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第3章

34.女神とマンボウ

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「妹を、探しているのです。」

 女性は真っ直ぐにセシルの顔を見て、その青い瞳を潤ませながら打ち明けた。

「妹さんですか?」

 彼女は大きく頷き、話を続ける。

「妹はこの町の男性に恋をしました。その恋が成就するかどうかも分からないのに、妹は私達の国を出ていこうとしたのです。私や他の姉妹は止めたのですが、どうしても聞き入れてくれませんでした。そして妹はとうとうこの町へ来てしまったのです。」

 セシルは、悲しそうな表情を浮かべる彼女に尋ねる。

「どうしてそんなに反対したのですか? 妹さんの恋を応援してあげたら、彼女は貴女達の国から出ていかなかったんじゃないんですか?」

「それは……。」

 セシルが女性の言葉をじっと待つが、女性は逡巡しているようで言葉を詰まらせる。

「……その男性と一緒になっているならそれでいいのです。私は、妹が無事に生きているかどうか、それを知りたいだけ……。もう2年も会っていないのです。会いたい、リタ……。」

 女性はさめざめと泣き始める。落ちる涙が真珠のようにきれいで、思わず目を奪われる。セシルが何と言葉を掛けようか悩んでいると、突然ケントが口を開く。

「僕はケントといいます。僕が貴女の妹さんを探します。」

「ぼく!?」

 突然のケントの提案にセシルは驚く。見ると、ケントの彼女を見る目がきらきらしている。なんだかいつものケントと違う……。僕って……。セシルはこれまでに見たことのないようなケントの様子に、驚きのあまり瞠目してしまう。
 それにいつものケントなら、相手の素性も分からないまま、手を差し伸べたりしないのに、どうしたのかな。ケントはいつでもセシルより冷静なのに。

「あの、本当ですか……?」

「ええ、任せてください。それで貴女の気持ちが晴れるなら。」

 ケントは女性に、きりっと答える。そのキランとした笑顔が、なんだかケントらしくなくて気持ち悪い。セシルは思わずケントをジト目で見てしまう。アンナは嬉しそうに顔をほころばせ、説明を始める。

「ありがとうございます、ケントさん。私の名前はアンナといいます。妹はリタ。ピンクブロンドの髪に、私と同じ青い瞳で、見た目は18才くらいです。」

「アンナさん……。」

 ここまでくると、恋愛についてはよく分からないセシルでも、さすがに気付く。ケントはアンナに恋をしたのではないか。ケントの眼差しは何となくハートに見えてしまうくらい分かりやすい。
 仕方ない、ケントにつきあうことにしよう。セシルは肩を竦めて溜息を吐く。

 だがセシルは、アンナの先程の言い方に引っ掛かりを覚える。『見た目は・・・・18才』ってどういう意味だろう。
 それに、恋する男性のもとに行った妹が生きているか・・・・・・どうかなど、普通心配するだろうか。

 気になることはいろいろあるが、セシルにはアンナが悪い人のようには見えなかったし、彼女の涙はセシルの胸を苦しくさせた。アンナの妹を探すくらいのことはしてあげたいと、セシルも考える。

「アンナさん、僕はセシルといいます。ケントもこう言っていることですし、僕たちは、リタさんっていう名前と見た目から、彼女を知っている人がいないか、街で探してみます。ところでリタさんが貴女の国を出たのはどのくらい前ですか?」

 セシルがアンナに尋ねると、アンナは真剣な表情でセシルに答える。

「2年ほど前になります。リタは魚が大好きで、よくここの海辺へ遊びに来ていたんです。そして、その運命の男性と出会ったのだそうです。」

 魚が大好き……。この町に魚料理でも食べに来ていたのだろうか。……うーん、もう少し情報が欲しい。

「その相手の男性のことは何か聞いていませんか? どんな仕事をしているかとか、どんな見た目とか。」

「見た目は分かりませんが、この町の漁師だと言っていました。」

「うわ、それすごく重要な情報じゃないですか! それだけ分かってるなら、だいぶ対象を絞り込めるので、相手の男性を探しやすくなりそうです。」

 セシルの言葉を聞いて、アンナは喜びの色を表情に浮かべる。花開くようなその笑顔にセシルも見惚れて、思わず顔が赤くなってしまった。ケントは言わずもがな。

「それじゃ、僕たち、町へ戻りますね。妹さんを探し当てることができたら、彼女をここに連れてきます。」

「ありがとうございます……! セシルさん、ケントさん。」

 挨拶をして喜びに目を潤ませるアンナと別れ、セシルはケントとともに海辺を背にして街の方へ歩き出す。砂浜を出る辺りで、セシルはふと後ろを振り返る。
 あれ、誰もいない……。



