恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十二話「黒の記憶」

 第一章「深淵より来たるモノ」・①

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◆第一章「深淵より来たるモノ」


「カノン! 起きて! 起きてってば~!」

「・・・うぅン・・・・・・」

 午前七時から行われていた再三にわたるハヤトの呼びかけによって、深い眠りの中にあったカノンはようやく目を覚ました。

 ちなみに、現時刻は午前十時半である。

「あんだァ、そんなにせかせかしてよ・・・ふわぁあ・・・」

 起き抜けに強い日差しを目に食らったカノンは、眉間に皺を寄せ、あくび混じりにハヤトの性急さを責めた。

「今日は昼前に出かけるって前から言ってたでしょ! 朝ごはんは食卓の上、昼ご飯は冷蔵庫に入ってるからお腹すいたら食べてね!」

「・・・んー・・・・・・」

 ぐちゃぐちゃになっていた布団を取り上げ、キレイに畳むハヤト。

 一方、そんな彼の隣でうつらうつらとしながら生返事をするカノン。

 両者の様は、完全に平日朝一の中学生と母親のそれであった。

「夜には帰ると思うから、それまで二人と一緒に留守番よろしくね!」

 放って置いたらまた眠ってしまうだろうとは考えつつも、無理やり連れて行くのもな・・・と思い直し、ハヤトはカノンの背に声をかけるだけに抑えた。

 ・・・もっともそれは、下手に彼女に触ると、以前に(不可抗力ながら)その肌の感触を隅々まで味わった事を思い出してしまうから──というのが主たる理由ではあったが。

「むにゃむにゃ・・・んで・・・ハヤトは何しに行くんだ?」

 と、ハヤトが部屋を出ようとした所で、普段なら聞かない事をカノンが尋ねる。

 突然の質問に面食らったハヤトだったが、下手に隠したりせず、「事実だけ」を伝える事にした。

「えっ? あー・・・と、ともだちと遊んでくるだけだよ」

 勿論、本人の意図した通りの言い方になっていたかどうかは、全く別の問題である。

「・・・・・・フーン、そうか」

 カノンは、クロから耳にタコが出来る程に聞かされているせいで、「ともだち」が如何なるものかについては理解していた。

 故に、「ともだち」は当然「家族」より下位の存在だと認識していた訳だが・・・

 ハヤトの口ぶりから、彼女本人ですら預かり知らぬ何かを感じ、自然と声の温度が下がった。

「う、うん・・・」

 唐突に妙な迫力を持ったカノンの様子に、ハヤトはたじろぐ。

 先日の「キノコ事件」以来、彼は女性のに対して若干トラウマめいたものを抱いており、今この瞬間にも心拍数が上昇の傾向を見せていた──が、しかし。

 その緊張は、カノンのお腹から響いた小さな雷鳴によって掻き消される。

「・・・ン? なんか目ェ覚めちまったな。オイ、ハラへったぞハヤト!」

「あはは・・・テーブルの上にあるから好きに食べてね・・・」

 二重の意味でほっとしたハヤトは、居間へ向かったカノンの背中を見送ってから・・・

 こそこそと洗面所に向かい、髪型を整えるついでに常備してある胃薬を飲み込むのだった。

「さて、そろそろ出ないと・・・ってあれ? スマホどこやったっけ?」 

 そして、外出用のショルダーバッグを自室で回収してから、居間に入った所で、現代人の必需品が手元にない事に気付く。

 体中のポケットをまさぐっていると──ちょいちょい、と彼の裾を引っ張る者があった。

<ム~~>

 振り向いたハヤトの視線の先には──大きなキノコの被り物をした、小さな少女がいた。

 しかして、この姿は巧妙に擬態されたハリボテであり・・・

 彼女の正体は、二月ふたつき前、すかドリを混乱の渦に叩き込んだ「キノコ事件」の犯人──れっきとした怪獣なのである。

「あっ! ありがとうメロちゃん!」

<ムゥ~!>

 とは言え、本人には何ら悪意がなく、先の騒動も「クロのお願いを叶えてあげよう」という善意に依るものであり・・・

 現に、キッチンの床に落ちていたハヤトのスマホを届け、礼を言われた事で、傘の上にある「一つ目」は、ニッコリと半円を描いていた。

 ちなみに「メロちゃん」とは、無人島にいるこの怪獣の別個体(厳密に言えば同一個体なのだが)の名称が「コグメーロ」に決まったとのTV報道を受け、クロが命名したものだ。

 当初、クロは全ての個体に名前を付けようとしていたのだが・・・日によって増殖したり逆に合体して減ったりするため、同一性を確保出来ずに断念。

 結局は、全ての個体が意識を共有しているのもあり、全員を「メロちゃん」と呼ぶ事に決めたのであった。

<ムム~~>

「あら。ありがとう、メロ」

 今も、また別の「メロちゃん」が、ティータの前に置かれた空のティーカップを自ら進んで片付けている最中だ。

 全高1メートル少ししかない彼女たちだが、頭巾の下から菌糸の「鞭」を伸ばす事で、テーブルの上のものでも楽々手に取る事が出来る。

 彼女たちのお陰で、小鳥遊家におけるハヤトの家事負担は大幅に軽減したため、彼は心底その存在に感謝していた。

 見返りとして、ハヤトは彼女たちに(一応)すかドリの年間パスポートを与え、「園内に同時に入っていいのは3人まで」という制限の下、彼女たちの望む人間観察をさせてあげている。

