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第2章

19.後悔と焦りと

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 フローラはジークハルトが眠るまで、ずっと彼の私室に繋がる書庫で息を潜めていた。気配を消すのはお手の物である。

(それにしても絶対私が聞いていい話じゃなかったわよね。ゲルダ嬢は行方不明か……。大丈夫なのかしら。)

 例え犯罪を犯しているかもしれないとは言え、自分と同じくらいの年齢の女の子が今もどこかで息を潜めるように怯えて隠れているかと思うと、なんだか居た堪れない気持ちになった。
 そもそも生きているかどうかすら分からない。その間諜と思われる男に口封じされているかもしれない。そんなことを考えて背筋が寒くなりぶるっと震える。

 しばらくするとコンラートがジークハルトに挨拶をして退室していった。
 その様子を感じ取りさらに息を潜める。そしてそのままじっと待っていたら、ようやくジークハルトの寝息が聞こえ始めた。
 念のためそのまま少し待ってから書庫の扉をそっと開ける。彼の様子はというと来客で疲れたのだろう、割と深く眠っているようだ。

 彼の私室を音を立てないように静かに出たあと自分の部屋へ戻った。正午頃にエマに声を掛けられてダイニングへ行き、昼食を取りながらオスカーに尋ねる。

「ジークハルト様は今眠っていらっしゃるようですがお食事はまだですよね?」

「はい、コンラート様がお帰りになられてすぐにお休みなられたようですので、昼食はまだお持ちしていません。」

「そうですか。起きたらジークハルト様の食事のお手伝いをしたいので、昼食を持って行くときは声をかけてください。」

 実はひそかに『あーん』することを狙っていた。入院していた最初の数日しか『あーん』させてもらえなかったものの、あの滅多に見ることのできないジークハルトの従順さに味をしめていた。あのときの彼はなかなかに可愛い。あれからずっと断られているけれど。

 食事の後部屋に戻り、ジークハルトの書庫からちゃっかり拝借した本を読みながら声がかかるのを待った。
 しばらくすると、ジークハルトが起きたから昼食を持っていくと、エマから声がかかった。早速借りた本を持って彼の部屋へ向かう。

 部屋を訪ねると彼は既に起きていて、その傍らでオスカーがワゴンの上で食事の準備をしていた。頃合いを見てオスカーに声をかける。

「オスカー、わたくしが……。」

「フローラ。」

 それを見てフローラの言葉を遮るようにジークハルトが口を開く。

「『あーん』は要らない。」

「はい……。」

 彼の淡々とした突っ込みにがっかりしてしゅんと項垂れる。

「ジークハルト様、お食事中わたくしがここにいてお邪魔じゃないですか?」

「いや、別に邪魔じゃないよ。」

 ジークハルトはそうフローラに笑って答え、オスカーの準備してくれた昼食をトレイで受け取り、ベッドから上半身だけを起こして食事を始めた。
 彼の傍で読書をしながら、ちらちらとその様子を窺う。彼は食事をしながらも、何やら厳しそうな顔をして心ここにあらずといった感じだ。その表情がなんとなく気になって彼に尋ねてみる。

「ジークハルト様、お口に合わなかったんですか?」

「いや、そういうわけじゃない。ちょっと仕事のことを考えていただけだよ。」

 その言葉を聞いて、仕事にしばらく復帰できないことで彼は苛立っているのだろうと思った。
 あの時聞いた限りでは、ゲルダ嬢の現状とヴァレン訛りの男の正体、そして二人の行方が目下の問題といったところだろうか。
 フローラが書庫にいて話を聞いていたことはどうやらばれていなさそうだ。

 もし自分がノイマン伯爵を口封じした犯人だとしたら。ゲルダ嬢を帝国に逃亡させることに失敗したとしたら。そしてゲルダ嬢がまだこの国のどこかで無事に生きているとしたら。
 彼女が騎士団によって先に確保されると大変困る。なぜなら彼女は伯爵と同じだけの情報を持っていると推測されるから。帝国へ逃がすのに失敗した以上、騎士団より先に確保して口封じをしなければいけない。

 それらの最悪の予想が正しければ、ゲルダ嬢の行方を追っているのはヴァレン訛りの男も同じということになる。だが騎士団よりも、彼女についてより深く知っていそうなその男の方にアドバンテージがあるのではないだろうか。

 そんなことを考え込んでいると、フローラの注意が本にないことを覚られたのか、ジークハルトが訝しそうに尋ねてきた。

「フローラ、どうした?」

「あ、いえ、この物語の主人公の行く末がなんとなく気になってしまって……。」

「そうか。その本の次巻はまだ発売されていないからな。」

「そうなのですか? 発売日が楽しみですわ。」

 そう答えてにこりと笑い、彼の食べ終わったトレイを受け取ってベッド脇のサイドテーブルに下げた。

「ありがとう。……それじゃあ、少し休むよ。」

 ジークハルトはその表情から苛立ちを隠せずにいた。眉間に皺が寄っていることが多い。きっと休むと言いつつも一人で考えたいのだろう。

「それではごゆっくりお休みください。失礼します。」

 彼の気持ちを察し、本を書庫にしまって彼の私室を後にした。



 自室に戻ったあとフローラはジークハルトのことを考えた。
 彼は自分が側についているときに時折とても辛そうな表情を浮かべる。それはきっと体が痛いからではないだろう。
 コンラートと話していた時、会話の最後の方で彼が言っていた言葉を思い出す。

『すぐにでも動けないのが本当に悔しいです。』

 表情こそ見ることはできなかったが、振り絞るように出された彼の声に焦りと苦悶が窺えた。
 そしてあれからずっと考えていた。自分が彼の憂いを取り払ってあげられないかと。



 そうして約半月が過ぎ、ジークハルトは外出こそできないものの、車椅子を押してもらって屋敷の中を行き来できるほどに回復していた。食事もダイニングで取るようになり徐々に顔色もよくなっていた。
 だがその表情には更なる焦りと苛立ちが現れており、しばしば考え込んでいることが多く見受けられた。

 あれからもコンラートが度々屋敷に来ており、その度に可能な限り彼らの話を盗み聞きしていた。主にジークハルトの私室の廊下側の扉の外である。だからたまにオスカーや侍女たちに見つかってごまかす羽目になった。

 ジークハルト達の会話を盗み聞いた限りでは、国境門で目撃されたのは間違いなくゲルダであったということと、未だ彼女は見つからず目撃情報もなくて既に殺されているかもしれないということ、そして捕らえられているオイゲン商会の被疑者達からは未だ重要な情報が得られず、ヴァレン訛りの男も捕まっていないということだった。



 ある日フローラは自室でソファーに座ってこれからやることについて考えていた。その後立ち上がって決意を新たに大きく頷き、いつものように街へ出かける準備を始める。
 それから愛用のバッグを持って外出することをオスカーに告げ、馬車に乗って屋敷を後にした。



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