恋するジャガーノート

まふゆとら

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第十一話「キノコ奇想曲」

 第三章「たったひとつのどうにも冴えないやりかた」・②

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『やっぱりハヤトってバカ真面目~~』

 スパイのように通路の壁に張り付きながら左右確認をしていると、シルフィのからかう声が頭の中に響いた。

 余裕がなくて、唇を尖らせながら文句を返そうとして──

「ハ~ヤ~ト~さぁ~~ん・・・・・・ど~こ~で~す~かぁ~~・・・?」

 すぐ近くでクロが僕を呼ぶ声が聴こえ、咄嗟に口を抑えた。

 ・・・見慣れた格好なのに、今の彼女が纏っている雰囲気は完全にホラー映画のそれだ。

 同じキノコの影響下にあっても、カノンのような・・・「甘さ」というか、そういうものが微塵も感じられない。

 怪獣の姿の時ともまた違う、独特の「凄み」がある。

 ・・・・・・あのハイライトの消えた眼差しからは特に。

「クロには・・・絶対見つからないようにしなきゃ・・・・・・」

 声が遠くなったのを確認してから、そう独り言つ。

 そして・・・音を立てないように通路の逆側を伝って1階に降り、クロの気配が近くにない事を再三確認したところで・・・ようやくまともに呼吸をする事が出来た。

 ・・・間違いなく、子供の時分ですっかり慣れてしまっていた「すかドリうち」のお化け屋敷よりも数段上の恐怖体験だった。

 まだ心臓がバクバクいっている。

「何とか撒けたし、これでようやく──」

 ワンダーシアターに向かえる! と、走り出そうとした途端・・・・・・

「びええええぇぇっっ‼ おにいちゃあぁぁあああどぉぉぉごぉぉおおおおおっっ⁉」

 聴き慣れた声が、聴き慣れない台詞を叫んでいるのを見かけてしまう。

 まさにこれから走り抜けようとしていた事務棟の出入り口で、ティータが泣き叫びながらうずくまっていた。

 小さな体を必死に守るように、二色の翼を赤ちゃんの「おくるみ」のように畳んで、自分の体を包んでいる。

 ・・・ティータは声を上げるのに夢中で、すぐ近くにいる僕の存在には気づいていない。

 全速力で走り抜ければ、そのまま事務棟を脱出する事が出来るだろう。

 ───頼る者なく、迷子のように僕を呼ぶティータを置いていけば、だけど。

「う、うぐぐ・・・っ‼」

 究極の選択を迫られ、思わずたじろいだ。・・・しかし、今は時間がない!

 ・・・・・・そうだ。何を迷う事がある。自分の中での優先順位は、先程付けたはず。

 今は、一分一秒でも早くワンダーシアターに辿り着き、自分の責務を果たすべきだ。

 そうさ・・・! 今日の僕は、非情な決断だって出来る男なんだ・・・!

