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第3章
35.激白 2
しおりを挟むジークハルトに手を引かれて強引に部屋から連れ出され、フローラはそのまま魔術師の隠れ家を出る。もう夜も更けて辺りは静かで虫の声しかしない。
ジークハルトはフローラを先に乗せて馬に跨り走り始める。二人乗りでどこかへ向かおうとしているけど、これってなんだか誘拐みたい……。
「ジークハルト様っ。あのっ、どこへ向かっているのですかっ? あぅっ。」
ジークハルトがすごい速さで馬を走らせているため、フローラは上手く喋れない。舌を噛みそうだ。
「君の手当てをしないといけないから屋敷に向かっている。」
え、手当ならどこでもできるのでは。それに屋敷って一番遠い……。
舌を噛みそうなので、フローラはそれきり口を噤むことにする。そういえばレオ置いてきちゃったけど、ちゃんと帰れるかしら……。
馬で20分ほど走り、侯爵邸に到着する。ここを出ていったのはそんなに前じゃないのに、すごく懐かしい感じがする。
ジークハルトは感慨深く辺りを眺めているフローラを馬から降ろすと、横抱きに抱え上げる。
「ジ、ジークハルト様! 降ろしてください! わたくし足に怪我なんかしてませんから!」
「怪我人だから駄目だ。出血してるから貧血を起こすかもしれない。」
ジークハルトの答えにフローラは唖然としてしまう。
えー、こんなに過保護な人だったっけ? フローラは、今のジークハルトと記憶の中の彼との違いに思わず戸惑ってしまう。
「旦那様、フローラ様! お帰りなさいませ。」
オスカーは、ジークハルトが抱えたフローラの姿を認めた瞬間驚いたようだったが、そこは執事の鑑、すぐに綺麗な礼で取り繕う。流石である。
「オスカー、フローラの部屋に治療の準備を。それと明日の朝、医者を手配してくれ。」
「かしこまりました。」
ジークハルトはそのままつかつかとフローラの私室だった部屋に、フローラを抱えて歩いていく。
フローラは恥ずかしかったが、落ちそうなので必死にジークハルトの首にしがみつく。
部屋に着き、フローラはソファーに降ろされる。部屋はフローラが出ていったときのまま綺麗に整えられているようだ。そしてエマの持ってきた治療器具で、ジークハルト自らがフローラの右手を取りその傷を診る。
「うむ、傷はそんなに深くはないようだ。これなら縫わなくても跡は残らないだろう。」
そう言って、患部に傷薬を塗り、布を当てると、ジークハルトは器用にフローラの右手に包帯を巻いていく。
「……ジークハルト様、器用なんですね。包帯の巻き方がとってもお上手です。」
「ああ、職業柄な。……ところでフローラ、」
ジークハルトは包帯を巻き終わると、フローラの右手を握ったまま、逡巡するようにアイスブルーの瞳を揺らしてフローラに尋ねる。
「君はレオン殿下とどういう関係なんだ? なぜ一緒にいたんだ?」
「レオ……ン殿下とは単に魔術師を捕まえるためにお互い協力していただけです。殿下は帝国にいらっしゃって、かの国の怪しい動きを察知したので、リタを追ってこの王国に戻ってきたとおっしゃってました。」
「そ、そうか。……では恋人とかではないんだな?」
「え? そんな、まさか。そんな関係ではありません。……あの、ジークハルト様。レオン殿下はこの国の王子殿下で間違いないんですよね?」
「ああ、14の時に帝国に留学して、国同士の関係が悪化してからも戻ってこなかったので、陛下たちが大変心配しておられた。君の話から推測すると、向こうで偵察を続けてらっしゃったのだろうな。」
「そうですか……。あの、ジークハルト様。」
「なんだ?」
「以前わたくしがジークハルト様に手紙で書いたことは、わたくしの断固たる決意です。傷の手当てが終わったらわたくしを帰していただけないでしょうか?」
「……ここが君の家だ。」
ジークハルトに何と言ったら分かってもらえるだろうか。このままでは水掛け論だ。
「わたくしはジークハルト様の名誉を損ねたくないのです。貴方様には幸せに」
「君はっ!」
