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第2章

16.事件の傷跡

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◆◆◆ <コンラート視点>

 王国騎士団団長コンラートは現在ノイマン伯爵邸に赴いていた。軍用品横流しについての事件を担当しているジークハルトの部下から、伯爵邸で爆発があったとの報告があったからだ。

 当のノイマンは現場の遺体の一部から死亡が確認された。本人かどうかの判別が難しい程、その遺体は損傷が激しかったという。

 そして現場に居合わせたハンスは、ジークハルトに庇われたために無事だった。今は応急処置を受け、体のあちこちに包帯を巻いている。
 どうやら逮捕される直前に、伯爵が不審な動きをしたのが爆発のきっかけになったのではないかとハンスは言う。気がついたら自分はジークハルトとともに爆発に吹っ飛ばされたと。

 ジークハルトはというと、現在意識不明の重体だ。コンラートが到着したときには、彼は背中に破片が突き刺さり、出血が激しく意識がなかった。呼吸が弱々しく、呼びかけてもやはり返事はなかった。既に応急処置が施されており、コンラート到着直後、彼は病院に運ばれた。

 屋敷の中の執務室であったろう爆発の中心と思われる場所を調査する。
 ハンスの話から推測すると、恐らく爆発物は執務机の近くにあったものと思われる。現場の状態を見ても、そこが中心なのは間違いなさそうだ。

 原形をとどめない執務机の残骸を観察する。そこにあったのは、折れ曲がった短剣とガラスの破片、そしてこれは……糸? 爆発物そのものは全く残骸を残していない。
 ハンスによると爆発の直前つんとした匂いがしたような気がするということだった。それが薬品だとするとそれが爆発のトリガーになった可能性が高い。

 この事件の調査をしていた暗部の統括はジークハルトであるが、コンラートは事件の詳細ついて、随時、経過報告を受けていた。そしてノイマン伯爵の人となりも知っている。

 あの男は自決するような人物ではない。ぎりぎりまで自分だけは助かろうとするような、姑息で卑劣な男だ。そんな男が逮捕されるのを苦にして騎士ともども自爆するようなことはないだろう。
 となると第三者の意志が働いたものだと考えられるが、この糸はそのための細工の一部か……?

 伯爵が爆発直前に見せた不自然な行動は、恐らく執務机の裏にでも隠してあったこの短剣を手にしようとしたのだろう。そしてその行動が爆発のきっかけとなったのは間違いない。
 折れ曲がった短剣、短く切れた糸、ガラス瓶の欠片、つんとした匂い……。

「ハンス、お前の嗅いだ匂いは塩酸か硫酸の匂いなんじゃないか?」

「そういえば、以前嗅いだことのある塩酸の匂いのようでした。そのあと火薬の匂いがしたかと思うともう爆発して……。」

「やはりそうか。……どうやら伯爵は別の誰かに消されたようだ。」

「別の誰か……ですか。」

「ああ、背後関係を洗ってみないと、まだはっきり誰とは言えないが、彼が誰かに消されたのは間違いない。今回の事件に関しての口封じの線が濃厚だろう。この執務机の裏に隠してあった短剣で、己が逃げるためかなんか知らんが、最後の悪あがきを試みようと手を伸ばす。そこであらかじめ伯爵の行動を予想して施されていた第三者の仕掛けが発動し、糸が切れて瓶に入っていた塩酸が爆発物に零れ、それがトリガーになったんじゃないだろうか。」

「なんて手の込んだ……。前もって暗殺しておけば楽に口封じできるだろうに。」

「伯爵の自死を装い、あわよくば捜査に携わっていた主力のジークハルトも一緒に消せると目論んだんだろう。後はこの執務室にあったであろう証拠品の数々の隠滅……。」

「……なんて卑劣な! 俺は副団長の遺志を汲んで、この部屋からできる限りの証拠品を集めます! そしてそいつの尻尾を掴んで必ずや副団長の仇を……。」

「いや、ジークハルト死んでないから。」

 正直この状況を見た限りでは、暗殺者の正体の手がかりを掴むのは無理だろうと考えた。だが横流しの証拠品となると欠片くらいは残っているかもしれない。それに証拠品の全てが執務室にあるとは限らない。
 こんなことをした奴が誰かってのは、大体予想がつくがな……。

