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第1章

12.髭を抜かれた猫

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 フローラはその日舞台を翌日に控え、勉強のために皆の演じる公演を観ることにした。
 劇場の前でユリアンたちと別れたあと、リハーサルから見せてもらおうかしら、などと考えながら時間潰しに広場を少しぶらぶら歩いていた。

 するとカフェの前に一台の馬車が止まり、よく見知った人物が降りてきた。遠くから見てもよく分かるその美貌の人物はジークハルトだ。フローラに気づいた様子はなく、そのまま扉を開けて綺麗なご令嬢を馬車から降ろしていた。

 それを見てなんだか彼を困らせたくなった。なぜそんな意地悪な気持ちになったのかは分からなかった。普段なら見てみぬ振りをするべきところなんだろうが彼に声をかけることにする。

「ジークハルト様……?」

 彼がこちらへ振り返り一瞬顔色をなくしたのを見て、悪いことしちゃったかしら、とすぐに後悔した。挨拶を交わすと更にジークハルトの顔色が悪くなる。もしかして自分が声をかけたことが原因で彼女と気まずくなったりするのではないだろうか。そう考えると余計に罪悪感が増す。
 ここはフォローしないといけない、そう思ってフローラは口を開いた。

「まあ、なんてお美しいご令嬢なんでしょう。ジークハルト様も隅におけませんわね。流石ですわ。それではわたくしは用事があるのでこれで失礼させていただきますわね。」

「ああ、また今度。」

 声をかけたあと別れの挨拶を済ませすぐに踵を返してその場を去った。

(フォローしたからきっと大丈夫よね。それにしてもジークハルト様は交友関係が広いのね。あのご令嬢もご友人なのかしら。)

 フローラはなんだか胸がもやもやしたが、ご飯を食べすぎたのかしら、と不思議に思いながら劇場に向かった。



 公演が終わったあと、フローラは馬車を拾って侯爵邸へ戻った。エントランスでオスカーに挨拶をする。

「ただいま戻りました。」

「おかえりなさいませ、フローラ様。今日は旦那様は既にお帰りになってサロンでお酒をお召し上がりになっておられますが、ご挨拶されますか?」

「えっ、そうなの? それでは挨拶させていただこうかしら。」

 オスカーに案内されサロンに向かうと、そこには浮かない顔のジークハルトがお酒の入ったグラスを片手にぼーっと宙を見つめていた。
 ふわりとした綺麗な金色の前髪がはらりと目の前に落ちており、その下でアイスブルーの瞳を翳らせている。その気怠げな雰囲気がいつもの色気にさらに拍車をかけている。その破壊力に思わずたじろぎそうになる。

「ジークハルト様、ご機嫌よう。お疲れさまです。」

「ああ、フローラ、おかえり。機嫌はよくないよ、あんまり。」

「どうかなさったのですか?」

「いや……君なら………………。」

(「…」が長いわ)

「フローラは自分を好きだといった男が別の女性を連れていたらどう思う?」

「はあ……。」

 あまりにも思いあたりがありすぎるその話に、どう答えようか言葉選びに悩んでしまう。

「そうですね……。いい気持ちはしないでしょうね。」

「はぁ………やはりそうか。そうだよな。」

「でも、自分の気持ちが相手の方に全く向いていないのなら、何とも思わないんじゃないでしょうか。」

「っ……! それはそれで……。」

 自分の言葉を聞いて項垂れてしまい、さらに落ち込んだ様子の彼を見てまた失言してしまったんだろうかとやきもきする。

(それにしてもジークハルト様の様子がいつもと違いすぎるわ。なんか髭を抜かれた猫みたいな……。とさかを取られた雄鶏みたいな? 牙を抜かれた虎だっけ…? うまい表現が見つからないわ。)

「ジークハルト様のお気持ちが誠実であればきっとお相手に伝わりますわ。……いつか。」

「そうか、そうだな。少し元気が出たよ。フローラ、ありがとう。」

「どういたしまして。……それではわたくしは先に休ませていただきますね。ジークハルト様はまだお休みになられませんの?」

「私はまだ少し飲んでから寝るよ。おやすみ、フローラ。」

「おやすみなさい、ジークハルト様。」

 自室へ向かいながら先程の彼の様子について考えた。あんなに落ち込んだ彼を見たのは初めてだ。

(それにしても珍しいものを見たわ。きっとイザベラのことが原因よね。今日の出来事をそのままおっしゃってたし。やっぱり見てみぬ振りをすればよかったわね。ごめんなさい、ジークハルト様。)

 などと殊勝なことを考えていたフローラであったが、自室に入るともうすっかり彼のことは頭の隅っこに行ってしまい、心の中は明日の舞台のことでいっぱいになった。

(明日はきっとうまくやるわ。女優としてのわたしの初めての役。わたしの『マリア』を精いっぱい演じる。わたしだけの『マリア』を。)

 入浴を済ませ寝る準備を整え、ふかふかのベッドに倒れこんで大きな羽根枕をぎゅっと抱きしめる。行き場のない興奮を枕に込めながらゆっくりと瞼を閉じた。



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