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第7章
86.ワタルの選択
しおりを挟む城の地下牢でエメリヒはクロードの姿を見て目を瞠る。口は驚きのあまり開かれたままだ。その姿を凝視して唖然としているようだ。そして震える唇を開いて問いかけた。
「お、お前はクロードか……?」
エメリヒの問いに対しクロードは複雑な表情を浮かべたまま頷き、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、俺はクロードだ。久しぶりだな、エメリヒ……。30年前お前の信頼を裏切りミーナを連れて逃げたことについては申し訳なかったと思う。そしてそのことでお前がそれほど苦しんでいたなら気の毒だったと思う。だが俺もミーナも好きでこの神殿に連れてこられた訳じゃない。それにお前が傀儡にしようとしたセシルは俺の孫でもあるんだ。お前が俺たちにしたこともセシルにしたことも、そしてこれまでの勇者や聖女にしたことも許せない」
クロードの言葉にセシルは驚く。彼はエメリヒが狂ってしまった切っ掛けになったことについては申し訳なく思っていたのか。
その言葉を受けエメリヒは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ顔を逸らして答える。
「もう全て終わったことだ……。私は今でもお前が憎い。ミーナも憎い。その孫であるセシルもだ。お前たちにしたことについては私は後悔していない。もう行ってくれ。私は早く死にたい。疲れてしまった」
「エメリヒさん……」
これ以上自分たちがこの場に居ることはエメリヒを苦しめるだけかもしれない。そう思ってセシルは彼に別れの言葉を継げる。
「おばあちゃんがここに居たとき大事にしてくれてありがとうございました。そしてお話を聞かせてくれたことも感謝しています。それじゃ行きますね」
「……」
エメリヒは顔を逸らしたまま何も答えない。セシルが立ち上がってクロードとともにその場を立ち去ろうとしたときふとエメリヒが口を開いた。
「ミーナは……」
セシルは立ち止まり再びエメリヒのほうへ振り返る。そして彼から紡がれる次の言葉を待った。
「ミーナは元気か……?」
セシルはその言葉を聞いたときになぜか胸が苦しくなった。目の前の男に抱いてはいけない感情を抱いてしまいそうだった。あんなに怖い目にあわされたのに、彼の表情に僅かに人間らしい感情を見つけて戸惑ってしまう。
「おばあちゃんは元気です。貴方の気持ちは必ずおばあちゃんに伝えます。だからどうか……」
死にたいなどと口にしないでください。セシルはその言葉を最後まで紡げなかった。
エメリヒはセシルの言葉を聞いて、ほんの少しだけ口角を上げて呟く。
「そうか……」
それきり黙り込んでしまったエメリヒに対してセシルは少しだけ頭を下げて、クロードとともにその場をあとにした。
地下牢を出て神殿のクロードの部屋へと戻ってきた。ソファに座ったあと彼は腕を組んで何かを考え黙り込んでいた。
「おじいちゃん、どうしたの?」
セシルが問いかけるとクロードがはっと我に返ったようにセシルを見て口を開いた。
「セシル、エメリヒがお前にした所業は許せないが、その行動の原因となった一端は私たちによるものだ。怖い思いをさせてすまなかった」
「ううん、わたしはいいの。怖かったけど彼の行動の理由が分かったから。エメリヒさんに面会させてくれて、そしてついてきてくれてありがとう」
「いや……。奴はああ言っていたが、俺はエメリヒがずっと昔からミーナを愛していると思っている。俺たちが逃亡したことであいつを狂わせてしまったんだ。それでもあいつがやったことが許し難いのに変わりはないが」
クロードが責任を感じているようだ。エメリヒの話を聞いた限りでは、今現在の彼のおばあちゃんに対する気持ちはよく分からなかった。憎悪なのか執着なのか愛なのか。
だけど少なくともおばあちゃんが神殿にいた8才のときから逃亡するまで9年間、彼なりにおばあちゃんを大切にしていたのだと分かった。そのことについてクロードも思うところがあるのだろう。そしてここからは自分が口を出していいことではないことくらい分かっている。
そして王都民に対して彼が申し訳なく思っていて、彼自身どうすることもできなかったということも分かった。ディアボロスが顕現してしまったのは奴自身の姦計によるものだ。エメリヒが召喚しようと思ってした訳ではない。
都民の気持ちを考えると口には出せないが、彼には生きてほしいと思った。
クロードが何だか感心したようにセシルに話す。
「しかし、お前は本当にしっかりしている。そんなに幼いのに……。そうならざるを得なかったのは大人である私たちの責任だな。これからはもっと我儘を言っていいからな」
クロードが自分を甘やかそうとしている。セシルはなんだかそれがくすぐったくて、でも嬉しかった。彼の口から「これからは」という言葉を聞いて、これからずっと一緒に暮らせるんだという実感が湧いた。
「ふふっ。ありがとう。おじいちゃん、もう一つ相談したいことがあるんだけど」
「なんだ?」
相談したかったことのもう1つ、ケントのことをクロードに相談しようと思っていた。このままケントをなす術もなく神殿に寝かせていて、もし彼の容体が急変してしまったらと思うと気が気ではなかった。
「ケントのことなんだけど……。わたしたちが彼に対してできることはもうない。でもどうにかして彼を助けたいの。おじいちゃんなら何か分かるんじゃないかと思って……」
