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第2章
24.誰(た)がために
しおりを挟む◆◆◆ <ジークハルト視点>
フローラはコンラートの次々と浴びせられる鋭い質問に黙りこんでしまう。コンラートはさらに質問を続ける。
「……ふむ、まあ別の質問をしよう。君が今回の潜入捜査で知ったことを教えてくれるかな?」
「はい。まずわたくしはオイゲン商会にゲルダ嬢の扮装で向かいました。入口の受付嬢に案内された部屋で高価なドレスとアクセサリーの装いの婦人に対応され、『帝国へ行けなかった』と言ったら、彼女は『こちらの手筈が不十分で不便をかけてすまなかった』と言いました。その言葉で彼女が犯罪に加担していると確信しました。」
「ああ、彼女はすでに捕らえられているオイゲン商会会長の愛人だ。会長と会長夫人は既に捕まっているが愛人もクロとはな。昨日捕らえた一味の証言で彼女は既に逮捕した。」
「そうでしたか。それはようございました。……それから婦人に『匿ってください』と言ったら、彼女は『安全なところに連れていってあげる』と言って馬車であの民家へ連れていかれました。そこにあの男がいました。」
「ヴァレン訛りの茶髪の男だな。」
「はい、あの男には間違いなくヴァレン訛りがありました。そして初めてそこで変装がばれました。彼に変装は通じませんでした。そして『貴女がゲルダでもそうでなくても殺す』と言われたので交渉することにしました。その時ゲルダ嬢の居場所はどこかと聞かれたので彼女はまだどこかに隠れているんじゃないかと思います。」
「交渉?」
「はい。ダニエルさんが騎士団を呼びに行ってくれている間、その到着まで時間を稼がないといけませんでした。だから男に『頼みを聞いてくれたら重要な情報を渡す』とはったりを持ちかけました。」
「ほお、はったりね……。」
コンラートがフローラの話を聞いて興味を持ったのか、楽しそうに笑みを浮かべる。彼女はさらに話を続ける。
「だからわたくしは『シャーフ・ドゥーズンの牛タンシチューが食べたい。それを買ってきてくれたら情報を渡す』と。そして『その情報が貴方と帝国に有益だったら帝国に亡命させてくれ』と交渉しました。」
フローラはそこまで喋ると、少し疲れたのだろう。一度深呼吸をして話を続けた。
「そのレストランの牛タンシチューは夜7時にならないと客に出せないものでした。男はそうとは知らず部下に買いに行かせました。ですが彼はなかなか戻ってこない部下に業を煮やし、『もう待てない』と言ってあのような凶行に及んだのです。そして最後に彼が『現場に証拠を残すのは嫌だから刃物は使わない』と言って紐を取り出したので、『伯爵邸の爆発は見事でしたものね』と言うと、彼は『捜査員を殺せなかったから大したことじゃない』と答えました。だから伯爵を殺したのもあの男だと思いました。それが男から得られた情報の全てです。」
フローラがそこまで一気に説明したあと、コンラートが感心したように口笛を吹き彼女を賞賛する。
「なんとまあ……。俺たちが長期間捜査してきたことをあんなに短時間でこれだけ明らかにしてくれるとはね。こりゃ貴族のお嬢様をやらせとくのはもったいないなぁ、ジークハルト。」
フローラは褒められたにも拘らず、ジークハルトの顔色をちらちらと窺っては、まるで死刑執行を待っている罪人のような面持ちだった。
そこまでの話を黙って聞いたあと、事件のことよりも彼女自身のことが気になって問いかけた。
「君は、その、何もされなかったか……?」
「はい……? 首を絞められましたが……。」
「いや、そうじゃなくて……。無体なことをされなかったかと……。」
「いいえ、何も……あっ! 首を絞められたとき耳を舐められました。」
「はあ!?」
フローラが赤くなって答えると、ジークハルトの胸に激しい怒りが込み上げる。表情に怒りを滲ませる彼を見て、彼女は驚いているようだ。気を取り直して再び尋ねる。
「……君はゲルダ嬢のことを知っていたのか? ここへ来てから夜会などは出ていなかったはずだが。」
「以前お見掛けしたことがありましたので……。」
「……そうか。それと君はイザベラという女性を知っているか?」
「っ……! いいえ、存じ上げません。」
フローラの顔に一瞬驚愕の色が浮かぶ。彼女の表情の一瞬の変化を見逃さなかった。他の劇団員との繋がりは隠さないのに、なぜイザベラのことを隠そうとするのだろう。それを不思議に思いながらも質問を続ける。
「それじゃ、最後に……。君はどうしてこんなことをしたんだ?」
「……。」
フローラは俯いたまま何も答えない。その様子に胸の中に悲しみが沸いてくるのを抑えられなかった。