 僕は・・・僕はッ────‼


「きゃ~っ♪ おにいちゃんはや~いっ♪」

「・・・・・・」

 ティータのはしゃぐ声が、背中越しに聴こえてくる。

 ・・・自分という人間が少し嫌になってきた。

 ・・・・・・い、いやでもティータの体は羽のように軽いし!おんぶしてても実質負担ゼロだし!タイムロスにはなってないよね⁉

『や~っぱりハヤトってバカ真面目~~』

 頭の中で必死に自分への言い訳をしていると、直接脳内にからかいが飛んでくる。

 ・・・しかもわざわざ、さっきと全く同じ文言で。

「もう何とでも言って・・・ってうぉわっ⁉」

 溜息を吐きながら返した途端──

 突然、「ウェ~イ!」と奇っ怪な声を上げつつ、男性のお客さんが目の前に滑り込んで来て・・・慌ててジャンプで躱す。

 走りながら背後を一瞥すると、やはりその頭にもキノコが生えており・・・

 直後、全く同じ動きで他のお客さんの足元に滑り込んでいった。

 ・・・キノコの効能を考えると、普段から彼はああしたくてたまらなかったという事になるけど・・・・・・

 まぁ、世の中色んな人がいるもんね、うん。

「こんな事をして・・・あのキノコたちは一体何がしたいんだろう・・・?」

 混沌とした光景を前に、浮かんだ疑問を無意識に声に出してしまう。

 ・・・が、同時に自分の言葉に違和感を覚える。

 先程キノコずきんたちの様子を見ていた限りでは、あの子たちが作為的にこのパニックを引き起こしたようには見えなかったのだ。

『う~ん・・・ボクは目的らしい目的はないと思うけどなぁ』

 ひとりで唸っていると、シルフィが彼女なりの意見を聞かせてくれる。

『今まで現れた怪獣たちだって、明確な目的があった方が少ないんじゃない? 今回の件も、単純にカノンに食べられた事で防衛本能が働いただけなんじゃないかな~?』

「・・・確かに・・・そうだね・・・・・・」

 推測の内容はもっともだし、防衛本能という「無意識」の反応なら、作為的でないという僕の勝手な予想にもぴたりと合う──

 はずなんだけど・・・まだ何か、違和感があった。

 すると、そんな葛藤が判りやすく顔に出ていたのか、シルフィが続ける。

『まぁ・・・このキノコについては少し変な感じはするけどね。元から胞子に「こうなる」成分が含まれていたのなら、昨日あの島に居た時点でクロとカノンは怪獣の姿のまま手がつけられない状態になってたはずだし』