 セシルは宿屋に戻り、部屋のソファーに座ってケントと向き合う。

「ケント、どうしちゃったの? ぼーっとして。」

 「僕が探す」って言っていた割に、セシルとアンナが会話していた間、終始アンナに見惚れていたケントに、セシルは思い切って聞いてみる。

「いやー。アンナさん、綺麗だよなー。俺、彼女のためにはひと肌でもふた肌でも脱ぎたい気分だわー。」

「肌は脱がなくていいから、これからリタさんの情報をどうやって集めるか話し合おうよ。」

 まったくもって今のケントは当てにならない。

「そうだなあ、漁師ってことが分かったわけだから、まずは港に行って、漁師たちに片っ端から聞き込みだな!」

「うん、そうだね。港に行くのはいい考えだね。」

 ようやく建設的な意見を出したケントに、セシルは頷き賛成する。だが気がかりなのは……。

「ただ、ミアさんに会いに行くのがまた遅れちゃうね……。」

 セシルは行く先々で何らかのトラブルに巻き込まれていることで、ミアに会いに行くのが遅れていることを危惧する。

「ああ。だがセシルはどうせ困った人を放っておけないだろう? ……俺はたまにだが。立ち寄った街である程度依頼を受けたりして、金も稼がないといけないし、多少の遅れはミアも許してくれるさ。」

 そういうケントだって、自分と同じくらいお人好しな性格だとセシルは思っている。まあ今回の場合、ケントのほうがアンナを助けたい気持ちが強いと思うが。

 宿屋で話し合いを済ませ、セシルはケントとともに早速港に向かう。



◆◆◆<ケント視点>

 紫がかった長い銀髪に海の青の瞳。……アンナさん、貴女が女神か!

 初めて海辺で彼女を見たとき、まじで女神が舞い降りたかと思った。そのくらい彼女は神々しかった。
 彼女が俺を「ケントさん」と呼ぶと、その声と言葉に、俺はまるで羽が生えた天使のように舞い上がる。俺が彼女の憂いを晴らし、「ありがとう。ケントさんって素敵ね。」と言わせてみせる。

 俺がそんな妄想を繰り広げている間に、セシルがアンナさん女神から情報を聞き出していた。おいセシル。……ぐっじょぶ。お陰でたっぷりアンナさんを眺めることができた。

 その後、俺とセシルは宿を出て、ロシュトックの港へ向かう。
 港には数多くの漁船が停泊している。ここの港は漁港で、他国に航路が開かれている訳ではない。港には魚の生臭い匂いと、潮の香りが充満している。
 俺はこの匂いが好きだ。故郷の茅ヶ崎を思い出すからだ。この匂いを嗅ぐと、少々ノスタルジックな感傷を引き起こされてしまう。

 漁船の周囲には、腕周りが俺よりもひと回りもふた回りもでかく、真っ黒に日焼けした、所謂海の男たちが大勢いた。彼らは忙しそうに漁船の側で荷の積み下ろしをしている。素直にその手を止めて、情報収集に協力してくれるといいが。ロシュトックの海の男は、目つきも鋭く強面で、気性が荒そうなイメージがある。

