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第3章
29.陰謀と魔術師
しおりを挟むフローラが侯爵邸を出て公演へ向けての練習に明け暮れ、一週間ほど経った頃のことだった。
その日街へ買い物に出かけることにした。手持ちの服が少なかったからである。ジークハルトが自分のために用意してくれた服は全て置いてきている。洗濯はユリアン邸の使用人にしてもらえるのだが、3着ほどのヘビロテでさすがにつらくなってきた。普段着にドレスは着ないからワンピースを2着ほど買おうと考える。
中心街にある洋品店に入ったあとシンプルで上品なデザインのワンピースを1着選ぶ。そしてもう1着選ぼうとふと目を引いた薄い紫のワンピースへ手を伸ばすと、フローラと同じように近くで服を選んでいた女性と手がぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい。」
そう言って女性の目を見ると彼女はさっと目を逸らして何も言わず立ち去ろうとする。気を悪くしてしまったのだろうか。それにしてもなんだか顔色が悪く見えたけれど……。
そんなことを思いながら彼女の背中から目を離そうとした。すると彼女がフローラから少し離れたところでふらりとよろめいて倒れた。それを見て驚き慌てて駆け寄る。
「もしもし!? 大丈夫ですか!?」
女性は床に横たわったまま意識を失っている。どうしよう、このまま立ち去るわけにもいかない。警邏中の騎士にでもお願いしようか。
そう考えて立ち上がろうとすると彼女がうっすらと目を開けてフローラを見る。どうやら意識が回復したようだ。やはり顔色が悪い。貧血だろうか。
「あ、ごめんなさい……。」
「大丈夫ですか? ちゃんと見えてますか?」
再び女性に寄り添って彼女の目の前で掌を振って見せる。
「……はい、大丈夫です。すみませんでした。」
女性はそう答えてフローラが支えたことで何とか立ち上がるが、手を離すと足取りがふらふらしてどうにも頼りない。
その様子を見かねて彼女に肩を貸し、買おうと手に持っていた服をいったん店に置いたあとそのまま外へ出る。そして馬車乗り場まで行って馬車に彼女を乗せたあと自分も一緒に乗りこむ。そして御者に病院まで行ってもらうように頼み馬車の中で彼女の容体を診る。彼女は意識はあるもののやはり顔色が青くぐったりとしている。
馬車が5分程走ったところで病院に到着した。
女性に肩を貸して馬車から降ろし、病院の受付をすませそのまま彼女に付き添った。こんな状態の彼女を放ってはおけない。
しばらく待合室で待ったあとに看護師に呼ばれたので女性に再び肩を貸して診察室へ向かう。途中看護師が手を貸してくれた。
診察室へ入り彼女を診察してもらう。血液検査などをしてしばらく外で待っていると結果が出たようで中へ呼ばれた。
「栄養失調による貧血ですね。」
「栄養失調!?」
医師の診断を聞いて驚いてしまう。女性の身なりはそれほど悪くない。一見貴族ではなくともお金に困っていそうな印象はない。どういうことなのだろう。
女性を連れて病院の診察室を出て待合室の長椅子に2人で座る。彼女はまだ気分がすぐれないのだろう。顔色が悪くぼーっと一点を見つめている。どうしても気になったので思い切って彼女に尋ねてみる。
「あの、もしよろしければお名前を聞かせていただけませんか? わたしはイザベラと申します。」
「……私の名前はリタです。」
「あの、気に障ったらごめんなさい。ちゃんとお食事は取っていますか?」
そう尋ねるとリタは両手で顔を覆ってわっと泣き崩れた。突然の彼女の号泣にわたわたと慌ててしまう。一体どうしたのだろう。
「あの、泣き止んでいただけますか? 取りあえずここを出ましょう。」
未だ涙の止まらないリタにハンカチを貸して目元を押さえさせ、そのまま彼女を連れてここから一番近いであろうルーカスのアパートへ向かった。
ルーカスは留守だった。ルーカスごめんなさい、と心の中で呟きながら合鍵で部屋の中へ入ってリタをソファーに座らせる。ここなら安心して事情を聞けるだろう。
「先程貴女が泣いた理由を聞かせてもらっていいですか?」
優しくリタにそう問いかける。彼女は少し落ち着いたようで、フローラの言葉に軽く頷いてゆっくりと話し始めた。
「私は隣国のヴァレン帝国から来たのです。」
「えっ!」
ヴァレン帝国……。つい先日間諜を送り込みノイマン伯爵を殺しジークハルトに怪我を負わせフローラを殺そうとしたあの胡散臭い国。あんな国から来たなんて……。彼女に対し少し警戒を強める。
リタは話を続ける。
「私は殺されてしまいます。だから逃げ回っていたのです。変装のための服を買いにあの店へ……。」
「ちょ、ちょっと待ってください! 殺されるって誰に……?」
「それは……。それを知ってしまうと貴女も狙われてしまうかもしれません……。」
リタは目を逸らして項垂れてしまう。だが……。
「あの、リタさん。多分もう手遅れだと思います。わたし既にかなり貴女に関わってしまっていますので。だから全部話してください。殺そうとしている相手に義理立てする必要はもうないんですよね?」