「……結果的に無事だったからよかったようなものの一歩間違えれば命がなかったんだ。君のやったことは許し難い。君に何かあったら俺は……!」
顔色をなくした彼女にはっとし、言葉が詰まり唇を噛みしめる。一息置いて再び口を開く。
「とにかくもうこんな危険なことはしないでくれ。皆本当に君のことを心配したんだ。頼むから……。」
やるせない思いが溢れ、最後は呟くようにフローラに懇願した。彼女はジークハルトの言葉を聞いて、俯いたまま「申し訳ございませんでした。」と小さな声で答える。彼女の瞳は涙で潤んでいた。
そんな彼女の様子を見てオスカーが口を開く。
「旦那様方、フローラ様もお疲れのようです。そろそろ休ませてあげられては?」
「ああ、そうだな。ジークハルト、行くぞ。」
コンラートがジークハルトに退室を促す。打ちひしがれた様子のフローラに言い過ぎてしまったことを少し後悔しつつ声をかける。
「……フローラ、長い時間すまなかった。後はゆっくり休みなさい。」
「はい。ありがとうございます……。」
そうしてジークハルト達は彼女の部屋を後にした。
私室に戻ったあと先程の会話を聞いていたコンラートが呆れたように話し始める。
「お前なあ、フローラ嬢が何であんなことをしたかなんて決まってるじゃないか。」
「……どういうことです?」
彼女の行動の理由に全く見当がつかなくて彼に尋ねる。彼は理由が分かっているのだろうか。
彼は肩を竦めて、さらに話を続ける。
「フローラ嬢が俺たちの会話を聞いたとしても、別に危険を冒してまであんなことをする理由なんてないだろうが。」
「……そうですね。」
「自覚していたか分からないが最近のお前はずっと塞ぎこんでいたろう? 捜査を途中で外れざるを得なかったこととか責任のこととかうだうだ悩みやがって。お前が何を考え込んでたかくらい俺には分かってたぞ。」
「すみません……。」
確かにそうだ。爆破事件以来ずっと仕事のことを考えて自責の念と焦燥感に苛まれていた。これまでの自分の心情を振り返ってみる。
「だからだよ。」
「は……?」
「お前を救いたくてお嬢ちゃんはあんなことをしたんだ。事件が解決すればお前が悩むことがなくなると思ったんじゃないか?」
「は……、まさか……。」
「それしかねえだろう、理由なんて。彼女はゲルダ嬢に恩があったわけでもなし、ノイマンやオイゲン商会なんて縁もゆかりもねえだろう。」
コンラートに指摘されて考えてみると確かにそうだ。だとするとフローラは自分のためにあんな危険を冒したのか。なぜそこまでする? 理解できない。……そしてやはり彼女が命を粗末にしたことを許せそうにはない。
「だからと言って彼女の行動はやはり許せません。一つ間違っていたら命を失っていたかもしれないんだ!」
「お前の気持ちは分かるが、少しは嬢ちゃんの気持ちを汲んでやれ。」
そう言って溜息を吐いたあとコンラートは帰っていった。彼の言葉に何も答えられなかった。彼女が大切だからこそ許せないのだ。
その態度によってフローラがどんなに傷ついているかジークハルトには知るよしもなかった……。
それから1か月の間フローラとあまり顔を合わせることはなかった。ただ毎日、少し歪だが甘くて旨いパンプディングがジークハルトのもとに届くだけだった。
それから長い療養期間を経てようやく仕事に復帰することになった。
◆◆◆ <フローラ視点>
屋敷に訪れたコンラートの話では、あれからゲルダ嬢が無事見つかったということだった。騎士団で片っ端から王都の宿を捜索した結果、どうやら安宿に身を隠しているところを見つかったらしい。
フローラはというと、ジークハルトに怒られて以来、毎日気まずさのあまり彼に会いに行けずにいた。彼と顔を合わせるのはダイニングで食事をする時くらいで、そこですら会話らしい会話はなかった。きっと自分は彼に呆れられてしまったのだろうと思った。
ジークハルトの憂いを取り除きたかった。だが自分のしたことでかえって彼を困らせることになってしまった。やったことを後悔はしなかったが、彼に対して感謝とともに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
(わたしなんかのためにジークハルト様は痛みに耐えて助けにきてくださった。そしてわたしのせいで怪我を悪化させてしまった。……ジークハルト様、ごめんなさい。)
会えずにはいたものの、療養しているジークハルトを置いて街へ行くことはできない。そこで顔を合わせずとも彼のために何かできないか考えた。
(そうだわ。入院しているときに料理人のアルノーが作ってくれたあの美味しい特製パンプディング!)
