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第2章

20.フローラの計画

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◆◆◆ <ジークハルト視点>

 ジークハルトは最近よく同じ夢を見る。

 イザベラが目の前に現れ、その蜂蜜色の瞳をうっとりと潤ませて彼に艶やかに微笑みかける。
 彼はそんな彼女を抱き寄せ、その頬に手を添えて目を瞑り自らの唇を彼女の柔らかなそれに重ねる。
 しばらくその感触を堪能して唇を離しゆっくり目を開くと、自分をじっと見つめているのは彼女と同じ蜂蜜色の瞳に同色の柔らかい金髪を揺らす少女。
 そして彼女はその瞳を細めて、輝かんばかりの笑顔で彼に告げる。
『ジークハルト様、愛しています』と。

 自分はそこでいつも目が覚めてしまうのだ。



「また同じ夢を見てしまった……。」

 ジークハルトは自室のベッドの上で目を覚ます。
 最近、毎日長い時間、顔を合わせるからだろうか。それともイザベラに長く会っていないからだろうか。

 最近のフローラの献身ぶりは、決して軽蔑している男に対するものではなかった。まるでとても大切にされているような、そんな気さえしてくるほどの慈しみをジークハルトに向けてくれている。
 あんな彼にしか利点のないような契約を彼女は何も言わず受け入れた。身分差ゆえ拒否できなかたのだろうと思うと、嫌われてこそいないものの好意など向けられることはないと思っていた。

 それなのに、ジークハルトに対するフローラの表情や行動を見ていると、その考えが間違っていたことを思い知らされる。
 なぜ自分は彼女を地味だなどと思っていたのだろうと疑問に思うほど、最近の彼女はいつも明るく彼に対して慈愛に溢れた優しく輝くような笑顔を浮かべている。
 そして彼自身も、そんな彼女を大切に思っている。

 フローラのあの蜂蜜色の瞳……彼女が明るい笑顔を見せるようになってからは特に、イザベラのそれと重なってしまう。イザベラを思うがあまり、フローラを重ねてしまっているのだろうか。

 お互いのプライベートに干渉しないという約束。……今やジークハルトのプライベートなどフローラとイザベラに占められている。そうするとフローラが毎日、一体何をしに町へ行っているのか気になってくるわけで。
 お互いに恋人を作っても構わないという約束。……彼女が自分のことを大切に思ってくれているのは感じるが、そこに恋愛感情はないだろう。となると、いつかは愛する男を見つけてその男とともにいるようになるのだろうか。

 ジークハルトはそのようなことを考えると胸がじくじく痛むのを感じる。何を今さら女々しいことを考えているのだ。自分が言い出した契約ではないか。
 それに自分はイザベラのことを好ましく思っている。それなのになぜこんなにフローラのことが気になってしまうのか。

 最近のジークハルトは概ね、捜査に復帰できない故に己の後始末さえできず、事件の解決に貢献できないことに焦りと苛立ちを感じながらも、やはり事件のことばかりを考えていた。
 だがあの夢を見た後は、しばらくの間フローラとイザベラのことだけを考えてしまう。そしてそれは切なくとも、その時だけは焦りや苛立ちを感じることはなかった。



 そんな日々を送りながら、退院してからおよそ半月ほど過ぎた日のことだった。毎日顔を見せていたフローラが、日中に現れなくなって3日ほど経っていた。

 最初にフローラが現れなかった日にオスカーに聞いたら、彼女は街へ出かけると言って出ていったそうだ。だが夜の10時くらいには帰っているということだった。
 ジークハルトが怪我をする前は毎日街へ出かけていたようだし、自分もだいぶ回復したからきっと彼女は安心して出かけられると思ったのだろう。もしかしたら好きな男でもできたのかもしれない。
 そう考えてまたもじくじく痛む胸を持てあます。

 そしてその日の夕方5時頃のこと。
 またも事件のことを考えてしまい、いっそのこと松葉杖で王城へ行ってしまおうかなどと思いながら、少しうとうとし始めた時のことだった。
 コンコンとノックの音がしたあとオスカーの声がする。

「旦那様、今よろしいでしょうか?」

「入れ。」

「失礼します。」

 入室を許可すると、オスカーが扉を開け一礼して入ってきた。

「騎士団長のヴォーマン様がお見えになっております。」

 コンラートがなぜこんな時間に? 何か事件に進展でもあったのだろうか。
 オスカーに案内されてコンラートが部屋へ入ってくる。その表情はかなり厳しい。

「ジークハルト、お前の婚約者がやばいことになっている。」

「……なんだって?」



◆◆◆ <フローラ視点>

 遡ること2日前、フローラはいつものようにルーカスのアパートに来ていた。彼は今日仕事で留守にしている。鏡の前に座り化粧道具を取り出す。頭に浮かぶのは、あの時ジークハルトと一緒にいたゲルダ嬢の顔立ち。

 ジークハルトとコンラートの話を聞いて以来ずっと考えていた。ジークハルトの憂いを晴らすために自分にできることはないかと。
 もしゲルダが表に現れたらオイゲン商会はどうするだろうか。ヴァレン訛りの男が彼女を見つけたら表に出てくるのではないかと。