「はい……。私はある任務を受けて女優と偽ってこの国へ来ました。本当はただの孤児あがりの修道女です。」
隣国の女優って、まさか夜会の時にクリスティーナ嬢たちが言っていた……。
「なぜ修道女のお嬢さんがそんな危険な真似を……?」
「たまたま教会へお祈りに来た方が帝国の諜報部の方で、私の性格が大人しくて扱いやすいというのと見目が良いということ、それと天涯孤独の身の上だということで目をつけられました。それで脅されて無理矢理任務を受けさせられたのです。」
なるほど、リタは確かにちょっと釣り目で派手目な顔立ちの美人である。こげ茶の髪を緩く編み上げてあり、ウェーブのかかった前髪から覗く緋色の瞳が印象的だ。左の眼もとに小さなほくろがありなかなかに色っぽい。本人のおどおどした性格とは正反対の印象だ。
「なるほど。それで任務とは?」
「はい、こちらである貴族の男性に取り入り、今王国で捕まっている男を脱獄させるかそれが無理ならば殺せという任務です。」
ある貴族というのは多分リンデンベルク子爵家の長男のことだ。それと今王国で捕まっていて、帝国が逃がすか殺せという男……。その男とはあのヴァレン訛りの男ではないのだろうか。ちなみにリタの喋りにもヴァレン訛りが色濃く出ている。
「そんな何の訓練も受けてない平民の娘に脱獄補助や殺人なんてできるわけないでしょうに……。」
「ええ、だからこちらに潜り込んでいる男と落ち合うようにと言われました。」
「協力者がいるのですね……。ちなみに捕まっている男の名前は分かりますか?」
「あの、多分本名じゃないんですが……自動人形と呼ばれているそうです。」
あのヴァレン訛りの男の冷たい人形のような顔を思い出してすごくしっくりくると思った。きっとコードネームか何かだろう。さらにリタに問いかける。
「落ち合う男の名は?」
「魔術師という男です。実はその男に狙われているのです。私はこちらの貴族の長男の方に取り入ることはできたのですが人違いで……。」
「へ……?」
あまりに意外な言葉に思わず変な声が出てしまった。人違いとはまた何とも……。
「でも私は彼のことが好きになってしまって……。一緒に逃げようとしたのですが彼はご家族に、私は魔術師に捕まってしまいました。」
「よく逃げることができましたね……。」
フローラの予想が正しければ魔術師は自動人形と同じプロの暗殺者だろう。素人のリタがよく逃げられたものだ。
「はい、部屋に閉じ込められてたんですけど見張りがちょっといなくなった隙に3階の窓から飛び降りましたから。」
「はあ!?」
「私、軽業得意なんです。あの人たちは知らなかったみたいですけど。」
本当に驚いた。3階だったら確かに窓から逃げるなんて思わなかっただろう。人は見かけには寄らないものだ。
「貴女はこれからどうしたいですか? 自分の国へ、帝国へ帰りたい?」
そう尋ねるとリタは首をぶんぶん左右に振って否定する。
「嫌です、帰ったら殺されます! どうせ天涯孤独の身。故郷の誰とも所縁などありません。私はできることならこの国でひっそりと平凡に暮らしたい……。」
(このまま彼女を放り出したらきっとあっという間に殺されてしまうわね。騎士団に通報する……? うん、それが一番いいわね。)
「今から王城へ行きましょう。貴女を匿ってくれる騎士様たちがいるわ。」
「えっ、嫌です! 未遂とはいえ私は帝国から任務を受けて貴族に近づいて、帝国の指令を遂行しようとしたのですよ? 処刑されるに決まってます!」
「まだ何も悪いことはしていないじゃないですか。貴女はただ貴族の男性を誘惑しただけ。それに貴女の持っている情報を何もかも騎士団に伝えれば逆に感謝されて保護してくださるわ。どの道このままではいずれ見つかって殺されてしまう。保護してもらったほうが絶対安全よ。」
「そ、そうでしょうか……。」
「ええ、だから貴女の服を私に預けて。わたしの服と交換してちょっと変装しましょう。」
リタの持っていた服を取り上げて自分の服を貸した。彼女を着替えさせ、金髪のウィッグをつけさせ、化粧で黒子を消し、顔の特徴をごまかす。仕上げは完璧だ。
「完璧よ。もう元のリタさんの面影はないわ。」
リタは自分の姿を全身鏡で見てほおっと感心する。
「すごい! イザベラさん、手品師みたいです!」
そう言われても敵のコードネームを聞いたばかりなのであまり嬉しくはない。
城へ行くにしてもリタはまだ少し具合が悪そうだから動かさないほうがいいだろう。仕方がないので食べ物と飲み物を買いに彼女を置いて一人ルーカスのアパートを出る。
突然のことだった。食料品店へ入ろうとした時、突然すごい力で腕を引かれて建物と建物の間の路地に引きずり込まれる。抵抗しようともがこうとするもびくともしない。大声を出そうとするが片手で口を塞がれる。
(んもぉーー、最近こんなのばっかり!)
反撃するために自らの口を塞ぐ大きな手に噛みつこうとした時。
「動くな。」
後ろから低く冷たい男の声がして背筋が震えた。もしかしてこの男が魔術師……!?
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