ジークハルトがフローラの言葉を遮るように声をあげる。
「そう言ってまた殿下のところに戻るのか!? レオン殿下は君に好きなことをさせてあげられると言っていたが、俺が一度でも、君に女優をやめてほしいなんて言ったか?」
確かにジークハルトはそんなこと一言も言っていない。だけどそれは……。
「それはジークハルト様がお優しいから……。」
「そうじゃない! そうじゃないんだ……。俺は、俺の傍で、好きなことをして、君が眩しい笑顔を浮かべるところを見たいだけなんだ。」
ジークハルトのアイスブルーの瞳を見つめると、そこにはフローラがはっきりと映っている。
「なぜ……。わたくしはジークハルト様の枷にしかならないのに……。」
「俺は……君が好きなんだと思う。いや、好きだ。君が幸せなら恋人ができても構わないと思っていた。だけど、殿下と一緒にいる君を見て俺は腸が煮えくり返るようだった。一瞬でも君を他の男に触らせたくないと思った。これは、好きってことじゃないのか……?」
ジークハルトが瞳を揺らしながらフローラに問いかける。あんなに女性のお友達がいらっしゃるのに、まるで恋愛初心者のよう。フローラはジークハルトのこんなところが可愛いと思う。そういうフローラも恋愛に関しては鈍感レベルマックスなのだが。
「イザベラのことを好ましく思ってらっしゃったからじゃなくて?」
「違う! 本当のところ、イザベラを好ましく思いつつも、君がときどき見せる、大好きなものに向かう時の輝く瞳が気になっていた。とても綺麗だと思った。俺はイザベラの中に君を、君の中にイザベラを見ていたんだと思う。最初は妹のように君を大切に思っているだけなのだと思っていた。だけど、君の歌声は俺を蕩けさせたし、ときどき見せる年相応の眩しい笑顔は、俺を思春期の少年のようにドキドキさせた。」
フローラはジークハルトの心の中を赤裸々に告白されて、とても恥ずかしくなり、熱くて思わず両手で自分の頬を覆ってしまう。恐らく顔も耳も真っ赤だろう。
「俺は、今までにこんな気持ちを女性に対して抱いたことはなかった。女性とはそれなりにつきあってきたが、君とイザベラに対する気持ちは、初めて経験する感情で自分でもそれが何なのかよく分からなかった。だが今君に抱いてるこの気持ちが本当の恋愛なんじゃないかと、ルーカスに会って初めて自覚させられた。」
ルーカス? なんでルーカスが出てくるんだろう。フローラは首を傾げる。
「そうだとしたら、俺は今初恋をしているということだ。絶対に君を手放したくない。婚約だって解消したくない。だからフローラ、」
ジークハルトがフローラの右手を両手で優しく包み、フローラの瞳をその優しいアイスブルーの瞳で覗きこむ。
「この屋敷に帰ってきてくれないか。頼む。」
フローラは嬉しかった。わたしも好きですと言ってしまいたかった。本当はここで一緒に暮らしたい。ジークハルトの傍にいたい。それがフローラの紛うことなき本音だ。
だけど、自分がそれをジークハルトに告げても、ジークハルトの名誉を傷つけるかもしれないという危険が消えるわけではない。だからといって自分の夢を諦められるわけでもない。
「ジークハルト様……。わたくしがここに帰ってきて、もし女優をしていることがばれれば、侯爵家の名誉を失墜させるかもしれないのですよ?」
「ばれないように、今まで通りイザベラで活動すればいいし、仮にばれたとしても、それならそれでいい。」
「それでいいって……。」
「君を失うくらいなら、名誉なんてどうでもいい。それでも気になるなら、醜聞など撥ね飛ばすくらいの名誉を俺が上げればいい。俺は君だけいればいいんだ。」
ジークハルトの、それまでの自信に満ち溢れた表情が、一変して急に不安げな色を醸す。
「この部屋で俺は、君に好きなことをしていいということ、そして君への気持ちを告げた。今やっと殿下とイーブンだ。それで、フローラ、今度は君の気持ちを聞かせてほしい。」
「わたくしは……。」
フローラはジークハルトの瞳をじっと見つめて話し始めた。
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