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第4章

40.クラッセン侯爵邸にて

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 アグネスと一緒に馬車に乗り込み、30分ほど走るとクラッセン侯爵家へと到着した。そこはアーベライン侯爵邸に匹敵するほどの大きな屋敷だった。
 フローラは馬車を降り、執事らしき男性に案内され、アグネスとともに彼女の私室へと入る。

「どうぞお座りになって。」

 アグネスの向かいのソファーに座るよう促され、フローラはゆっくりと腰を下ろす。味方が一人もいない孤立無援の状況で、何かあった時この広い屋敷からどう逃げ出せばよいのか。それとなく脱出経路を確かめるフローラであった。

「それで、わたくしにお話ししたい内容とはなんでしょう?」

 フローラは単刀直入にアグネスに問いかける。

「まあ、そう慌てないで。取って食うわけじゃないんだから。ジークハルト様のことね。」

 フローラがソファに座ってすぐに侍女が紅茶を運んできた。フローラは怖くてそれに口をつけられない。

「お茶をどうぞ。」

「いえ、先程カフェでいただいたばかりですのでご遠慮させていただきますわ。」

「あははは。毒でも入っていると思うの? そんな馬鹿なことはしないわよ。」

 アグネスは高笑いをしてフローラに進めてくる。そう言われてもやはり出された紅茶に口をつける気にはなれない。

「まあいいわ。ジークハルト様のことだけど、貴女婚約を辞退なさいな。」

「なぜ、関係のない貴女にそんなことを言われなければならないのです?」

「関係ないねえ……。関係はあるわよ。ジークハルト様はね……」

 その時、コンコンと扉を叩く音がする。一瞬アグネスの肩がぴくりと上がる。

「なあに……?」

「わたくしだけど。」

「お姉さま……。どうぞ。」

 扉を開けて入ってきたのは、アグネスと同じ髪と瞳の色のとても優しそうな女性だった。彼女は穏やかな笑みを浮かべ、アグネスに話しかける。

「アグネス? こちらの方は?」

「わたくしのお友達よ。姉のディアナよ、フローラ。」

 フローラはソファから立ち上がり、ディアナの方を向くと軽くお辞儀をする。

「フローラ=バウマンと申します。よろしくお願いいたします。」

「フローラさんね。アグネスの姉のディアナです。アグネスと仲良くしてくださってありがとう。ごゆっくりなさっていってね。アグネス、お友だちと仲良くするのよ。意地悪してはだめよ。」

 ディアナは春の日差しのような穏やかな笑みを浮かべ、アグネスに諭すように言ってきかせる。

「はい、お姉さま。ご心配なさらなくとも私たちはとても仲良しですわ。」

 アグネスの言葉を聞いて、フローラはいつ仲良くなったのかしらと疑問に思うが、ディアナに会釈して答えた。

「お陰様でとてもよくしていただいてますわ。」

「そう、それならいけれど。それじゃ、わたくしはこれで失礼しますわ。ご機嫌よう、フローラさん。」

 そう言ってディアナは部屋を出ていった。

「とても優しそうなお姉さまですね。」

「……フローラ。先ほどの話の続きだけど、貴女はジークハルト様にふさわしくないし、それに貴女には荷が重いと思うの。」

「そんなことを言われる筋合いはございません。失礼ですが、何か勘違いをなさっているのでは? わたくしに婚約を解消する権利はございません。すべてはジークハルト様次第です。」

 アグネスは首を左右に振ると、はぁーと大きな溜息を吐き、話を続ける。

「これだから身の程知らずな女は……。貴女、わたくしの忠告を断ったことを必ず後悔してよ。」

「後悔なんてしません。」

「あのね、ジークハルト様とは幼いころに結婚を誓い合った仲なの。あの方の心は貴女にはないの。」

「貴女のことを彼が愛してらっしゃると……?」

「……そうよ。だから大人しく諦めなさい。」

 アグネスの表情は真剣そのものだ。とても嘘を吐いているようには思えない。

「申し訳ありません。わたくしの方から婚約解消を申し出ることはありませんし、侯爵家を出るつもりもありません。ご用がそれだけでしたら、そろそろお暇したいのですが。」

「……貴女、後悔するわよ。」

 アグネスが憎々しげにフローラを睨む。
 フローラはアグネスに一礼すると彼女の部屋を出て、家令に馬車で侯爵家まで送り届けてくれるように頼む。
 話の内容は概ね想定内ではあったが、彼女の話が嘘だとしてもジークハルトの思い人が他にいるなど聞かされるのは不愉快だ。ジークハルトは嘘を吐くような人ではない。

 フローラは無事クラッセン侯爵邸を後にし、アーベラインの屋敷へ到着した。

「フローラ様、お帰りなさいませ。」

 馬車を降りるとオスカーが出迎えてくれた。フローラは彼の顔を見てほっとする。もしかしたら無事に帰れないかもしれないと思っていたので、正直何事もなく帰れたのは意外だった。
 街で買い物をする予定も流れてしまったし、なんだかフローラでもあまり外を出歩くのは危険な気がする。ジークハルト様に相談してみようかしら。

 フローラはジークハルトが帰ってくるのをずっと待っていたが、その夜彼はいっこうに帰ってこなかった。

(ジーク様、お仕事が忙しいのかしら……。)

 翌朝、朝食にダイニングへ向かうとジークハルトに会うことができた。なんだかとても疲れているように見える。

「フローラ、昨夜はすまなかった。ずっと待っていてくれたそうだね。仕事が忙しくて昨日は夜半過ぎまで帰れなかった。」

「いえ、お仕事ですもの。仕方ありませんわ。あまり無理をなさらないでくださいね。」

「ああ、ありがとう。せっかく君が帰ってきてくれたのに、ともに過ごせなくてとてもつらいよ。」

 そう言ったジークハルトの目の下には隈ができている。睡眠不足だろうけど大丈夫だろうか。フローラは心配になる。

「フローラ、申し訳ないがしばらく邸には帰れないかもしれない。今とても厄介な案件を抱えていてね……。」

「ジーク様……。どうかちゃんと休んでくださいね。」

 ジークハルトは朝食を終えるとそのまま王城へ向かった。

(はあ……。とても相談できる状況じゃないわね……。)



 フローラが私室でどうしようか悩んでいると、オスカーよりレオが訪ねてきたことが知らされる。フローラはサロンで彼を出迎える。そういえば公演が終わったら頼みたいことがあると言っていたわね。

「やあ、フローラ。元気……どうしたの?」

「えっ?」

「顔色が悪いけど、なんかあった?」

 こんなことをレオに相談していいものか。そもそもジークハルトに相談できていないのに、レオに相談するとジークハルトが嫌な思いをするんじゃないだろうか。

「いえ、なんでもないわ。今日はどんなご用?」

「あ、ああ、公演前に俺が言ってたこと覚えてる?」

「ええ、覚えてるわ。頼みたいことがあるって。」

「うん。君に俺の恋人になってほしいんだ。」

「はあ!?」

 フローラは何が何だかわからず、にこにこと微笑みながらそんなことを言うレオの真意を探ろうとその顔をじっと見つめた。



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