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第1章
13.初舞台
しおりを挟む翌日フローラはいつものようにジークハルトを見送り、すぐに馬車で街へ向かった。
ジークハルトとオスカーには、しばらく町に住む親戚の所に行儀見習いに行くから夜遅くなると嘘を吐いた。今日から1週間だけの舞台である。
好きなことをするために吐かなくてはいけない度重なる嘘に、本来正直で真っ直ぐな性分のフローラは、罪悪感で胸が苦しくなる毎日である。だが自分は何を犠牲にしても夢を叶えると決意したではないか。
決意を新たに自らを奮い立たせユリアン邸へ向かった。失敗はできない。どんな結果になっても練習不足だったから、などと後悔するようなことがないようにやれることは全部やらなくては。
「フローラ、もう少し肩の力を抜きなさい。でないと自分のことが客観的に見れなくなってよ。」
「客観的、ですか。」
「そうよ。私は役者って、お芝居を演じる自分を客観的に見ることができなければならないと思っているの。でないと場合によっては独りよがりの演技になってしまいがちだわ。理想を言えばお芝居全体の形を俯瞰で見て、自分の動きを決める余裕が大事よ。お芝居は皆で作るんだから。できなければ私が指導するから問題ないけどね。だからあんまり『マリア』を演じることだけに囚われないこと。」
「全体を見る……。」
気負いすぎるフローラを見てユリアンが言葉をかけてくれた。それを聞いて自分の視界が狭くなっていることを自覚する。
そうだ、自分は全体の中の『マリア』で、バラキミという素晴らしい絵を描くためのパーツなのだ。ユリアンの言葉を聞いて全体のバランスが大切なのだということを改めて認識させられた。
フローラは心構えを改めて練習に励み、夕方5時くらいに皆と夕食を取った。そして食事を終えいよいよ劇場へ向かう。ドキドキしながら馬車に乗り込み、窓から町の風景を眺めて心を落ち着かせようと努力する。
馬車が劇場の前に到着し、皆と一緒に馬車を降り、劇場の控室のあるエリアへ向かった。
控室は2~3人ごとに分けられている。控室に入り、早速ハンガーにかかっているマリアの衣装を手に取ってそれに着替え、備え付けの大きな鏡の前に座って自らにマリアの化粧を施した。
「どうでしょう?」
「うん、いいんじゃない?」
隣に座ったヒロイン役の先輩がフローラの映った鏡を見て笑って答えてくれ、そのあとフローラの髪を結ってくれた。フローラも準備が終わると先輩たちの着つけや髪結いなどを手伝い、リハーサルの時間を迎えることとなった。
舞台へ向かうと何人かはもう既に準備を終えて最初の場面の立ち位置に立っていた。ユリアンが声を張り上げる。
「それじゃ、始めるわよ!」
フローラの出番はそんなに多くはない。屋敷の中の何幕かで主人公との絡みがあるだけだ。だが『マリア』は主人公の感情の変化に大きく関わってくるキーパーソンの一人だと思っている。前に出すぎず、それでも大事な言葉は強調して……。
フローラの頭の中で『マリア』の存在が今まで何度も再構築されてきた。そして今最終的に構築された『マリア』になって舞台に踏み出した。
リハーサルが終わりいよいよ本番が始まる。舞台の袖から客席を伺うと、もうぱらぱらとお客さんが入り始めていた。それを見てフローラは、満員の観客の前でもリハーサルと同じように演じることができるかしら、と不安になる。そしてとうとう開演のベルが鳴った。
幾つかの幕を経てフローラの出番になった。舞台の上に足を踏み出す。フローラはそのときバラキミの一部になった。マリアは主人公に伝えるべきいちばん大切な台詞を話すとき観客のほうに視線を移し、ゆっくりと大きな声で言葉を紡ぐ。メリハリの必要なところだ。うん、たぶんうまくできたと思う。
出番が終わり舞台から降りた後、フローラは胸の前で両手を固く握りしめてユリアンをじっと見つめた。自分の演技はどうだったか聞きたい……だけど怖い。そう思って言葉を詰まらせていると、ユリアンがそんなフローラの肩に手を置いて声をかけてくれた。
「よかったわよ。まだまだ伸び代はあるけど全体が素晴らしい絵になっていた。私は貴女の『マリア』、とてもいいと思ったわ。」
「あ、ありがとうございます……!」
ユリアンの言葉を聞いて思わず涙が出そうだったが、まだ舞台が終わったわけではない。舞台の横でずっと他の役者たちの演技に見入った。
(皆すごいわ。それぞれが全体の調和を乱さないように、でもそれぞれの個性がちゃんと輝いている。主役の先輩達も素晴らしいけど脇役の演技でさらに全体が輝きを増している感じだわ。)
彼らの演技を見て、なんて勉強になるのかしら、と思った。すると傍にいたユリアンが再び呟いた。
「でも纏まりすぎるのもつまらないのよね。美しくても平凡な絵になっちゃうから。もっとこう爆発するような歪だけど私たちだけが描ける美しい絵にしたいわ!」
フローラはそれを聞いて、ユリアンの頭の中の完成された絵を想像してみるがまだ自分にはよく分からない。でも確かにその通りだと思った。それを形作っていくのは自分たちであり演出をやっているユリアンなのだろう。
そうしているうちに舞台が終わり、役者たちが全員舞台に上がる。主要キャストが紹介され観客に深々と礼をしたあと観客の拍手とともにようやく幕が下りる。
フローラは幕が下りきったと同時に涙が溢れてきた。言葉で言い尽くせないほどの達成感に包まれて感極まってしまったのだ。
「さ、行きましょ。」
ぽんっと肩に手を置かれユリアンに促されて舞台を降りる。その後フローラは控室に戻り化粧を直し着替えを済ませた。
「『マリア』良かったよ。」
「わたしも負けてられないわね!」
などと先輩たちから口々に激励され、明日からの公演も頑張らなくてはと心を奮い立たせた。
(今日よりは明日、明日よりは明後日……毎日少しずつ成長してより素晴らしいお芝居をお客様に見せれるように頑張るわ!)
そう決意を新たにし、アパートへ着替えに訪れたあと、興奮してルーカスに今日の舞台のことを捲し立てた。
その結果フローラはいつもよりも大分帰りが遅くなり、哀れルーカスは翌日目の下に濃い隈を作ったまま仕事に向かうことになったのだった。
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