 俺は手前にいた漁師に近づき、リタのことを尋ねてみる。

「あの、すいません、聞きたいことがあるんですが。」

「なんだい、兄さん。」

 俺が尋ねると、ものすごくにっこり笑って対応してくれた。全然イメージと違った。見かけで判断してすまん。
 その愛想のいい漁師に俺は引き続き尋ねる。

「この辺の漁師さんで、リタっていう、ピンクブロンドの髪の女性とお付き合いしてる人を知りませんか?」

「リタ……リタねえ……。いや、覚えがねえな。すまんね、兄さん。」

 漁師は再びにかっと笑って、俺に答えた。めちゃくちゃ愛想のいい人だった。

 俺とセシルは二人で、そこらじゅうの漁師に聞き込みをして回る。30分ほど経ったところで、ある漁師が俺達に重要な情報をもたらす。

「そういや、1年くらい前に漁師をやめて酒場の店主になった男が、そんな見た目の女と一緒に歩いてるのを見たことがあるな。悪いが、いつ見たかは覚えていない。」

「……! その酒場は、なんていう店です?」

「『翻車魚まんぼう隠家かくれが』って店だ。」

「ありがとうございます!」

 その酒場は、俺達がロシュトックに到着してすぐに、夕飯を食べた店だ。
 俺はセシルと一緒にその酒場に向かう。



 俺達は15分ほど歩き、『翻車魚まんぼう隠家かくれが』に到着する。
 まだ昼ではあるが、昼から開いてる酒場も珍しくないというのに、この店の扉は閉まっている。準備中なのだろうか。

「こんにちはー。」

 表の扉が開いてなかったので、俺達は裏口に回り、声をかける。だが返事がない。そこで、扉に手をかけると、どうやら鍵は掛かっていないようだ。
 セシルに視線で警戒を促しながら、俺達はそっと酒場の扉を開く。そしてもう一度声をかける。

「こんにちはー……。」

「なんだ? あんたらは……。」

 見ると暗い店内のカウンターに、両手で頭を抱えた男が一人で座っており、その男が搾り出すような声で俺達に応対する。男の声には悲痛な響きが混ざっている。彼は酒を飲んでいるようだ。

「あんたがここのマスターか?」

 俺はカウンターの男に問いかける。
 よく見ると、男は30前後で、薄茶色の短髪に琥珀色の目をした、なかなか顔立ちの整ったイケメンだ。椅子に座っているからよく分からないが、恐らく長身で体つきもがっちりとしているだろう。元漁師だって言ってたな、そういえば。

「ああ、そうだ……。」

 マスターはやはり絞り出すような苦しげな声で答える。

「……何かあったのか?」

 俺が尋ねると、沈痛な色を湛えた表情でマスターは答える。

「あいつが帰ってこない……。今朝からだ。今まで黙っていなくなったことなんて一度もなかったのに……。」

 マスターははっと俯いていた顔をあげ、俺達に縋るように尋ねる。

「……そうだ!! あんたたち、知らないか!? ピンクブロンドの髪に青い目のかわいい女だ。年は18なんだが、どこかで見かけてないか?」

「いや、すまない。俺達は、その彼女、リタさんの件であんたに質問しに来たんだ。」

「……なんだって?」

 リタの名前を出した途端、一変して、マスターは剣呑な光を湛えた眼差しで俺達を睨む。

「なんでお前らがリタのことを知っている! リタがどこにいるか知っているんじゃないのか!」

 マスターの敵意を顕わにした物言いに、セシルが慌てて取り繕う。俺の言い方がまずかったようだ。

「違います! 僕らはリタさんに会わせてほしくて来たんです!」

 俺達はマスターに、アンナさんに会ってリタを探すよう依頼されたことを伝える。

「そうだったのか……。疑ってすまない。きっとあいつに何かあったんだ……。行き違いになるといけないと思って悩んでいたが、さすがに帰ってくるのが遅すぎる。俺は、リタを探しに行く!」

 マスターはそう言って立ち上がり店を出ていこうとするが、俺はそんな彼を引き留める。

「待ってくれ! 探すのは俺達が引き受ける。リタさんが戻ってきたときのために、あんたはここで待機しててくれ。」

「だが……! ……分かった、すまない。よろしく頼む。あいつは体が弱いんだ。すぐに消えてしまいそうなくらい儚いんだ。頼む……。」

 マスターは沈痛な面持ちのまま言葉を紡ぐ。

「分かった。待っててくれ。」

 俺達はマスターにそう言い置くと、いなくなったリタを探すために酒場を後にする。
 俺は頭の隅から沸いてくる嫌な予感に徐々に支配されていった。



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