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第2章
22.交渉
しおりを挟む◆◆◆ <ダニエル視点>
ダニエルは王城に到着してすぐに門番の兵士に用件を告げる。逸る気持ちのせいでつい早口になってしまう。ここからはイザベラの言ったとおり正確に伝えないと。
「騎士団長のコンラート様に、オイゲン商会のことで、大至急取次ぎをお願いします。」
「騎士団長ですか? 今手が空いてらっしゃるかどうか分かりませんが……。」
「人の命がかかっているんです! 大至急お願いします!」
のらりくらりと対応する兵士に最大限の切迫感を顕して告げた。彼は俺の尋常ではない様子にただ事ではないと感じたのか、「しばしお待ちを。」と言って急いで城の中へ入っていった。
それから10分程経った。
「待たせてすまない。」
城の方から体格のいい赤毛の騎士が近づいてきて声をかけられる。
「私が騎士団長のコンラート=ヴォーマンだ。貴殿がダニエル殿か。」
「はい。私は王都のフーバー劇団で役者をしております、ダニエルと申します。アーベライン様の婚約者のフローラ様がオイゲン商会に通じる者に拉致され命の危機に晒されています。」
「なんだと……!!」
コンラートは驚きのあまり顔の下半分を片手で覆って固まってしまう。その様子を窺いながら俺はさらに話を続ける。
「私はあらかじめ何かあったら通報できるように、フローラ様から彼女の尾行を頼まれていました。そしてその場所はメッフェルト通の……。」
彼にイザベラが拉致された住所を伝える。
「……ダニエル殿、通報ありがとう。至急向かわせてもらう。貴殿もできれば私たちに現場まで同行してもらえないだろうか。」
「構いません。イザ……フローラ様の命がかかってますから。」
彼は大きく頷き、俺は彼について足早に城へ入った。
◆◆◆ <フローラ視点>
一方フローラはヴァレン訛りの男に促されるままソファーに座って、とても居た堪れない思いをしている。あの派手な婦人はとうに部屋を出ていった。
彼に対して真っ直ぐ顔を向けないように気をつけながら、ショールの陰から視線だけでこっそりその様子を窺う。
彼は書斎机の椅子に座ってこちらを向いていた。真っ直ぐにフローラを見つめ、薄ら笑いを浮かべたまま動かない。
(すごく居た堪れないわ……! なぜこっちを見るのかしら。疑われてるのかしら……。そしてこの人まったく表情が読めないわ!)
そのままの状態で10分ほど経ったころ、彼がおもむろに口を開く。
「ゲルダ様………いえ、貴女は誰なんでしょうね。よくぞそれだけ化けたものです。ただ、なんでしょう……貴女はゲルダにしてはちょっと上品すぎますね。肌も綺麗ですし。まあどちらにしても関係ありません。」
彼はゆっくりと立ち上がりこちらへ近づいてくる。そしてその黒い瞳を細めて艶然と囁いた。
「貴女がゲルダでもそうじゃなくても死んでもらわなければなりません。貴女の素顔を知らないまま殺すのは残念ですが。だけど貴女が何をどれだけ知っていて誰からそれを聞いたのか、それを教えてくれれば少しだけ長生きできるかもしれませんねぇ。まず本物のゲルダがどこにいるのか貴女は知っていますか?」
それを聞いて、やはりこの男を相手に騙し通すことはできないと悟り諦める。そして彼の言葉から察するに、ゲルダはまだどこかで生きているのだと確信する。
ショールを頭から降ろして肩にかけ、彼の目を真っ直ぐに見て平然と答えた。
「さあ、どうかしらね。素直に言うと思って?」
「ふむ……。」
彼はその整った人形のような顔を、勢いよくフローラの顔のすぐ傍まで近づけた。
「っ……!」
そして彼は超至近距離でこちらを見つめながら言葉を続ける。
「それは困りましたねえ。貴女からの情報はぜひ欲しい。ゲルダ嬢の居場所を教えるなら命だけは助けてあげましょう。」
(絶対助けるつもりなんてないわ! 定番すぎてちゃんちゃら可笑しいわ!)