 部下たちに屋敷中の綿密な捜索を指示し、邸内の使用人を含めた人間全てに敷地内からの移動を禁じた。そして自分は、もう一人の重要参考人……事件当初留守にしていたゲルダの足取りを追うべく、ノイマン邸を後にした。



◆◆◆ <ジークハルト視点>

『ここは、どこだ……。』

 辺りは真っ白の光に包まれていて何もない。

『ジークハルト様、ご機嫌よう』

 声を掛けられて振り向く。長い黒髪をふわふわと揺らしながら美しい蜂蜜色の瞳がジークハルトに妖艶に微笑む。

『……イザベラ?』

『よかった、もうわたくしのことなどお忘れになったのかと思いましたわ』

『そんなはずはない。君に会いたくて仕方なかったのに。』

 ジークハルトはイザベラに手を伸ばす。イザベラはその手を自身の両手で包み、頬を摺り寄せ、うっとりとジークハルトをその蜂蜜色の双眸で見つめて言葉を紡ぐ。

『嬉しい……』

『イザベラ……。』

 イザベラを抱き寄せ眼を閉じる。イザベラ……愛しい人。ずっとこうしたかった。
 ジークハルトは再び目を開け、イザベラの頬に手を添えその瞳を見つめる。キラキラとした蜂蜜色の瞳にかかった前髪は同じ蜂蜜色の金髪……。



◆◆◆ <フローラ視点>

 フローラはその日、前日の舞台を終え体を休めるべく、自室でゆっくりくつろいでいた。短い期間ではあったが、自分が出演した舞台の日々を思い出す。

(緊張したり失敗したりしたけど、本当に夢のような一週間だったわ。……ジークハルト様には素敵な薔薇の花束もいただいたし。よし、せっかくのお休みですもの、お屋敷のお仕事のお手伝いでもしよう。)

 ジークハルトは今朝もいつものように仕事に出ていったし、今日はフローラ一人だ。皆が仕事をしているのに自分だけだらだらなんてしていられない。
 オスカーに仕事のことを聞くべく部屋を出ようとしたとき、コンコンと部屋がノックされる。

「フローラ様、オスカーです。今よろしいでしょうか。」

「……? どうぞ。」

 一体何かしら、と思ってフローラが返事をすると、扉を開いてオスカーが入ってくる。彼の様子がいつもと違うことにすぐに気がついた。

「フローラ様、旦那様が……。」

「……ジークハルト様がどうしたの?」

 彼を見ると、顔色がかなり悪く沈痛な面持ちをしている。嫌な予感がした。

「旦那様がお仕事中に爆発に巻き込まれて病院へ運ばれたとのことです。」

「……え。」

「私は準備をしてから病院の方へ参ります。フローラ様はどうされますか?」

「もちろん、すぐに行きます。それで……ジークハルト様は大丈夫なの?」

「かなりひどいお怪我をなされて、今も意識がないそうです。それ以上の話は私も行ってみないことには……。」

「わかりました。わたしは一足先に病院へ向かいます。」

 オスカーから病院の場所を聞き、馬車に乗ってそこへ向かった。

(ジークハルト様……どうかご無事で……!)

 馬車の中で両手を胸の前で白くなる程にぎゅっと握りしめ、目を瞑ってジークハルトの無事を一心に祈り続けた。

 病院に到着し、看護師にジークハルトの病室へ案内される。そこは個室になっており、ベッドに横たわる彼の傍には騎士が一人付き添っていた。彼には点滴が打たれている。
 彼に付き添ってくれた騎士にお辞儀をして挨拶する。

