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第2章
27.フローラの選択
しおりを挟む◆◆◆ <フローラ視点>
「やっぱりそういう職業の方って性に奔放というか、ご自分の美貌の使い方をよく心得てらっしゃるんじゃないんですの? なんだか卑しいですわね。」
令嬢の言葉がフローラの心を抉る。……ああ、やっぱり女優とは貴族の中ではこういう評価なのだ。
ジークハルトが子爵家の長男と同じようなことを言われたらと思うと、胸が締め付けられるように苦しくなった。
「フローラ様、大丈夫ですか? お顔の色がすぐれないようですが。」
クリスティーナが心配そうにフローラの顔を覗き込む。そんな彼女に笑顔を取り繕い答える。
「ええ、今日は久しぶりの夜会で人の多さに酔ってしまったみたいですわ。」
ごめんなさい、と言って再び令嬢たちの話を聞く体勢を取る。だが彼女たちの会話はそれ以上耳に入ってこなかった。
彼女たちの輪に入っていたお陰で、ダンスの誘いを受けることもなくその日の夜会は終わりを迎えた。
「どうした? 気分でも悪いのか? 顔色が優れないようだが。」
夜会の帰りの馬車でジークハルトがずっと黙り込んだままのフローラに気遣わしげに尋ねる。
「え、ええ、何でもありませんわ。少し疲れただけです。」
そんな無難な答えを彼に返し、そのまま馬車の窓から夜の街の灯りを眺める。
(それでもやっぱりわたしは女優を続けたい。ジークハルト様、ごめんなさい……。)
翌朝、日が昇る前に、フローラは荷造りをしてひっそりと侯爵邸を後にした。
◆◆◆ <ジークハルト視点>
その日の朝食前のことだった。
「旦那様、今よろしいでしょうか。」
ジークハルトの私室の扉がノックされ、オスカーの声がする。
入室を許可すると彼が扉を開けて入ってきた。
「旦那様、フローラ様がこの屋敷のどこにもいらっしゃいません。そしてこのようなものがフローラ様のお部屋の机の上にございました。」
「なんだって……?」
オスカーからクリーム色の封筒を受け取る。どうやらフローラからのようだ。封を開けて中を見ると2枚の便箋が4つ折りになって入っていた。
嫌な予感がして急いでそれを開く。
『 親愛なるジークハルト様
わたくしはどうしても女優の夢を諦めることはできません。ジークハルト様にも侯爵家の皆様にもあんなに優しくしていただいたのに、黙って出ていくことをどうかお許しください。
しかしながらこのままここに残れば、親愛なる皆様に多大なご迷惑をおかけするかもしれません。夢を諦めることのできないわたくしのせいで、侯爵家の名誉を貶めるわけにはまいりません。どうか最後のわたくしの我儘をお許しください。
婚約解消につきましては、ジークハルト様はわたくしに騙されていたので解消することにしたとでもおっしゃってください。わたくしの活動のことも公表していただいても構いません。そうすればジークハルト様の名誉を傷つけるようなことはないはずです。
そのときは皆さまや実家に迷惑のかからぬようバウマン家の籍から外れ、いち庶民として生きていきたいと思います。
本当に申し訳ございませんでした。そしてありがとうございました。
それとジークハルト様、どうかお幸せになってください。
――フローラ=バウマン 』
そして封筒の中には小さな匂い袋が入っていた。それを開けてみると、中にはピンクの薔薇の花びらを乾燥させたものが入っていた。優しく華やかな薔薇の香りが漂う。
一瞬これは何だろうと思ったが、ふと思い出す。最終公演の日、イザベラに送ったピンクの薔薇の花束のことを。
(フローラ……。君が望むなら女優を続けても構わない。だがそれは私の傍でだ。)
ジークハルトは匂い袋を壊さないようそっと握り、フローラを必ず見つけ出すことを決意するのだった。
◆◆◆ <フローラ視点>
一方フローラは、安易にもルーカスのアパートを訪れていた。
「君が僕の所にいるのなんて、侯爵は真っ先に予想すると思うんだけど?」
「そ、そうかしら……。」
「そうだろう。ここ、ばれてるんだろう?」
「え、ええ。あとルーカスのことも……。」
「……勘弁してよ~。僕、王城で侯爵に睨まれちゃうよ。」
「大丈夫よ……多分。ここに置いてもらうのはやっぱり無理かしらね……。」
「無理だね。というかフローラと一緒に住んだら僕は彼女もできないよ。ほんっと勘弁して。」