それでもなんとか時間を稼がなければいけない。きっと今頃ダニエルが騎士団に通報してくれているはずだ。
交渉するときは相手の一番欲しいものは最後まで与えてはいけないって何かに書いてたわ。交渉……交渉ね……。
「ねえ貴方、わたしと取引きしない? 貴方がわたしの言うことを聞いてくれるならゲルダ嬢の居場所のことも考えてあげるわ。そして貴方の国にとってすごく有益な情報も……。どうかしら?」
全てはったりである。残念なことに自分は何も知らない。
「貴女は私と取引きできるような立場だとでも思っているんですか? 私が貴女の命を握っているというのに。」
「でもわたしを殺したら手に入る情報も入らないわよ。」
彼はフローラの言葉を聞いて少し考え込んだあとこちらを向いて答えた。
「……いいでしょう。貴女の話を聞いてから決めましょう。」
彼の答えを聞いて心の中でガッツポーズをする。
自分が劣勢な状況にも拘らず今の状況をいかにも楽しんでいるかのような振りをして、男に笑いかける。まるで自分が優勢に立っているかのような、自分の持っている情報が男にとって有益にならない訳がない、そんな自信が溢れている。……かのように見せかけている。
「大したことじゃあないわ。貴方の一存で殺されてしまうなら、わたし最後に『シャーフ・ドゥーズン(羊の居眠り)』っていうお店の牛タンのシチューが食べたいの。」
両手を胸の前で組んでうっとりと何かを思い浮かべるように宙を見る。その話を聞いて男がクスッと笑う。
「ふっ、そんなことですか。……大通りにあるレストランですか?」
「ええ、そうよ。あれを食べることができたら貴方に知ってることを全部話してもいいわ! そしてもしわたしの情報が貴方と貴方の国にとって有益だと判断したら、わたしを帝国へ亡命させてほしいの。『帝国への亡命』、それがわたしの目的の一つよ。もし情報に価値がないと思ったらわたしのことを殺せばいいわ。」
男はフローラの自信あり気な提案を聞いて、肩を竦めて答えた。
「……分かりました。そんなことでいいなら取りに行かせましょう。だが情報は先に聞かせてもらいますよ。」
彼の言葉に首をこてんと傾げて、不思議そうな顔でその目をじっと見る。そして彼にはっきりと答える。
「そんなことするわけないでしょ。取引きにならないじゃないの。早く行ったほうがいいわよ。牛タンシチューなくなっちゃうから。」
男は溜息を吐くと一度部屋から出ていき、しばらくしてまた戻ってきた。
「今取りに行かせました。貴女の情報が大したものじゃなかったらすぐに殺して差し上げますよ。シチューを食べた後でね。」
「ええ、結構よ。」
まるですぐにでも行きたいのだと言わんばかりに、彼に帝国のことを質問しながら時間を潰す。
『シャーフ・ドゥーズン』の牛タンシチューはこの時間はまだできていないはずだ。あの料理は仕込みにすごく時間がかかり、いつも客に出せるのは夜の7時を過ぎる。必ず毎日その日に仕込むため、その時刻を過ぎないと食べることができないのだ。
窓から見える空もだいぶ暗くなっている。一体今が何時なのかも分からなくなった。
「遅いですね。貴女の言うことが嘘なら仲間がすぐに戻ってくるはずだが、戻ってこない。」
「だって嘘じゃないもの。出来上がるのを待っているのか、それとも途中で零しちゃったのかもよ? あーあ、お腹空いちゃったわ。」
仕方ないなあ、と言わんばかりに困った顔をして男を見て大きな溜息を吐いた。
牛タンシチューがあること自体は嘘じゃないのだ。時間がかかるだけで。彼の部下は恐らく判断に困っていることだろう。待っていればちゃんと出来上がるのだから。
「貴女はとても頭がいい。そしてなかなかに豪胆だ。だが残念ながら私はそんなに気が長くなくてね……。」
男は書斎机の引き出しから紐のようなものを取り出した。
「殺害現場に証拠を残すのは好きじゃないんですよ。だから刃物は使いません。貴女とは別の所で出会いたかったですね。とても残念です。」
彼はそう言いながらゆっくりこちらに近づいてくる。もうこれ以上時間を稼ぐのは無理だ思った。彼の言葉にはもう覆せないだけの決意が見て取れる。
「伯爵家の爆発は見事だったものね。さすがの腕前だわ。」
「あんなの大したことはありません。捜査員を殺すことはできませんでしたしね。……そろそろお喋りは終わりにしましょう。これ以上時間をかけるのは危険だと本能が警告するものでね。」
男の手がこちらに伸ばされる。それに対して諦めを見せるように「待って。」と言って男の腕に手を添える。そしてソファから立ち上がり男の目をじっと見つめ、咄嗟に後ろを向いて彼の足を踵で蹴り払いつつ腕に力を込めて男を投げ飛ばした。
「ぐッ!」
「あら、ごめんなさい。」
男はすぐさま体勢を立て直し、フローラに飛びかかってくる。それを避けようと試みるも彼の動きは素早く、簡単に後ろから羽交い絞めにされてしまった。
「女性にしては多少腕が立つようですね。だけど貴女のしたことはほんの数十秒の延命にしかなりませんでしたね。」
彼は持っていた紐をフローラの首に巻き付ける。そしてその紐の両端を力いっぱい引っ張る。
「くっ……!!」
「……本当に残念です。貴女の素顔が見たかった。まあ殺してから死に顔をゆっくり見せてもらうとしましょう。」
男はフローラの首を絞めながら耳元で囁き、そのままフローラの左耳をベロンと舐める。
「やっ……!」
男の行動に嫌悪しながらも拘束する力が強くどうすることもできない。紐を掴んで緩めようと抵抗するがびくともしない。そろそろ意識が落ちそうだ。
ああ、せっかく女優になるという夢が叶ったのに。でも騎士団が間に合えばこの男のことを捕まえられるかもしれない。そうしたらきっとジークハルトの憂いも取り払えるだろう。そして最後にジークハルトに会いたかった……。
「ジ、ク……ハル、ト……様……。」
消えてしまいそうなの意識の中でフローラが思い浮かべたのは、夢にまで見た芝居のことではなく、ジークハルトの優しい笑顔だった。
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