「! なるほど・・・!」

 シルフィのお陰で、感じていた違和感の正体に一歩近づいたような気がした。

 昨日と今日では、キノコの怪獣に何か違いが──ように思えてならないのだ。

 根拠はないし、具体的にどこがどう・・・というのは皆目検討つかないけど。

「・・・っと!」

 答えの出ない問いに、またしても注意力が散漫になりかけたところで──

 ようやく、目指していたワンダーシアターが見えてくる。

 ティータの身体をしっかりと背負い直し、裏口の方へと急いだ。


「や、やばい・・・! あと3分しかないっ・・・!」

 ──そして、衣装室に辿り着いたところで・・・いよいよタイムリミットが迫っていた。

 慌てて制服を脱ぎ捨てようとして、他人ひとの目があった事を思い出す。

「・・・ティータ、ちょっとだけ目閉じててくれるかな?」

「? うんっ!」

 素直な返事とともに、ティータは両手で目を覆う。

 ・・・ちょっとかわいいなと思ってしまったけど、とにかく今は着替えに集中しよう。

 一旦着ている衣服を全て脱ぎ捨て、ロッカーの中に入れておいた上下のアンダーを素早く着用。

 続いて、ライズマンのスーツに片足から入っていく。

「・・・・・・おにいちゃん、もういい?」

「う、うん! 大丈夫! ・・・うっ、ぐっ! ・・・やっぱり厳しいかな・・・?」

 慌てながらでも両腕両脚は入ったけど、一人だとファスナーを上げるのが難しい。

 最悪このまま舞台袖まで行って、みーちゃんを呼び出して上げてもらおうか・・・

 なんて考えていると、背中越しにティータの声が聴こえた。

「おにいちゃん、それを上げればいいの?」

「え? う、うん。でもこれ結構コツも力も要るから──」

 と、言いかけたところで──突然、ファスナーの引き手が、ひとりでに動き出した。

 あれっ⁉ と困惑しながら振り返ると・・・ティータの左瞳がぼんやりと赤く光っているのが見えて、全てを理解する。

「なるほどその手があったか・・・! ありがとうティータ!」

 逃げる僕を捕まえるために「赤の力」を使っていなかったから、てっきりキノコのせいか何かで使えないものとばかり思っていたけど、すごく助かった。

 集中すれば普通に使える・・・って感じなんだろうか。

「・・・ティータ、えらい?」

「うん! すごく助かったよ!」

「! えへへ・・・」

 ・・・普段を知ってるせいで、こう素直に笑顔を向けられるとめちゃくちゃ照れるなぁ・・・

 わざとらしく咳払いをしてから、ティータと目線を合わせるようにしてしゃがむ。

「えーっと、僕・・・お兄ちゃんはこれからお仕事に行かなくちゃいけないから、少しの間だけお留守番しててくれる?」

「・・・うん。ティータえらいからがんばる」

 正直、「絶対やだ‼」とか言われるのを覚悟していたので、思わず胸を撫で下ろした。

「ありがとう! それじゃあ──」

「でも、がんばるから・・・ごほうび、ほしいな」

 ・・・が、素直さに感謝しつつ背を向けようとしたところで、交換条件を持ちかけられる。

「なっ、何が欲しいのかな?」

 思わぬ願い出に、ドキリと硬直し───


「えっとね・・・おにいちゃんと・・・・・・チュー、したい」


「ブッッッ‼」

 続いて口にされたとんでもない一言に、泡を吹いて倒れそうになった。

『あははは~! ティータったらダイタ~ン♪』

「あ~いやぁ~~えっとぉ~~そのぉ~~~・・・・・・」

 すかさず妖精さんのイジリが入るも、反応する余裕は全く残っておらず・・・

 両目を泳がせながら、しどろもどろに意味のない音を口から出すのが精一杯だった。

 するとティータは、腰掛けていた丸椅子から立ち上がり、こちらへ一歩近づいてくる。

「・・・ティータとはしてくれないの? カノンとはしてたのに・・・・・・」

「うえぇっ⁉ どっ、どうしてそれを・・・・・・」

 ・・・って、彼女には思考まる視えなんだから元からバレてたのか、と自分で納得する。

 まずい事になったなとは思いつつも、今は迷っている時間も惜しい。

 ここで下手に断って赤の力で拘束されたら、何のためにここまで来たのか判らないし・・・死ぬほど恥ずかしいけど、覚悟を決めるしかなさそうだ。

「・・・・・・じゃ、じゃあ・・・」

 声が震えてしまっているのを自覚しながら、ティータの細い肩に手を置く。

 そして、雪のように白い頬に向かって顔を近づけるも───

「そっちじゃないよ・・・こっち・・・だよ・・・・・・」

 優しく顎をクイと持ち上げられ、敢え無く、薄いピンクをした唇へと導かれる。

 二色の瞳が瞼に隠されると──フランス人形のような、幼さの中に気品を含んだ端正な顔が間近に迫って・・・

 体のうちから聴こえる心臓の鼓動が、どこか遠くなっていく。

 ・・・・・・もう、抵抗しなくてもいいか・・・別に減るものでもないし・・・・・・

 異常な状況と焦燥感からくる判断力の低下は、理性を蝕み、僕の瞼を落とさせた。

 そして──ティータの肌が発する微熱が、ふわりと唇を撫ぜた、その瞬間───

 不意に、彼女の普段の笑顔が脳裏を掠めて・・・・・・気付けば、僕は最後の最後で、無理やり顎を上げていた。

 緊張のあまり乾き切った唇は、ティータの鼻先に触れて・・・すぐに離れる。

「・・・・・・いじわる」

「・・・ごめん。・・・いい子だから、また今度・・・ね?」

 ぷいと顔を背けてしまうティータに、二重の意味で謝りつつ──今度こそ、立ち上がる。

 姿見でセルフチェックを行って、髪の毛を入れ込みながら面下を頭に被り、最後にブーツとグローブを装着。

 マスクを小脇に抱え、衣装室の扉を開く。

 最後にもう一度だけ、そっぽを向いたままのティータに「ごめんね」と声をかけてから・・・一路、ステージへと急いだ。
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