 出来る限り人目につかないように努めているものの、既にスタッフの間では「変なキノコの被り物をした妖精を見た」という噂が流れているが、今のところ大きな騒ぎにはなっておらず、ハヤトの胃はギリギリのところで穴が空くのを免れていた。

「ハヤト、おかわりを・・・っと、ごめんなさい。もう出るのね」

「いいよそれくらい。いつも悪いけど留守番お願いね」

 ティータがおかわりを所望したため、外出前の最後の仕事として、ハヤトはティーカップに紅茶を注ぎ、彼女の目の前に差し出した。

 食器を下げたり掃き掃除をしたり洗濯機を回したりと、有り難い存在であるメロだったが、やはり「熱」は苦手なので、紅茶を淹れるのはハヤトの仕事だった。

 また、菌でもあるので、床の拭き掃除はクロ、洗剤の付着した洗濯直後の衣類を干すのはティータの担当である。

 尤も、ティータは「赤の力」を使って楽をしているが。

 ちなみに先月ハヤトは、カノンにも「現代における家族の役割は家事だ」と言った旨を説明し、仕事を割り振ろうとしたのだが──

 その際、家財一式が漏れなく端材になりかける程の大災害を引き起こしたため、今では誰もその話をしなくなった。

「えぇ、任されたわ。・・・あ、そうそう。代わりと言っては何なのだけれど──」

 ティータは紅茶を一口味わってから、視線をTVの方に向ける。

『みんな大好き! 「ワンワンかけっこ」がブルーレイになったよ! ここでしか観られないトクベツな映像もい~っぱい! 好評発売中~!』

「・・・はわぁ~・・・!」

 そこには、いつも観ている仔犬のレースのTV番組がソフト化されたというCMに、目をキラキラさせているクロの姿があった。

「ここ数日、あんな感じなのよ。お出かけの練習ついでに一緒に買って来ようと思って、悪いのだけれど、少し置いていってくれないかしら」

「あはは・・・了解」

 ここ一ヶ月ほど、クロは散歩をしたりお遣いをしたりと、積極的に外に出るようになっていた。

 それも、以前のようにハヤトとではなく、ティータと二人か、もしくは一人でだ。

 人間社会で生活できる最低限の常識は既に身につけたであろう、と判断したティータの発案だったが、経過は良好。

 「キノコ事件」以降は怪獣が現れていないのもあって、最近のクロは誰の目から見ても笑顔が増えていたのだった。

「それじゃあこれ。いつも通り、お釣りでお菓子とか買っていいからね」

 今日の用事のためにお金を下ろしていたハヤトの財布には、多少の余裕がある。

 基本的に同居人に甘い彼は、「これだけあれば絶対足りるだろう」と、一万円札をティータに手渡した。

 仕事=趣味な男ゆえの無頓着さとも言えるが。

「ありがとう。・・・ふふっ♪」

 受け取ったティータは刹那、微かに悪戯いたずらな笑みを浮かべるが──

 しかし、この後の事で頭がいっぱいのハヤトが、その表情の変化に気がつく事はなかった。

「家を少し空ける事になるけれど、メロもカノンもいるし、大丈夫だと思うわ」

「そうだね。ほんとに、メロちゃんのお陰で色々助かるよ」

<ム~!>

 嬉しそうなメロの声に笑顔を返してから、ハヤトは改めて身支度を整える。

「よし・・・それじゃあ行ってくるね!」

 居間の出入り口で一度声を掛け・・・同時に、立ち上がって見送りをしてくれようとしたクロへ「そのままTV観てていいよ」とジェスチャーで伝えた。

「はいっ! 行ってらっしゃい・・・ですっ!」
「行ってらっしゃい♪」
<ム~!>
「はぐはぐはぐはぐはぐっ‼」

 若干一名、目の前の皿に夢中だった者もいたが・・・

 皆の声を受け取り、ハヤトはあたたかな気持ちになりながら、廊下を伝って裏口から外へ出る。

 そして、普段あまり使っていない自転車を引っ張り出し、サドルに跨り・・・待ち合わせ場所に向かうため、まずは横須賀中央駅を目指して、ペダルを漕ぎ出したのだった。

「・・・ハヤトさん、何だかいつもより慌ててたような・・・?」

 自転車のタイヤの音が遠ざかったあたりで、クロはぽつりとそう口にした。

「鋭いわね、クロ。きっと、それだけ大事な相手と会うって事なのよ」

 「本人に自覚があるかはともかくとしてね」と付け加えつつ・・・

 ティータは、先程受け取った一万円札を、ハヤトのお下がりの財布にしまう。

「そうなんですね・・・! ハヤトさん、いつも忙しいですし、今日はいっぱい楽しんで来て欲しいです・・・!」

 答えの意味を完全に理解した訳ではなかったが・・・ハヤトが幸せなら何よりだと、クロは心からの笑顔を見せた。

「えぇ。きっと楽しい休日になると思うわ・・・」

 すると、そんなクロの純真な笑顔とは裏腹に、ティータは再び悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「ついでに、私たちにとっても、ね♪」

 そう言って、彼女はハヤトに聴こえないよう、シルフィだけに念話を飛ばし・・・

 以前から用意していた計画を、実行に移すのだった───

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