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第1章
1.愛はいりますか?
しおりを挟む◆◆◆ <ジークハルト視点>
「フローラ嬢、わたしは君を愛することはない。」
「はい。」
185センチの長身にふわりとした金髪とアイスブルーの瞳をもつ見目麗しい美丈夫、ジークハルト=アーベラインは何の感情も込めずにそう告げた。
彼は彼女に正式に婚約を申し込みむためにバウマン男爵家へ来ていた。
フローラ=バウマンは決して器量が悪いわけではない。蜂蜜色の金髪は背中までの緩やかなウェーブを描き、同色の瞳は怜悧な輝きを湛えている。長い睫毛は頬に影を落とし、小ぶりで形のよい鼻の下にはふっくらとした珊瑚色の唇がほんの少しだけ弧を描いている。16才の割にはなかなかスタイルもよい。
(この娘は器量は悪くはないが相変わらずなんというか……地味だな。)
彼は最初に彼女を見たとき、そんな印象を抱いた。
彼女は器量よしではあるがその美しさをまったく主張せず、いつも地味でシンプルなドレスを身に着けている。
(派手な女はあまり好きじゃないが、それにしたって垢抜けない娘だ。)
話は3か月前に遡る。
ジークハルトへの女性からのアプローチはその妖艶な容姿からかなり多く、22才の若さで騎士団副団長という肩書も相まってアーベライン侯爵家には数多の縁談が持ち込まれていた。
すでに侯爵位を継いでいた彼は数多くの女性と浮名を流しはしていたものの身を固める気はさらさらなく、角が立たないように各々の貴族に断りを入れていた。だが彼はその状況にいい加減うんざりしていた。
(いっそのこと形だけの婚姻でも済ませてしまおうか。現在の友人関係を維持することを受け入れてくれ、なおかつ自己主張の少ない空気のような存在がいい。それでいて侯爵の私と並んでも違和感のない程度の容貌を持つ女性となると……。)
ジークハルトは自分の記憶の中にある数多くの女性を次々に思い浮かべる。
(私に興味がなく執着しない人がいい。今まで関係のあった女性は除外だな。それでいて従順な女性……。)
しばらく考えたあと、彼は去年の夏の夜会で一人壁の花に徹していた地味な令嬢のことを思い出した。
顔立ちは整っているのに、彼女のあまりの地味さ加減にかえって興味をひかれた。試しに近寄ってみたら何とも新鮮な反応が返ってきた。
彼を見た令嬢は概ね頬を上気させて潤んだ瞳で見つめてくる。それなのにその令嬢から感じたのはその瞳に怜悧な光をともしたまるで自分を観察するような視線だった。
(彼女はどこの令嬢だったかな……。ちょっと調べてみるか。)
こうしてアーベライン侯爵家とバウマン男爵家の縁談は結ばれたのである。
◆◆◆ <フローラ視点>
そうして現在に至る。
(いつ見てもお美しいわねー。眼福♪ これで表情がもっと豊かだったらいうことないんだけど、わたしに対してだけ無表情なのかしら。)
フローラはその美貌の婚約者を観察、もとい、見つめて妄想を膨らませていた。
(侯爵様の制服姿ってどんなかしら。絵姿なんてあったらすごく売れると思うんだけど。それにしても今さらそんな風に釘を刺さなくとも、わたしとしては申し分ない条件だわ!)
かねてより領地から王都への移住を熱望していた自分にとっては願ってもない申し入れだった。
10才の時に王都で見たあの素晴らしいお芝居! その舞台俳優たちの心奪われるほどの演技と迫力、そしてその美しさに魂を揺さぶられた。
(いつかわたしもあんな実力のある役者になりたい! 人々の心を動かすお芝居を演じてみたい!)
それがフローラの何を犠牲にしても叶えたい夢であった。そのためには王都へ行って本格的に演技の勉強をしたい。そして劇団に入団したい。それが叶うならどんな手段も厭わない。
そう考えて憚らない、実に猪突猛進な娘であった。
そして二人の間で交わされた婚姻の条件は以下の通りである。
1.お互いのプライベートに口を出さない。
2.結婚後、夫婦の営みはしてもしないでもいいが、もし子供ができなければ養子を向かえて爵位を継がせる。
3.お互いに恋人を作るのは構わないが外で子供を作らない。
4.金銭の使用は毎月決められた範囲内で行う。
あとは共に暮らすようになったら随時見直しと追加をするということだった。婚約と同時に王都の侯爵邸に住むことができるということを聞いて即了承した。
(愛のある結婚に越したことはないけれど、わたしにはどうしても叶えたい夢があるもの。あれもこれもっていうのは贅沢だわ。子供は、まあ、なるようになるわね。)
フローラは自分の容姿を完璧に把握している。どんな表情が人を惹きつけるのか、どうしたら自分が美しく見えるのか。
ただ侯爵家の嫁として女優活動がどんなふうに見られるかを考えると、王都に行ってからやりたいことをジークハルトに伝えることができないでいた。だから侯爵の婚約者である男爵令嬢フローラとしては、なるべく目立たないように仕草や服装を計算して地味で控えめな大人しい女性として自らを演出することにした。
子供の時にあのお芝居を見て以来、彼女はずっと独自に自分の様々な魅せ方を研究していた。かつて見た舞台での俳優たちの台詞を一言一句違わず記憶し、毎日寝る前に暗唱していた。
実のところ家族はそれを知っており、密かにフローラのことを応援していたのだった。
「侯爵様、わたくしは貴方のお気に障らない程度に、陰ながら妻としてお支えしてまいります。ですからわたくしのことは空気と思ってお気になさらないでください。」
「あ、ああ……。では明日用意した馬車でこちらの邸に来られるがいい。私は一足先に戻る。」
柔らかな笑顔でそう述べるフローラに若干戸惑いを感じながら、ジークハルトは彼女の両親に挨拶をし、バウマン男爵邸を後にした。
(……しかし契約を持ちかけた私が言うのも変な話だが、あの娘は私に興味があるわけではなさそうなのに、一体何のメリットがあってこの婚約を了承したのだろう。上位貴族からの申し込みで断れなかったのだろうか。)
ジークハルトは若干疑問を感じながら馬車に乗り込み、2日ほどの王都への帰路を辿るのであった。
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