 そうして自分が得意なこと、ゲルダになりきることはできないかと考える。そうすればヴァレン訛りの男をおびき出せるのではないだろうか。

 話を聞く限り、もし予想が間違っていなければその男はプロの殺し屋だろう。ノイマン伯爵を狡猾に暗殺し、今またゲルダを狙っているかもしれない。いくら腕にある程度自信があるとはいえ、流石にその男に適うとは思えない。
 だが何らかの手がかりを得たあと逃げることならできるのではないだろうか。最悪逃げられなくても手がかりを残すことはできるのでは。

 ゲルダの顔を思い出しながら、自らの顔に化粧を施す。少々吊り上がった眉と目、そして少し厚目のぽってりとした唇。眉はファンデーションとアイブロウで彼女と同じ形に、目はアイラインで吊り上がっているかのように強調して描く。唇は前もって仕入れていた、彼女がつけていた濃い目のローズ色の口紅で自分の唇よりも厚めに縁取る。
 そして腰までのストレートの銀髪は注文して手に入れたウィッグを。それから濃紺の目は劇団ご用達のカラーコンタクト。そして彼女によく似合っていた濃い紫のドレスを身に着ける。

 それらを装着して全身を鏡で見る。我ながらなかなかの仕上がりじゃないか。素晴らしいゲルダっぷりである。親しい人間が見たらすぐにばれるかもしれないが、薄手のショールを頭から巻きつければ彼女が忍んで行動しているように見えなくもない。彼女の人となりはあまり知らないが、短い時間ではあるものの、あのとき見た彼女の声や喋り方やその仕草は覚えている。

 さあ、行こう。予想通りなら、ヴァレン訛りの男はゲルダを目を皿のようにして探しているはずだ。懸念されるのは先に騎士団の方に自分が見つかってしまわないかということだけだ。
 今日はまず目につきやすい街のオープンカフェでしばらく時間を潰してみよう。それから図書館。それから……。

 思いつく限りの公共施設を片っ端から、敢えてこそこそと歩き回る。だが誰かに接触されるようなことはなかった。カフェでナンパはされたが。そして騎士団の誰かに見つかることもなかった。
 辺りが暗くなってからも歩き続けた。疲労で足の筋肉がぷるぷるする。公演が終わって以来劇団で筋力トレーニングをしていなかったからだろう。
 時刻が21時を過ぎたので今日はここまでと決め、さりげなく警戒しながらいろんなルートを通って尾行がないことを確認してから、ようやくルーカスのアパートへ向かった。
 初日は思うように成果が得られないまま終わり、22時くらいには屋敷に戻った。



 2日目。フローラは今日も街に出る。今日は少し郊外のお店がある地域に行ってみよう。あまりに町の中心付近だと、かえってチェックされていないのかもしれない。
 昨日と同じく、郊外のお店を敢えてこそこそと歩き回る。やはり誰からも接触されない。
 もしかしてもう既にゲルダは殺されてしまっているのかも、とか、ヴァレン訛りの男は国内にいないのではないか、などとつい考えてしまう。
 数日行動して何事もなければそれでいい。その時は諦めよう。そんなことを考えながら2日目の行動を終えた。



 そして3日目の昼下がり。フローラは勇気を出して、一番危険だと予想していたオイゲン商会へ足を踏み入れることを心に決めた。必ずしも事件に関わりのあった人物が全て騎士団に確保されているとは限らない。危険を承知の最後の手段だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。

 オイゲン商会は町外れに位置していた。もし事件に関与する誰かがまだいたとしたら危険だが、決して無防備に突っ込むわけではない。万が一のときのための根回しは済んでいる。恐怖を振り払って商会の建物へ入る。
 なるべく顔を隠すように、ゲルダ嬢の声を、仕草を思い出しながら受付の女性に小さな声で話しかける。

「ちょっと……今よろしいかしら?」

 受付嬢は偽ゲルダを見て驚いたような表情を浮かべた。フローラは彼女の表情の変化を見逃さなかった。どうやらこの女性はゲルダと面識があるようだ。

「ゲルダ=ノイマンよ。……ちょっと助けてほしいのだけれど。」

 怯えつつも高慢な物言いを崩さない、という人物像を意識して言葉を紡ぐ。すると、受付嬢はすぐに驚きを隠して答えた。

「しばらくお待ちくださいませ。」

 受付嬢はフローラを待たせて席を立ち、奥へ行く。それからしばらくして戻ってくると、自分に向かって淡々と声をかけた。

「ゲルダ様、どうぞこちらへ。」

 そういってフローラを奥の部屋へ案内する。案内された部屋は応接室のような所だった。そこへはまだ誰も来ていない。
 低いテーブルを挟んで豪華なソファーが置かれ、サイドボードの上には華美な装飾品の数々、そして豪奢な幾何学模様が美しい赤い絨毯。壁には華やかな刺繍が施されたタペストリーが飾られている。
 その派手な内装は自分の趣味には合わない。

 受付嬢に促され扉側のソファに座った。

「こちらでしばらくお待ちください。」

 そう言って彼女が一礼して退室していく。彼女が出ていったあと部屋の内装を眺めながら考える。

 騎士団がゲルダを探しているのは、オイゲン商会側も把握しているはず。もし今自分に対応したここの関係者が潔白なら、恐らくフローラは騎士団に通報されるだろう。だけどもし帝国に通じる関係者が残っていたとしたら……。
 さて、ここへ来るのは騎士団か、それともヴァレン訛りの男か……。

 そんなことを考えながら待ったのは10分ほどだった。コンコンとノックの音が響く。「どうぞ」とゲルダの声音で答えたあと、ゆっくりとその扉が開かれた。



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