「ふむ……」
クロードは腕を組んで瞑目しつつ考え込む。そして静かに目を開けて話し始めた。
「それについては私に考えがある」
「考え……?」
セシルがそう聞き返したときだった。コンコンと扉をノックする音が聞こえワタルの声がした。
「ワタルです」
「入れ」
「失礼します」
ワタルが扉を開けて入ってきた。なんだか少し疲れた顔をしている。そして彼はセシルを認めて軽く一礼し、口を開いた。
「お呼びでしょうか?」
「ああ、座ってくれ」
クロードとセシルが対面に座っていたのでワタルは遠慮がちにセシルの隣に座る。
ワタルが座るのを待って、クロードはゆっくりと話し始めた。
「ここへ呼んだのはお前の意向を確認するためだ」
「僕の意向?」
ワタルが聞き返すとクロードが頷いて再び話を続ける。セシルは二人の会話を見守る。
「実は1週間ほど前、私はある男が異世界への扉を開く鍵を握っているとの情報を手に入れた」
セシルはクロードの言葉を聞いて驚いてしまう。異世界への扉……そう聞いて思い出すのは1人しかいない。
そして思わずクロードに聞き返してしまう。もしかしてそれは……。
「ベックマン?」
セシルの言葉を聞いてクロードは驚いたように目を瞠った。そして答える。
「そうだ。セシルがそれを知っているとはな。まさか実験場でベックマンを亜空間へ放逐した冒険者というのはお前たちか?」
「うん。実は……」
そう問いかけるクロードに、セシルは転移魔法陣の事件の経緯の説明をする。ダンジョンと強力な魔物の棲家が転移魔法陣で繋がったこと。それが異世界へ憧れたベックマンの仕業だったこと。そして実験場の戦い。その結果偽ケントがベックマンとともに不完全な異世界への扉を潜ったこと。その全てを詳細にクロードに説明した。
ワタルは静かにセシルの話を聞いていた。だが彼はその話の内容に途中で目を丸くして驚いていた。そして話が終わると顎に手を当て静かに何かを考え始めた。
全ての説明が終わったあとクロードが感心したように答える。
「ふむ、そうだったのか。セシルには驚かされてばかりだ。お前たちは本当に強いのだな。まあ無事でよかった」
そう話すクロードに、セシルは温かい気持ちでいっぱいになる。そして偽ケントのことを思い出して切なくなる。
「最後わたしは何もできずに人形のケントに救ってもらっただけだもの。運がよかったんだよ。それでベックマンがどうしたの?」
セシルの問いにクロードは再び真剣な表情で話し始めた。
「ああ、そうだったな。私はその情報を得て共和国の首都ランツベルクへ向かった。ちょうどお前たちと神殿で会ったその1週間ほど前だ」
ああ、なるほど。セシルが初めて神殿を訪れたときに、エリーゼがハイノは王都に居ないと言っていた。あのときクロードはランツベルクへ行っていたために留守だったのか。
「私がランツベルクのギルドマスターに話を聞いたとき、既にベックマンは倒された後だった。今思えばフィリップが言っていたのがお前たちだったのだな。私は彼の話を聞いて一足遅かったと絶望した。だが諦めきれずに実験場へ上ったのだ。すると最上階に奴の研究成果のレポートが隠されていた」
セシルは驚いた。そして迂闊だったと思った。そんなものが残っていたなんて。見つけたのがクロードだったからよかったようなものの、もし別の誰かが見つけていたら悪用されていたかもしれない。
そんなセシルの考えを見抜いてか、クロードが安心しろと言わんばかりに優しく笑って話を続ける。
「大丈夫だ。奴の研究成果は根こそぎ持ってきた。私はワタルとエリーゼが異世界へ……日本へ転移すればエメリヒの呪術から逃れることができるのではないかと考えたのだ。ワタルを故郷へ帰せるし、ワタルが居ればエリーゼもここに居るよりはよほどいいと思ってな」
「そうだったの」
確かに世界の壁を隔てれば呪術は無効になるだろう。エメリヒが呪を行使できる状態ならばそれが最善だったかもしれない。
「今となってはもうその必要はなくなった。だがワタルが望めば異世界へ帰せる。そう思ってベックマンの研究成果を読み込んでいたのだが……」
クロードがそこまで話したあと深い溜息を吐く。セシルにはその理由が想像できた。彼は再び話を続けた。
「日本への扉を開くためには膨大な魔力が必要なことが分かった。それを得るためにベックマンは大量の魔素が存在する強力な魔物の棲家で実験をしていた。だがそれでも足らなかったようだ。そこでセシルを利用しようとしたのだろう」
あのとき実験場で無理矢理ベックマンに魔力を吸い取られもう駄目だと思った。
クロードの話を聞いたワタルが口を開く。
「僕は……セシルちゃんが選択の自由をくれた今でもこの国に居たいと思っています。もし日本へ帰れるとしても、その……守りたい人が居るのでこの世界に残りたいです」
守りたい人……セシルには思い当たる人物が1人しか居なかった。ワタルにはどうやら帰る意志はないようだ。
クロードはワタルの答えに頷いてさらに話を続ける。
「ワタルはそう言うだろうと思っていた。あくまで帰るかどうかはお前が決めることだ。だが私はケントを助けるには日本へ送り返すしかないと思っている」
「「えっ!?」」
クロードの言葉にセシルもワタルも驚きを隠せない。どういうことだろう?
セシルはクロードの真意を知るために彼の次の言葉を待った。
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