「そ、そうかな……。」
ルーカスに全面拒否され、改めて考える。確かにこれ以上彼に迷惑はかけられない。どこかにアパートを借りるしかないわね。
そう考えてソファーから立ち上がり、侯爵邸から持ってきた大きな荷物を抱えると、彼が尋ねてくる。
「その格好で出かけるの?」
今自分は黒髪のウィッグをつけイザベラの化粧をしている。
「ええ、しばらくはわたしはイザベラの姿で表を歩くことにするわ。今から来季の公演に向けての練習に行ってくる。ルーカス、無理言ってごめんね。」
そう言ってルーカスのアパートを後にする。いつになく大荷物だ。これから街の不動産屋に行って借りれる物件がないか見てみることにする。
不動産屋で次々と紹介される物件を見ながら思う。
(どのくらいが安いのか高いのかもわからないわ。庶民って大変ね。)
「こういったのはいかがでしょう? ここならドアマンがおりますので女性が住むのも安全性が高いかと。」
不動産屋の従業員が両手を擦り合わせながら物件を勧めてくる。やはりよく分からない。ふと思ったことを彼に尋ねてみる。
「あの、お金さえあれば借りれるんですか?」
「いいえ、お金はもちろん必要ですが、契約の際に保証人様のご捺印が必要になります。はい。」
……保証人ってなんだろう。それから散々従業員に説明させたあと不動産屋を出た。どうやら第三者の協力が必要らしい。
不動産屋を出たあと珍しく馬車に乗ってユリアンの屋敷へ向かい、到着したあと早速ユリアンに相談する。
「ユリアンさん、わたし、侯爵家を出てきました。」
「あら、なんでまた?」
「実は婚約相手の侯爵様に、フローラがイザベラだということと女優をしていることがばれてしまったのです……。」
「あら、まあ。お仕事を許してもらえなかったの?」
「いえ、そんなことは言われていないです。迷惑になるからと婚約解消を申し出たら逆に引き留められてしまったので、侯爵家の名誉のために自分から出てきました。」
「あら、そうだったの。……まあ、仕方ないわよね。私たちの仕事って確かに貴族社会では外聞が悪いものね。」
「……はい。それでわたしどこかアパートを借りたいのですが、不動産屋に聞いたら賃貸契約には保証人が要ると言われまして……。ご迷惑は決しておかけしません! どうか保証人をお願いできないでしょうか!」
ユリアンに向かって勢いよく頭を下げる。そんなフローラを少し驚いたような顔でしばらく見たあと彼が口を開く。
「それならうちに下宿する? どうせうちには何人か俳優が下宿してるから。ただし下宿料はしっかり出演料から引かせてもらうわよ?」
それを聞いて内心飛び上がるほど嬉しかった。ユリアンの申し出は願ったり叶ったりだ。すぐさま彼に返事をする。
「ユリアンさん、ありがとうございます! よろしくお願いします!」
それから早速、屋敷の2階のひと部屋を貸してもらい、そこで荷を解き始める。
そこは南側に面した明るい部屋で既に綺麗に清掃されている。前から思っていたが、この屋敷には料理人や使用人がいるらしい。なぜか見たことはないが。
中の広い空間には大きめのベッドが一つ置いてあり、ソファーやクローゼットなどの調度品もついている。調度品もカーテンも絨毯も流石ユリアンの趣味といわんばかりの上質さだ。色調も上品で落ち着いており大変居心地が良い。
ゆっくりとソファーに腰を下ろす。当面の問題が解決してほっとした途端、頭に浮かんだのはジークハルトの顔だった。
彼にはもう会えない。二度と隣を歩くこともない。そう考えると胸がぎゅーっと締めつけられるように苦しくなる。侯爵家の皆に会えないことはもちろん悲しいが、彼に対する思いだけがフローラを無性に苦しめる。
(もう認めるしかないわね……。わたしはジークハルト様が好きなのだわ。)
いつからかは分からない。だがジークハルトを一人の男性として、そして一人の人間としても、尊敬し、恋慕し、憧れる気持ちがあるのはもはやごまかしようがない。側にいたい。大切にしたい。
でも全てを手に入れるなんて欲張りだ。夢も愛もなんて傲慢すぎる。フローラは夢を選んだのだ。たとえ彼に憎まれることになってもそれが自分の選んだ道なのだ。
ジークハルトの面影を振り切るように部屋を出て、決意を新たに次の公演に向けての練習へ赴くのだった。
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