「お初にお目にかかります。わたくしはアーベライン様の婚約者のフローラ=バウマンと申します。」

「初めまして、自分は騎士団第1部隊のディックです。身内の方が来られるまで副団長に付き添わせていただきました。婚約者様のお噂はかねがね伺っておりました。」

「そうですか……。お忙しい中ジークハルト様の付き添いありがとうございました。後はわたくしが看ますのでどうぞお戻りになられてください。」

「承知しました。何かありましたらすぐに病院関係者にご連絡ください。騎士団の方に連絡が来るようになっていますので。」

「重ね重ねありがとうございます。」

 お礼を言って深々とお辞儀をすると、ディックは真剣な表情のまま「では。」と言って、こちらに敬礼をし病室を出ていった。

「ジークハルト様……。」

 ベッド脇の椅子に座り、昏々と眠り続けるジークハルトの顔をじっと見つめて、小さな声で呼びかける。

「う……。」

 彼はときどき唸りながら、弱々しく首を左右に振る。呼吸が荒い。眉間に皺が寄り、金色の長い睫毛は臥せられ、血色のない肌に汗がにじんでいる。体中に包帯が巻かれ所々血が滲んでいるようだ。
 そんな痛々しい彼を見つめながら、自分自身の体にも痛みを感じるような気がした。

 ジークハルトの額に張りついた前髪をそっと掬って後ろに流す。そして触れるか触れないかくらいにその頭を撫でる。

(お可哀想に。痛くて苦しいのね……。すごい熱だわ。わたしが代われればいいのに。)

 彼の額に浮かぶ汗をハンカチで押さえながら、思いのほか自分の心がダメージを受けていることに気づいた。

(わたしにとってジークハルト様はもう家族なようなものだったのだわ……。)

 アーベライン邸にきてまだそれほど長い月日がたったわけではなかったが、自分にとっては既に安らげる場所になっていた。
 執事のオスカー、侍女のエマ、他の使用人の皆、そしてジークハルトを大切な存在だと感じていた。
 それから30分程経っただろうか。

「フローラ様、大丈夫ですか?」

「あ、オスカー……。」

 いつの間にかオスカーがすぐ後ろに立っていた。そしてそのことに全く気づかなかった。きっとまだ動揺しているのだろう。
 彼は着替えを詰めているだろう鞄を病室の棚に置いてから気遣わしげに話す。

「医師を呼びましたのでしばらくお待ちいただけますか? フローラ様もお顔の色があまりよくありません。」

「ええ……。ごめんなさい、わたしのことは心配いらないわ。……ジークハルト様はまだ一度も目を覚まされていないの。」

「そうですか……。」

 間もなく医師と看護師が病室に訪れた。医師はジークハルトの脈と熱を計るとフローラたちに向かって言った。

「背中に爆発による火傷と、全身に多数の裂傷があります。骨折も数か所あります。一応抗生剤と痛み止めを投与しましたが、出血が多く、それによるショック状態でまだしばらくは意識が戻らないものと予想されます。点滴はしていますが、あとは本人の体力次第でしょう。……今晩が勝負かと。」

「……!」

「ありがとうございます、先生。よろしくお願いします。」

 医師が現在の症状を説明してくれ、オスカーがお礼を言う。そして看護師が点滴の状態を見ると、医師達は病室を出ていった。医師の言葉に衝撃を受け言葉が出なかった。

 そのまま2人で3時間程ジークハルトに付き添った。窓から外を見ると、もう外はすっかり暗くなっていた。立ち上がってカーテンを引き明かりをつけ、オスカーに向かって言った。

「オスカー、屋敷へ戻ってください。後はわたしが付き添います。わたしはこんな時くらいしか役に立たないので……。」

「そんなことをおっしゃらないでください。フローラ様が来てくださってから屋敷も明るくなり、ジークハルト様を始め我々にどれだけ心の安寧をもたらしているか……。」

「……そう言ってもらえて嬉しいです。」

「それでは私は一旦戻らせていただきますが、フローラ様も決してご無理をなさいませんよう。荷物の中にはパンや果物が入っておりますので、どうかお召し上がりください。」

「ありがとう、オスカー。」

 また明日の朝にはきます、と言い残しオスカーは病室を出ていった。

 ジークハルトに向き直ってその手を両手で取り、自身の額をそっとつけて瞼を閉じる。彼の手が熱い……。

(ジークハルト様……どうか目を覚まして……。)

 そうして彼の汗をハンカチで押さえつつ、その顔からずっと目を離さなかった。



 それは真夜中のことだった。ジークハルトの手を取りじっと瞼を閉じていたフローラの耳に、聞き慣れた声が聞こえた。

「……イザ……ベラ?」



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