そんなに料理が得意なほうではなかったが、アルノーの所へ行って特製パンプディングの作り方を教わり、何度も失敗しながら猛特訓を重ねる。
白かった手が火傷で所々赤くなってしまったが、ようやく満足するものができた。
「……どう?」
不安に思いながらもアルノーに試食を頼む。彼はそれを口に運ぶ。
「おお、私のパンプディングに限りなく近い味になりました。具材が不揃いでちょっと見た目は歪ですが合格ですよ。」
「やったわ! ありがとう、アルノー!」
それから毎日アルノーのお墨付き?をもらったパンプディングを作り、ジークハルトの所へ持っていってもらった。
そんな毎日を送りながらも、救出してもらった翌日にジークハルトとコンラートに問い詰められた内容を忘れたことはなかった。
もうそろそろごまかし続けるのは無理かもしれない。どう考えても自分があんなことをするのは不自然だ。劇団との繋がりもばれてしまった。
でもイザベラでいることをやめたくはない。だってそのためにここに来たのだもの。例えここを出ていかないといけなくなっても……。
そうしているうちに医師の許可が下りてジークハルトが仕事に復帰した。
(結局ちゃんと顔を合わせて謝ることはできなかったな……。ジークハルト様、お仕事頑張ってください。)
フローラは次の公演に備えるべく練習のためにまた街へ出かけ始めた。
◆◆◆ <ジークハルト視点>
その日ジークハルトは仕事に行く振りをした。実のところ仕事復帰は翌日からだった。
フローラはいつものように街へ出る。一足先に屋敷を出たあと馬で彼女の乗った屋敷の馬車を尾行する。
彼女のプライベートを暴こうとしている自分は明らかに契約違反だ。そんなことは分かっているのだが、彼女がフーバー劇団員と知り合いなこと、イザベラを知っているはずなのに知らない振りをすること、変装が得意すぎること、今現在のゲルダの顔を知っていたことなど引っかかることが多すぎる。そして何よりも……。
街の広場に到着したあとフローラが馬車から降りてくる。少し元気がないようだ。以前街で見かけた時は輝かんばかりの笑顔だったのに。
彼女はどこかへ向かって歩き出す。馬を降りて彼女を尾行した。一体どこへ行こうとしているのだろう。かなり距離を置いて慎重に彼女の尾行を続ける。
(ここは……。)
フローラが入っていった建物……。そこは今まで2回ほどイザベラを送ってきたことのあるイザベラの友人のアパートだった。なぜフローラがここに? 部屋でも密かに借りているのだろうか。
建物の中に入ったフローラをさらに尾行する。彼女は2階奥の部屋の前で止まり、コンコンと扉をノックする。どうやら誰かの部屋のようだが、何の反応もない所を見ると誰もいないようだ。すると彼女はバッグから鍵を取り出して部屋の扉を開けた。
(……合鍵! 部屋の主と親密な仲なのか!?)
フローラは部屋の中へ入っていく。部屋の扉が完全に閉まりきるのを確認したあと、表札を確認しに扉の前まで行く。『ハンゼン』と書いてある。ファーストネームはない。ハンゼン……ハンゼン……覚えがある。人違いでなければ王城勤めの上級文官がルーカス=ハンゼンという名前だったな。確かハンゼン子爵家の長男だ。
表札の確認を終えたあと扉の外で腕を組みながらフローラを待つ。30分ほど待ったあとに、いっそ訪ねようとノックしかけたところで扉が開きいたので即座に後ろに下がる。
中から出てきたのは、腰までの長い黒髪と蜂蜜色の瞳を持つ美しい女性、ジークハルトがずっと会いたかったその人だった。
「イザ……ベラ?」
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