彼はそんな自分を泣きそうな表情で見ているような気がした。なぜそんな顔をするのだろう。それが不思議だった。

「あいつっ!」

 レオが険しい表情を浮かべてジークハルトの方へ足を踏み出そうとする。それを慌てて制止したあと2人に気を使わせないよう軽く会釈のみをしレオの腕を引っ張ってその場を足早に離れる。
 視界の左側からハンカチが差し出される。一心に歩いていたフローラがはっと我に返ると、傍にいたレオがそれを無言でそっと差し出してくれていた。なぜハンカチを……。

「えっ……?」

 フローラの頬には自分でも気づかないうちに涙が伝っていた。ジークハルトには笑って会釈をしたつもりだった。
 涙を見られてしまってはいないだろうか。自分の涙を見たから彼は憐れんであんな表情を浮かべたのだろうか。

「ありがとう……ごめんなさい、レオ。」

 レオのハンカチを受け取り顔を隠す。
 彼の優しさが身に沁みて、次々に涙が溢れてくる。なるべく早く2人から離れなければ。そう思って雑踏の中をさらに足早に歩く。そしてある程度距離が離れたところで涙腺が決壊する。

「うっ、ううっ……。」

「フローラ……。少しだけごめんね。」

 レオが人目から隠すようにフローラの肩を抱き寄せる。フローラは安心して声を殺しつつ、ほんの少しだけレオの胸を借りて涙を流した。



しおりを挟む
本作をお読みいただき、ありがとうございます!

番外編を投稿いたしました。
夢の続き~再会 「フローラバウマンには夢がある 番外編」
番外編はサスペンス色の濃い作品となっております。予めご了承ください。

ご感想、ご意見、このキャラクターが好き! などのメッセージをいただけますと、筆者は大変励みます。
時間の許す限りは返信もさせていただきます。

これからも読者様に喜んでいただけるお話を書いていきたいと思います。応援、よろしくお願いします。

春野こもものアルファポリス掲載中の小説はこちら
感想 23

あなたにおすすめの小説

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

誰にも言えないあなたへ

天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。 マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。 年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。

初めから離婚ありきの結婚ですよ

ひとみん
恋愛
シュルファ国の王女でもあった、私ベアトリス・シュルファが、ほぼ脅迫同然でアルンゼン国王に嫁いできたのが、半年前。 嫁いできたは良いが、宰相を筆頭に嫌がらせされるものの、やられっぱなしではないのが、私。 ようやく入手した離縁届を手に、反撃を開始するわよ! ご都合主義のザル設定ですが、どうぞ寛大なお心でお読み下さいマセ。

【完結】溺愛婚約者の裏の顔 ~そろそろ婚約破棄してくれませんか~

瀬里
恋愛
(なろうの異世界恋愛ジャンルで日刊7位頂きました)  ニナには、幼い頃からの婚約者がいる。  3歳年下のティーノ様だ。  本人に「お前が行き遅れになった頃に終わりだ」と宣言されるような、典型的な「婚約破棄前提の格差婚約」だ。  行き遅れになる前に何とか婚約破棄できないかと頑張ってはみるが、うまくいかず、最近ではもうそれもいいか、と半ばあきらめている。  なぜなら、現在16歳のティーノ様は、匂いたつような色香と初々しさとを併せ持つ、美青年へと成長してしまったのだ。おまけに人前では、誰もがうらやむような溺愛ぶりだ。それが偽物だったとしても、こんな風に夢を見させてもらえる体験なんて、そうそうできやしない。  もちろん人前でだけで、裏ではひどいものだけど。  そんな中、第三王女殿下が、ティーノ様をお気に召したらしいという噂が飛び込んできて、あきらめかけていた婚約破棄がかなうかもしれないと、ニナは行動を起こすことにするのだが――。  全7話の短編です 完結確約です。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

処理中です...